バラクチ林道 【仕事径】
昭和29年に雲取小屋の富田治三郎により拓かれた林道とされる[1]。背景には秩父営林署の山林開発構想があったと見られ、廃道となった現在に至るまで国有林図に収載され続けている。林道下部は、荒沢橋からバラクチ尾根の途中まで登る大洞林道とほぼ重複しているが、良く観察すると、山腹を絡んで登る大洞林道に対し、バラクチ林道は厳密に尾根筋を辿っている。この辺りの経緯は不確かだが、大洞林道が昭和初期には既に荒廃していたので、バラクチ尾根下部においては旧い大洞林道の道筋を活用せず、新たに尾根筋に道が拓かれたものと想像される。時々尾根を厳密に行く経路と、絡む経路が並走する部分があるのは、二本の道が存在した名残なのかもしれない。
昭和30~40年代に徹底的な伐採が行われ、三ッ山直下を除き尾根は禿山になってしまった。伐採により大洞林道の道筋が消滅し、通行者が地形的に認識しやすい尾根筋のバラクチ林道のみが生き残ったものと考えられる。伐採跡の切株と笹原、不自然に細い二次林の自然林、残置ワイヤー、廃棄物が散らばる小屋跡などが散在する、廃墟のような尾根だが、山深い感じがしない分、実は町まで遠いにもかかわらず、歩いていて根拠もなく里近しの感を受ける。
バラクチ尾根は尾根形状が複雑で、しかも伐採当時の作業道跡が入り組んでいる。適当に登ればいつの間にか稜線に出る登りと違い、特に下りでは正確な地形の把握が要求される。無雪期の視界が良く効く日に二回下ったことがあるが、ガスが濃い日であれば、道の判断にかなりの時間を要したことであろう。また踏跡が完全に消える積雪期の下りで、1240M圏の惣小屋分岐を見つけるのに苦労したこともある。いずれにせよ、下りに使う場合相当な技術を必要とすることは間違いないが、うまく使えば三ッ山から大洞川まで約1時間半で下れる、大変便利な廃作業道である。廃道としてはかなり明瞭なので、ネット記事を見ると、現在でもバリエーション登山に使う者が多いようだ。
この道は、廃道と仕事道のボーダーラインと思われ、利用者が多い現役の通路のようなので、一応仕事道に含めた。しかし純粋に仕事道としては、造林作業も一段落し、現時点では恐らく稀に狩猟に使われるくらいではなかろうか。一部不明瞭な部分もあり、登りはデタラメに行けばそのうち三ツ山の稜線に出るが、下りで使うには「廃径」を通行するほどの力量が望ましい。
● 三ッ山~荒沢橋
登山道の22/21林班界標から、植林の尾根上に薄い踏跡を使って国境稜線に出た。そこは肩のような場所で、笹の中に標石が埋まっている。1分もかからぬ西方のもう少し高い平頂が見えたので行ってみると、そこにも同じような標石がひっそり埋まっている。この平頂は、地形図ではピークとして表現されていないが、尖ってはいないが明らかに緩いピークである。
地形図と完全一致せず、自信がなかったので、確認の意味で稜線を東に進み、少し下ってから、腰から胸までの笹の海を北西にトラバースし、1850M付近で先の平頂からの尾根に乗った。地形的に、この尾根はバラクチ尾根に違いないはずだ。シラベの尾根を確信を持って下り始めると、ときどき色あせた赤テープのマーキングがついている。これで100%間違いないことが分かった。
バラクチ尾根の最上部は、明瞭な踏跡はなかった。だが丸みを帯びてはいるが、尾根を外すほどではなく、マーキングがなくてもルートを保つのはさほど困難ではない。
地形図を見ると、尾根は川楜桃沢に消え、右手に1770M圏の平らな尾根が現れるので、それに乗り移る段取りになるはずである。
1800M付近からあたりは一面の笹になり、右下に笹の海のような平坦地が広がっている。その先には平らな尾根が続いている。想像していたのと全く同じ光景だ。しかも、その方向に向かって笹の中に一筋の線が見える。ありがたいことに、踏跡があるようだ。
道さえあれば、複雑な地形を下るのもかなり楽になる。1770M圏尾根に乗ると、ダケカンバが多くなり、笹の勢いが弱まった。道はかなり明瞭だ。さらに進むとアセビが繁茂し歩きずらいが、道は続いている。酒瓶、ワイヤー、ペール缶などが散乱しており、間違いなく、植林作業道だ。
地形は非常に複雑で、この尾根もやがて川胡桃沢に落ちていく。また東隣の尾根に移る必要があるが、道は不明瞭になった。ルートを探ろうと、谷を挟んで東隣の尾根をじっと眺めると、トラバース気味に谷を渡り尾根に向かう筋が、笹の中に続いている。
笹の上から見ると微かな形跡だが、笹の葉が被ってよく見えないだけで、実際歩いてみると意外と道はしっかりしている。ただし、笹に隠れて道に横たわる倒木には何度となく足をとられた。あくまでもゆっくりと探るように進んでいく。
いったん沢状地形を下った道は、トラバースし始め、1720M付近で狙っていた尾根に乗った。
喜んだのもつかの間、この下は尾根の地形自体が崩壊してうやむやになっており、道は何回も枝分かれする。どれもしっかりした道のようだ。このあたりは伐採地の真っ只中のため、作業道が張り巡らされていたようである。地形特徴も、道のつき方も当てにならないとなると、地形や雰囲気で探るしかない。
道が荒沢谷に向かいそうになるので、いくつかの分岐で左を選択し軌道修正すると、1670M圏の広い伐採跡に出た。尾根上で小さな盆地のような場所で、伐採跡の開けた笹原になった、特徴的な場所である。周辺の伐採地へと続いているのだろうか、道はこの周辺で分岐が多い。良く捜索して地形図1520M標高点に続く道を見つけ、それに乗った。
1660M付近で、先ほど右に分けた道のどれか一つだろうか、右からの道を合わせると、一三七と刻まれた標石の設置された、地形図に載らないほどの小ピークに出る。
さらに下り、1600~1580M付近と思われるの開けた伐採跡の緩斜面で、道は再び不明瞭になる。尾根形状は特徴なく広がり、細い幹の二次林と枯笹ヤブの広がる斜面を、道を捜索しながら下る感じになった。
30メートルほど下ると、北東に向かう尾根形状がはっきり浮かび上がるようになるので、そこを目指して向かっていくと、正規の道が見つかった。枯死している密生した笹ヤブのなかを、道は明瞭に続いている。歩くのに不自由はないが、不気味な雰囲気だ。
この先しばらくは、尾根形状が明瞭なので、気軽に作業道を下ることができる。大量の残置ワイヤを見て、明瞭な尾根筋の枯死笹ヤブ帯を下っていく。
1450M付近から下は、尾根が少し広くなり、笹の勢いも弱まる。落ち葉の上の道はやや不明瞭になるが、若干の自然林が残り多少はいい感じだ。
1363M標高点付近の尾根が狭まるあたりで道は明瞭になり、次いで1340M付近の尾根上のちょっと和む小平地に出る。
1300Mの下は、伐採に痛めつけられたバラクチ尾根では珍しい、美しい落葉自然林の緩斜面になっている。楽しく尾根筋を下ると、1240Mの小平地に到着する。森の斜面に開けた雰囲気の良い場所で、残置された酒瓶を見ると、大伐採時代に作業基地があったものと想像される。
道の続きは、ここから西に向かっている様に見える。植林帯を惣小屋跡へ向かうのだろう。開けた場所で道が不明瞭になるのは毎度のことだ。そのまま道を追うのを止め、地形的に正しい尾根を探る方針に切り替え、東に等高にトラバースしてみる。北東に下りる正しい尾根が確認できたので、それを下り始めると、林の中の踏跡が復活してきた。
急勾配を一直線に下ると、下界に近づいたためとても暑く、下りなのに汗が噴出してくる。山ノ神の祠が見えると、左にトラバース道が分かれている。この道は大洞川右岸の大崩壊に呑まれ、通行不能らしい。
900Mの下あたりと思うが、尾根が岩がちになる部分で、道は右からやや危なっかしいトラバースで通過する。巻き終わったところに、多量のワイヤーや滑車の残置がある。850M下の緩斜面は折り返しながら下り、そのままジグザグに、荒川橋北詰の倉庫裏に降り立った。
バラクチ尾根は、三ツ山の尾根分岐点確認のため、歩き出しまでに約30分を費やしてしまったが、歩き始めると藪は強くなく、マーキングや植林道が利用できるので、正確な地図読みが出来るなら、大洞谷への下降道として便利に使えそうだ。
なお、伐採跡地では、下りでは見通しが効くため笹に埋もれがちな道が割とよく見えたが、登りに使う場合は道の発見に苦労するかもしれず、却って高みを目指して力づくで登るほうが早いかもしれない。
[1]]角田篤彦「大洞川 荒沢谷」(『新ハイキング』三八号、五一~五四頁)、昭和三十一年。