マーキング

私が行く山域で通常使う、自分なりの流儀です。人により、状況により、他のやり方もあって良いと思います。

 自然をモットー

 極力人工的な目印の取り付けを避けています。秩父・奥多摩地域では、十年来極端にヤブが薄くなりました。笹の自然なターンオーバーとも、鹿の食害とも言われています。個人的には両者が影響してる感じがします。そのため目印の必要性が、非常に低くなりました。
 登山知識のない一般客が通行するコースは別として、杣道に付けられている目印は、主として山に不慣れな作業者(工事・伐採・電源巡視)の道標べと思われます。作業者が付けたにしては目的不明な、不自然なマーキングも散見されます。恐らく侵入した入山者が勝手に取り付けたものでしょう。私もかつては、ビニールテープのマーキングを設置していました。しかし最近、意味不明に過多なマーキングが必要性が不明の場所に取り付けられ、まるで山中のあちこちにゴミが巻きつけられているかと思うほどのケースが散見されます。またWEB等で、数年で取れたりしてなくなることも多いマーキングを目印にした、詳細な写真付きガイド記事が横行しています。ガイドを見てきた人は、あるはずのマーキングがないことで、却って迷いやすくなる可能性もあります。そのため私は、マーキングも必要最小限にするよう改めています。

 具体的なマーキング法

 遠い将来の再訪が確実で、地形や自然環境上の良い目印がない場合のみ、色的に比較的目立ちにくい白テープを巻きつけます。雁峠から古礼沢に下りついた地点の一本の細い立木に巻いたテープは、再訪時探すのに数分かかりました。でも環境保護的には、その位でちょうどよいと思ってます。この程度の印では遡行者の多くは気づかないと思われ、しかし1年後(数年先と思ってましたが、たまたま1年後に訪問できました)に訪れた時、目立った特徴のない河原で自分の位置を確認することができました。
 数日とか1ヶ月後に行くなら、もう少し壊れやすいものを使います。例えば黒岩尾根から水晶谷左岸への下降路上、水晶歩道が交差する地点には、高さ40cm位のケルンを作りました。その後1ヶ月ほどの間に3回訪れ、その間全く傷むことなく良い目印となりました。
 当日、往復や周回ルート等で戻ってくる場合は、枯枝を集めて何かしらの工作物を作ります。数時間もてば良いので、強風で倒れる程度の強度で十分です。多少目立つよう、葉の付いた小枝を折って挟んだりもします。偶々花の時期で咲いていたとしても、意外と早く萎れてしまい戻った時は目立たないかもしれません。木の枝に巻くなら、水に溶けてしまう紙テープが使えます。
 なるべくマーキングしないのをよしとするため、マーキングなしで済ますことよくあります。しかし周囲の風景から記憶したはずの地点に戻っても、自信を持って判断できなかったり、元の地点が分からなくなったりすることも、ままあります。そのような場合は、地図読みで位置を把握し進むことになります。つまりマーキングはあくまでも補助に過ぎません。マーキングに頼った行動は大変危険であり、マーキングが必須と思える場合は、そもそも入山しない方が無難と思います。

 注意すべきこと

 山にはどんな奥地であれ所有者がおり、国有地であれ管理者としての林野庁があります。所有者が目的に応じて道を開きマーキングを付けていることが、しばしば見られます。登山目的の入山者は、そのマーキングに従うと必ずしも目的地に到達できません。従って、今目にしたマーキングを参考にすべきか無視すべきかの、判断能力が必要です。マーキングの種類(色・材質・取付後推定時間)、取り付け方、始点、終点、向かう方向、周囲の状況などから想像して判断します。伐採、植林、鉄塔、工事、ワサビ田、渓流釣場(特定の地点というより沢筋全体)、遡行者の巻道などの存在が予測されれば、それに関係したマーキングの可能性があります。
 また山仕事関係のマーキングと思われる場合、それらに対抗して設置物をつけるのはいかがなものかと思います。そこでは土地の所有者が自己の目的のために迷わぬ様マーキングしているのであり、他人の土地に侵入した上、紛らわしい勝手な設置物をつける行為は、問題が多いと思います。
 あとマーキングや、また山名標もそうですが、勝手につけること自体にも議論はありながら、そもそも間違った位置に取り付けるのは、悪質な行為です。位置やルートが判断できない方は、取り付けないで欲しいと思います。明らかなルートから外れた位置に付いたマーキング、誤った位置に取り付けた山名・地名標、違う場所の山名等を誤って付けた標示、これらは明白な迷惑行為です。残念ながらその種の設置物が散見されるので、入山される方はマーキングや標示を盲信しないよう注意が必要です。