御座山東尾根 【廃径】

 御座山から弥次ノ平に掛けての東尾根に、尾根に絡んで道の痕跡がある。古来この尾根には道がなかったとされ、昭和三十七年四月に明大ワンゲルの二つの隊が、道なき稜線を倒木を乗越えつつ実働三時間強で通過している[1]。従来、地形図にもこの尾根に道が記入されていなかったが、同年測量の五万分の一地形図[2]に初めて道が記入された。その頃、上栗生から営林用車道の伸延が行われ、昭和三十七年までに一平沢[2]、四十八年までに魚止沢[3]に達し、五十一年までに南北相木分水界の魚留沢源頭最低鞍部(一九一〇米圏)に達した[4]。そこから分水界直下を水平に進み、昭和六十一年までに御座山頂直下の一平山源頭に到達した。この一帯が徹底的に伐採されたのも、昭和五十年代のことである。
 開発が進められたこの時期、車道建設や伐採の事前調査のため、分水界の尾根上に林道(歩道)が開設されたとしても不思議はないが、直接的な根拠は見つけられなかった。少なくとも、昭和三十七年に全く道がなかったこと、それ以後地形図に歩道が記入されたこと、数年前の訪問時に数十年を経たと思われる古い道型が見られたことは、事実である。

● 御座山→西群馬幹線一一四号鉄塔

 弥次ノ平への下り出しは、避難小屋脇からのスタートだ。この南北相木分水界尾根は最近歩かれていないと見え、マーキングや痕跡は見つからなかった。苔むした原生林を、周囲の地形に注意しながら慎重に下った。踏跡ともつかぬ儚い形跡があったが、当てにできるものではなかった。原生林の隙間から見える、分水界尾根に立つ西群馬幹線一一四号の鉄塔が、方向を知るのに役立った。二〇〇〇米コンターまで下ると尾根が痩せて分かりやすくなり、廃道の道型がはっきり見えてきた。尾根の南側は切れ落ちていることが多く、道は稜線のやや北側を絡んで付いていた。荒れてはいるが、石楠花ヤブの岩稜を進むには、この痕跡があるとないとでは大きな違いだった。
 二〇〇〇独標は、南が切れ落ちていて展望が良かった。独標先の稜線は露岩が多く、道は北側に下りながら岩稜を避けて進んだ。しかし石楠花の小尾根の先の酷い露岩帯で、前進困難になった。道の痕跡は、ますます下っていたので、いったん尾根通しのルートを捜索するも、ヤブと岩壁に阻まれ断念、結局踏跡に従って数分下り、稜線から一〇〇米近く低い位置に岩稜北面のルンゼを渡れそうな地点を見つけ、通過した。この間常に歩いた痕跡が感じられたが、何ヶ所も現われた残雪のため古道であるか確信は持てなかった。
 そこさえ過ぎれば問題はなく、稜線までトラバースしながら緩く登った。北西から鉄塔に突き上げる、美しい原生林の傾斜の緩やかな熊穴沢の支窪を詰めると、ひょっこり鉄塔下に飛び出した。小尾根を北に下る踏跡は、恐らく鉄塔の巡視道だろう。なお正しい鉄塔位置は地形図の送電線通過位置により数十米西の一九六〇米圏にあるので、岩稜を巻いて稜線上の鉄塔へ登り上げる窪も地形図で読むものと異なるので注意されたい。
 鉄塔先から送電線巡視道になり道が急に良くなったが、僅か数十メートル先の南に伸びる支尾根の手前で、巡視道は車道(一平沢林道)方向へと下ってしまった。しかしもう顕著な岩稜はなく、廃道の道型をフル活用してヤブ尾根を進んだ。右手に車道がすぐ見えるほど近づくと御座山・弥次ノ平間の一九一〇米圏最低鞍部で、車道が尾根を乗越しているため道が寸断された。この車道は分水界尾根の南を水平に並走する車道から分岐した僅か十米程度の支線で、尾根を乗越てすぐ工事が中断しているため北相木側には延びていない。
 道はそこから明らかに良くなり、廃道というより荒れ気味の作業道程度になった。弥次ノ平へ行く登山者が使うためだろうか。一部に不明瞭な場所もあったが、痩せた稜線の北側を絡んで行けば良く迷うことはなかった。ほどなく原生林の中の静かな1974独標に着いた。南に約三十秒下った岩からの展望が良かった。
 独標を出るとあっけなく明大の「弥次ノ平」道標がある緩い鞍部に到着した(道標は間違いで、ここはまだ弥次ノ平ではない)。様々な表示板が賑やかに設置され、中でも長野県設置の手書きの「休猟区」の看板が珍しかった。辺りは原生林の大木に囲まれた美しい平地で、倒木や緑苔の織り成す風景に大自然の息吹が感じられた。ハイカーにより俗化される前の和名倉山頂を思い起こさせる、趣きある場所だった。ここで不明瞭な弥次ノ平林道に合流し、弥次ノ平(一九七〇米圏の丸いピーク)へは一投足である。

 

⌚ฺ  御座山-(1時間10分)-弥次ノ平 [2011.4.30]

【林道途中へのアクセスルート】(確認済みのもの)

  • 車道(孫惣谷林道、オロセー休場付近)
  • 天祖山表参道(ハタゴヤ付近)

 

110430_p01.jpg
南尾根の原生林
110430_p02.jpg
御座山からの東尾根の下り出し
110430_p03.jpg
尾根北面トラバースは残雪で踏跡不明
110430_p04.jpg
1974M付近から弥次ノ平を望む
110430_p05.jpg
弥次ノ平の古い表示板(位置は間違い)
110430_p06.jpg
弥次ノ平の原生林

 

[1]]明治大学体育会ワンダーフォーゲル部『西上州 関東の秘境』明治大学体育会ワンダーフォーゲル部、昭和三十七年、「一班」二一~二八、「七班」七五~八〇頁。
[2]国土地理院『五万分一地形図 十石峠』(昭和三十七年修正)、昭和四十一年。
[3]国土地理院『二万五千分一地形図 信濃中島』(昭和四十八年測量)、昭和五十一年。
[4]国土地理院『空中写真(八ヶ岳)CCB7610(1976/11/3)』、昭和五十一年、C19A-13。
[5]国土地理院『空中写真(蓼科)CB865Z(1986/10/20)』、昭和六十一年、C3-12。