赤湯から田代スキー場 【藪径・雪径】

 昭和初期、赤湯から棒沢、田代平(現在の田代スキー場)、八木尾山を経て貝掛温泉に至る貝掛林道と呼ばれる歩道があった。今回は、一部でその痕跡を使いながら、およそ似たコースを辿ったヤブ道について報告する。核心部は、昌次新道の瓢平(フクベノタイラ)上から田代スキー場1478独標下までである。

 貝掛林道は、貝掛温泉と赤湯を結ぶ営林署の巡視道である。貝掛温泉から八木尾山に登り、田代平付近を通過、棒沢を渡って瓢平を越え、赤湯に至る十キロ超の長大な林道である。目立った山に登らないため登山者が通ることはなく、そのため記録はないに等しい。昭和六年、二居の富沢元吉が貝掛林道の瓢平から苗場山まで昌次新道を開いたことで、赤湯から瓢平の区間だけは登山者が使うようになった。猟仲間であり当時の赤湯の経営者でもあった昌次に道を委ね命名されたという[1]。瓢平とは昌次新道が鷹ノ巣尾根(昌次新道が苗場山へ登る尾根)を一時外れて通過する1480m前後の平らな部分を指すが、登山記録を見る限り、桂ノ沢を登ってきた道が鷹ノ巣尾根を越える辺りを含めた大雑把な呼ばれ方をしているようだ。

 貝掛林道の一部ではあるが唯一の登山家による通行記録は、上越の主要な山を歩いて登山コースとして初めて世に紹介した中村謙のものである。昭和七年、中村は棒沢遡行のアプローチとして赤湯から棒沢までこの林道を歩いた[2-4]。赤湯~瓢平間は大部分が現在の道とは異なり、赤湯から1229独標までは当時既に存在していた赤倉山への林道を辿り、そこから発する貝掛林道はいったん熊ノ沢出合に下ってからサゴイ沢右岸を大高巻きして現在桂ノ沢の道標が立つ辺り(1205m)で現在の道に合流し、鷹ノ巣尾根に登るものだった。つまり桂ノ沢道標から鷹ノ巣尾根までだけが、貝掛林道の今でも使われる区間ということになる。尾根に上がると恐らくフクベ沢右岸尾根を下り、棒沢直前でフクベ沢に下って渡り、続いて棒沢を渡って左岸の山腹に取り付いていたようだ。赤湯から鷹ノ巣尾根まで75分、そこから棒沢まで20分を要し、道は良かったという。林道は暫くの間使われていたようだが、どこの山でもそうであったように大戦中に山は荒れ、一般登山者が通らない棒沢方面は、昭和二十七年の文献では廃道と記載[5]、昭和三十年以前に手入れが悪くなったことを示唆する記事もある[6,7]。赤湯から熊ノ沢を通って桂ノ沢に回り込む区間も、桂ノ沢を直接登る現在の道ができてから荒廃した[8]。桂ノ沢を登り切って鷹ノ巣尾根を瓢平に乗越す辺りに貝掛林道を示す道標があっても[7]、迂闊に侵入する登山者はいなかったようだが、昭和三十三年、山頂小屋の番人に勧められ貝掛林道に入ったハイカーが遭難死する事件があった[7]。貝掛林道を勧めた番人は経験が浅かったという[6]。貝掛温泉に向かうというハイカーに、悪路と知らず道標だけを根拠に案内したのかも知れない。なおこの遭難について記した市販書[6]は、赤湯宿泊予定を山小屋番人に貝掛に変更するよう言われたように書かれているが誤りである。本人は赤湯、元橋経由で貝掛に宿泊予定であったので[7]、近道を勧められたのだが仇となった。以後も釣りや遡行での入渓は珍しくなかったようだが[9]、登山目的で昌次新道から棒沢へ下った記録はみられない。

 一方貝掛温泉側のカッサ川では源流付近の田代平の電源開発と伐採が同時に進行した。昭和三十年代後半に、今の田代スキー場にあたる田代平一帯が完全に伐採された[10]。これに伴い、矢木沢からの苗場赤湯林道の棒沢区間が田代平まで延伸された。五十三年には田代平の一部はカッサダムの底に沈み、五十八年に田代スキー場が開業した。林道の延長と伐採は更に進み、五十八年までに田代沢に達し[11]、五十九年までに棒沢左岸の山腹に入り込んだ[12]。平成二年までに本線はさらに棒沢の上流の方向へ、また棒平支線がフクベ沢出合の方向へ延長された[13]。田代スキー場1574独標から南に出る尾根をリュウノ尾根といい、その西側の沢を丸山沢というが、この林道を使って昭和六十三年前後に丸山沢やユウビツ倉沢で伐採が行われた[14]。この林道はかつての貝掛林道と同一でないにせよ近い位置に敷設されたことから、昌次新道~苗場赤湯林道棒平支線~苗場赤湯林道本線(棒沢区間)と繋げば、完全に接続はしないが赤湯から田代平(現田代スキー場)までのルートになると思われ、通行してみた。実際に歩いた感触としては、荒廃が酷く廃道というよりヤブ漕ぎ山行の色合いが濃かったため、「藪経・雪経」のカテゴリに含めた。

●赤湯~棒沢(フクベ沢出合)

 赤湯から瓢平(フクベノタイラ)までは一般登山道の昌次新道を辿った。瓢平は1570独標北の1480m付近の平坦なブナ林、そこから棒沢に流下するのがフクベ沢である。今回昌次新道を離れたのは厳密にフクベノ平の標柱の地点でなく、桂ノ沢を登ってきて鷹ノ巣尾根の1447m鞍部に出た地点である。廃道となった貝掛林道の正確な分岐位置や棒沢へ下る経路が分からないが、この鞍部に出たらフクベ沢の右岸を下るのは間違いない。沢を下るのは地形的に急で難しく、右岸尾根を下るのが自然な道の取り方だ。右岸尾根は東に緩く登った1463mの平頂から北に出るがわざわざ登ってから下るのは無駄である上、平坦部では笹ヤブが酷くなる点でも好ましくない。だが登り着いた鞍部で調べると、東への尾根筋に微かな踏跡が見られたので、これを辿ってみた。踏跡は平頂手前で分からなくなった。消えたと言うより激しい笹ヤブの圧で消滅したような感じであった。幸いなことにヤブは高密度のチマキザサを主にチシマザサが交じった構成で、全く動かないものではなく少しずつ前進することができた。こうなったら笹との根比べである。目指す平頂の北尾根へとにじり寄るように進み、30分以上かけて1425mから始まる二重山稜に到達した。そこまで来れば笹の勢いが多少収まるとともに、地形的にも二つの尾根とその間の谷のうち歩きやすい部分を選んで歩けるので、効率よく前進できた。速度が場所によっては尾根が三つに割れるのでさらにルートの選択肢が増えた。また踏跡か歩いた痕跡かも明滅するようになり、部分的にそれらを使い、繋ぎ合わせて下った。1370mで二重山稜が終わっても笹の中の薄い痕跡が続き、1320mから1290mはこの尾根では珍しいツガの樹林帯で、道型が残りやすいためか踏跡か道の残骸かが明確に見えた。貝掛林道の残骸だとすれば納得行くものである。沢音が聞こえ出す頃には傾斜が急になり、灌木に捉まりながら注意して下った。左下にフクベ沢の河原が広がった部分が見えてきて、そこまではかなり急だが凹凸がなく下れそうな斜面になっていた。ここが下降点だな、と直感させるものであった。フクベ沢に急下し開けた右岸を少し下るとすぐ棒沢に出合った。場所を探せば何とか靴のまま渡れそうな水量に見えたので、少し探して、倒木と沢中の石を使って何とか飛び越えられそうな場所を見つけ、左岸の広い笹ヤブの一角に飛び移った。

 

⌚ฺ  赤湯-(1時間15分)-瓢平-(1時間25分)-棒沢(フクベ沢出合) [2025.10.30]

 

●棒沢(フクベ沢出合)~苗場赤湯林道本線1380m

 棒沢左岸ではすぐ山腹に取り付くことができず、幅百数十米の密生した笹の台地になっていた。実はフクベ沢出合の数十米東で丸山沢という小沢が左岸に出合っているのである。ほぼ谷の切れ込みがなく平坦な丸山沢流域が棒沢左岸台地の実体なのである。笹ヤブを少しずつ無理やり漕ぎ進めない訳ではないが、ヤブの薄い部分がないか探していると、ふと新し目のピンクテープが目に入った。だが付近に踏跡らしいものはなかった。かなり広く捜索すると、数十メートル先に次のピンクテープが見つかった。その方向にさらに進むと次のピンクテープがあった。その間、道らしいものはないが、笹ヤブを通行した痕跡のようなものが認められた。このようなかなり間隔を開けたマーキングは釣りや登山など趣味の素人によるものではないと思われ、恐らく営林署(現在は中越森林管理事務所)の担当者によるものと推測された。激しいヤブでルートが定められず、力付くで漕ぎ分けるしかないと諦めていたところに天の恵みと思ったが、糠喜びと気づくのに時間はかからなかった。マーキングは丸山沢右岸尾根を登るように古い伐採地に向けて付けられており、明らかに苗場赤湯林道に向かってはいなかった。となるとマーキングを逆に追えば棒平支線の末端に出られる可能性も考えられたが、距離的にかなりの遠回りになるため、もし途中が密ヤブで手こずると時間的なロスが大きく、最悪道半ばで日没となる恐れもあるため、その案を採るわけには行かなかった。棒平支線とは、国土地理院が公表する現時点の最新地形図に収録されている最も棒沢側に伸びた林道である。地形図は廃道となった道も構わず載せ続けていることがあるので、この林道が現在使える保証はないのである。事実、棒平支線がほぼ消滅していることをしばらく後に知ることになった。マーキングを数分追っていると丸山沢の小さな右岸支窪を渡ったので、これを辿っていったん丸山沢に出た。1225m辺りの右岸に小さな伐採された空間がある地点である。

 丸山沢はヤブの中のごく小さな流れで、場合によってはこれを遡行しようとも思っていたが、ヤブが酷く速度が上がらないと考え諦めた。そこで右岸の急な山腹に取り付いて尾根をひた登り、どこかで運よく苗場赤湯林道にぶつかったらそれに移る作戦にした。初めのうち斜面の笹ヤブは濃淡があり、薄いところを探して登ればどんどん高度を稼ぐことができた。1300m辺りから傾斜がやや緩みだすと、笹ヤブは密度を増し次第に歩みが遅くなった。笹の生育は如実に日当たりが影響するので、平坦部、尾根上、南向き斜面で最悪のヤブとなるのである。1335mでいよいよ平らな地形になると、身動きの取れないチマキザサの密生帯となった。ネマガリダケと違って押せば動くのだが、棉のように積み重なった笹は押し分ける余地がなく、もがくばかりでなかなか進まないのである。

 1343mでヤブに埋もれた不思議な溝をみた。何かの水路のようである。平坦地とは言え僅かに傾斜があるので、降った雨がこの溝を流れて台地から排水されているのであろう。これを使えば少しでも進みやすくなろうかとも思ったが、向きが悪く、目指す尾根の上部を向いていなかった。とにかく少しでも高いところを目指して牛歩し、最悪田代スキー場まで漕ぎ上がる覚悟だった。不思議なことに同じような溝を、五、六分後に再び見た。今度は向きが少し異なり、多少尾根の上方を向いていたので、これを使って登ってみた。だが数十米も進むと、猛烈なヤブに覆われてしまった。水路をさらに無理やり漕ぎ進むこともできたが、同じ苦しいヤブ漕ぎなら少しでも距離を縮めるべく尾根筋を辿った方が良いと、尾根を忠実に辿るヤブ漕ぎに復帰した。この頃ちょっと焦っていた。地形的に棒平支線があるはずなのに、痕跡すら全く見当たらないのである。ただでさえ背丈を超す笹ヤブで手を焼いて時間が経過しているのに、並行して倒木に登ったり周囲より少し高い地点を経由して見通しを確保することで近くにあるかも知れない林道の痕跡を探すことも行う必要があり、前進ばかりに神経を注ぐこともできなかった。

 これと言った証拠を掴めふまま漠然と進むうち、ポンと飛び出したのが幅1.5mほどの笹の薄い部分であった。灌木や雑草が茂っていて歩きやすくはないが、少なくとも遅々として進まない笹ヤブ漕ぎよりは明らかにましである。これが棒平支線の一部なのであろうか。GPSは使わぬ方針となると現在地を直接確認する方法はない。正確な位置を割り出すには、この道を両側に歩いて地形図のどの部分に当たるかを確認する必要があった。下に示す歩行時間に含めていないが、両方向に計1時間ほど探索歩行を行い位置を確定した。林道に出た位置は田代スキー場1574独標から南に出る尾根の1380m付近、地形図が示す林道から西に約40mの地点であった。最新地形図は林道が不完全かつ不正確に記入されているが、現時点の林道は地形図林道1380m付近から西に丸山沢直前まで苗場赤湯林道が延長されている。そして1380m付近からなお南に伸びる林道記号の部分は棒平支線だが、これが消滅していることが確認された。途中で見た謎の水路は消滅した棒平支線の残骸だったのである。かつての林道はその中央が抉れて幅30cmほどの水路となり、それ以外の部分は水路上部も含め完全に笹に覆われ、歩道としてすら存在しなくなっているのである。苗場赤湯林道の本線は、荒廃した作業道といった面持ちで、歩道として最低限の手入れを受けつつ辛うじて現存していた。棒沢で見たのと同じピンクテープが、苗場赤湯林道の四、五カ所で認められた。林道に出た地点の東約40mにもピンクテープがあり、そこが完全に消滅した棒平支線の分岐点のようだった。

 

⌚ฺ  棒沢(フクベ沢出合) - (15分)-丸山沢- (1時間20分)-苗場赤湯林道1380m [2025.10.30]

 

●苗場赤湯林道本線1380m~田代スキー場界

 前項末にも記したが、林道に出た地点から東に約40m進むとピンクテープがあり、そこが棒平支線の分岐であった。完全に笹に埋没した人工的な掘削の痕跡が明確に認められたから分かったのだが、支線の道型は跡形もなく、伐採時に使われた林道が三十余年で消えてしまうのに驚かされた。その地点から田代スキー場側の林道跡は中央が抉れて降雨時の水路になっており、両側はヤブや灌木で覆われていた。水がない水路部は狭い上しばしば寸断され、またヤブや灌木が被って通行に適さなかった。その両側のヤブや灌木も大抵斜めに張り出して路面を覆っているため実用上歩けないか、歩くとしてもかなり歩き難かった。なんとか灌木をかき分けて進むか、または林道脇に生じたこれも歩きにくい踏跡を辿るかして進んだ。それでも単なるヤブこぎよりは遙かに楽であった。暫く進むとこの日見た最後のピンクテープが付いていて、林道の荒廃が酷いため道の脇を刈り払って通行するようにしてあり、それを通るようにとの印のようだった。地形図の道記号が二本線に変わる辺りから、次第に道の状態が少しずつだが良くなり、作業道としてなら支障なく歩けるようになってきた。1440mの急カーブは、車両が安定して走れるようそこだけコンクリ舗装されていた。緩やかだった地形が尾根の東側のやや急な斜面をトラバースするようになると、雨水が林道を流れることがなく斜面を流下するようになったらしく、中央の抉れが目立たなくなってきた。木々の間に田代スキー場の第二高速リフトの白い山頂駅が垣間見えた。カーブミラーのミラーが落ちて残った黄色い棒がカーブのたびに立っていた。一面草に覆われているのは変わらないが、いよいよかつて車が走っていた廃林道らしくなってきた。そして1478独標西の小鞍部付近で草むらから突然普通の車道に飛び出した。ここからは現役の車道ということである。この車道は本来いま来た藪の中に突っ込んでいくのが本線なのだが、むしろその地点から急カーブしてほんの十米ほど先のスキー場の敷地に突っ込んでいく道の方が自然な作りになっていた。スキー場の敷地内には冬のオープンに向けて整備をするためのものか、一台の車が止まっていた。

 

⌚ฺ  苗場赤湯林道本線1380m - (45分)-田代スキー場界 [2025.10.30]

 

●田代スキー場界~二居

 田代スキー場付近は紅葉シーズン真っ只中だった。すぐ脇の1478独標には田代第二高速リフトがハイキング運行されていてどうしても乗るのなら1300円で乗車可能とのことだが、乗ったとしてもリフトを下ったところの観光客で賑わうレストラン「アルム」からの交通がない。ドラゴンドラで苗場スキー場へ、パノラマリフトと田代ロープウェイの乗継コースが二居へ運行されているが、乗車券は当日限り有効な切符が山麓でのみ販売され、それも往復券しかない。遭難事案等のトラブル発生を嫌って登山客を意図的に乗せないようにしているようだ。とすると下山路は、田代湖畔まで下ってから祓川まで約6kmの林道を歩いてタクシーを呼ぶか、レストラン「アルム」付近まで下ってさらに登山道を二居まで歩くかの二択となる。今回は清津川に置いた車を回収するため苗場スキー場方面に戻る必要があり、二居への道を採った。

 立派な車道となった苗場赤湯林道を少し下り、芝生のように刈られたスキーコースを横切るところからスキーコース上のハイキング用遊歩道に移った。そのまま行くとゴンドラ駅に出てしまい色々不都合なので、カッサダム(田代湖)建設時に造成されたらしい1380mの作業用か何かの広い敷地からヤブっぽい作業林道跡に入った。観光客で賑わうドラゴンドラ山頂駅が眼下に見えた。この廃作業林道を三百米も下れば二居ダムへの下降路があることが後で分かったが、訪問時は電源開発と観光開発で著しく荒れて地形も変わった周辺の状況が分からず、ヤブを漕ぎ、別の工事用車道に迷い込み、工事基地に入り込んだりしながら漸く二居への道を見つけることができた。最新地形図にも収載される前記の廃作業林道は、スキーコースに隣接する上端と、ドラゴンドラ山頂駅近くが道の形跡をとどめているが、中間部がヤブに覆われほぼ消滅に近い状態であった。従ってドラゴンドラ山頂駅前広場の南に隣接する工事基地にやむを得ず侵入する形で作業林道に取り付き、約二百米先のそこから林道が廃道化するギリギリの地点まで行くのが分かりやすい。

 作業林道のドラゴンドラ側からの終点(その先田代スキー場1380m作業用敷地までは廃道化視野部に埋もれている)から下山に利用できる明瞭な歩道が付いていた。送電線を管理する東京電力と電源開発が敷設した作業歩道である。そのため、刈払いがしっかりしており草木やヤブで迷いやすい部分がない、トラバース部分は道型を切っていないため路面が傾いていて大変歩き難い、道標やマーキングもなく突然分岐したり直角に曲がったりと登山道としては不自然な付き方が散見される、ピンクテープは作業用の目印として使われているため道案内としては役立たない、などの普通の登山道と異なる特徴がある。これらをよく理解した上、地形をよく読みながら歩けば、便利な下山路として利用できる。田代沢左岸の1172独標へ続く尾根を、初め北側をトラバースして進むと10分ほどで中東京幹線中線68号鉄塔があり、その真下で小向橋への巡視路を右に分岐した。実は車を置いたのは小日橋なので右の道を取ればよいのだが、事前リサーチで全線を通じた道の状態を確認できなかったため、日没時間が遠くないことを考え確実な二居へのルートを取ることとした。ドラゴンドラ下を潜って見事な紅葉の尾根を下り奥清津分岐線3号鉄塔に至ったが、急に道が途絶えたが、鉄塔を見上げているうち直前で尾根を左に外れ直角に折れる正道を見落としていたことに気づいた。歩き難い電光型のトラバースの後、支尾根に乗って2号鉄塔を通過し、営林署の舗装林道に下り着いた。入口に貸地を示す白い標柱があり、数米奥には奥清津分岐線2号鉄塔を指す黄色い小標柱があった。

 舗装林道を右に下って二居ダム湖岸の舗装林道に出ると、左折して二居ダム南岸を進んだ。小沢(固有名詞)を渡るところで、車で来た観光客が二居ダムの眺望を楽しむためのテラスとトイレとがあって、一般車を止めるゲートがあった。発電設備を横目で見てトンネルを通り、車道を淡々と歩き通すと二居の田代ロープウェイの山麓駅であった。紅葉狩り客用の苗場スキー場への無料送迎バスのお世話になって苗場スキー場に移動し、苗場赤湯林道を1時間10分かけて小日橋まで歩いた。辺りが薄暗くなり始めるギリギリの時間に車まで戻ることができた。なお小日橋へは一般に元橋からの登山道が紹介されるが、悪路で時間もかかるため、効率的に歩くなら苗場スキー場からの車道歩きがお勧めである。

 

⌚ฺ  田代スキー場界 - (25分)-東電作業道入口 - (55分)-舗装作業林道 - (10分)-小沢 - (35分)-田代ロープウェイ山麓駅 [2025.10.30]

 

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昌次新道を鷹ノ巣尾根へ登り上げる
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1641へ向かう尾根の痕跡程度の踏跡
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棒沢への下りはヤブに微かな踏跡が
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貝掛林道の痕跡か
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ヤブっぽい尾根の痕跡を下る
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フクベ沢右岸へと下る
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フクベ沢が棒沢に出合う
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棒沢渡渉点を振り返る
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取り付く島がない左岸の笹ヤブ
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笹ヤブ中で営林署のピンクテープを発見
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丸山沢をひと跨ぎで越える
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背丈以上の笹ヤブを掻き分けて牛歩する
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登っても登っても風景は変わらない
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笹なしのヤブを見て林道跡と知れた
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道の雰囲気も感じられる
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テープ後方の棒平支線はほぼ消えている
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本線林道もヤブが繁茂し歩き難い
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灌木やヤブを避け林道脇にできた踏跡
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林道脇に新たな切り開きができている
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カーブに残るコンクリート舗装部
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スキー場直前で作業道程度になる
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林道の現役部分にはスキー場管理車が
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今来た林道のヤブを入口にて振り返る
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ドラゴンドラ山頂駅を眼下に下る
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東電巡視道はしっかりした刈払が
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この鉄塔で二居ダムへの下降路に入る
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尾根が緩い場所は散歩道のような良道
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二居ダムが見えると巡視道終点も近い
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営林署の舗装林道から見る巡視道入口

[1]赤湯山口館「昌次新道」http://www.akayunaebasan.sakura.ne.jp/naebasan.htmlhttps://oze-fnd.or.jp/oza/nature/p141/
[2]中村謙『上越の山と渓』朋文堂、昭和十年、「棒沢遡行」八五~八六頁 。

[3]朋文堂編『東京附近山の旅 : 日程と費用』朋文堂、昭和九、「苗場山」六九~七四頁 。

[4]中村謙『ふるさとの山 : 上信越国境を歩む』富士波出版社、昭和四十四年、「棒沢を遡る」三二〇~三二一頁 。

[5]山と渓谷社編『ふるさとの山 : 上信越国境を歩む』山と渓谷社、昭和二十七年、中村謙「苗場山から赤湯へ」一〇四~一〇五頁 。

[6]加藤淘綾『旅帖 2集』慶友社、昭和五十六年、「三 昌次老人の話」一三三~一四一頁。

[7]石川島山岳部報編集部「遭難の経過」(『山靴』六六号)、昭和三十四年 。

[8]竹内アヤ子「高原状の頂き ─越後湯沢から苗場山へ─ 」(『ハイカー』二三号、二二~二三頁)、昭和三十二年 。

[9]鈴野藤夫「日本の川50選 」(『山と溪谷』四四三号、八〇~八八頁)、昭和五十年 。

[10]前橋営林局六日町営林署三俣担当区『新潟南部地域施行計画区 六日町事業図 第4次計画 全15片の内第8片』、昭和五十八年。

[11]前橋営林局六日町営林署二居担当区『新潟南部地域施行計画区 六日町事業図 第4次計画 全15片の内第9片』、昭和五十八年。

[12]国土地理院『空中写真(草津)KT842Y(1984/10/23)』、昭和五十九、C1-2。

[13]国土地理院『空中写真(三国峠)KT904Y(1990/10/11)』、平成二年、C1-2。

[14]関東森林管理局中越森林管理署三国・湯沢担当区『中越森林計画区 第5次国有林野施行実施計画図』、平成二十九年、全9片の内第2片。