大久保水源林道 【廃径】
伐採と車道建設で寸断され、径や桟橋の流失、茨ヤブの繁茂など、伐採後の天然更新の影響で荒廃が酷い。3度の山行で漸くある程度の経路を把握したが、消滅した部分も少なくなかった。秩父地域の国有林では最も荒廃の酷い道である。それでも径の存在自体が認められたのは、伐採地や常緑樹の森に微かな痕跡が残されていたからである。坊主山北東尾根の先は車道と重複し、ほぼ消滅していた。
● [逆行区間]秩父市小屋山ノ神の尾根~大久保水源林道始点(旧13林班)
ミカワ集落(吹上沢・市兵衛沢出合付近)跡には、国有林の大久保事業所、秩父市有林の作業小屋が、いずれも廃屋として残っていた。奥の事業所は倒壊して廃墟となっているが、手前の秩父市小屋の建屋はほぼ完全な形状を留めており、使用材料も新しそうに見えた。ここには昭和31年に既に小屋があったという(植村三郎)が、この場所が含まれる13林班が、昭和37年に国から秩父市に払い下げられた後に建て変えられた物かも知れない。小屋の壁面に打ち付けられた秩父市の火気注意看板が、それを示唆していた。昭和40年頃に伐採が始まったので、その後植えられた人工林もすでに立派な森を形成していた。植林、小屋のすぐ上の山ノ神があり、昭和53年の再建と彫られていた。近くに落ちていた屋根が古い祠のものであろう。
山ノ神から植林小尾根の踏跡を緩く登ると、まず左へ逸れ、すぐ右への踏跡を分けた。右の踏跡に入ると斜めに小尾根を右側に越え、水平道に突き当たった。直感的にこれが大久保水源林道とすぐ分かり、また位置的にも予測通りであった。
先ず下り方向へ辿ってみた。百数十M進んだ次の小沢で植林が終わると共に、良い踏跡が忽然と消えた。倒木で荒れた沢周辺を探すと、疎らな植林に微かな踏跡が下り気味に続いていた。それも一旦消えたので斜度を保って緩く下っていくと、露岩の上を通過する地点で復活した。しかし枝打ちで再び消えてしまい、道かどうか分からないほどの痕跡を追っていった。やがて下に大久保谷林道が見えてきて、微小尾根の突端で下り着いた。地形特徴のない地点なので説明に窮するが、近場ノ谷から秩父市小屋へ向かう途中、半分を過ぎた辺りで右上を見上げると大岩壁が見える地点、その手前の微小窪のすぐ手前の小尾根である。通行時点では登り始めだけ踏跡があり、下がった赤テープと小さい赤プラ杭が打ち込まれていたが、何時まであるものか分からない。
試みに少しでも踏跡が残る部分を拾いながら逆コースを辿ってみたが、かなり低い地点で山ノ神の尾根に出てしまった。植林踏跡の一つだったようだ。
⌚ฺ 秩父市小屋山ノ神の尾根-(15分)-大久保水源林道始点 [2015.9.5]
●秩父市小屋山ノ神の尾根~25空中図根点
二、三分水平に進むと、山ノ神からの踏跡を下から合わせ、なおも植林の良い踏跡が続いた。次第に枝打ちが目立って踏跡が不明瞭になり、市兵衛沢の左岸支沢が近づく頃にはほぼ消えてしまった。次の植林でいったん踏跡が回復するも、今度は細い分散した踏跡になった。数Mの美しい滝を掛けた市兵衛沢が左奥に見える頃、足元が礫が混ざるようになり、道が分からなくなった。道筋全般に言えることだが、ビンや瀬戸物のかけら、錆びたカンなどがしばしば落ちていた。
ここでいったん道間違をして沢を渡り右往左往してしまったが、白紐のマーキングが導く左岸に沿って沢を登る踏跡が正しかった。細く頼りない踏跡は、沢を渡るような素振りを見せるが引き込まれず、あくまでも左岸るのが林道の経路だった。910M圏二俣の右股に入った辺りで、沢沿いの広葉樹のまだ生きている倒木に道は塞がれていた。ちょうどここが沢を渡る地点で、道は伏流化した右股、続いてすぐ水のある左股と渡り、植林中の安定した道となって市兵衛沢右岸を緩く登った。ほどなく右岸尾根に乗り、一度小さなZ字を描いて尾根を登ると、25空中図根点の標石があった。「秩空二五」の文字は標石の裏面に刻まれていた。
⌚ฺ 秩父市小屋山ノ神の尾根-(25分)-25空中図根点 [2015.9.5]
●25空中図根点~14林班車道プレハブ小屋下伐採地
林道は図根点で赤岩ノ頭から東に出る尾根を横切り、初めは広葉樹の森を進んでいた。錆びた釘が打たれた古い桟橋を過ぎると、すぐ伐採地に行き当たった。鹿柵を切れ目から通過し、ススキの繁茂する伐採跡の斜面をトラバースした。多少踏まれている感じはあるが、密生したススキの株のフワフワしたベールに覆われ道を目視することは全く出来なかった。左手下方の水平方向の鹿柵と平行して進むうち、その鹿柵と右手に現れた露岩が乗った小尾根といってよいか分からぬほどの盛り上がりとに挟まれ、間を摺り抜けるように通過した。所々に水平に置かれたやせ細った丸太が見られたが、林道を補強する添木であるか古すぎてもはや判断が付かなかった。左下にヒノキ植林を見ながら、生育不良の幼木の二次林を不明瞭な踏跡を追って登り気味に進んだ。時々現れる鹿柵は、継ぎ目や穴があるので何だかんだで容易に通過できた。伐採跡を行く踏跡はあるようなないような、複数に分かれているようないないような、捉えどころの無い不確かな痕跡に過ぎなかった。国有林図が示す経路を目安に周りの状況を見ながら適当に痕跡を探しつつ進んだ。
痕跡は前方に現れたヒノキ植林に入っていくようだった。植林中を登る踏跡があり、補強の添木が見られるので、どうやら今のところ道筋を捉えているようだった。三分後に植林は終わり、再びススキに覆われたカオスのような伐採地に突入した。七曲沢源頭の踏まれた感触のある場所をとにかく水平に辿った。鹿柵にわざと開けてあるらしい細い隙間があるので、これは道なのだろうか。地形の雰囲気から直感的に判断し、林道は20~30Mほど上と思えたので、適当に登ってみた。途中、斜面に落ちた「火の用心」看板を見たので、もう少し上に林道がありそうだと感じた。その10M程上で踏跡を見つけた。これが林道だろう。今のススキ野原を斜めに登るのが正しかったようだ。林道は天然林とも植林ともつかぬ(それとも混成か?)小さな森の下端をはっきりした踏跡で通過し、すぐ伐採跡となって鹿柵を抜けると、伐採後のススキや潅木に覆われた七曲沢・鎌倉沢中間尾根に出た。尾根筋には鹿柵が張られていた。
国有林図によると林道はしばらくこの尾根を登るのだが、伐採や鹿柵設置で荒れてしまったのか、明らかな踏跡は見られなかった。手強いヤブに苦闘しながら登るうち、尾根の右が森になってきた。数十米も登った頃、何となく踏跡的な気配が尾根を横切り、その部分の鹿柵に人工的な穴が開けられていた。ここが林道が尾根を離れてトラバースを再開する地点のようだった。伐採跡のはっきりしない踏跡を辿って、次の鹿柵も切り開いた穴から潜って通過した。アザミヤブが目立ち始め、棘に苦労するようになった。この付近は9月に来た時は正しいルートを辿れたが、今回は外してしまった。知っている場所でもルートを外すほど、どこかしこなく踏まれていて似たような風景が展開する、難易度の高いルートであった。鎌倉沢源頭の谷止工がずいぶん上に見えたので、右岸の植林を数十米登って正規の道筋に復帰した。植林中の踏跡は十分識別でき、見つけるのは容易であった。
登ってきた植林は横幅が狭く、トラバースする林道に戻るとすぐに終わり、アザミの茂る伐採地に入った。ススキと違い道型は分かりやすかったが、細かい棘は触れるととても痛く一本ずつ薙ぎ倒して進むので時間がかかった。車道へ向かうらしい右上への踏跡を分け、まずまず見分けのつく道を辿って鎌倉沢・赤岩沢中間尾根を回った。ここからススキとアザミが混じったヤブになり、アザミに刺されながら不明な道を探すという最悪の状況になった。出鱈目に水平移動すると見覚えのある崩壊(プレハブ小屋付近から南に落ちるもの)の、以前来た時よりかなり下方に出た。崩壊の左岸を数分登ると、林道のその時来た地点近くに出た。つまりこの伐採地も登り気味に通過するのが正しかったようだ。これで過去に歩いた分と合わせ、林道の道筋が繋がったことになる。あとは、車道のプレハブ小屋まで適当に攀じ登った。
⌚ฺ 25空中図根点-(1時間20分)-14林班車道プレハブ小屋下伐採地 [2015.10.25]
● [逆行区間]14・15林班界付近車道横断点~14林班プレハブ小屋下伐採地
車道横断点から下への道は、林道造成に伴う谷川の土砂崩落のためか裸地になり完全に消えていたので、いったん道の有無や状態を捜索した。林班界尾根の自然林を闇雲に下ってみると、30M程下に水平な道型があった。明らかにこれが林道であり、まず上方向の様子を見た。かつて桟橋があったに違いない露岩を下降し水平に数十M行くと、先の裸地に突き当たった。裸地といっても現在は夏草が生え歩き難かった。林道はここを登っていたはずだが、下から見ても全く痕跡はなかった。一方下方向に数分進んでみると、辛うじて通れそうに見えたので、いったん車道まで戻り荷物を持って再出発した。
改めて車道が14・15林班界尾根を回りこむ地点から出発した。取り付けられた林班界標が目標になる。踏跡のない自然林を二、三分真っ直ぐ下ると水平に横切る道型が見えた。これが車道建設により切断された大久保水源林道の続きであった。なお車道から斜め左に下る微かな踏跡があり、また林道を尾根から数十米左に行ったところで上から合流する踏跡があった。林道は昭和63年の車道延長工事で寸断され使えなくなったが、この踏跡がその部分を避け車道に上がるための新経路なのかもしれなかった。
小さな植林で道型が消えたが、大岩の上端から下って自然林に入ると薄く見えるようになった。この大岩は振り向いて見ないと気づかないかも知れない。しかしルートが確信できるほど明瞭ではなく、いったん折り返して高度を下げ、また水平に続いているように見えた。赤岩ノ頭の南からくる小流とその支窪を渡り、ほぼ消えた道型をとにかく水平に行くとまた植林に入り、今度は良い踏跡があった。だが二分後に崩壊に阻まれた。月日がたち草が茂っているので渡るのは怖くなかった。対岸のほぼ水平な位置に続きが見つかった。鎌倉沢と赤岩沢を分ける大きな尾根が近づくと伐採跡の荒廃地になった。桟道の残骸かもしれない丸太が脇に転がっているのが見えたが、ススキや潅木のヤブが酷く道型は完全に消えてしまった。2ヶ月前にこの伐採跡の向こう側から登ってきたが、やはり道型も踏跡もなく諦めて車道のプレハブ小屋地点に上がった経緯があった。今回も全く同じ状況であった。皮肉にもそこからプレハブ小屋まで、割とよく踏まれた踏跡が付いていた。
⌚ฺ 14・15林班界付近車道横断点-(15分)-14林班車道プレハブ小屋下伐採地 [2015.9.5]
● [逆行区間]27空中図根点~14・15林班界付近車道横断点
林道を下り始めると、10秒もたたないうちに道がぼやけてきた。基本的には図根点から見下ろして左側の微小な尾根上の右を絡むように折り返し下っているようだった。左の微小尾根の向こうはルンゼをはさんで縦に伸びた巨岩が立ちはだかり、右は擂鉢のような岩壁の窪状になっていた。道というより薄ヤブの山腹を適当に下る感じだったが、岩地や急斜面を除けた針の穴を通すようなルーティングだった。高度差で30M程下ると、2ヶ月前のトラバースで通った微かな踏跡を横切った。
道型は全く見えず、地形を見ながら直感的に行動した。左の小尾根に徐々に近づきながら下り、車道の10M程上でその小尾根に乗った。何らかの踏まれた痕跡が所々にあり、酷く苦労することはなかった。小尾根の突端は予想通り法面の崖となっているため下れなかったが、痕跡を探すと左に回り込んで下っていた。最後は3M程の小さな崩れに飛び降りて車道に出た。登り口と同じ地点にピッタリ戻ることが出来た。国有林図の経路とほぼ一致することから、下りの道筋が概ね林道であったのだろう。
⌚ฺ 27空中図根点-(10分)-14・15林班界付近車道横断点 [2015.9.5]
●27空中図根点~牛首下
大久保水源林道(仮称)は大久保事業所手前から大久保谷左岸の山腹を登ってくる旧林道である。ここから稜線直下を大クビレに至る。同じ道と言ってよいか分からないが道はさらに続き、細久保谷の林道と接続した後、大平山の西を巻き、熊取尾根とチガオノ尾根の間を越えてきた林道に接続してミカワの三股に下っている。
岩の巣のようなかなりの急傾斜を、林道はトラバースして進んでいた。黒い森の間からずっと下方に車道が見え隠れしていた。時折目に入る桟道の丸太の残骸や断続的ながらも消えない道型を見て、道筋を確認した。林道は岩壁のような窪状をうまく通過し、右岸の極小植林に入った。息つく間もなく、凄い岩壁の次の窪が迫った。危険に見えたが突入すると意外と足場があり、首尾よくやり過ごした。また極小植林があった。この辺りの極小植林は、昭和初期の植林地が車道建設により分断され、急斜面のため切り残されたものであろう。これ以外は自然林の岩勝ちな急傾斜が続き、なかなか気が許せなかった。道は岩場を巧みに縫うように辛うじて続いており、露岩の難所や、桟橋落下によると思われる通行困難箇所がしばしば現れた。
時々覗く下方の車道を見ながら、雰囲気の良い自然林の落ち着いた踏跡を進んだ。こんな急俊な山地で意外なことに、1568独標の東北東で傾斜が緩み、下に自然林の平地が広がっていた。また岩を縫ってのスリリングな道になったが、何だかんだで通過でき、身の安全を案じるほどの所は今のところなかった。
倒木と礫が詰まった見た目に嫌な崩壊窪を迎えたが、通過は容易だった。しかしその右岸支窪の左岸が非常に悪く、下巻いてから登り返し窪の底を通過して渡った。林道は車道上の岩壁にへばりつく様に進んでいた。何時途切れてもおかしくない急な地形だが、必ずどこかに弱点があり、林道はそこを突いて辛うじて危険をかわしていた。
またもや山から押し出されたような岩塊が責め立ててきた。岩や倒木で道が不安定になり、踏跡は下に続いているように見えた。転落に注意しながら下って見るも、下に見える車道に至る踏跡のようだった。水平な痕跡を探したがルンゼ状の小窪で途切れ、その右岸は手も足も出ない岩壁で、ルンゼ状を下るしか活路はなかった。車道への下降路と接近して下り、テラス状になった右岸の弱点から先へ回り込んで登り返した。次の窪も酷いルンゼ状で右岸は一枚岩だった。ここも約30M下って通過し10Mほど登り返した。それとなく踏まれている程度なのでこれが林道の経路か判断がつかなかったが、少なくとも通過可能なルートはここだけだった様に見えた。
道さえあれば数十秒で下れるほどまで車道が近くなり、一時的に自然林の良道になった。正しい道筋を外していないようだった。水平道が突然消えて、山留工に突き当たった。高度差40M程の斜面が崩壊した跡であった。以前川浦谷林道を牛首から下ってきたとき、ここを上巻いて通過したが、今は見た目に上巻きより近く確実そうな下巻きで車道へ降りる選択をした。山留の左岸の踏跡を追って急斜面を下降し、何とか車道に辿りついた。この山留は赤岩沢の最奥、坊主山からの赤岩沢本沢と牛首からの涸れた支窪の間の斜面にある幅十数メートルのもので、源流で勢いを落とした本沢と劣らぬ水量が壁面や配水管から湧水していた。氷で冷やしたかのような清水に一息ついた。
⌚ฺ 27空中図根点-(45分)-牛首下 [2015.9.5]
●牛首下~坊主山北東尾根(22空中図根点)
車道から元の林道の高さまで、赤岩沢本沢を登り返した。車道横では小流に沿う踏跡があったが、直ぐに崩礫で埋まった伏流になり、踏跡も消えたも同然に薄くなった。気を付けながら30~40M程上がると明らかな水平道が見つかった。右手は真っ直ぐ山留に行き当たっているので、旧林道で間違いないようだった。 直ちに上から合わせた小さな踏跡は、牛首からの川浦谷林道であろうか。以前下ってきたとき、山留上で踏跡が分かれていた記憶があるので、山留の左右それぞれでこの林道に接続する迂回路ができていたのであろう。
車道を下に見ながら、気分の良い自然林の水平道が続いた。道の状態もそれほど悪くはなかった。相変わらず桟橋の残骸がところどころにあり心強かった。小さな伐採か崩壊の跡で荒れて分かり難くなったが、水平に抜けるとしっかりした道型が復活した。
大きな坊主山北東尾根に出た。3年前の4月にこの尾根を登ったとき、林道の気配は感じたものの積雪のため判別できなかった地点だ。この尾根は昭和50年頃伐採されており、林道が横切る地点のほんの僅か下は、その時植林されず残されたらしい展望の利く小さな休場的な場所になっていた。秩父市街や立橋、赤岩ノ頭方面の眺めがよく、足元を見ると1396Mの22空中図根点がひっそりと埋まっていた。
尾根から続く水平道は、多数のカラマツの間伐倒木が道を塞ぎ、とても進めない状態だった。下側から巻くようにかわす踏跡に従った。この先の植林地内ではそのような倒木が散在し、本来の道は消え、よく踏まれた踏跡が障害物を縫うように避けて上下し、紆余曲折曲しながら踏まれていた。
数分進んだ涸窪で自然林に入ると、車道が目と鼻の先にまで接近し、道型が極めて不明瞭になった。微かな痕跡が水平に続いていたが、全く歩かれていない様に見えた。国有林図が示す林道経路は、この先車道とほぼ重複していたので、適当に車道に降りた。こうして見ると、坊主山北尾根先の植林内の踏跡は単なる作業道であり、廃道ながらも林道として形が残っていたのは坊主山北東尾根までであったようだ。
⌚ฺ 牛首下-(20分)-坊主山北東尾根(22空中図根点) [2015.9.5]
【林道途中へのアクセスルート】(確認済みのもの)
- 市兵衛沢右岸尾根(25空中図根点)
- 車道(天目山林道、15|14林班界標付近)
- 坊主山北東尾根(22空中図根点)