六助道 page 3 【廃径】

● スミノタオ~天丸トンネル北口

 スミノタオ直下の上州側は細いスギ植林であった。馬道というより作業道的な細道となって、植林を緩く下った。窪の通過ごとに箇所があったが、一応通ることができた。そのうち焼岩下の露岩帯に跳ね返されるように、九十九折れて下るようになった。足下に車道(上野大滝林道)が見えてきたと思うと、高さ25Mはある車道法面の三角形をした頂点上で道が途切れた。
 仕方なく、一定に下る馬道跡とは明らかに異なる、植林中の曖昧な痕跡を車道まで適当に下った。下り着いたのは天丸トンネルの北の入口まで約100Mの小窪の地点であった。

 

⌚ฺ  スミノタオ-(15分)-天丸トンネル北口の埋立窪 [2018.3.29]

● [逆行区間]天丸トンネル北口~野栗沢

 (逆行区間のため、野栗沢→天丸トンネル北口の説明になっています。)
野栗沢から胡桃平方向に進み、所ノ沢集落で分かれる所ノ沢林道に入ると、約九百米先の鉄骨組の水抜きがある異様な形状の堰堤で終点となり、ここが実質的な出発点である。整備された左岸歩道は次の超巨大堰堤で終わり、右岸に渡って小径で越えた。堰堤上で再び左岸に渡り返し、所々で崩壊を挟む細い踏跡を右岸のワサビ小屋を見ながら進んだ。車道終点から十余分の左岸小台地に、廃物が散乱する小屋跡があった。飯場跡のように見えるこれが座禅堂跡とされ、かつて修行僧の庵であったそうだ。二十五年ほど前にはまだ倒れそうな廃屋があり、中に金色の仏像が見えたという[23]。
 沢沿いの踏跡を捨て、座禅堂裏を九十九折れて登る六助道の痕跡に入った。時々道型らしい部分が混じるが、道として機能しているとは言い難く、断続的な踏跡という方が正確だろう。地形は礫で埋まった窪状で、植林が散在していた。土砂流出が酷くなり、踏跡はほとんど消えてしまった。しかも一歩ごとに流されて登り難かった。斜めに登る踏跡を見つけ従うが、小植林があるのでその作業道かも知れず、峠道かの判断はつかなかった。標高が上がるに連れ、裸地が凍土化した部分が混じるようになり、登ったりトラバースすること自体が危険な箇所もあった。
 実質的に道を失った状態で、窪状の左岸尾根を登ってみた。窪状を登る消滅した道は、六助ノコルへ向かうためどこかでこの小尾根を横切るはずであり、そこを捉えればよいのである。それに出合ったのは、九一五米地点であった。試しに逆にたどると植林中の露岩に行き当たった。以前は桟橋でもあったのか、それともその手前の植林を九十九折れて登っていたのか、分からなかった。
 道は極めて緩く登りつつ、次の窪をうまく横切った。植林中なので緊迫感はないが、かなりの急斜面だった。踏跡程度の道が時々太くなることから、かつて馬道であったことが感じられた。危険な岩壁のテラス状を見事に通過し、岩尾根を水平に回った。岩と植林の一帯を、作業道ほどの踏跡が辛うじて続いていた。
 砂防用らしい大堰堤の上を通過した。落葉で消えた道を、斜面の微妙な凹凸で判断し進んだ。時おり見る古い石垣の補強が、古い峠道の証であろう。その先の窪で砂防堰堤下のガレを通過ところで、土砂流出により道が途絶えたが、真っ直ぐ抜けると痕跡が見えてきた。次のガレでも道は消えたが、その先でまた現れ、それも続く緩斜面でいよいよ完全に消えてしまった。見上げる上野大滝林道までは、まだ相当高度差があった。道が消えたまま植林に突入したので、先程と同じく微小な支尾根を直登しながら、峠道に出合うのを待った。
 果たして九七五米付近で植林中から斜めに登ってきた峠道を再発見、試しに逆行するもすぐ途切れてしまうので、この間の経路は分からなかった。微かな痕跡が、裸地化した緩斜面を斜めに登った。この極めて薄い痕跡は、後に上から下ってきて横切ったことがあったが、その時全く気づかなかったほどのものであった。古く荒れた痕跡は、一直線かつ明確に斜面を登っていた。
 小植林を抜け、大滝左岸の山の神へ続く尾根の九九五米付近をしっかりした道型で回ると、露岩帯のトラバースとなった。この道を歩く人がいるのか、灌木の枝に小さな青ビニテープが巻いてあった。峠道は岩壁直下のテラス状を、下方に二十数年生程度の痩せた植林を見ながら緩く登っていた。危険というほどでもないが、なかなかの急傾斜に気は許せなかった。この峠道では毎度のことだが、またも植林中で道が曖昧になった。峠道を無視して植栽されたためであろう。やがて植林が切れると露岩帯に行き当たり、前進不能となったので、やむを得ず植林を急登すると、一〇六五米付近で水平に走る峠道に出合った。逆行してみると、一〇七〇米付近で山の神の尾根を回り、向こうの植林に入ったところで曖昧に消滅していた。植林中で道が消えた部分がブラックボックスとなり、その間の道筋が不確かだったが、少なくとも峠道は山の神の尾根を、少なくとも九九五米付近、一〇七〇米付近の二回は通過しているようだった。青テープ先で道が悪くなったことから、どこかで一度折り返し、一〇七〇米付近まで山の神の尾根に絡んで登っていたのかも知れない。
 上が露岩帯、下が植林という状況は変わらず、時として明瞭を増すあるかなしかの道が緩く登っていた。道の上に展開する岩壁に高度を抑えられているらしく、岩が上に上がった時には、道はここぞと傾斜を強めていた。岩壁や露岩を交えつつ、目まぐるしく交替する植林と自然林を見ながら、時々垣間見える車道の高さに一歩ずつ近づいていった。道はそこそこ良い踏跡程度で続き、ちょうど上野大滝林道と太尾林道の分岐の直下あたりの植林中で、珍しく九十九折れて登った。ここが、岩が退き高度を上げるチャンスなのだろう。ペットボトルや空缶など、植林作業を思わせるお決まりの残置物が現れ始めた。
 太尾林道がだいぶ近づいた一一三〇米付近の小尾根状を回り込む辺りで一時道幅が極めて広くなり、小尾根状に付いて登る道を分けた。その三〇米ほど上方で分かれた道が太尾林道に出合い、その脇には馬頭尊があったという[26]。とすると、この小尾根を電光型で一気に登りあげるのが、正道だったのかも知れない。
 植林中の道は車道直下まで来ると消滅し、前方は車道建設によるガレで通行困難だった。急傾斜を適当に太尾林道に攀じ登り、車道を百米ほど進んで、今度は隣の窪から上野大滝林道に這い上がり、それを約三百五十米進んだ。そこが天丸トンネル手前の窪埋立地で、六助ノコルへの取り付きでもある。二本の車道のその法面に崩されて、この辺りの峠道は消滅しているものと思われた。

 

⌚ฺ  天丸トンネル北口の埋立窪-(←10分:逆行区間)-車道(太尾林道)-(←25分:逆行区間)-山の神の尾根乗越-(←1時間:逆行区間)-座禅堂跡-(←15分:逆行区間)-車道(所ノ沢林道)終点 [2019.3.2]

【林道途中へのアクセスルート】(確認済みのもの)

  • スミノタオ(六助ノコル)
  • 天丸トンネル北口

 

[23]長沢和俊『山から降ってくる雪』(私家版)、平成ニ十三年、「所の沢概説」三七~四〇頁、「所の沢登降記」四一~四七頁。

180329_p30.jpg
ヒノキ植林の下り出し
180329_p31.jpg
植林中の急傾斜で突然道が
180329_p32.jpg
覗き込むと車道法面の25Mの崖の上
180329_p33.jpg
天丸トンネル近くの車道まで適当に下降
190302_p18.jpg
所ノ沢奥の超巨大堰堤
190302_p19.jpg
侘しい座禅堂跡の廃墟
190302_p20.jpg
堂裏の窪状を九十九折れて登る峠道
190302_p21.jpg
表土や礫の流出部は均されて道が消滅
190302_p22.jpg
前方に大ナゲシと両神を見ながら登る
190302_p23.jpg
しっかり残された小尾根を回る部分
190302_p24.jpg
岩と植林の間を行く峠道
190302_p25.jpg
焼岩を見て登る自然林の薄い道型
190302_p26.jpg
僅かに残る石垣が峠道の歴史を伝える
190302_p27.jpg
山の神の尾根を回るところは明瞭
190302_p28.jpg
多少使われているのか青テープも
190302_p29.jpg
植林中で道がほぼ消滅した部分
190302_p30.jpg
一段上の山の神の尾根通過点も明瞭
190302_p31.jpg
しかし多くは道の残骸を辛うじて見る程度
190302_p32.jpg
山側の露岩帯に沿って登る
190302_p33.jpg
九十九折中の広い部分から登るのが正道か
190302_p34.jpg
太尾林道へと闇雲に這い上がる
190302_p35.jpg
さらにこの窪から上野大滝林道へ登った