荒川林道 【廃径】
荒川林道とは、入川の右岸を経て、文字通り「荒川谷」を巡って柳小屋に通ずる旧歩道である。谷の名称は国土地理院の地形図では現在「金山沢」に変わっており、旧荒川小屋跡で分流してからは、現在も「大荒川谷」、「小荒川谷」と呼ばれている。原全教は著書では「荒川」、古い陸測図や手元の東京帝大演習林地形図(S6)はもとより、最新の国有林野施業実施計画図でも、「荒川谷」とされている。
古くに廃道となったため正確な道筋が不明だが、下部についても詳しい道筋が全く分からない。旧地形図(陸測図)は、地形、道の位置のいずれも不正確であるため、特に山腹を行く荒川林道においては全く参考にならない。原全教、小野幸らの付図にしても、その地形図を参考に手書きで作成されたと思われ、甚だ不正確である。
起点については、「滝川に沿う低い道(註:滝川林道、後の滝川森林軌道のこと)と分れて、草の中を十間ばかりで右へ荒川林道が入り込む。」(奥秩父・昭和十七年刊)とし、付図では道標ありとされている。
起点直後の道筋が分かり難く、陸測図では一定ペースで徐々に高度を上げているが、入川右岸の急斜面に安定した林道を拓くことができたのだろうか。昭和49年の2.5万分の1地形図の道筋は、八間橋の西詰から入川右岸の約100Mの高みを小赤沢出合まで行き、1150Mまで急に高度を上げ、再び水平に上流へと向かっている。わざわざ地形的に困難な部分を、しかも水平になったり急に高度を上げたり不自然な進み方をしているのが腑に落ちない。ただ、入川に沿って進む部分は、植林作業道や電源巡視道として実際に存在していたのかも知れない。また、原は「右の草いきれの径を小登りに回っていく。(中略)炭焼きがはいって、明かるい山腹に幾筋もの白煙が立ち昇っているのを見かける。」と記しているが、発電所の設備が存在しなかった当時、一つ入川寄りの緩い支尾根を登る道筋があったのでは、とも思われる。一方、昭和6年の東大演習林図は、陸測図の地形図に演習林が管理する巡視道を記入したもので、荒川林道上流部の整合性が高いことが、既に確認されている。下流部を見ると、他の資料と全く異なり、始めは川又から雁坂道の尾根を忠実に辿り、標高940Mあたりからまず水平に進み、続いて雁道場下あたりまでに高度を上げ、再び標高1200M付近を水平に進んでいる。この経路は、危険な地形の通過を最小限に留めており、今回の踏査ともよく一致するので、正しい経路ではないかと考えている。
また破風山北尾根を越える部分が、古い地形図が不正確であるため分かり難い。昔を知る登山者に聞けば、林道が1342独標南西コルを越えていたことは明らかだが、近年1340M圏で尾根を乗越す新径路が開発されたため、正道の痕跡は年々薄くなっているようだ。
● [逆行区間]荒川谷右岸尾根(1270M圏、取水口への作業道分岐)~川又
川又発電所入川取水口から荒川谷右岸尾根を登る道ができて以後、荒川林道下部を歩く人は少ないと見られ、明らかに道が悪い。早春の雑木林の中、落葉に付けられた弱い道筋を水平に進む。道端に瀬戸物の破片を見ると、胴木小屋沢を通過する。今年は残雪が多く、すべての沢が雪渓になっていて水流が見えない。直ぐに突出峠分岐を、続いて原全教が奥秩父研究で示した入川からの道を迎えるはずだが、微かな踏跡が分かれるものの確信を持てる道筋は見えなかった。
胴木小屋沢の左俣も渡り、道型がやや見え難い水平道を快調に飛ばすと、山火注意、境界見出し標、石標などが賑やかに設置された、丸みのある尾根に出た。道はないが尾根伝いに下れそうにも見える。ここは東大演習林と民有林の境界尾根で、ここまでの林道は巡視道を兼ねていると見られ、荒れてはいるが多少歩かれている感じであった。
この区間は殆ど歩かれていないらしく、荒廃が酷くしばしば道型が消滅する。また道が水平ではないので、上から道筋や地形を俯瞰できる川又方向はまだましだが、入川上流に向かって道型が消滅した箇所通過するのは、なかなか難しいだろう。
演習林界尾根から、かなり薄くなった道型を多少下り気味に進み、雁道場(1298M)下の急斜面では、緊張する崩壊が続く。さらに水元三角点(1232.7M)南の1250M圏峰から北西に出る岩尾根が立ちはだかり、水平道は行き詰る。手前の広い谷で道が消えるが、標高差で約30M下り、岩尾根を横切る林道を再発見する。
再び下り、潅木中の水平な踏跡ほどの林道の痕跡を数分進み、小沢に沿ってまた20Mほど下る。危険な崩壊を横切り、水元三角点の北尾根を回る。このあたり、道は断続的に消えたり細い踏跡になったりを繰り返すが、尾根を回る部分だけは一般登山道のように完全な道が残っているのが面白い。
しばらく続いた下り区間が終わり、林道は再び水平になる。低木を縫って踏跡のような道を進むと、小尾根を越えたところに、尾根の斜面に開けた広大な雑木林の平坦地が見えてくる。踏跡、切株、マーキングなどの人の気配が全くない、隠れ家的な別天地だ。
平坦地には大きな雪田が残り、道筋が不明になる。この先しばらく、特徴的な地形が続いている。雁坂峠道の尾根と入川との間の北斜面に、棚のような形で一定の幅の緩斜面が横に伸びている。そして尾根から落ちてきた礫や土砂がこの緩斜面にたまっているため、アリ地獄のように崩壊し歩きにくい。一歩ごとにずり落ちる状態なので、当然ながら道筋はほぼ流失してしまっている。
どこを歩けばよいか確信はなかったが、棚状地形を辿るのがどうみても自然である。そのままひたすら水平に進むと、発電所関係のものだろうか、急に左下に電柱が現れた。
すぐ植林が現れ、雁坂道の尾根に乗ったようだ。道があるかと思ったが見つからないので、尾根を少し下ると、今度は尾根上に小さな貯水設備が現れた。入川取水口から導水路でここまで引いた水を、約230M下の発電所に落とすための施設である。急勾配の導水管に沿った階段状の歩道を、転落に気をつけて下った。
発電所の少し上まで下ると、植林の中で右から雁坂旧道が合流する。石柱があり、「右ハ甲武信岳及股ノ澤道、左ハ甲州道、大正十一年一月大滝村青年団分会建設」と書いてある。間違いなくここが荒川林道の起点である。その場で道は確かに左右に分かれており、「甲武信岳及び股ノ澤道」と記された荒川林道は、尾根上を行く現在の巡視道であると考えて不自然さはない。しかし実際に別の道が尾根を通らず入川右岸に付いていなかったか、それは大規模な発電所設備のため確認しようがなかった。
ジグザグに十数秒下って滝川軌道跡の林道に出ると川又発電所があり、二分進んで八間橋で入川左岸に渡るとすぐに川又だ。
⌚ฺ 荒川谷右岸尾根1270M圏-(45分)-国有林演習林界-(1時間35分)-八間橋 [2014.4.12]
● 荒川谷右岸尾根(1270M圏、取水口への作業道分岐)~荒川小屋跡上の分岐
林道は思ったより良く踏まれている。この辺りの22林班、さらに奥の23林班への巡視道になっているためであろう。それを示すらしい黄色いプラスチック杭が、時々打たれている。22~23林班は全域が原生林であり、環境保護と植生研究とに利用されているようだ。歩きやすい道が水平に続く。
あいにく1280M標高点手前の窪が、大きく崩壊し道が流失している。最近の崩壊らしく、まだ通過ルートが定まっていない。
崩壊幅が見た目に広いため、下降点を見つけやすい高巻きを選択したが、渡ってみると山ひだに隠れて見えなかった林道の続きが、意外と流されずに残っていた。下巻きの方が楽だったかもしれない。
天然ヒノキに古い「山火用心」の表示が打ち付けられた1280M標高点近くの尾根を回ると、すぐに中小屋沢だ。岩壁をへつっての下りとなり、少々悪い。本来あった桟橋が流されたのかも知れない。
雪解け水を集めて水量豊富な中小屋沢の苔むした美しい流れの、ちょうど二俣の部分を渡り、歩きやすい水平道をなおも進む。
次の小窪も、崩壊が進みつつあり、慎重に通過する。やはり氏によるロープが張られており一瞬緊張したが、よく見ると林道の残骸が残っており、通過に支障はない。ただし、季節や天候の変化、また崩壊の進行により今後も通過できるとは限らないので、留意されたい。良い道は尚も続き、あっという間にヒダナ沢に到着する。
ヒダナ沢を過ぎると踏跡がいくつかに分散し、その地点までに何回か見かけた黄色い杭のある水平道(演習林巡視道)を取って進んだ。ところが金山沢右岸に達すると、道は急にトラバースを中止して尾根を登り始めた。尾根道は所によっては、木の根が張り出し、踏跡がはっきりしない。そして1420M圏まで登ると、左から合わさるより良い道に合流した。これが庄野氏の示す正しい道で、ヒダナ沢を渡って数分の地点で左上に分かれた踏跡であろう。
道は荒川谷側をトラバースし気味に緩く登った後、微かに下り気味になった。この辺りは枯死笹ヤブがうるさいところだ。すぐ先に、マーキングのついた荒川小屋跡へ下る道と、そのままトラバースを続け小荒川へ出る道との分岐がある。
⌚ฺ 荒川谷右岸尾根1270M圏-(55分)-ヒダナ沢-(45分)-荒川小屋跡上の分岐 [2013.4.28]
● 荒川小屋跡上の分岐~荒川小屋跡~1150M圏左岸出合ガレ沢
枯死笹ヤブ中を僅かに下ると、水平道に突き当たった。本来の分岐は現在の分岐より数十メートル川又側にあったようだが、その部分が崩れていて新たに拓かれたのが現在の道らしく、右から来る崩壊で今は使われなくなった道に当たったという訳だ。そこでこれを左へ進み、斜めに下って崩礫帯をトラバースしながら通過し、さらに斜面をジグザグに下って荒川小屋跡に下りついた。ここにもピンクのマーキングがあった。僅かに残る瓶などの廃物がかつて小屋が存在したことを示していた。
大きな礫が積もって荒れた小荒川右岸を1分下ると、小荒川が滝で落ちて大荒川に合流し荒川谷となった。岸は大きな石のゴーロは倒木とつる草で荒れ、右岸の道は分かるには分かるが歩きにくい状態だった。増水時は通れないと思うほど、林道は右岸ギリギリを流れに沿って下っていた。1280M圏で右岸に通行不能な岩壁が迫り、左岸には道の続きが見えていた。ここが渡渉地点であった。水深の浅いとこから容易に渡渉した。
谷が高度を下げるため、すぐ左岸の林道は大して登らないのに高みの危なっかしいトラバースとなり、破風山北尾根支稜支尾根末端の小岩稜を乗越した。右の急斜面のかなり下方に渓流を見ながら、見事なヒノキの大木が点在する細道をやや緊張しながら進んだ。いったん少し下ると林道は水平になるのだが、赤テープの付いた遡行者の巻道の方が優勢で、引き込まれてゴンザの滝上の河原へ下ってしまった。通過時に不審に思った地点まで登り返しよく見まわすと、多少荒れた水平踏跡が分れていて、すぐ先に黄テープが巻かれていた。消えかかった踏跡程度の林道は登り気味になり、傷んで気休め程度の危ない桟橋を連続して渡った。この辺りでは、地形図で分らない小岩稜が連続して落ち込んでいた。すぐ次の細い岩稜に乗り上げると、向こうは切れ込んだガレ窪で、その対岸もまた岩稜だった。一瞬、桟橋がない同然に腐った林道を辿るのは無理かと思うほどの絶望的な光景だったが、落ち着いて調べると窪に下れるテラス的な通路があり、それに沿って腐食して細くなった桟橋の残骸が落ちていた。そこからガレ窪に下り慎重に横切ると次の小岩稜へ攀じ登った。本来ここには、木梯子のような桟橋が掛っていたのだろうが、今はその残骸を見るだけであった。スリップすれば一巻の終わりで、ここは荒川小屋へ向かう方向では危険な岩場の下降になるだろう。
最も危険な一帯を抜けると、礫の詰まった窪を通過し、次の岩壁は根元の微妙なトラバースで通り抜けた。林道は不明瞭になったが、九十九折れを交えて下っているようだった。この辺りはゴンザの滝の上になるのだが、流れから少し離れているため分からなかった。一度水平に進み、次の小尾根でまた高度下げるようだったが、踏跡は分散し道型が不明になった。1540M圏の境界標106(破風山北尾根支稜1762独標から東北東に出る尾根上)から北北東に出る支尾根で見たマーキングを最後に、マーキングが見えなくなった。二年前に通った時は点々と付いていたので、今回は見失ったようだった。水平に進んだのが失敗で、林道は確か谷と一定の高度差を保ちながら下っていたと思う。この辺りは広葉樹の傾斜のきつくない森で、どこでも適当に歩くことができる状態だった。次の小尾根を1180M圏まで探しながら下って、ようやく踏跡に復帰した。大礫が斜面に目立ち始め、すぐ1150M圏で左岸に注ぐガレた支沢が現れた。特に沢の左岸のガレが酷く、数十米幅の崩れた礫の斜面になっていた。水流自体は見えているため、林道の良い水場であった。
⌚ฺ 荒川小屋跡上の分岐-(5分)-荒川小屋跡-(50分)-1150M圏左岸出合ガレ沢 [2015.5.23]
● 1150M圏左岸出合ガレ沢~1342独標南西コル下(荒川谷左岸)
道はやや不安定だが十分使える程度に歩きやすく、低い笹と落葉を踏み分けぐんぐん谷を下っていく。谷沿いに進んでいくと、左上に見える1342M峰の南西コルへと登り出す辺りの古い崩礫帯で道が消えた。その日は時間が遅かったので、少し下流の岩陰でビバークした道はやや不安定だが十分使える程度に歩きやすく、低い笹と落葉を踏み分けぐんぐん谷を下っていく。谷沿いに進んでいくと、左上に見える1342M峰の南西コルへと登り出す辺りの古い崩礫帯で道が消えた。その日は時間が遅かったので、少し下流の岩陰でビバークした。
⌚ฺ 1150M圏左岸出合ガレ沢-(10分)-1342独標南西コル下(荒川谷左岸) [2013.4.28]
● 1342独標南西コル下(荒川谷左岸)~入川右岸の崩壊部
翌朝、日の出とともに出発した。谷を少し登り返し、高巻き気味に進むと、1342独標南西コルへ向かって斜上する林道に出合った。疎林の中を斜めに緩く登るあたり、あまり踏まれていないため、道はやや判別しずらい。
礫が散在する中腹部は、かなり断片的になり、厳密なトレースは難しい感じだ。コル直下で谷が狭まると、明瞭な九十九折となり、針葉樹の薄暗いコルまで登り上げる。細い赤テープが小枝に巻いてある。
入川への下りも、道型はそこそこ分かりやすい。北面の暗い谷を、谷幅一杯まで使って九十九折れて下っていく。桟橋の残骸らしいものが残っている。
しかし中腹以下は、崩壊した礫や倒木で埋もれ、流失し、きわめて断片的になる。谷に道の痕跡が消える頃、入川右岸の水面から30メートル程上のトラバースに移る雰囲気になる。しかし、コルから入川に下る谷の左岸尾根のすぐ上流に、大きな崩壊が見え、林道流失は疑うべくもない。
幸い、入川の流れは平水のため大層穏やかなので、左岸尾根から上流側に向かって川面へ下降した。最後が急だが、崩壊をうまく使えば河原に下りる事ができる。崩壊箇所を過ぎて林道まで適当に再び登り返す。
⌚ฺ 1342独標南西コル下(荒川谷左岸)-(10分)-林道崩壊部を河原から巻く [2013.4.29]
● 入川右岸の崩壊部~柳小屋
寸断された林道は、柳小屋の約百米下流の右岸に入る窪状を横切るところから、割と道型が見えるようになった。少しの間、緩く斜めに下り、いったん松葉沢の直前で地形図に載らない微小な窪状を、入川に下るのではという高さまで下った。川の直前に朽ちた桟橋があり、林道は辛うじて使える状態であった。対岸に小屋を見ながらへつるように回り込んで、松葉沢の上に出た。かつての橋は跡型もなく消え去っており、右岸岩壁の下降が難しい。残置ロープの助けを借りつつ慎重に下り、沢を渡ってそのまま踏跡でへつるように進み、吊橋の南詰で真ノ沢林道に合流した。柳小屋はもう目の前であった。
⌚ฺ 林道崩壊部を河原から巻く-(10分)-柳小屋 [2015.5.23]
【林道途中へのアクセスルート】(確認済みのもの)
- 赤沢取水口から荒川谷右岸尾根1270M圏
- 入山林道の柳小屋手前から1342独標南西コル