豆焼沢
大滝上までは、出会いの丘から来る作業道で到達した。この道はミニ十字峡(1250M圏)先に流失区間を含むので、通行には遡行の準備が必要である。
● 大滝上の飯場跡(1500M圏)~1680M右岸支沢出合(両門の滝上)
飯場跡がある小尾根を越えるとすぐにもう沢で、ちょうど大滝とさらに2段7Mも巻いて、その上に降りた様だった。地形図の1490M付近である。さてここからが滝やゴルジュが続く豆焼沢の核心部となる。作業道は沢に下らずそのまま右岸を辿っていた。沢が左曲した直後、ガレ気味の部分を微かな痕跡でトラバースすると、シャクナゲヤブが幅を利かせ始め、それを縫って登る道型は不鮮明になった。道は尾根に取り付き九十九折れて高度を稼ぎ、ますます不鮮明ながらもさらに登っているようだった。
辿ってきた作業道は不鮮明になって、シャクナゲの尾根を九十九折れて登り始めていた。連瀑帯付近は、露岩が入り組み下りられない。作業道からの下降もままならず、尾根をどんどん登らされてしまい、数十M以上登って沢との間を隔てる岩尾根の沢側にようやく移ると、流れは遙か下方であった。急斜面の山腹を用心深く下ると幸い弱い踏跡が見つかった。「右曲がりのゴルジュ」(すうじい氏名称)の始まりの辺りで、滝を掛けながら凄まじい流れが、ボブスレーコースの様な渓を走っていた。
右岸の作業道は緩く登りつつ徐々に流れに近づいていったが、やがて岩壁に阻まれ行き詰った。恐らくかつては桟道か梯子か何かがあったのだろう。急斜面の露岩が切れた所をうまく縫って下るルートを探すうち、必然か偶然か分からないが、まさにジャストの位置に下がった廃ケーブルが見つかった。これをザイル代わりに数Mの岩壁を下ると、何となく道の続き的な痕跡にうまく降りることが出来た。右岸急斜面のトラバースを再開し、踏跡を使ってゴルジュ上に抜けると、そこは何事もなかったような平凡な流れであった。
斜面に付いた崩れた痕跡を捨て河原を2、3分行くと、左岸に小屋場のような場所があり、焚火の形跡があった。遡行者が幕営に使っているのだろう。左岸に微かに続く道型を行くと、やがてナメが続くようになり、歩きやすいナメを快調に進んだ。ゴーロを過ぎると両門の滝である。左右とも見事な白波が押し寄せているが、良く見ると雁坂小屋から来る左股は急な二段でややスダレ状、本流の右股は傾斜が緩めで激しく水頭を立てて滑り落ちていた。当日の水量を考え、飛沫を浴びながら右端を登った。滝上にもなお緩いナメが数十メートルの間、途切れずに続き、トムラウシのカウンナイ川をちょっと髣髴とさせる見事な渓相だった。この間、沢を通ったので作業道にはご無沙汰だったが、常に左岸に踏まれた気配は感じられた。1680M圏右岸支沢の辺りで平凡になり、この辺りが作業道の終点と推測される地点であった。
● 1680M右岸支沢出合(両門の滝上)~雁坂峠道(昇竜の滝)
傾斜を増した沢は急にガレた感じになり、角張った礫の堆積上を行くようになった。作業道が終わったためと思うが、道や踏跡は一切見られなくなった。仮にあったとしても、埋もれてしまい気配すら感じようが無かった。1800M付近で右に連続してガレ窪を合わせた。一本目はただのガレ、二本目には小流が見られたが、増水のためか常時あるものかは分からない。この辺はもう植林地なのでその作業踏跡なのか、地形図に雨裂記号のある二本目の小流について登る踏跡が現れた。一方狭い岩の隙間から急に落ちる本流の左股は、水量が多く手が出せなかった。ここにきて巻きになるとは意外だったが、すぐ後にその理由を知ることになった。小流の窪を踏跡について約20M登り、左トラバースで本流の1820~1830M付近の連瀑中に下り、以後、一向に水量が減らない広い岩棚の滝を次々とシャワークライムで突破した。さすがに源流近くなり耐えられる水圧にはなっていたが、登っても水量が変わらないのが不思議だった。しかも1830~1840M辺りから水が土砂で茶色く濁り出し、上部の崩れが窺われた。上に人が見えたので、途中で何度も見た草を踏んだ跡を付けた先行者かと思ったが、行ってみると土木工事中の小屋関係者であった。上方で崩壊があり、小屋の水場や登山道が埋まって、掘り起こしてるとのこと。道理でその人の所に行く直前に横断したはずの雁坂峠道に気づかなかったはずである。数日雨が降っていないのに水が多いのがなぜかは不明だったが、崩壊により山中のミニダム的な部分が失われたか、水脈に変化が起きたのか、何らかの地形的な変化が起きたためであろう。他の支沢も水が多いことは多かったが、異常増水していたのは、詰め上がってきた雁坂小屋の水場となる支流に特異的な現象のようだった。一帯が保水力の低いカラマツ植林であることが関係しているのかも知れない。