日野水源林道 【廃径】
川浦谷左岸の古い植林地を結ぶ径だが、それぞれの植林地へは他の道が使われていると見られ、この道は現時点で殆んど作業道として使われていないように見える。セド沢ではこの道の通過部分が新たに伐採・植林され、鹿柵で囲まれて入れなくなってしまった。全体的にも途切れがちで、径としての価値は殆んど失われている。
●塩地平~小黒ノ沢水源二俣(1310M圏)
塩地平から少なくとも昭和十~四十年頃までは存在したと思われる、熊倉尾根の東面をトラバースする古林道を探索しながら辿ってみた。そのうち小黒ノ沢水源二俣(1310M圏)までは、行きに通って来た踏跡と重複があるかも知れず、水源二俣から四林班平までは、一昨年通ったルートと一致する部分が多いと思われたが、いずれも完全でなかったので改めて歩くことにした。
先に結論を言えば、旧道は半分以上がまだ残っていた。しかし植林部分が多く作業に伴い消滅したり新たな道ができてしまったため、植林地を中心に旧道が消えた部分が多く、かえって奥秩父原生林の古林道以上に大変な苦労を要することとなった。その区間を二、三回歩いて初めてこのルートが旧道かと判断が付くような状況であった。
歩き出しは川浦谷林道の牛首方向と同一で植林中を谷の上流方向に向かう踏跡から始まり、川浦谷林道が徐々に左に逸れるのに対し、熊倉尾根東面の道は窪状地形に沿ってまっすぐ(すなわち真東に)植林を登っていく。このあたり踏跡はあってなきが如しで、地形を読み進んでいった。自然林の急斜面になると心なしか折り返し登る気配があったが、林道の残骸であるか判断が付かぬほど弱いものだった。
1310M付近で斜面を右にトラバースする目視可能な踏跡となり、緩く登った1330M圏で塩地平の北側の小尾根が緩くなった部分を越えた。行きに通過した地点であったが、尾根上で踏跡が弱まっていたためその時は気づかなかったが、良く見ると旧林道は尾根をほぼ水平に回り込んでいた。水平に進んで自然林の小さな谷を回り、続く小植林帯の小尾根を良道で通過した。ここまでは行きに通ったルートと同じであった。小植林帯を出た直後のやや下り気味になるのが踏跡が行きのルートだったが、こうしてみると下部の植林地を接続しながら登ってきた作業道のようだった。ここで分かれて水平に行く消えそうな痕跡が旧林道であろう。 微かな痕跡は、尾根筋の針葉樹と谷筋の広葉樹の自然林を交互に通過して進むが、岩稜の小尾根で痕跡が消えてしまった。しばし探して上巻きルートを発見し、無事通過した。この岩稜は反対から来ると目立たぬ位置に露岩が出ているので、逆コースだと意外と気づかず通り過ぎてしまうかもしれない。数本に分かれた痕跡は緩い上下を交えて進み、やがて小黒ノ沢水源二俣(1310M圏)の左俣の涸窪を通過し中間尾根回り込み、すぐ右俣を通過した。水源は右俣を数十秒下った地点であった。行きに結果的に水源から別のルートを取ってしまったわけだが、この付近様々な痕跡があり旧林道の微かな痕跡を判別するのはなかなか難しかった。
⌚ฺ 塩地平-(45分)-小黒ノ沢水源二俣(1310M圏) [2015.7.4
● [逆行区間]セド沢出合付近の車道~宗屋敷尾根1003独標下
川浦谷の造林休憩所の二百米ほど手前の左岸に入るセド沢は、国有林で一番下流の部分に当たり搬出に便利であるため、明治時代、昭和二十年代、そして平成二十年前後と3回に渡り伐採・植林を繰り返している。そのため現在植林後間もない幼木の谷となっており、鹿などによる食害防止のため厳重に網で囲われている。
セド沢の小さな流れを横切る地点で林道を離れ、国有林図の通り左岸の弱い踏跡に取り付いた。林道の数十米ほど奥から伐採地になり、荒れた沢筋はゴーロ状で茨ヤブが繁茂していた。踏跡の一つは直ちに左岸尾根に逃げていたが、もう少し図に従い行ってみようと右岸の緩斜面の植林地に入って見ると、九十九折れて登る作業道があった。道は数分で紐で結わえた鹿柵の入口から中へと入り、水平になった。中途半端に伸びた茨ヤブに時々刺されながら水のない谷中央の幼木帯を横断し、左岸側に来ると踏跡が消えてしまった。植林地内の微かな踏跡もあったが、茨ヤブを分けて進む気にはとてもなれなかず、柵の傾いた場所から切株を使って越え左岸尾根に逃げてみた。尾根上には微かな踏跡があり、下部で左岸尾根に逃げた踏跡かと推測された。
尾根上の痕跡ほどの踏跡を登り始めると、730M圏で右から植林が現れた。植林地は尾根筋と左下の鹿柵に囲まれた伐採後の幼木帯との中間まで広がっていて、植林の境界沿って不安定な踏跡が付いていた。本来の道が伐採で通行不能となり代替に付けられた踏跡のように思えた。少なくとも尾根筋の痕跡を行くよりは大分ましなようだった。左下のネットが騒々しく、人の気配を感じて逃げようとした鹿が、慌てて角か足かを網目に引っかけ身動きが取れなくなっていた。よく見ると鹿はネット内部の植林側にいた。人間はネットの外なので逃げる必要はないのだが、それどころでは無いようだった。自由に鹿が出入りできる国有林管理の杜撰さには呆れてしまった。860M圏でネットが終わると、よく育った植林尾根を絡んで登る微かな踏跡が現れた。恐らくこれが本来の林道なのであろう。しかし数分後には倒木か間伐かによる荒廃した斜面に入り、歩くに値する踏跡は消えてしまった。図上に見えてきた1003独標の南西鞍部に向かって適当に登るうち、弱い踏跡が横切った。川浦谷の左岸を行く林道に接続するはずの地点であったが、その踏跡自体追えないほど弱く、倒木の中ですぐ失ってしまった。試しに鞍部まで登って下り方向に戻って見ると、上から見下ろす方向で見通しがよいため、倒木に寸断された道の経路を辛うじて見ることが出来た。
⌚ฺ セド沢出合付近の車道-(55分)-宗屋敷尾根1003独標下 [2015.11.3]
●8空中図根点の平~宗屋敷尾根1003独標下
古い植林の中、道は不明瞭になり、歩いた痕跡を探しつつ、勘で歩くようになる。この辺で熊倉山への道が分かれたはずだが、今通っている道自体が不明瞭であり、気づくことはできなかった。原生林かと思うような苔むした平らな地形を自信なく進むが、カップ酒の空き瓶を見つけて安心する。もう少し確実な証拠を求め、目を皿にして進むと、道の右側約10メートルの位置に、空中図根点8(空八)の石標が見つかり安心する。すぐ先には、植林中に不似合いな巨石があり、目標になる。
黄テープで平坦地形を抜け、谷へと下っていく。その途中には、20~30メートルはありそうな超大岩があり、その下はまるで岩屋のような空間になっており、作業用らしいロープが置いてあった。下って窪を渡り、さらに斜めに高度を下げる。この辺り、道荒れで不明瞭だ。
長い下りが終わり、山ひだを一つずつ回りながら、道は良くなったり悪くなったりしながら、水平に進んでいく。途中の小尾根を越える地点で、沢又沢左岸道の弱い踏跡が下っていく。水平道も同じ小尾根を越えて少し電光型に下り、また水平に復帰する。相変わらず、植林で良道、自然林で悪路を繰り返す。自然林部に小崩壊が2つあり、また倒木で通りにくい部分がある。次の小尾根でまた電光型に高度を落とし、なおも水平に進むと、赤ペンキを塗った切断された木がある分岐があり、踏跡がそこから下っている。
テープあるも荒れ気味の道をさらに進むと、宗屋敷尾根1003独標下に達する。そのまま行くとすぐ、1003M峰の南西コルで宗屋敷尾根の304、305、306の石標がある辺りに出る。305と306の間に石祠が置かれた1003M峰がある。
⌚ฺ 8空中図根点の平-(40分)-宗屋敷尾根1003独標下 [2013.7.26]
● [逆行区間]セド沢出合付近の車道~宗屋敷尾根1003独標下
川浦谷の造林休憩所の二百米ほど手前の左岸に入るセド沢は、国有林で一番下流の部分に当たり搬出に便利であるため、明治時代、昭和二十年代、そして平成二十年前後と3回に渡り伐採・植林を繰り返している。そのため現在植林後間もない幼木の谷となっており、鹿などによる食害防止のため厳重に網で囲われている。
セド沢の小さな流れを横切る地点で林道を離れ、国有林図の通り左岸の弱い踏跡に取り付いた。林道の数十米ほど奥から伐採地になり、荒れた沢筋はゴーロ状で茨ヤブが繁茂していた。踏跡の一つは直ちに左岸尾根に逃げていたが、もう少し図に従い行ってみようと右岸の緩斜面の植林地に入って見ると、九十九折れて登る作業道があった。道は数分で紐で結わえた鹿柵の入口から中へと入り、水平になった。中途半端に伸びた茨ヤブに時々刺されながら水のない谷中央の幼木帯を横断し、左岸側に来ると踏跡が消えてしまった。植林地内の微かな踏跡もあったが、茨ヤブを分けて進む気にはとてもなれなかず、柵の傾いた場所から切株を使って越え左岸尾根に逃げてみた。尾根上には微かな踏跡があり、下部で左岸尾根に逃げた踏跡かと推測された。
尾根上の痕跡ほどの踏跡を登り始めると、730M圏で右から植林が現れた。植林地は尾根筋と左下の鹿柵に囲まれた伐採後の幼木帯との中間まで広がっていて、植林の境界沿って不安定な踏跡が付いていた。本来の道が伐採で通行不能となり代替に付けられた踏跡のように思えた。少なくとも尾根筋の痕跡を行くよりは大分ましなようだった。左下のネットが騒々しく、人の気配を感じて逃げようとした鹿が、慌てて角か足かを網目に引っかけ身動きが取れなくなっていた。よく見ると鹿はネット内部の植林側にいた。人間はネットの外なので逃げる必要はないのだが、それどころでは無いようだった。自由に鹿が出入りできる国有林管理の杜撰さには呆れてしまった。860M圏でネットが終わると、よく育った植林尾根を絡んで登る微かな踏跡が現れた。恐らくこれが本来の林道なのであろう。しかし数分後には倒木か間伐かによる荒廃した斜面に入り、歩くに値する踏跡は消えてしまった。図上に見えてきた1003独標の南西鞍部に向かって適当に登るうち、弱い踏跡が横切った。川浦谷の左岸を行く林道に接続するはずの地点であったが、その踏跡自体追えないほど弱く、倒木の中ですぐ失ってしまった。試しに鞍部まで登って下り方向に戻って見ると、上から見下ろす方向で見通しがよいため、倒木に寸断された道の経路を辛うじて見ることが出来た。
⌚ฺ セド沢出合付近の車道-(55分)-宗屋敷尾根1003独標下 [2015.11.3]
【林道途中へのアクセスルート】(確認済みのもの)
- 宗屋敷尾根の踏跡(1003独標付近)