旧佐野峠越 【仕事径】

 小菅から葛野川に越える佐野峠道の旧道で、奈良倉山頂の約700M西の旧佐野峠[1,2]を越える。小菅側は水源林の作業道なので道は良い。葛野側は釜入が廃村になって通る人も稀になり、大部分を占める尾根道では明瞭だが、トラバース部分は不明瞭で、ダム建設で車道が付け直されたため車道に出る部分は消滅してしまった。また旧佐野峠上の分水嶺を車道が通過して、歩道の付き方が変わってしまったので、峠を越える部分も道型が薄くなっている。
 旧佐野峠の位置は、東京市水源林の中川技師の正確な作図による田島勝太郎著「奥多摩」付図(第一八図)[1]に示される通り、奈良倉山と1321独標との間の1250M圏鞍部である。田中新平は、「奈良倉山西方の鞍部から七保村釜入に下る地点を旧佐野峠と云う」と述べている[2]。

● 白沢(小菅村営奈良倉林道(車道)終点)~旧佐野峠~釜入沢・深入沢中間尾根(1220M圏)

 木橋で奈良倉沢を渡ると、道がすぐ左右に分かれた。右を取ると奈良倉沢右岸の廃ワサビ田を登るようになった。これが旧峠への道である。近年までワサビ道として使われていたようだが、谷沿いの部分は荒廃しつつある様に見えた。両岸を渡り返した後、左岸高みの植林地を登った。またワサビ田跡が現れ、沢を左右に渡り返して登った。右岸の崩れて分かり難い一帯をピンクテープを頼りに抜けると、14Mの見事な二段滝が現れた。歩道で右岸を高巻いて滝上に達すると林班界標が立っていた。ここから先が小規模ながらも水源林の一角を成す、小菅12林班である。
 またもワサビ田跡となると1000M圏二股で、右股の左岸に入り、ジュース瓶・長靴・砂糖袋の廃棄物を見ながら、石垣でしっかり整備された巡視道を登った。ヒノキ植林地を電光型に登る緩い坂は、馬道の様にも見える、幅広の良道だった。何度か折り返すと小尾根の登りになり、前方に峠が見えてくると、巡視道はまた折り返して北に緩く登っていた。ここで分かれる細い踏跡が峠道と思われた。
 二分ほどほとんど平坦に進むと、車道が通過する旧佐野峠であった。旧峠は、稜線の南を巻く車道と北を巻く巡視道との接点となっており、道標が立っていたが、旧佐野峠の表示はなかった。ここを越える薄い峠道の痕跡を合わせると、六差路になる要衝である。
 峠を越えても相変わらず水平な踏跡が、釜入へと向かっていた。植林地をわずかに下り気味に数分進むと、釜入へと下る小尾根に出た。踏跡はなお直進しているので、小尾根を見逃すことがないように注意したい。

 

⌚ฺ  奈良倉林道(車道)終点-(50分)-旧佐野峠-(5分)-釜入沢・深入沢中間尾根 [2017.3.20]

● 釜入沢・深入沢中間尾根(1220M圏)~釜入~釜入橋

 尾根筋の明瞭な踏跡を下り始める。1150M付近から明瞭な道になるが、手入れが悪く一般登山道ほど歩きやすくない。左手の釜入沢側の植林地に折り返しながら、高度を下げていく。1010M圏の突起で尾根が分かれ、道は左の支稜に入るが、折り返して主稜に戻るので心配ない。
 勾配が緩む900M付近は、釜入沢側を巻き気味に進む。830M付近の釜入分岐は、目印がない。左の釜入沢側に戻るように折り返して下る良い道が、釜入の道だ。後で判ったが、釜入道は下部が荒廃しており、早く確実に下るには、尾根通しに踏跡を下った方が良いらしい。
 すぐヒノキ植林に入り、放置された枝打ちの残骸に埋もれ道が消える。このあたりが釜入で、廃村後数十年が経過し、石段や家屋跡の平坦地があるが、生活の形跡は皆無だ。登りでは、道の発見に苦労するかもしれない。
 釜入から竹の向方向へは、古い地形図の道を辿る。出だしは消えているが、沢へとまっすぐ下り始め、植林と崩壊地の境を左手に辿り小尾根を下れば道が見えてくる。680M圏の、先に通過した1010M圏から出る窪が右岸から合流する地点で釜入沢に下り着く。「山火注意」の看板がある。
 沢沿いの歩道は酷く荒廃し、ルートが定かではないが、始めは右岸を行き、少し先からずっと左岸を行くようだ。一般登山道の感覚では大変危険で、遡行の高巻き技術を要する。
 数十メートルの頭上に国道の釜入橋が見えてくるが、沢から登るルートが全く見つからない。国道工事と山抜けとで、旧道は消滅しているようだ。地形を読みながら、右岸の泥の急傾斜を慎重に登る。遡行者によるものか若干歩いた形跡があり、悪場の高巻きとほぼ同じ要領で通過する。国道と釜入とを結ぶ歩道に出れば、階段を下ってすぐ釜入橋の北詰だ。

 

⌚ฺ  釜入沢・深入沢中間尾-(30分)-釜入-(35分)-釜入橋 [2012.3.3]

【林道途中へのアクセスルート】(確認済みのもの)

  • 旧佐野峠(松姫峠~佐野峠の南面車道、または松姫峠~奈良倉山・鶴峠の北面巡視歩道)

 

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車道終点すぐ上から始まるワサビ田跡
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立派な14M2段滝を道は右岸から巻く
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折り返し植林を緩く登る
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車道が通過する旧佐野峠

 

[1]安藤愛次・小島俊郎「土壌の性質と林木の成長(3) シラベの35年生林」(『日本林学会誌』三九巻四号、一三六~一三八頁)、昭和三十二年。
[2]竹内昭「杣口・奥千丈林用軌道」(『トワイライトゾーンMANUAL7』ネコパブリッシング、一六四~一七〇頁)、平成十年。
[3]吉沢一郎「琴川を遡りて奥千丈岳へ」(『山岳』二〇号一巻、一八五~一九二頁)、大正十五年。
[4]小野幸「奥秩父の南部」(『日本山岳会会報 山』八四号、三~四頁)、昭和十四年。
[5]原全教『秩父山塊』三省堂、昭和十五年、「金峯山(三)」八三~八四頁。
[6]原全教『奥秩父』朋文堂、昭和十七年、「東口」四四四~四五三頁。
[7]吉沢一郎「奥千丈迷路行」(『登山とスキー』九巻一〇号、一三~一八頁)、昭和十三年。
[8]北村峯夫「奥秩父の山々」(『山と高原』二九号、七~一三頁)、昭和十六年。
[9]青垣山の会『山梨県県有林造林:その背景と記録』、平成二十四年、有井金弥「拡大造林との出会い」五四~五五頁、高山巌「奥千丈事業地の森林整備の方向」六一~六二頁。
[10]小野幸「秩父の寸景」(『日本山岳会会報 山』一六六号、六~七頁)、昭和二十八年。
[11]小野幸『マウンテンガイドブックシリーズ19 奥秩父』朋文堂、昭和三十一年、「石楠花新道より国師岳」六八~六九頁。
[12]芳賀正太郎「国師岳天狗尾根」(『新ハイキング』四五号、五六~五八頁)、昭和三十二年。
[13]山と渓谷社編『奥秩父の山と谷 登山地図帳』山と渓谷社、昭和三十三年、橋爪宗利「杣口から国師岳へ」一八三~一八五頁。
[14]北村武彦「金峰山集中登山」(『山と高原』二七六号、二四~二七頁)、昭和三十四年。
[15]山口源吾「関東山地における高距縁辺集落」(『歴史地理学紀要』一〇号、一九一~二一八頁)、昭和四十三年。
[16]山と渓谷社編『奥秩父 アルパインガイド15』山と渓谷社、昭和四十年、河合敬子「国師岳Ⅰ─琴川コース─」一三八~一四〇頁。
[17]西裕之『特撰森林鉄道情景』、講談社、平成二十六年、「杣口森林軌道」七八~八〇、「山梨県林務部の軌道」八一頁。
[18]芳賀正太郎編『奥秩父・大菩薩連邦 アルパインガイド35』山と渓谷社、昭和四十八年、「琴川から国師岳」一一四~一一五頁。
[19]国土地理院『二万五千分一地形図 金峰山』(昭和四十八年測量)、昭和五十一年。
[20]山と渓谷社編『奥秩父 アルパインガイド15』山と渓谷社、昭和三十六年、筒井日出夫「杣口から国師岳へ」一八三~一八六頁。