谷津川林道 【仕事径】
谷津川林道は最近まで登山道として使われていた営林署の作業道で、橋場(旧鹿の湯)から山腹や支尾根に絡んで登り、聖尾根に取り付いて熊倉山頂に至る道を指す。しかしこの林道は、古くは熊倉山頂の北を巻いて、寺沢から中川小屋を経てきた道に、熊倉山直下で合流していた。昭和二十九年[1]、三十四年[2]の登山誌にハイキングコースとして報告されたが、現在は一般登山道として廃道とされ、手入れの悪い作業道もしくは踏跡となっている。登山道時代の道標が数多く残り、比較的マーキングテープも多いが、地形図が示す経路に誤りがあるため、意外と難路である。
● 寺沢林道分岐(寺沢源頭1270M圏)~熊倉山東肩(三門の広場)
「日野コース」の、黄テープが張られた寺沢源頭1270M圏から熊倉山方面が、旧谷津川林道である。小幡尾根を横切るまでの旧林道は、現在一般登山道「日野コース」の一部となり、植林を斜めに登る歩きやすい道となっていた。小幡尾根に出た地点は本来十字路なのだが、道標(日野No.11 林道分岐点)は熊倉山頂、日野コース、城山コースの三方向のみを指していた。前方の枯葉の急斜面を水平に直進する微かな踏跡が旧林道で、聖尾根までこの道を辿った。
道型は崩れ、時に崩壊しており、上下に危険を避けながら百米強の距離を慎重にトラバースした。聖尾根上1360M圏の熊倉山東肩の小平地の一面の落葉の中に道標があり、三門の広場と記してあった。熊倉山頂からくる登山道(現在の谷津川林道)が合流する地点だが、現在コースは閉鎖され山頂には通行止の表示があるらしい。
● 熊倉山東肩(三門の広場)~鹿ノ湯下
これから先、地形図に収載された谷津川林道の経路は、地獄谷左岸の一部を除くほぼ全区間で間違っているので注意されたい。尾根の右の自然林の落葉の上に細く微かな踏跡があり、幾筋にも別れ経路がはっきりしなかった。1350M付近の小岩峰で痕跡が消えたが、道が無いのか枯葉に埋もれて見えないのか判断が付かなかった。岩峰右の急斜面を九十九折れて下ると仮定し急下したが思ったより足場が悪いので、道が埋もれているのではなく存在しないことが分かった。地形的にはこのルートが正しいはずなので、遅かれ早かれ正規道が現れると高を括っていると、案の定右から緩く下る林道の踏跡が現れた。ピンクテープが打ってあるので、これを辿ればいいらしい。先の小岩峰の熊倉山側で、並走する多数の踏跡のうち一番下のものが正しかったようだ。林道は緩い一定ペースの下りで岩峰をかなり下から巻いていた。今はまだ微かに落葉の凹みとして道が認識できるが、そのうち土が流れて均されると枯葉に覆われ全く分からなってしまうだろう。
踏跡が尾根に乗ると「高根」と書かれた道標があり、右の植林に下るよう指示された。直進の聖尾根道は迷い込まぬようトラロープで塞がれていた。植林中は作業道が多く、林道の判別が困難だった。ただピンクテープのマーキングに従い下るが、道は細く弱かった。一般登山者が通行しないとなると、この道はどれ位の利用があるのだろうか。今の傷み具合だと、近々道自体が不明になる恐れがあると思えた。尾根の右下を絡む植林のトラバースが続き、道型がやや安定してきた。しかしロープや道標の新しさに比して、道の荒廃が目立っていた。枝が落ち、石が崩れ、徐々に消滅に向かっている感じがした。
林道は帯状の植林帯に沿うように支尾根を下り始めた。1160M圏で突然道が消えたので見回すと、右下の窪状の自然林にNo.15の道標が見えた。その部分は枯葉で道型がほぼ消えており、道標がなければ道筋を発見できなかったかも知れない。道が支尾根に戻った辺りから尾根筋が刈られ、秩父盆地がよく見渡せた。伐採跡を不規則に九十九折れての下降が続き、伐採地のヤブっぽい窪状のNo.13道標で大きく左折した。伐採地では踏跡がやや不明瞭で、度々現れるこのような急折地点は要注意であった。
尾根筋の右寄りを絡んで電光型に下った860M圏の小平地が、熊倉造林小屋跡だった。小屋の廃材が束のように纏めておいてあった。1分下った痩せ尾根上から、道は左の地獄谷目掛けて自然林を電光型に下った。踏跡は細く不確かになり、様々な歩行の痕跡が枯葉のキャンバスに描かれていた。下り過ぎないよう用心して等高な踏跡にうまく乗り、780M圏で地獄谷を水平に通過した。岩が点在し少しヤブっぽい沢は山中で唯一の貴重な水場で、細い水流で漸く水を汲んだ。
そのあと伐採地の長いトラバースが始まった。荒廃極まる白茶けた伐採跡に低木やススキが繁茂し、ところどころに小さな崩壊があった。道型は消えかかり、障害を上下に避けながら踏跡が続いていた。その光景は大久保谷左岸の伐採地に似ていて、恐らく時の経過と共に大久保谷水源林道のように消えていってしまうのだろう。不意に伸びる茨の枝に注意しながら水平に進んで山ノ神が祭られた支尾根に達すると、明るく感じのいい差掛小屋と県営林の看板とがあった。そこから支尾根の左側の自然林絡んで下るが、道は消えかけていた。やがて尾根を外れ一直線に左斜めに下った。何とか落葉に道筋が見えたが、折り返す部分などピンクテープがないともはや分からないだろう。植林に入っていったん道が多少落ち着いたが、涸れた小窪左岸のゴーロを下る辺りが分かり難く、作業道も錯綜していた。水音が聞こえ始め道が安定すると、水道施設を見て谷津川を木橋で渡り、すぐに熊倉林道の舗装路に出た。「崩壊のため白久林道通行止」の表示は、恐らく今下った道のことであろう。特に危険な崩壊箇所はないが、それ以前に道が消滅しかかっており、すでに一般登山の対象としては不可であろう。
[1]大石眞人「熊倉山から酉谷山へ」(『山と高原』ニ九号、五六~五七頁)、昭和ニ十九年。
[2]植村三郎「熊倉山から酉谷山へ」(『新ハイキング』五五号、五〇~五二頁)、昭和三十四年。