一ノ瀬古道 【廃径】
「明治の初青梅街道の開通前は、一ノ瀬から大常木谷出合へ達し、袖尾を登って中尾根に出、あとはこの林道(=大常木林道)のように丹波へ出たのである。」(原全教・「奥秩父」(S17))、という記述があり、原、田島ら、戦前の案内図には、大常木谷から岩岳への道が記入されている。
問題なのは、実地調査による具体的な記述が見当たらず、恐らく聞きづてで図を作成したためか、ルートが図によって異なるのである。
大常木谷の出合から約100Mで、岩岳に発する小沢が左岸から合流する。袖尾ノ沢(「登山地図帖・奥秩父の山と谷(S34)」)と言うらしい。明治の道は、袖尾ノ沢を登るもの(原の挿入図)、左岸尾根を登るもの(原の「奥秩父、正・続」別添図)、右岸尾根を登るもの(田島の挿入図)、とまちまちだ。
捜索の結果、袖尾ノ沢右岸尾根が、唯一の登路と確認された。登り出しこそ急傾斜のため崩れているが明瞭な踏跡がついている。間違いないと確信した。後日、この経路が林道であったことが確認された(「岩岳から真西に大常木谷が一ノ瀬川に合流せる地点に下っている尾根がある。これがムナツキで、岩岳の林道から落合、一ノ瀬へ右の合流点を経て通ずる林道が通っている─「奥多摩」田島)。
さらにこれらの文献は大正15年頃の大常木林道開通後に書かれたため、中尾根から小常木谷出合に至る経路もまた明らかでない。ただ小常木谷出合付近は、丹波川本流・小常木谷とも大変悪く、現在の大常木林道同様、小常木谷左岸を高巻いて火打石谷出合付近から中尾根に取り付いていたことは、地形的観点から十分想像できる。
●笹平先(大常木谷下降点)~岩岳直下
一ノ瀬林道から一ノ瀬川へ道は明瞭だ。痩せ尾根を慎重に下って行くと、入渓者はそれぞれ目的の方向に散らばっていくらしくだんだん不明瞭になり、一ノ瀬川に降り立つ時点では踏跡は微かになっている。
一ノ瀬川をひざ上で渡り、対岸に続く踏跡で小尾根の鞍部に登った。尾根の反対は傾斜が緩く、出合からの数十メートル上の右岸の小平地に簡単に下りついた。ここは、胸突小屋とか岩小屋とか言われている地点だろう。大常木谷をひざ下で渡り再び靴を履き、岩岳への道を探す。
取り付きは、低木や笹が疎らに生えた柔らかい土の急傾斜で、不安定そうな露岩が岩稜状になっている。ひと登りで安定した尾根歩きになりそうな様子が谷からも見えるのだが、そこまでどう登るかが問題だ。踏跡は、岩稜右手をへつりながら、尾根上に回りこんでいるが、ホールドが崩れたり土で滑ったりすれば、袖尾ノ沢まで20メートルの転落だ。単独なので、確実に登れかつ退路が確保できるルートを見つける必要がある。さんざん探すが、メインらしいへつりルートは100%の安全が保障できないと判断、別ルートを探す。
尾根の左側は岩が露出し難しそうなので、正面突破の可能性を探した。正面ルートはのっぺりした土の壁になっていて、低木や露岩が散在している。斜度は強いが、万一転落の場合も、ソフトランディングの可能性が高い。しっかりした木の根や十分固定した露岩をホールドしながら一歩ずつ進み、何とか尾根上に登りついた。
いったん尾根に取り付くと、後は順調だ。張り出しは強くない、痩せた岩混じりの尾根で、ルートに戸惑うこともなく技術的にも難しくはない。恐らく原生林と思われ、数十センチ以上の見事な大木がざらにあり、その下の木陰は下草のなく清清しい。あまりにも藪がないので、きれいに道型が見えるわけではないが、常に踏まれている感じがして迷うことはない。
1260Mの小平地を過ぎると笹ヤブになるが、この部分の道は明瞭で有難い。しかし笹は元気がなく、9割方が涸死している。1400Mあたりで笹地帯を抜け、再び美しい原生林にもどる。左から支尾根を合わせる1440M付近は尾根筋が丸く、下りの場合要注意だろう。さらにひと登りで、岩岳直下の大常木林道に飛び出す。逆コースの場合、下り出しポイントも尾根が丸く分かりにくいが、林道から三角点への踏跡が東に分かれる、ちょうどその地点であった。
⌚ฺ 笹平先-(20分)-大常木谷渡沢点-(1時間)-岩岳直下 [2011.5.14]
● [逆行区間]余慶橋~岩岳直下
余慶橋脇の東京都水源林標柱のやや不明瞭な踏跡に入ると、すぐ良道になった。初めは岩壁の迫る急傾斜を約100M登り、隣りの小尾根まで水平移動し、滑瀞谷出合の悪場を過ぎると緩く下って火打石谷出合に出た。小常木谷との中間尾根を登る来た丹波森林組合軌道への踏跡を見送り、小常木谷の左岸を少し進み、右岸、左岸、右岸と忙しく渡り返す。橋が流されているが、水量が少なく渡渉は容易だった。右岸のS53のヒノキ植林に取り付いてすぐ、高みに差掛小屋があった。手入れが良いヒノキ植林をトラバースしながら結構な斜度で登って行った。時々九十九折れが混じった。34・35林班界標の小尾根を通過し、次の小尾根で左上に中尾根への作業道が分岐したので、それに入った。この辺りの古道の経路は定かでないが、滑瀞谷を渡り、谷を経て一ノ瀬に向かっていた[1]と言うので、一度火打石谷出合付近まで入ってから尾根に取り付いていたものと想像される。
小さな作業踏跡を幾つも分けながら、植林中を九十九折れてどんどん登った。トラバース道同士の十文字を直進で通過した。石積みの補修がされた明瞭で良い道だった。九十九折れの折り返し点で、西に直進する良い作業道を分けたが、折り返しの道を取りさらに高度を上げた。大き目の電光型で登り、1020M付近からかなり傾斜が緩くなった。丸太の補強がされ、相変わらず手入れは良かった。ほぼ水平になると、植林中の小尾根で突然道が途絶えた。急な小尾根の薄い踏跡を登り、1090M圏で中尾根の一角の中途半端な位置に出た。南側が自然林で、尾根は植林界になっていた。
薄い踏跡を急登すると1144独標の不定形なピークに登りついた。南が潅木、北が植林の、数棟の小屋でも建ちそうな平地があった。植林界の薄い踏跡、尾根上の踏跡的な痕跡など、利用できるものを使いながら快調に緩やかな尾根を登った。植林中からも時々踏跡が来ていたが、気がついた範囲で言えば、立派道が上がってくることはなかった。地形図1200M圏肩状は実際は地図とは違って尾根が痩せ気味になって小ピークがある。ここで右の植林が終わり、完全に自然林の尾根になった。松や潅木に覆われた岩勝ちな尾根の登高になった。弱く踏まれているのは、古青梅街道の名残であろうか。ピークや肩状がなくダラダラ登りが続いた。歩きやすい道的なものが続き、伐木の切株やワイヤーを見た。左は大菩薩の三角形と黒川山、前方右寄りには岩岳が近い。尾根道は緩くて歩きやすく、落葉の溜まったなだらかな広がりを見ると、傾斜が増してきた。ひと頑張りで1366独標の長細いピークであった。キリサメ尾根を登ってくる踏跡はあるかないかの薄いものだった。やや薄い道が平坦な枯死笹ヤブに続き、舟形地形を左に見ると、39・35林班界標で尾根に登ってきた大常木林道に合流した。
林道の良い道で稜線の右を巻き、右にカラマツ植林を見ながら登った。40・35林班界標で一ノ瀬川側に出て、なお登ると岩岳山頂の西肩に出た。潅木を潜ってひと登りで、岩岳山頂である。南アの真っ白に輝く白根三山が、柳沢峠から笠取山へと続く稜線の向こうに辛うじて顔を出していた。遙かに国師岳もくっきり浮かび上がっていた。冬枯れで見通しがよく、眼下にうねる崖を削った一ノ瀬林道までよく見えた。
⌚ฺ 余慶橋-(15分)-火打石谷出合-(45分)-中尾根1090M圏-(1時間5分)-岩岳直下 [2015.12.30]
【林道途中へのアクセスルート】(確認済みのもの)
- 岩岳直下で大常木林道に接続
[1]田島勝太郎『奥多摩 それを繞る山と渓と』山と渓谷社、昭和十年、二六二頁付近。