川苔山北面林道 【廃径】

 川苔山北面の標高1200M付近をトラバースする古林道を歩いてみた。7林班の部分林を貫通する水道局の作業道だったと思われ、昭和三十年版のガイドブック(奥多摩 登山地図帳、山と渓谷社)付図に「荒れている」の注釈付で表示されたが、川苔山の山頂直下の巻き道であるにも拘らず、殆んど知られていないようだ。荒廃が酷く、一般登山者の通行は全く不可能。

●川苔山西尾根1200M圏~横ヶ谷平~タラゴヤ登山道

 足毛岩の肩から一般登山道を少し登った1200Mのやや尾根の傾斜が緩んだあたりで、左に水平に入る痕跡がある。数十年前の道型なのでかなり薄くなっているが、これが川苔山北面林道(仮称)であった。複数に分かれて並行する不明瞭な痕跡、何となく踏まれた雰囲気の箇所が、険しい斜面に断続していた。成長した小植林が時々現われるので、植栽当時の作業道だったのだろう。行く先に岩稜で落ち込んでいるのは足毛谷の右岸尾根だろうか、水平痕跡は行き詰って上から巻いているようだった。残雪が出てきて、踏跡も不明な上、土は崩れやすく、歩き難かった。次々と現われる小植林を抜けるが、恐らく足毛谷の左股に入った辺りで、20Mくらい続く路盤補強の石積みが残っていたので、巡視道と確認できた。桟橋の残骸らしきも時々見られた。痕跡すら分からなくなると、とにかく水平に進んだ。足毛谷左股のカラマツ植林で、多数の薄い作業踏跡に撹乱され、正しい径路が不明になった。残雪の窪を次々と渡り、ただでさえ不明瞭な道はますます分からなくなった。それでも水平に進むとそれらしい痕跡がみつかり、ヒノキ植林と自然林とが交互に現われる斜面を、造林作業時の痕跡らしき踏跡を拾いながら進んだ。幾つもの小尾根と小窪とを丁寧に巻いていった。横ヶ谷平付近の平らな山稜が見えてくると、岩稜の間をうまくすり抜け、眼下に雪の残る穏やかな小沢が見えてきた。それが横ヶ谷らしかった。
 谷へ下って見ると雪に埋もれた登山道の道型が見え、さらに所々で雪が切れていたので確かに登山道であると確認できた。地形図が示す登山道の径路に若干の誤りがあり、横切ったのは1200M付近であった。横ヶ谷右岸のガレ気味の土の斜面を攀じ登ると、再び水平な痕跡が見つかった。すぐ先にまた補強の石積みがあったので、道筋が確認できた。比較的短い間隔で渡った二本の小沢は、曲ヶ谷ノ峰から出る横ヶ谷源流の流れであった。辺りはよく成長したヒノキ植林になっていた。二本目を渡った所で植林の枝打ちに紛れて痕跡が分からなくなってしまった。適当に水平に進むと、ヨウヘイギノ頭の下あたりで、地形図に無い横ヶ谷の右岸を上がってきた作業道に出合った。これを上流方向に登っていくとすぐ折返しがあり、そこに微かな痕跡が前方から合流した。これが北面林道の正しい合流点なのかもしれなかった。作業道は折り返して登り、ヨウヘイギノ頭下で横ヶ谷平~タラゴヤ登山道に飛び出した。
 ヨウヘイギノ頭でまだ雪に覆われた雲取・飛龍の雄姿を拝んだ後、タラゴヤ、舟井戸、熊鷹沢、853独標、峰、と作業道を繋いで下っために開設されたのは、杣口から琴川沿いに源流地帯まで行く杣口森林軌道で、開設は昭和元年とも、二年とも云われている[1,2]。大正十三年、記録に残る限りこの一帯への最初の登山者である吉沢一郎が琴川源流を登ったときに、柳平で「大変広い道を造って居る様だったが何の為かは解らなかった」とし、「道は琴川に沿って付けられてある相だ」と述べており[3]、建設中の軌道の道床を目にしたと思われる。以後の登山者は、線路を歩いたか乗車したかの違いはあれ、全て軌道の施設を利用して入山した。

 

⌚ฺ  足毛岩上北面巻道分岐-(50分)-横ヶ谷の登山道横断-(20分)-作業道-(5分)-一般登山道-(5分)-ヨウヘイギノ頭 [2016.3.20]

【林道途中へのアクセスルート】(確認済みのもの)

  • 横ヶ谷で一般登山道を横断しますが、自ら歩いたことはありません

 

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微かな痕跡程度の川苔山北面林道
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補強の石積みで道の痕跡
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時々崩壊部が発生
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横ヶ谷で一般登山道を横切る
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ここにも石積み補強跡が
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薄い痕跡が横ヶ谷の源流地帯を行く