唐松尾北尾根(黒岩新道) 【廃径】

 尾根筋に絡んで植林の境目を登るので、不明瞭になった部分も地形や植生を目印にすれば分かりやすい。萩止ノ頭付近では、激しいシャクナゲヤブのため体力を消耗する。

● 槇ノ沢林道(バラトヤ林道)分岐~差掛小屋

 槇ノ沢林道(バラトヤ林道)分岐からひと登りした1280M圏で、唐松尾北尾根に出た。今登ってきた支尾根の方がむしろ主尾根に見えるほど立派なのだが、主尾根は東側がヒノキ植林になっているためすぐに気がついた。
 ここから暫くは、生育の悪い植林の境界沿いに傾斜の緩い尾根を進んだ。奥武蔵や丹沢の低山のような光景だった。小屋戸ノ跡と呼ばれる伐り出し小屋跡があったというが、地形図で見るよりは痩せている感じだった。道と言っていいか分らない植林界の隙間を通って南下すると、徐々に尾根が消えて傾斜の付いた斜面になってきた。枝沢側は表土が流れてすっきりした感じの自然林だった。先週バラトヤ林道を降りてきた時に現在地が分らず右往左往した付近の、見覚えのある光景も何ヶ所か目にした。植林界だけが縦に走る特徴のない斜面で、こうして登ってきても尾根筋すら全く不明瞭な一帯だった。傾斜がきつくなってくると、踏跡は電光型に数回折り返して植林、自然林と交互に登っていた。かなり弱い踏跡で、見落とさぬよう神経を使った。植林界を外さなければ、少なくとも全く違う方に行くことはない。再び尾根の形が見えてくる1460M圏で、左の植林に少し入ったところに、先週見た差掛小屋があった。

 

⌚ฺ  槇ノ沢林道(バラトヤ林道)分岐-(25分)-差掛小屋 [2015.5.10]

● 差掛小屋~下黒岩下の鞍部

 左の植林はヒノキからカラマツに変わり、幾筋かの作業踏跡が植林中に伸びていた。尾根上は植林界でもあるので適当に歩くこともできたが、一応荒れた道のようなものがあった。古い大木の切株が無残に点在し、その末裔であるのか枯れた幼木の枝が藪のように煩かった。不明瞭でヤブっぽい道は、植林と倒木で荒れ気味の尾根を複数に分かれて登り、その中に時々ワイヤーや酒びんが落ちていた。一方右側は対照的に、凄味すら感じる秩父らしい黒木の針葉樹林だった。
 シャクナゲが現れるが、植林もまだ続き、それらがまだら模様を成していた。倒木が目立ち始め、シャクナゲも益々煩く、かなり歩き難くなってきた。1630メートル圏で、左が見事なヒノキの森になり、尾根が一瞬平坦になると、105空中図根点の石標があった。この少し下が植林の最高地点であり、いよいよ本格的な唐松尾北尾根の登高が始まった。
 いきなり急登となるが、倒木、ヤブのようなヒノキ幼木、シャクナゲが重なった最悪の密藪帯になった。まず左に回り込んで取り付き、内部へ潜入したが、踏跡はあれどもヤブが酷過ぎ追うことができなかった。ようやく抜けて上から見下ろすと、登りでは見えなかったが右巻きのルートがあったようだ。この踏跡に入ると、岩勝ちな本尾根を避けていったん右の支尾根に逃げていた。この支尾根の周辺は、まるで手入れの行き届いた植林かと思うような、目を見張るような天然のヒノキの純林だった。歩きやすい踏跡は支尾根を登り、岩続きの一帯を抜けた1670メートル圏の緩くなったところで本尾根に戻った。
 尾根はほぼ平坦になり、しばしシャクナゲもない気持ちいい森林の快適な登高となった。枝の切り落としなど昔の道の手入れの跡が、たびたび見られた。シャクナゲが現れるとまず左、次いで右から巻いていった。雰囲気の良い原生林が続いていた。倒木のためかやや明るくなった斜面に入ると踏跡は不明瞭になり、右の支尾根にまた逸れているようだった。1830メートル圏で本尾根に戻ったが、木の根や岩、さらには倒木で道は不明瞭、気配程度の踏跡を追いかけた。この辺り、稜線の岩稜を避けて水平に進み、1870独標は左を巻いているようだった。最後に軽く登って1870独標と下黒岩の鞍部に到達した。岩に挟まれた狭苦しい空間で、尾根の両側とも深い黒木の森に覆われていた。足元に目をやると、104空中図根点が置かれていた。

 

⌚ฺ  差掛小屋-(1時間25分)-下黒岩下の鞍部 [2015.4.30]

● 下黒岩下の鞍部~唐松尾・黒槐北面林道交差

 尾根は、目の前がいきなり下黒岩の岩壁になっていて、その左を巻くように30メートルほど急降下した。薄くなった道型は、倒木や大礫の間から幼樹が生育する苔むした原生林を、水平か緩く下って行くが、もう道はほとんど分らなくなっていた。幸い雪はかなり消えていて、何となく感じる道の気配を頼りに、水平に進むしかなかった。道は、上から下りてくる岩をぎりぎり避けるルートを取っているようだった。そんな中、時折見かける古い桟橋の残骸が、唯一の道しるべになった。高さ数十メートルもあろうかという超大岩の左下を見上げながら巻き、その岩からくる尾根と小岩峰との鞍部を通り抜けた。少し下って、ガレ窪の最上部を慎重に通過した。ヒルノ沢の源頭の一つで、「ちょろちょろ快い音を立てて流れる」唯一の水場があった(河野寿夫・山と渓谷239号)そうだが、跡形もなかった。
 再び原生林に突入すると、すぐ崩礫帯があり、水平な気配、斜めに登る気配があった。斜めに登る方を取ると、やがて踏跡は、絨毯のような厚いコケに覆われた原生林に消えてしまった。唐松尾山北面の標高2000メートルに満たない斜面に、このような緑のカーペットがあったとは信じられなかった。
 どうやら水平に行くのが正しかったようなので、道なき原生林を次の小尾根まで水平にトラバースしていった。露岩が点在する小尾根に乗る手前に、僅かに踏まれた形跡が見つかった。これが正規ルートのようだった。岩もシャクナゲもたいしたことはなく、疲れた身体に苦しいながらも、どんどん高度を稼いだ。
 1950M付近の暗い針葉樹林中の巨岩の下で、唐松尾・黒槐北面林道が交差した。この付近は、黒岩新道、北面林道とも、苔むした森林中の微かな道の気配程度でしかなく、また目印とすなるべき巨岩も尾根上に同様のものが幾つも連なっていることから、その位置を認識するのは難しいだろう。後日訪問の際、その位置に白テープを設置した。

 

⌚ฺ  下黒岩下の鞍部-(55分)-北面林道交差 [2015.4.30]

● 唐松尾・黒槐北面林道交差~唐松尾山

 北面林道を後にすると、萩止ノ頭(二〇五〇米圏、地形図では肩として示される)の北東約百三十米に位置する二〇〇〇米圏小峰の北に上下に列を成す巨岩の西の窪に沿い、シャクナゲを除けつつ高度を上げた。萩止ノ頭が近づくと、シャクナゲヤブを縫う道の痕跡はほぼ尾根通しとなった。萩止ノ頭直下は、泣きたくなるほどシャクナゲヤブが酷く、立体的に張り巡らされた枝で体ががんじがらめになるので、力技で突破するしか無かった。断続的に見え隠れする古道の部分は多少通りやすかったが、それはそれでその場所を見つけ出すのに相当の手間を要するものだった。
 少し尖った萩止ノ頭を左から巻くと、すぐに二〇六〇米圏の双頭の小岩頭があった。この辺から次第に踏跡が回復した。昭和三十九年に通った村越・内野らのパーティーは、唐松尾山から上黒岩まで、「切り開きも完全」な道を僅か二十分で下っている(OMCレポート176号、p8-9)。上黒岩は小学校の遠足の目的地になったとの話もあることから、恐らく萩止ノ頭で分かれて北尾根通しに黒岩まで道が続いていたものと思われる。シャクナゲの密ヤブ下に、苔むした枝や落葉に隠れるように三本並んだ細い丸太が見えた。明らかに桟橋の残骸であった。道をふさぐ木を切り倒した古い切り口なども見え、かつて道であったことは容易に分かった。こんな状態でも、道型を追った方が、少なくとも足元が安定しているだけまだましだった。一方、尾根筋のシャクナゲを避けて右側の森林に入ると、意外にも何とか使える程度の踏跡が現れた。尾根筋のシャクナゲの切り開きが伸びた枝で塞がれたため、踏跡がこちらに移ったのかも知れない。道はやがて稜線の左に移り、シャクナゲヤブを縫って進むうち、いつしか明瞭な踏跡となって、突然、展望のよい岩場に飛び出した。
 雁坂嶺までの滝川谷を囲む稜線と、両神、十文字峠あたりの尾根、竜喰・大常木・飛龍への稜線も近かった。後ろに、八ヶ岳(赤岳)の白い輝きが顔を覗かせていた。すっかり歩きやすくなった尾根道を2分も行くと、あっけなく唐松尾山の山名板も賑やかな山頂に出た。

 

⌚ฺ  北面林道交差-(25分)-萩止ノ頭-(25分)-唐松尾山 [2017.10.8]

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小屋戸ノ跡先の植林を電光型に登る
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自然林の明瞭な電光型部分
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植林中の差掛小屋
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ヤブっぽい二次林が占める尾根筋
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1650M付近の倒木・シャクナゲヤブ帯
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見事な天然ヒノキの純林
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1870独標右の原生林を巻く不明瞭な道
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巨岩の間にひっそり置かれた104空中図根点
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尾根を捲き始めると倒木が増える
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稀に見る桟橋の残骸で道筋を知る
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再生した幼樹で道が消えている
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森の背後の下黒岩の巨大な壁
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険しい岩の支稜を乗越す
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萩止ノ沢源頭の崩壊上部を通過
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萩止ノ頭北面原生林の厚い苔の絨毯
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原生林の残雪
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唐松尾山北の露岩からの大展望