松尾坂【仕事径】
現在、全く人の気配を感じぬ山深き信濃沢出合は、昭和20年代には林業の10世帯が暮らし、中津川に沿う森林軌道の本線から分かれた支線が信濃沢の奥へ400メートル伸びていたというから、信じられないほどだ。この道は中津川から梓山に抜ける古い峠道で、昭和30年代までは必ずガイドブックに載っていたが、当時の大伐採で作業場と化した松尾坂道は、山が荒れて通る人もなくなり、新三国峠の車道が開通するとすっかり忘れられてしまった。
● 信濃沢出合~1390M圏雪久保林道分岐
松尾尾根末端は棚岩と呼ばれ、露岩が連なり点在する地帯だが、植林はそれらを避けつつ、斜面全面に広がっている。作業踏跡が多く峠道が判断できないが、恐らく正しい取り付きは、信濃沢橋から信濃沢右岸をほんの20~30M進んだあたりを左に入る踏跡と思われた。入口が崩れて不明瞭だが、スギ植林地の中に尾根上へ導くピンクテープが取り付けてあった。すぐに小さな道型が判別できる程度になり、間伐と枝打ちで荒れた道は尾根を絡んでジグザグに登っていた。970M圏で登りながら右にトラバースを始めると、いよいよ枝打ちの端材の枝散乱が酷くなり、道の判別が難しくなってきた。小尾根を回った次の崩れやすい小礫の浅い窪状地形を登りながら渡り、スギ植林に入ると多少ましな踏跡になった。
対岸にヒノキ植林の小尾根があるので、踏跡はないが国有林図に従い、それを登る。徐々に踏まれてきて、しばらく急登が続く。傾斜がいったん緩む1210M圏で右に作業道を分け、踏跡は岩勝ちな尾根の左の植林側を絡んで急に登る。主尾根が近づいてきた1350M圏、66空中図根点のすぐ下あたり、メインの踏跡はがトラバースを始めたのでそれに従う。
踏跡は、ほとんど平坦な稜線の僅か北側の、優美な自然林を水平に行く。右下には小規模ヒノキ植林が点在している。
雪久保林道の分岐点は、丸山の西鞍部から下り10分(原全教・奥秩父S17版)、「尾根上となり楽になると右下へ下るのが群馬県への道(雪久保林道のこと、支線が上州・新羽に続いている )」(奥秩父登山案内・秩父鉄道)、の情報から、1390M圏と推定される。そこで、トラバース道からその地点目指して、尾根に上がってみた。数十秒で、潅木のため歩きにくそうな尾根上に出た。ちょうど丸山の登りが始まるその地点に、水平に右に逸れる落葉の上の痕跡が見つかった。まさに推定どおり、これが雪久保林道だろう。
● 1390M圏雪久保林道分岐~1595独標
潅木が繁茂する尾根筋を辿らず北側を絡み、緩い部分が終わるの尾根を乗越して、水平に近い緩い踏跡を辿る。植林中に多くの踏跡があるので、登り気味を取るよう注意して進む。
丸山の南を通過する辺りで、伐採作業によりほぼ消滅してしまった大河俣林道を左に分ける。そこから松尾尾根の丸山西鞍部までの200M弱の区間も、原全教は大河俣林道に含めている。というのも、当時の松尾坂道は丸山の北を巻いていたため、西鞍部が分岐となったからである。
昨年通ったときとは様変わりし、間伐により植林地はすっかり明るくスッキリしていた。尾根近くまでは歩きやすくなったが、逆に尾根直下では伐木が激しく邪魔をし、道が見えなくなっていた。丸山西鞍部の直下まで来たら、数米上の尾根上を通る松尾坂道に移動する必要があった。間伐は松尾坂道の南側にまで達し、尾根を歩けば明らかに分かる状態になっていた。尾根のちょうど上にある、根元の直径が1.5Mはありそうな天然ヒノキの大木の脇を通り、100M程続く二重山稜状を通過し、ひと登りすると1595独標であった。峠道は頂の右をかすめて通過し、そこには以前見た薄文字の保安林の看板があった。ピーク南西に迫り出した露岩からの、三宝山と大河俣沢を囲む山稜との大展望を楽しんだ。
● 1595独標~三七三補一境界標
やや尾根幅が狭まり稜線上の一本道を進むと、潅木を縫う踏跡程度の道は稜線上と南を絡むものの二本が並走するようになった。南を絡む方が本来の道筋のように見えた。松尾坂の緩い傾斜をだらだら登り、坂の途中の1620M圏で旧中津川林道を左に分けるが、殆ど気づかないだろう。さらに30Mほど進んだところで、信濃沢に降りる極めて不鮮明な踏跡を右に分け、68空中図根点の石柱と1702M独標の、僅か南を巻く。そこから続く地形図で平坦に見える部分は、凹凸のある岩とシャクナゲの稜線で、展望のよい岩があるが、巻きルートだと知らずに通過するだろう。
シャクナゲヤブを避けるように南を絡んで登り、小さな笹ヤブをかわすと、三七三の境界標が埋められた小突起で国境稜線に合流する。すぐ先の三七三補一境界標で、道はいったん上州側に入る。
● 三七三補一境界標~旧三国峠
道は三国山北面を、水平に巻き始めた。小さなピンクテープが打たれた良く踏まれた小径は、登ることなく3分ほど進み、直前で踏跡は乱れ幾つにも分かれたが、どれを取っても旧三国峠のまさにその地点か僅か上方の上信国境に到達した。古文献によれば、中津川道は旧三国峠の僅か上の上信国境からトラバースしていたと言うので、この道筋は概ね正しいと思われた。