権現谷
権現谷は、飛龍権現(飛龍山)に突き上げることから名付けられた、後山川三条の湯近くの美しい谷。悪谷が分かれるまでの下流はモチゴヤ谷と呼ばれる(地形図では「カンバ谷」と誤植されるが、樺谷はもう一つ上流側の谷。またモチゴヤ谷の部分を、権現谷または悪谷としたガイドも)。顕著な滝は10Mの大滝一つだが、苔で覆われた緑のカーペットに連なる中小の滝が美しい。技術的には容易。
● 竿裏峠道~コケ谷出合
権現谷は三条の湯下の後山川右岸に出合を持つが、今回は竿裏(サオウラ)峠から入山したので、竿裏峠道が谷を渡る1080M地点から入渓した。入渓点は上記のように、正確にはモチゴヤ谷である。6月の水温は、シャワークライムを避けたいほど冷たかった。新緑の美しくも広い谷は、長年の崩石が谷を均したためと思われ、滝らしい滝もなく一定の傾斜を保ちながら高度を上げた。右に左にと渡り返しながら続く痕跡は、入渓点の約百米奥にあったというワサビ田へのワサビ道の痕跡だろうか。しかしこの沢は流域が広く出水被害を受けやすいため、もともとワサビ田が少なかった。それも崩石に埋まってしまい、ワサビ田跡は見られなかった。素晴らしい景観ながらも単調な遡行を約三十分続けると、右から1:1で悪谷が出合った。合流点付近の開けた場所は、サワグルミの立派なの巨木や大木が点在する雰囲気の良い場所だった。
谷は次第に苔に覆われるようになってきた。1275Mの右岸支窪出合直後に、輝くような緑の苔のカーペットの上に白布のように飛沫を広げる美しい10m滝があった。飛沫の末端に小さな虹がかかっていた。右のフェイスも可能かも知れなかったが、支窪を使って捲く左ルートで安全に越した。約十分後に、右岸からコケ谷が出合った(1342M)。その名の通り、細く直線的な美しい緑の谷だった。一方本流は夥しい崩石で完全に埋まってしまっていて、地図を見ずそこに立てばただの崩壊地にしか見えないほどだった。
権現谷付近
この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の電子地形図25000及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 令元情使、 第199号)
● コケ谷出合~飛龍山東面林道の権現谷通過点
水の気配すら感じない大礫の谷を、距離にして約二百米もくもくと歩いた。時々微かに聞こえる水音がなければ、これが本流とは信じられないほどであった。やがて24年前の記録(「奥多摩大菩薩高尾の谷123ルート」)では2段10Mとされる滝に出合うも、下方が崩礫に埋まり7M位になっていて、ここで伏流が一段落した。直登しなければ滝は容易に越えられる。もう水流は流されるほどの勢いがなかった。氷栗状に落ちる5Mほどの階段状の滝は、全身ずぶ濡れ覚悟なら行けそうだったが、水の冷たさから迷いなく捲いた。次第に水流は細くなり、1500M付近では半分ほど礫で埋まって見え隠れする部分にかかった。
1550M辺りから渓流が回復し、細いながらも苔が美しく、まだ遡行価値は十分認められた。苔の上を、数個の階段状の2M滝の後方にジグザグに5段程が連なる12M滝が走る、絵のような流れが目に入った。ジグザグ滝の上部が、シャワーを嫌うと多少厄介で、倒木に頼って右のフェイスを登ると水平踏跡に出た。そろそろ竿裏峠から北天のタルに通ずる飛龍山東面林道(仮称)が横切るはずだったが、6年前にその道で権現谷を渡った時の記憶と雰囲気が少し異なるので、もう少し登ってみることにした。2~3M滝が3つ重なる階段状8M滝を越えると、また踏跡らしきが横切っていた。数年前の通行時に、権現谷付近の飛龍山東面林道は、流されたり崩れたりで道型がほとんど消えていることが分かっていたので、確証が掴めなかった。さらに緩い3M滝を登ってもう一段上の1625M地点に出て、小休止を取った。ここもヤブっぽい森の緩傾斜を行く細流で、他の候補地点と似たような雰囲気だった。横切る踏跡ないしは痕跡の北方向は沢に削られた崖状を3Mほど登って越え、南方向は二、三十米先で曖昧に消え、その先は露岩帯になっていた。持参した基盤地図情報から自作した1265分の1地形図からしても、森の様子からしても、飛龍山東面林道がこの辺りを通過することは間違いなかったので、ここで遡行を終了した。六年前に付けた小さな白テープは、失われたか、もしくは気づかなかった。蛍光色のテープや頑丈な目印は良しとしない主義なので、仕方がない。帰宅後、GPSログで確認すると、結果的にこの遡行終了点が林道の通過点で間違いなかった。GPS情報に加え、よくよく思い起こせば、林道は権現谷左岸の崖状を乗り越えるように通過していたことを思い出したからである。
● 下山(飛龍山東面林道の権現谷通過点~御岳沢右岸尾根のカラマツ植林通過点~御岳沢右岸付近の竿裏峠道
下山には、飛龍山の山腹を捲きながら竿裏峠まで続く飛龍山東面林道(仮称、付図青点・破線)を利用した。廃道のため所々寸断されているが、うまく道を見つけながら行けば竿裏峠まで二時間強で出ることができる。権現谷、コケ谷、御岳沢の通過部分と二、三の崩壊地で道が完全に消えるが、概ね水平なので根気よく探せば続きを見つけることができる。
権現谷から数十米で頼りない踏跡は消え、前方が露岩帯になった。露岩帯をうまくやり過ごすと、完全に同じ高度に道の続きがあった。露岩帯を下巻きし登り返したためであろう、六年前に見た桟橋の残骸には気づかなかった。
権現谷・コケ谷中間尾根を1625Mで回った。尾根上には、大岩を包み込むように立っていた巨木の伐採された残骸があるので、よい目印になった。ここから明らかに道が良くなった。特にこの尾根を回った直後は、約90年前の道は一般登山道並みの良道だった。コケ谷に向かって少し高度を落とし始めると、1590M二股の右俣を渡った直後、中間尾根上で踏跡が消えた(1605M)。本来の道は桟橋を掛けながら水平に付けられていたことが丸太の残骸から分かるが、なかなかの傾斜地なので通れない。中間尾根を適当に下って1590M二股でコケ谷を渡り、右岸の崖状を下巻きし1600Mまで登り返すと、道が回復した。竿裏峠から来た六年前は、その地点まで正道を辿ったが、逆コースの今回は、コケ谷右岸の崖を下捲きするサブルートの曖昧な踏跡に入ってしまった。その踏跡はいつしか消えてしまったが、本来の道は長尾根を1580Mで回っているので、適当に登り返し正道に復帰した。
いよいよ道型は明瞭になり、小崩壊による部分的な寸断だけ注意すれば、ほぼ快適に歩くことができた。石垣による補強された箇所も散見され、往時はしっかりした水源巡視道であったことが伺えた。石垣補強は、今回通っていない権現谷・悪谷間にも残る場所があるが、特に御岳沢近辺で目につくのは、道の状態が良いため埋まらず残っているためであろう。
ごく緩く下りながら御岳沢の左岸支窪を1560Mで渡った。この先、御岳沢本沢両岸の露岩や急傾斜を通過する桟橋も、残骸のみになっている。弱点をうまく縫う踏跡もあるにはあるが、今回は楽に通過したかったので、二十数米を下捲いてやり過ごしてから御岳沢を登り返し、さらに右岸側の林道再開点(1560M)に復帰した。
御岳沢を過ぎると、しばしば古い桟道と打ち付けた釘・鎹や針金が見られるようになった。傷み具合からして昭和30年代辺りのものに見えた。長尾根や御岳沢右岸尾根では、国土地理院の空中写真(S44)から昭和四十年頃伐採されたことが見て取れるので、その前に行われた伐採の際、林道の再整備が行われたと推測される。
御岳沢右岸尾根を回った(1545M)。竿裏峠へ向かうならそのまま進めばよいが、この日は三条小屋へ行くので カラマツ植林を尾根に沿って下った(付図緑点線)。道はないが、ヤブや下草もなくどこでも自由に歩くことが出来た。テープが出て来る頃、沢音が聞こえ始め、植栽年標を見ると作業道が横切っていた(1425M)。歩きやすい作業道(付図赤線)を下ると、植林がカラマツからヒノキになった。御岳沢右岸尾根に絡んで、電光型を交えてどんどん下り、竿裏峠道が御岳沢右岸支沢の右岸に沿って下る部分で峠道に合流した。御岳沢まで、距離で百数十米の地点であった。