和名倉高平道 【廃径】
「和名倉高平道」は仮称であり、そもそも本来は恐らく一本の道というわけではない。数十年前の全山伐採時に網の目のように構築された作業道の残骸を繋いだ、高平から和名倉山西面を登って川又道に合流するルートのことである。道の状態は、現役作業道である下部を除くと典型的な数十年前の廃道であり、荒廃した箇所が数箇所ある。一定以上の技術(ガレ/崖のかわし方、およびルートファインディング)があれば和名倉山への面白いバリエーションコースとなる。
●アプローチ(高平~滝川右岸道合流点)
高平は、国道140号線の山薊橋先にある滝川下降点である。高平小屋跡を右に見て急降下、滝川軌道跡の遊歩道を鉤型に横断、高平吊橋で滝川を右岸に渡り、小尾根に絡む不明瞭な作業道を滝川右岸道まで登り返した。道が複雑に折れ曲りトラバースするこの不明瞭な区間は、滑落しやすい危険な地形が連続するので、東大演習林での作業後しばらくは道標のテープが残っているが、それが途切れた時、特に下りでは道を失う可能性が高く、十分注意を要する区間である。筆者自身、この区間でたびたび道捜索をする羽目になっている。
滝川右岸道への合流点は、右岸道自体が曖昧になっているので認識しにくく、緩登する歩道上の一見何でも無い様な一地点である。あえて説明を試みるなら、吊橋を渡ったあと小尾根の上や腹を絡んで登る道が、急に右折してトラバースしながら緩く登り始めた数分後、次の小尾根を一つ回り、その先の小窪に達する直前、よく注意していると、右後方150℃のV字で戻るような分岐が見つかる。ここが右岸道の合流点である。右岸道を川又方向に約100M進むと、後方に折り返すように山腹に取り付く道がある。これが和名倉高平道である。万一この分岐をうっかり通り過ぎると、作業用のマーキングのテープが消え、危険な崖上のトラバースとなるので、気づくだろう。
⌚ฺ 高平-(30分)-滝川右岸道 [2019.11.29]
● 和名倉高平道(滝川右岸道合流点~1762独標の川又道合流点)
分岐からは比較的歩きやすい道となり、約九十年生の古いスギ植林中で二つの電光型を過ぎ、なお緩やかに登った。樹間に垣間見える雁坂嶺が、昨日の雪を纏って白い粧いを見せていた。「次の現場この奥」とのピンクテーのプ走り書きや、間伐の残骸から、比較的最近、植林の手入れが行われたようだ。ツガの自然林を抜けて涸窪状の舟小屋沢を回った。植林がヒノキに代わり、道の傾斜がほぼ消えた辺りで、現役の作業道が終わった。マーキングがあるのも此処までで、この先は廃道区間であった。
1150M付近で顕著な水流の沢小屋沢を渡った。訪問時、そこは面白い地形になっていて、数十米上流側で合わさるはずの二股が、完全に合流しないまま谷を百米ほど並走していた。この代わった地形も豪雨が来ればまた変化することであろう。注意すべきは、両岸に顕著な急傾斜があり、廃道化して不明瞭な道がどう通過するか分かり難いことである。右岸は崖下、左岸は崖上を通過する斜上する道は、沢近辺が完全に流失しているが、然るべき位置を丹念に捜索すれば、続きを見つけることが出来る。
続けてすぐ沢小屋沢の右岸支窪を渡ると、その左岸露岩帯の非常に細い痕跡の通過する部分が、滑落を起こしやすく要注意だった。枯葉の中に数十年前の道型の痕跡を探すも、土砂流出のため埋もれた部分もあり、尾根を回り込む箇所で何とか分かる程度だった。イヌブナ・サクラ・ミズナラなどのきれいな二次林は、かつての全山伐採の記憶である。戸場三角点(1558.7M)近くの昼飯尾根の分枝から来る、芯の分からない丸い支尾根を回ると、道は登るのを止めて水平に進み、曲沢上流右岸の13林班い5-1小班のヒノキ植林地上端に達した。またこれより上部の曲沢流域は、山頂付近まで一面のカラマツ植林地である。平成13年の大型哺乳類調査の時点でまだ存在が認識されていた[1]この道は、これらの植林地へのアクセス経路であったと想像されるが、高所に適するため搬出コストが高く、その割に単価が低いため採算性の悪いカラマツ植林地は、完全に放棄されているようだ。植林後間もない昭和50年の空中写真[2]には認められていたが、その後廃道化したようだ。ヒノキ植林の方は多少の手入れが行われているようだが、アクセス用のピンクテープは滝川右岸道から付けられている。
曲沢上流右岸のヒノキ植林地のすぐ上に直径数十米の無立木地があり、その上からカラマツ植林が始まっていた。その陽光が降り注ぐ明るい場所には、造林ワイヤーや作業道の断片が見られた。いつの間にか、先程横切った芯の分からない丸い支尾根に取り付いていた。やや緩やかな広葉樹二次林の尾根には、時おり尾根のやや左寄りに道の痕跡が認められたが当てには出来ず、不明瞭な尾根の中心を適当に登っていった。程なく1600M付近に達して、戸場三角点のある平地のように広く緩い大尾根に合流した。取り付けられていたピンクテープは、鳥獣調査用に設置された自動撮影カメラの位置表示用である。
念のため、少し下って戸場三角点の確認を試みるも、標石の所在は不明であった。明治三十七年に設置された三角点[3]は、落葉や倒木に埋もれてしまったのかもしれない。当時その辺りは「トバ」と呼ばれていたという。トバは手前の意味だから、想像の域を出ないが、この大尾根は栃本から見て滝川右岸で一番手前にあるため、そう呼ばれていたのかもしれない。この尾根には、かつて久度ノ沢道へ合流する作業道が通っていたことが、埼玉県森林基本図より知れる[4]。だが約三十年前の道の痕跡は、ほぼ認められなかった。
1610~1625M付近は平地と変わらぬ様な、広く緩やかな広葉樹の別天地であった。尾根が痩せ気味になってくると、漸く断続的ながらも明瞭な踏跡が見えるようになった。1680Mからこの尾根では珍しく短い急登がある。右捲きの踏跡に入ると激しい枯死笹ヤブと灌木に苦しめられるので、不明瞭な尾根直登踏跡を探す方が良い。三つの小丘からなる1762独標は、主峰の西峰を越した後、北峰との鞍部で川又道と合流する。川又道自体かなり不明瞭なので、明確な合流は認識できないかも知れない。
これより先は、ヒルメシ尾根川又道の項を参照されたい。
⌚ฺ 滝川右岸道-(30分)-沢小屋沢-(35分)-曲沢右岸ヒノキ植林地-(40分)-戸場三角点上自動撮影カメラ-(30分)-1762独標/川又道出合 [2019.11.29]
[1]]ISHIDA Ken,IGARASHI Yuji, SAWADA Haruo, SAKAI Hideo「An Aerial Survey of Large Mammals in Chichibu Mountains, Central Japan」(『東京大学農学部演習林報告』一〇九号、六五~七一頁、東京大学大学 院農学生命科学研究科附属演習林)、平成十五年。
[2]埼玉県土地対策課『埼玉全県航空写真(昭和五十年度)』、昭和五十年、D3-19。
[3]陸地測量部『点の記』、「戸場測點」、明治三十七年。
[4]埼玉県『森林基本図』N04、平成元年。