大洞林道(三峰~バラクチ) 【廃径】

 大洞林道のうち三峰からバラクチの区間は、全て民有林内のため開発が進み、荒廃が激しい。三峰~鷹ノ巣沢は車道と平行するため余り使われなくなり、鷹ノ巣沢~荒沢谷は車道建設のあおりで崩され、埋もれてしまった。荒沢谷~バラクチは尾根筋に新道ができて、旧道は痕跡すら見つけることが難しい。

●三峰集落~桂平先(772独標の尾根)

 三峰集落先のカーブ地点で車道を離れ、直下を走る大洞林道に足を踏み入れた。左に現れた鹿柵が終わったすぐ先の「火の用心」の赤看板の少し先の自然林で、微妙に登り気味の道とやや下り気味の道とに分かれた。地形図の「三峰ビジターセンター」から南に出る小尾根を、回り始めた辺りである。ここまでは前回辿った道と同じである。
 登り気味の上の道が大洞林道であり、ほぼ水平か微かに登り気味に進んで小窪を回り、植林に入った。前回通った、同じ小窪のすぐ先で石垣脇を通り、鮫小屋沢手前で車道に出る道の僅かに上を進んでいることになる。幾つもの踏跡が並行しながら、モザイク状に散在する植林地を抜けたりかすめたりして自然林を水平に進んだ。これらの薄く辛うじて続く踏跡は、植林用に使われているらしかった。 赤い小プラ杭や幹のテープなどが目に付き、植林地はよく手入れされていた。道は時々不明になったが、水平に進むと再び何らかの踏跡が現れた。
 日向小屋窪右岸尾根が、地形図の950M圏で自然林の緩やかな平になっている。ここが桂平ではないかと推測される。原全教、富山雅夫が昭和八年に歩いた時、大洞谷最奥の人家がここにあり、食事を御馳走になり宿泊を勧められたが、先を急ぐとして辞退したという。十間(約18m)先に水場があったというのは日向小屋窪のことだろうが、訪れた時には枯れていた。桂平は三峰神社まで30分、鷹ノ巣沢から1時間(いずれも道標表示による)と言い、原らのコースタイムでは神社から桂平が32分、鮫小屋沢まで30分、鷹ノ巣沢まで45分だったという。桂平からがランタンを灯しての夜道であったことを考慮すれば、桂平~鷹ノ巣沢が道標より15分余計にかかったことも納得できる。桂平までの大洞林道の経路は、大滝村森林基本図16に示されているものとほぼ同じようだ。
 日向小屋窪は下方で激しく崩壊しているのだが、桂平の辺りは崩壊の始まりに当たり、大した抉れでないので渡ることができた。流れた礫や土砂で道が消えた部分を適当に通過すると、次の植林地に入り、トタン、缶などの廃物があった。いくつもの踏跡が並走しているので、どれを取るかによってはこれを見ないかも知れない。よく生育した立派な植林に入って、772独標の尾根を通過した。尾根の先で踏跡が途切れており、上下に歩きまわり、尾根上のK17の石標(930M圏)で道の続きを発見した。幾本かに分かれた踏跡の正道でない方に入っていたようだ。

 

⌚ฺ  三峰集落-(30分)-桂平先(772独標の尾根) [2015.3.30]

●桂平先(772独標の尾根)~鮫小屋沢

 細道を大洞谷の奥へと進んでいくと、途切れることなく植林中をしっかりと続いていた。道は比較的歩きやすく、大量の廃棄されたビンを見て進み、小さな自然林が出てきたところで雪が残る鮫小屋沢が下に見えた。小さな支窪を渡って鮫小屋沢の本流に下った。水量は少ない。沢を境に、右岸が植林、左岸が伐採跡と綺麗に分かれていた。

 

⌚ฺ  桂平先(772独標の尾根)-(15分)-鮫小屋沢 [2015.3.14]

●鮫小屋沢~旧山中氏宅上

 流れの左岸斜面を水平に進んで見ると露岩や窪の地形特徴は3月に来たときと変わりなかった。その時見えてきた踏跡の付き方は前回と全く同じであった。漸く同じ地点にいることを確信し、歩行を開始した。凍土とは異なり、斜面は急ではあるが硬くはなく、幅十数センチの水平道が途切れることなく続いていた。鮫小屋沢左岸を通る部分は、地形図には顕著な露岩や窪の記載がないが、数値地図を見れば少なくとも10ヶ所程度の小窪があることが分かる。露岩混じりの急斜面についたこれらの小窪を次々に巻いていくこの区間は、安定した道が消滅した今となっては、緊張の連続であった。
 切れ込んだ溝状を1つクリアし、張られた伐採時の鋼製ロープ潜って次の窪を通過、斜面が若干丸みを帯びた小尾根地形では、道は瞬時の安定を得た。前回諦めた窪もステップが刻める今回は、格段難しくはなかった。細い踏跡は幾重にも分かれ、通行者各自の判断で通れそうな箇所を選んでいるようだった。一ヶ所なら時に見かけるほどの難所も、かれこれ十ヶ所近く連続すると、緊張で精神的疲労がたまってきた。鮫沢橋に落ちる明瞭な小尾根で道が十分安定し、ホッと一息つくことができた。
 この辺りから踏跡がますます弱く、そして激しく分散するようになった。もはや、自分の判断でルートを選び、たまたま見つけた痕跡を利用して歩くという状況だった。次の窪状は自らステップを刻みながら通過し、続く露岩を高巻いた。鮫沢橋の真南辺りで岩混じりの急傾斜も明らかに緩み始め、依然として不明瞭な痕跡を拾いつつ見当をつけて水平に移動した。富山雅夫が昭和初期に記した「見事な闊葉樹林」を髣髴とさせる、美しい自然林に漸く目をやる余裕が生まれてきた。1136独標から来る尾根を回り、小さな抉れを慎重に渡ると、樽沢の植林地が見えてきた。
 植林内は枝打ちで踏跡が隠され、これまでに劣らずルートが読み難かった。一定ペースで斜めに下る痕跡を、時には見失いながら何とか追跡した。顕著な小窪を渡ると心なしか踏跡が見えやすくなり、さらに1分下るとより踏跡らしく、その1分後には作業道と言えるほどになった。程なく、地面に指した弓なりの枝にブルーとオレンジテープの目印が付けられた旧山中氏宅への分岐に出た。

 

⌚ฺ  鮫小屋沢-(30分)-旧山中氏宅上 [2015.9.20]

●旧山中氏宅上→鷹ノ巣沢

 樽沢右岸を緩く登り、植林下端の踏跡と言えるか分からぬほどの微かな痕跡でヤブっぽい斜面を水平に移動すると、雪渓が少し残る樽沢が見えてきた。斜めに下って支窪を渡り、続いて910M圏で樽沢本流に出た。樽沢左岸は岩壁が続き取り付くことができず、谷を数分下って880M付近で左岸に踏跡を見出した。前回の場所から、林道は登らずむしろ緩く下るのが正解だったようだ。樽沢左岸の崩壊地帯に入ったが、崩壊後かなりの時間が経過して斜面はそこそこ安定していた。地面は前回のように凍結しておらず、適度に硬くて砂っぽくステップが効く斜面だったので、ある程度の歩行技術は必要だが、渡ることは十分可能だった。踏跡は、岩壁に押し下げられるかのように、樽沢左岸の高みを下り気味に付けられていた。
 樽沢橋の上あたりまで来ると、もう植林地であった。だが踏跡はなく、適当に斜めに下るしかなかった。折れ枝や崩礫で荒廃しており、気配や痕跡程度のものを追って進んだ。下に車道が見え始め、作業道が上がってきていた。水平道は全く現れず、車道と一定間隔を取って適当に水平に進んだ。造林地では古い大洞林道は消滅し、新たに車道から作業道が作られているようだった。鷹ノ巣沢の直前で自然林になると、車道のすぐ上を行く水平な薄い踏跡が現れ、それを辿るとちょうど鷹ノ巣橋で車道に合流した。
 

⌚ฺ  旧山中氏宅上-(40分)-鷹ノ巣沢 [2015.3.30]

【林道途中へのアクセスルート】(確認済みのもの)

  • 車道脇の旧山中氏宅からの作業道
  • 三峰集落の少し先から鮫小屋沢手前の車道へ下る道は概ね状態が良い(大高巻きあり)

 

150330_p07.jpg
集落のこの地点から大洞林道が始まる
150330_p06.jpg
明るい雑木林の道
150330_p01.jpg
この先で鮫小屋沢手前の車道への道が分岐
150330_p02.jpg
雑木林を行く大洞林道
150330_p03.jpg
様々なテープが付いた植林を抜ける
150330_p04.jpg
K17石標横を抜ける
150330_p05.jpg
この石垣を通ったら少し下に寄っている
150314_n01.jpg
植林を抜けると自然林の踏跡になる
150314_p06.jpg
戦前ルートが鮫小屋沢を渡るところ
150314_p07.jpg
鮫小屋沢左岸は崩壊が連続し通れない
150920-02_p01.jpg
岩勝ちな鮫小屋沢左岸の極細踏跡
150920-02_p02.jpg
ごく稀に普通仕様の道に戻る
150920-02_p03.jpg
半年前に撤退した崩壊小窪を渡る
150920-02_p04.jpg
緊張する細道が続く
150920-02_p05.jpg
鮫沢橋に落ちる小尾根上では良道に
150920-02_p06.jpg
ヒノキ植林を山中小屋分岐へと下る
150330_p08.jpg
微かな踏跡から樽沢を見下ろす
150330_p09.jpg
樽沢は少し上流から渡ったようだ
150330_p10.jpg
樽沢左岸の崩壊を注意深く渡る
150330_p11.jpg
>自然林では微かに踏まれている
150330_p12.jpg
先に見える植林に入ると道が消える
150330_p13.jpg
鷹ノ巣橋で雲取林道に下りた