その他の道─秩父・多摩 [記録のみ] 【仕事径】

● 蜂指沢作業道

 数馬地区の大平集落から蜂指沢左岸の植林地へのアクセス道。車道が蜂指沢を渡る地点から、スギ植林内の左岸に小径が続く。1分先の分岐を左の沢沿いに行く道はすぐ先の水道施設で行き止まるので、右に登る道を取る。「三頭山方面に行かれる方は右に登ってください。」との分岐の看板表示にも関わらず、先に行くほど作業道の荒廃が酷く、一般登山者には向かない。一度高く登った道は、緩く下り、桟道を通った直後に飛び石で右岸に渡った。ネット上には意外にも遡行記録が散見されるが、多少なりとも遡行価値があるのはここまでである。
 石原小屋窪を右から入れると(800M圏)、右岸やや高く小さい淵を巻き、再び沢に降りた直後に曲沢を左から入れた(825M圏)。この辺は既に踏跡は微かだが、作業道として使われているらしく、マーキングが点在していた。直線状の平凡なゴーロをただ進んだ。左は自然林、右が植林で、踏跡は沢身を行ったり、左岸、右岸と渡り歩き、やや明瞭になったり消滅したり、変幻自在だった。踏跡の付き方からして、沢自体が基幹歩道になっていて、小尾根ごとにそれを登る支線歩道的な踏跡があり、それらを繋いで各植林地に到達しているように見えた。900M圏にある2~3Mほどの小滝が、唯一の目ぼしい滝だった。
 南側が自然林のため沢は明るく、1030M付近で一時両岸とも植林になったが、すぐまた左岸のみ植林に戻った。歩き難いゴーロが続き、時には間伐材が谷を埋め、なおさら歩きにくかった。谷は次第に北向きになり、より日差しがより入るようになった。1100M付近で水流が消えた。
 1150M付近にあったらしい新三頭小屋の跡を探したが、水の涸れた谷沿いに小屋跡らしき平地は見つからなかった。新三頭小屋は、笹尾根登山道の開削と同時に昭和十一年に建設された登山者用の小屋[1]で、笹尾根を西行して蜂指沢ノ頭への登りが始ってすぐの辺り(註:1150M付近か)[2]の分岐に入ってすぐだったという。蜂指沢源頭にある[2]、槇寄山を正面に見る7~8畳分ほどに小さな丸太小屋で、すぐ下に水が豊富にあったという[1]。また「小屋の側の沢(水の無い沢であるがこれが蜂指沢の本沢である)を(中略)遡るのである。」[1]の記述から小屋の位置は沢の二俣だったとわかる。この小屋は昭和十年代のガイドに多少紹介されたが、三十年代の蜂指沢遡行ガイドにはもう現れておらず、小屋は短命だったようだ。
 そのすぐ上には、新編武蔵風土記稿にも記された金鉱があり、昭和十一年には、明治末期の採掘跡の数米の坑道や坑木がまだ見られたというが、その時点で入口は崩れていて、屈んで何とか入れたという[1]。場所は小屋から蜂指沢を少し遡り、蜂指山から東に出る尾根から南に派生する小さな岩尾根の斜面で、小屋から二十五分とのことだ。この岩尾根は1150M付近二俣の中間尾根と思われ、尾根全体に露岩が点在し、1220M付近に突き出した顕著な大岩を持つ。金鉱は岩尾根の山腹にあったという。一帯は露岩混じりのかなりの急斜面だが、全て植林されている。大分歩き回ったが完全に網羅することは出来ず、金鉱跡は発見できなかった。摺鉢の底のような崩れやすい斜面なので、約数十年を経て埋まってしまったのかもしれない。あるいは植林作業や間伐などの影響で消えてしまったのだろうか。
 金鉱を過ぎるとやがて両岸が自然林になり、涸沢の源頭を急登すると、道標とベンチがある蜂指沢ノ頭であった。


[1]嶋田誠「新三頭小屋と其の附近」(『ハイキング』五一号、七四~七六頁)、昭和十一年。
[2]村田孝次「三頭山・晩秋の旅」(『山と高原』一九号、五二~五三頁)、昭和十五年。

 

⌚ฺ  大平-(1時間25分)-新三頭小屋跡付近-(30分)-蜂指沢ノ頭 [2017.12.3]

●鉄砲出沢作業道

 演習林作業所からマーキングがついた不明瞭な踏跡に入った。ガレを斜めに登った後、小尾根に取り付き、植林の不明瞭な水平道になった。良し悪しを反復した道は、910M圏で支尾根を乗越すと微妙に下り出した。890M圏右岸支沢出合で鉄砲出沢を渡った。付近は道型が消え渡河点は不明確だったが、テープと対岸の微かな踏跡で判断した。左岸河原を、遡行と変わらぬ雰囲気で、時々見るテープを頼りに進んだ。道の補強用の石垣があったので、かつては整備良い作業道だったようだ。上部植林地の下端である960M圏右岸支沢出合で、左に入る支沢に沿う作業道を分けた。これは榊山の尾根へ登る道で、数分登った1000M圏の支沢左岸に釜・酒ビン等の廃物が散らばる小屋跡があり、沢床に点々と付いた赤テープがさらに先まで続いている。
 時折見かけるテープを追って釣人の足跡程度の左岸の痕跡を辿ると、1030M圏に小屋跡があり次の植林地に入り、心もとない道も途切れた。足下でカラカラきれいな音を立てる伏流したガレ小窪をテープに従い適当に登った。1120M圏で分かれた小窪の右を取ると、1230M圏で突然立派な水平作業道に出合った。右方向は100M程先の小尾根の植林末端で途切れていたので、左へ行ってみた。植林が終わっても道は続いた。倒木や枝等の荒廃はなかったが、自然林では流出土砂のため道がほぼ消えかけて痕跡ほどになった箇所もあった。小さい雪田を踏んで、まだ芽吹いていない雑木林の美しい水平道をやや登り気味に歩むと、県境下の共有林の境界に達したことを、道の下方の境界標で知った。すぐ先は辛うじて雪に埋もれた、伏流した鉄砲沢源頭で、1300M圏のその場所で道は終わっていた。左岸の骨組みらしき枠木の残骸がある小屋跡には瓶や酒ビンが廃棄され、ワイヤーの断片が見られた。ここから自然林の薄い痕跡を辿ると、1460M付近の別天地のような自然林の超緩斜面を通過して、1510M圏でコブギ尾根に乗り、長沢山東方の1720M圏の道標の地点に出る。

 

⌚ฺ  東谷林道入口-(50分)-鉄砲出沢渡沢点-(15分)-作業道分岐-(20分)-1030M圏作業道終点-(20分)-1230M圏で水平道に出合う- (20分)-1300M圏作業道終点(鉄砲出沢源頭)、長沢山までさらに55分 [2017.4.15]

●サヤギ尾根作業道

 長沢山から都県境を300M弱東行した地点でサヤギ尾根が北に分かれる。地形的に全く特徴がなく、目印も踏跡もないので、地形を読んで慎重に尾根に入った。視界の効かない荒天時は、尾根を見つけるのがかなり難しいだろう。乱れた痕跡があるものの踏跡はなく、国有林(右側)の古い境界標らしき角柱を見て進んだ。積雪のため道の状態が良くわからないが、うっすら踏まれている程度のようだった。雪のため気づかぬうちにいつの間にか演習林に入り、 1470M付近のやや痩せた檜の尾根で演習林の赤テープが現れ、多少踏跡らしくなった。1440M圏で植林が現れたが道はあまり踏まれておらず、地形図とマーキングで何とかルートを捉えつつ、不明瞭かつ急な植林斜面を下った。1223独標南の作業道交差は、植林地内の覚束ぬ踏跡で気づかず通過した。大血川作業所へ直行する踏跡を左に分け、束の間の急登して榊山の小ピークに立った。主経路は東を巻いていたが、山頂を踏んだのは位置確認のためであった。
 巻道を合わせた先、右下方斜面にモノレールが来ていたはずだが、見逃したのか気づかず通過した。その結果、それに沿う歩道に入ることが出来ず、植林内の作業痕跡を拾い、もしくは適当に下って、魚ッコ沢直前であまり明瞭でない正規の作業道に合流した。沢を渡るとすぐモノレールに沿って下り、モノレール歩道共用橋で東谷を渡った。すぐ上に車道(東谷林道)が通っていた。
 ウェブ上にはこの尾根を登った記録が多数見られるが、暗い植林中に不明瞭で歩き難い踏跡がかなり上部まで続き、あまり好ましい経路とは思えなかった。

 

⌚ฺ  長沢山-(5分)-サヤギ尾根分岐-(50分)-榊山-(30分)-東谷林道モノレール車庫付近-(35分)-東谷林道入口 [2017.4.15]

【林道途中へのアクセスルート】(確認済みのもの)

  • 車道(孫惣谷林道、採掘事務所付近)