ヒルメシ尾根川又道 【廃径】

【注意】2020年10月現在、完全に廃道です。ネット上に2010年前後にバリエーションハイカーが楽しく歩行した幾つもの記録が見られます。それまで廃道化していた川又道が2008~2009年に整備された直後に通行した方による記録です。それから約10年が経過した現在、多くの部分で道がほぼ消滅し、マーキングもかなり失われました。川又の吊橋は腐敗して渡れなくなり(イチかバチかで渡る人はいるようですが)、荒川の渡渉が必要です(降雨後数日は増水して渡れません)。特に下ってきた場合、増水して渡れない川を見て絶望する恐れがあります。注意喚起と情報提供のためこの記事を作成しました。

 和名倉山北面に大きく伸びるヒルメシ尾根には、大除沢道、割石平道、川又道、久度ノ沢道、高平道など、幾つもの道があり、ガイドや地図に掲載されていた。元々は伐採道であった川又道も、数十年前に一般登山道として歩かれていたようだが、手入れされぬまま激しく笹が繁茂し、特に中盤では十数年前まで背丈を超す笹を潜るように押し分けて進む必要があり、大宮岳稜会の伊藤氏が方向を失いやすい下りで使うのは危険[1]、とさえ述べていた。小屋跡周辺だけが笹のない天国だったあたり、かつての二瀬道と似た状況だったようだ。ところが、二〇〇八年八月の高校総体登山大会を機に笹の刈払いが行われ、見違えるほど歩きやすくなった。白い地名表示版も設置された[2,3]。また二〇〇九年の日本狼調査に関係して道にマーキングが設置されたとの話もある[4]。またコース中央部の標高約一一六〇~一八二〇米辺りは東大演習林歩道であるため、ある時期、管理用赤テープの設置が行われたようだ。
 しかしこの十年で道の様子は、三つの点で大きく変わった。第一にマーキングの剥落・消失・設置物喪失が顕著に進んだ。マーキングは、業務での入山、組織登山等に使用されるものであり、個人が設置することはないため(登山は他者の敷地に入り込むだけでも微妙な面があり、ましてや勝手なマーキング設置は明らかな迷惑行為でしかない)、年々欠落が進み、もはや一つ一つを追跡することができなくなっている。私自身、三年前にあった大除沢道分岐のプレートが昨年なくなっていて、位置確認に不安を覚えたことを思い出す。第二に、笹の消失である。激しい笹ヤブは十分に道を失う要因となるが、鹿の食害等により数年前までに笹の枯死がかなり進行し、現在では笹をほぼ見かけなくなった。樹木と石以外何もない完全にきれいな斜面になった結果、どこでも歩ける反面、どこが道か分からなくなったのである。第三に、荒川の吊橋の劣化である。十年ほど前から、大事に至らぬも踏板の踏み抜きが起きていたようだが、現時点では左岸に樹木の枝が伸びて入口が自然と塞がれており、部分的に数十センチだが踏板がない部分もあり、ワイヤで吊った補鋼桁に援用される木材の状態も不明のため歩行時の破損で足を取られる可能性がある。常人が確実に通行できる状態ではない。橋を諦め荒川を渡渉できるのは水位次第である。最低水位に近い〇・四米程度なら渡渉経験者にとっては問題ないと思うが、春から秋にかけてはちょっとした雨でも一米近くまで増水し、確実に流されてしまうだろう。一米以下の水位では、水位が何割増しになるだけで流速は数倍になる。十分毎に測定される川又の水位(このリンクページの「リアルタイム水位」)で確認されたい。標準的な体格の私の場合、〇・六六米の水位の時、現場を見て何とか可能と判断して渡った。直ちに流されるほどではないものの、余裕のある渡渉ではなく、水圧に抵抗するため泳ぎに近い体勢で何とか渡り切った。

● 川又~1162M鞍部

 川又の国道脇公衆トイレ近くの階段から始まる歩道で吊橋に下るも、安全に渡れる状態でないことは一目瞭然だった。確率論的には無事渡れる可能性は十分ありと見たが、わざわざ危険を冒す必要はないので荒川左岸の崖に足場を探して川まで下った。昨日、一日中弱い雨が降ったのでどうかと橋付近の流れを観察すると、一番深い部分も何とか渡れそうな様子だった。足元がしっかりした本格的な沢装備ならもう少し良かったが、サンダルに靴下履きのためやや不安定だった。流れの速い部分は、全身に水圧を受ける不利もあるが安定度が格段に増すため、手まで使って(つまり四足で)何とか渡り切った。これ以上水位が高ければ諦めていただろう。
 吊橋の袂まで右岸を攀じ登るも、道はなかった。この地点で早くも道は消えており、先が思いやられた。下調べでおよその道筋は分かっていたので、傾斜の強い和名沢の右岸自然林の登りやすい部分を急登した。薄い踏跡的なものが明滅するも、道として頼れる状態ではなかった。三基の堰堤を次々に高巻くと、若干傾斜が緩んだところで古い水道施設を見た(六九五米)。ホースはどこにも接続されておらず、もはや使われていないようだった。周囲に割れた陶器や一升瓶があった。この辺りも明らかな道はなく、かつて道だったかも知れない踏まれた雰囲気を辛うじて認める程度であった。なお右岸近くの礫を踏んで進むとヒノキ植林に入った。
 植林中で緩く登る明瞭な作業道となり、道近くに赤杭が打たれているのを見た。作業道は折り返し登っているようだが、作業用の踏跡が多く分岐し、正道が判別し難かった。それでも比較的大きそうな踏跡を拾って登ると、森林公社のコンクリ標があり、前方に潰れた掛小屋が見えてきた(七八五米)。掛小屋には行かず手前をなお斜めに登ると、弱い作業用踏跡や歩いた痕跡があちこちに散在し、正道が分からなくなった。時々見るテープを信用して進むも、道型の欠片も見えず、道としては消滅していた。ここからかなり先まで、ほぼ道がない状態が続き、テープのマーキングも落ちたり傷んだりして数が減り、頼れる状態ではなくなっていた。なお現時点でこの植林の先への唯一の道らしい踏跡は、植林地の八二五米付近から発して和名沢左岸斜面の九四五米造林小屋跡へ続く廃道である。これを辿ったところ、沢の約五〇米上に薄い踏跡が続いたが、二、三十分行くと瓶や瀬戸物の破片が散らばる小屋跡があり、そこで終点になっていたので、引き返した。
 この最初の植林地の廃掛小屋から一一六二米鞍部までは、大部分の道型が消え、判別が容易でない薄い痕跡となっており、マーキングも失われたり色褪せたりして連続しない。すなわち、正道を完全に辿ることができず、適当に進むうち運良くたまたま道型やマーキングが残った部分を見つけることの繰り返しとなる。しつこく道を探した結果、以下八点のポイントをクリアすれば、廃掛小屋付近から一一六二鞍部への正道を辿れることが分かった。

  1. 廃掛小屋付近から植林を抜ける約八五〇米まで直上する。マーキングは、欠落したり、また少し東寄りの小屋跡的な開けた整地付近に付いていたりと頼りにならず、とにかく植林地を抜けるまで真上に登るとよい。
  2. 植林地を抜けた自然林の急斜面を左上に登り、八九〇米付近から上に伸びる最初の窪状地形を見つける。
  3. 最初の窪状地形の右岸または左岸尾根を登ることである。今や正道がどちらを通っているか確実には分からないが、二十年近く前に通行したみなまる氏によれば、当時の道は左岸を少し登ってから窪を渡り右岸を登っていたという。確かに今でも右岸に小さな電光型で登る弱い痕跡を認める。
  4. 九四〇米で最初の小窪を離れて緩く登り小規模植林を通過する。
  5. すぐに二番目の小窪に当たり、初め左岸尾根を、途中で渡って右岸尾根を一〇一〇米辺りまで登る。最初の小窪と同じく、この小窪も両岸にマーキングがあり、どちらを登るべきかはっきりしない。
  6. 二番目の小窪を離れてすぐ、小尾根的に僅かに膨らんだ地形を一〇五五米辺りまで小さな電光型で登る。
  7. すぐ先の次の小尾根的地形付近で、落ちて地面に敷かれた状態の造林ワイヤーを見る。
  8. 次第に道が判別可能になり始め、二回のV字を挟んで目的の尾根に乗り上げる。

 尾根の南西面には、久度ノ沢から来た東大演習林の巡視道が通っていた。付近にはアセビが繁茂し、幾つかのマーキングテープや、埼玉森林公社のコンクリート境界標一七九、演習林の一〇林班境界標が見られた。

 

⌚ฺ  川又-(20分)-荒川右岸-(1時間10分)-1162米鞍部 [2020.10.18]

●1162M鞍部~1762独標(高平道合流点)

 しばらくの間、廃道としては良い道が続いた。巡視道はアセビ、イヌブナ、ミズナラ、ヤマザクラの尾根を、始め右を絡み、次には尾根に乗り、数十年前の伐採時の索道機器残骸が置かれた一一八五米から右にトラバースして登った。自然林を横切る崩れやすい斜面の細い道型は、小崩壊や倒木で寸断されるも、巡視道の赤いマーキングがしっかり続き楽に追うことができた。一三三〇米辺りからは、小刻みな電光型で二五〇米ほどの高度を稼いだ。元々道型が薄いため、この部分は折り返すごとに道を失いやすかった。始めは急登が続き、一三九五米辺りで一度斜面が緩んで広がり登りが楽になるが、この辺りは道の痕跡もマーキングも途切れがちになり、正道を追うことが容易でなくなる。一四三〇米付近の炭焼窯跡から、弱い道型が久度ノ沢の方へ伸びているが、これは約二百米先の小屋跡で終わっている。付近には他の小屋跡らしき痕跡もあり、笹ヤブが濃かった時代に笹が開ける「広場」とされていた一体であろう。伐採時代に残された一升瓶や、木の幹に設置された動物調査カメラを見るのもこの辺りである。
 次第に斜度を回復する斜面を、なおも電光型で直上した。一帯の道はほぼ消えている。何度も失っては捜索し再発見した。マーキングがあるのに全く道がないという場面にも出くわした。山腹の表土に流され、道型や踏跡が完全に消滅した部分である。折返し部、倒木や崩れが発生した部分は、特に道を失いやすかった。途絶えがちなマーキングを丁寧に追っても、脱落が頻発しているようで、なかなか道を追いきれなかった。時々道が不自然に急に短絡する部分もあった。倒木や崩れで道が消えた部分を避けて後からできた踏跡が、道になったものであろう。地形を読んで適当に歩けば、方向を外さない限り、どこかの地点でまたマーキングが見つかるだろうが、今回は道の位置や状況を確認するため、試行錯誤しながら丁寧にマーキングを探して進んだ(マーキング捜索時間は、本項末の歩行時間に含まない)。単に通行するだけなら、ほぼ消滅しかかった正道より、尾根上の伐採道の残骸を通った方が速いかも知れない。
 一六六五米付近で、ついにほぼ尾根に乗る位置まで来た。十数歩も歩けば尾根上に立てるのだが、道は尾根に乗らずそのままトラバースを続けた。この辺から漸く多少踏跡らしくなり、探さずに歩けるようになってきた。二、三の小ピークを捲きながら常に稜線の数十米脇を沿うように登り、一七六二独標で久しぶりに尾根上に出た。厳密にいえば、独標の目前の小鞍部的な部分で尾根を越え、道は大除沢側に回っていた。ここで高平道が東から合流するが、笹の枯死で山が荒れ、かつ踏跡が乱れているので、明確にはわからない。独標の上で、唐松尾から続く和名倉山の全体像を今日初めて目にした。

 

⌚ฺ  1162M鞍部-(参考時間1時間40分、下りは1時間10分)-1762独標/高平道出合 [2020.10.18]

●1762独標(高平道合流点)~曲沢横断点

 この区間は、川又~一七六二独標と異なり、まだ荒れ気味だが廃道というほど酷くはない。道は独標の僅か北を捲いて独標の東峰を過ぎ、一七三五米鞍部でうっかりすると見過ごすほどの薄い大除沢道の踏跡を左に分けた。鞍部から原生林をひと登りすると、テープに導かれ右へトラバースを始めた。カラマツ植林で曲沢源頭の一つの小窪を渡るが、一瞬急な登りがあり道を失いやすかった。針葉樹の二次林中で、東大演習林の境界標を見ると、そこから秩父市有林(旧大滝村有林)である。すぐ先の開けた場所は、瓶や割れた陶製容器、鋸、コンクリート柱などの廃物が散らばる、田島工業小屋跡(一八二五米)である。当時曲沢源頭部の伐採は田島工業の受け持ちであった。大滝村の勝訴により国有林の村有林への付替えが行われ、昭和三十年、東大秩父演習林と大滝村役場との間で境界査定が行われた[6]。境界に近いこの小屋に両者が泊まり込み、両者立会いのもと目印を付けて行ったのである。ピンクテープに誰かが「桃源郷」と走り書きしてあった。二〇〇八年の高校総体時に仮付された地点名が、このような形で受け継がれているのである。
 小屋跡のすぐ先にガレ場があり、明確な道型がないまま水平に通過し、先の灌木ヤブ中に道を求めた。訪問時は薄い積雪で覆われ歩いた道の痕跡が分からなかった。見る限りマーキングも失われていた。しかしこの辺りは古い伐採地のため、ヤブの中に多数の弱い作業踏跡が明滅している。だから高度を変えず適当に通過すれば曲沢に行き当たるので、この時も適当な伐採踏跡を繋いで進んだ。ちなみに帰り道に正道を辿ったところ、もう少しましな踏跡だった。先のガレでうまく道を見つければ、この方が間違いなく楽だ。沢の源頭は水場になっていて、渡る部分(一八一〇米)が多少踏まれているので、気づくことができた。

 

⌚ฺ  1762独標/川又道出合-(5分)-1735M鞍部/大除沢道分岐-(25分)-田島工業小屋跡-(25分)-曲沢源頭 [2019.11.29]

●曲沢横断点~将監峠道出合

 ※2013年の古い情報です。記事作成日の情報と異なる可能性があります。昨年歩いた方の記事を拝見した限り、この区間の道はそれほど変わっていない印象です。
 曲沢からマーキングに従い水平に数分行くと、灌木のトンネル中で顕著な尾根を回る。ヤブに気を取られていると尾根を廻ったことに気づかないかも知れない。この尾根を曲沢に下る伐採廃道は、相当の悪路である。さらに数分強ゆるく登ると、ワイヤーを巻きつけた枯木がある小広く開けた場所で次の顕著な尾根を回る。この尾根には金山沢の二俣を通って曲沢方面への伐採廃道があるが、これも大変悪い。そこから細いが明瞭な踏跡で高度差一〇〇米を登ると、将監峠道出合の道標である。和名倉山へはそこから二十五分のハイキングコース歩きだ。
 

⌚ฺ  曲沢源頭←(15分)-将監峠道出合(順コース風に記録を書いたが実際は逆コース) [2013.5.17]

 【参考:久度ノ沢道】

 下り方向の記録を付記しておく。尾根に絡む巡視道を下ってきたとき、1162M鞍部で右に入る川又を無視して尾根の巡視道を直進すると、自ずと久度ノ沢道に入った。赤テープのマーキングがしっかりしているので頼りになった。尾根から次第に離れ、久度ノ沢側山腹の植林地を斜めに降り、1080Mから電光型に下るようになった。作業道の分岐が多く道だけ見ていると迷いやすいが、一番マーキングが多いルートを選択すれば間違いない。970M付近の崩壊か伐採で明るく開けた部分の上を通過し、940M付近は激しい急傾斜地を小刻みな電光型で下った。ずっと続いた植林地を抜けると、久度ノ沢まで九十九折れで下り、左岸水際の道とも言えぬスペースを下った。770Mの左岸におんぼろプレハブ小屋があり、道もそこで渡渉して小屋裏の高みを行く踏跡になった。下ってきた場合、右岸に踏跡とテープが続く一方、はじめ左岸にテープがなく大変紛らわしい。沢沿いはそのうち両岸が狭まり下れなくなるので、左岸道に入る必要がある。数分の下りで見黒から整備の良い巡視道に合流した。その道は、滝川右岸道の末端でもある。左岸を小さな電光型で下り、久度ノ沢右岸に渡渉し、道は堰堤を右から巻いて下り、滝川に達した。橋は恐らく洪水対策のためワイヤーで吊り上げてあるため使えず、激流の滝川を渡れる場所を探した。岩を乗り越え百米ほど上流に行くと何とか渡れる深さの場所があったので、慎重に渡渉した。その時点の川又測水所の水位は62cmだった。万一渡れない場合は、上流にある見黒の吊橋まで山道を1時間以上歩かなければならないところだった。滝川左岸植林地の作業道を拾って国道まで上がった。

 

⌚ฺ  1162M鞍部-(30分)-おんぼろプレハブの渡渉点-(15分)-滝川右岸-(渡渉20分)-滝川左岸-(7分)-国道 [2020.10.18]

 【ヒルメシ尾根道のまとめ】

 とても大きなヒルメシ尾根には五本の登路があります。2020年10月現在、川又道は、川又から1762独標までの相当の部分がほぼ消滅しました。地図読みで道のない山を歩く方に向きますが、さらに荒川の渡渉が必要です。地形が複雑なうえ荒川本流を歩いて渡る必要がある、現時点では一番難しいコースと思います。
 一番歩きやすいのは、数十年前に清水武甲が紹介した割石平道です。荒川を不動滝遊歩道の吊橋で渡り、割石平までは作業道を行き、道のほぼ消えた植林地を和名沢右岸尾根まで適当に登り、尾根上の古い作業道を1762独標まで辿り川又道に合流、そこから上は比較的歩きやすい踏跡です。ただしバリエーションルートなので、流石に読図力は必要です。
 二番目に歩きやすいのは、古作業道を繋いで歩く高平道です。国道から滝川まで下って高平吊橋を渡り滝川右岸道まで登り返したら、右岸道に入らずそのまま作業道で登り、作業道が終わったら伐採道の痕跡で1616独標を通り、戸場三角点(1558.7M)上から作業道になって1762独標で川又道に合流します。沢小屋沢上部の作業道荒廃に注意すれば大変歩きやすいものの、現地に詳しくないと滝川右岸の入り組んだ作業道を抜けるのに苦労し、不慣れな方は遭難の可能性があります。
 三番目に歩きやすいのは、昭和初期に歩かれた大除沢道です。割石平道と同じ不動滝遊歩道の吊橋で荒川を渡り、大除沢左岸の作業道を辿ると、道は渡渉して右岸に渡り、尾根に出てからは軌道跡を通って飯場跡へ、道は支尾根に取り付き1762独標の西鞍部で川又道に合流します。古い登山道だけあって道は通じていますが、大除沢左岸の崩壊、大除沢の渡渉、軌道跡付近の作業道への迷い込み、飯場跡付近での道消滅など、道を知らずにいきなり入るのは危険かもしれません。
 四番目に歩きやすいのは、やはり昭和初期に歩かれ、現在は東大演習林歩道でもある久度ノ沢道です。国道から作業道を下って滝川を渡渉し、久度ノ沢の作業道に入り、見黒へ向かう良い道を離れさらに沢沿いに進み、右岸山腹の作業道を尾根まで登って1173独標近くの1162鞍部で川又道に合流するので、山頂まではまだ荒れた川又道を辿っての長い道のりが残っています。荒川渡渉の代わりに滝川渡渉となって水量や水深が多少有利になり、荒れ気味ながら一応作業道が続いている反面、滝川渡渉点の選定の難しさ、見黒道との分岐点の見極め、久度ノ沢の二回目の渡渉点付近の分かり難さなど短所もあり、僅差で川又道より上としました。
 いずれにせよ2020年10月時点では、山道、踏跡、橋、マーキングなどの人為的な手助けが必要な方は、案内人なしで安全にヒルメシ尾根の特に下部(1762独標付近以下)を通過することは難しい状態になっています。

[1]]伊藤氏「和名倉山」、大宮岳稜会(『2006年度山行実績と山行報告』http://miyagaku.sakura.ne.jp/2006jisseki1.htm)、平成十八年。
[2]石川氏「和名倉山'09.4」、熊谷トレッキング同人(『国内山行索引』http://kumatrek2.sakura.ne.jp/htdocs/dom_index.htm)、平成二十一年。
[3]kengamine氏「和名倉山(二瀬尾根~和名倉山~ヒルメシ尾根)」(『Yamareco』https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-110052.html)、平成二十一年。
[4]takasuga氏「和名倉山/二瀬尾根~ヒルメシ尾根」(『Yamareco』https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-114967.html)、平成二十一年。
[5]みなまる氏「川又よりヒルメシ尾根経由和名倉山登頂報告」(『みなまるワールド』内 http://www.asahi-net.or.jp/~ce6n-mngw/yama/yama049.htm)、平成十五年。
[6]佐藤修「秩父演習林・愛知演習林の思い出 : 100周年記念資料6」(『演習林』三四号、一~三九頁、東京大学農学部附属演習林)、平成八年。

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腐敗して渡れない荒川の吊橋
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流れの速い荒川は渡渉も要注意
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和名沢左岸に付いた道の痕跡
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壊れた水道施設
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植林に入り初めは踏跡が見える
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潰れ掛小屋まで行かず直前を斜上が正解
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ここが道らしいが完全に消えている
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テープ下に極めて薄い痕跡あり
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1162M鞍部からは東大演習林巡視道
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この辺りでは斜面に小さい道型が続く
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歩かれている場所が十分分かる
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緩い斜面では道がほぽ消えている
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炭焼窯跡と落下マーキングあるも道がない
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そこはかとなく道の雰囲気が感じられる
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確かな根拠はないが道らしい雰囲気
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マーキング周辺に全く道がない
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尾根近くで道型が見える部分が現れる
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倒木が容赦なく道を塞ぐ
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枯死笹ヤブと切株の荒涼たる1762独標付近
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大除沢道を分ける1735鞍部
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東大演習林が終わり秩父市有林に入る
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田島工業小屋跡には「桃源郷」の走り書き
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雪の中に赤い鋸を見つけた
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氷結しかかった曲沢源頭の水場
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灌木のトンネルとなった尾根を回る
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将監峠道出合の道標
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久度ノ沢道は植林地のマーキングで下る
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ボロプレハブ小屋で左岸に渡る
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左岸高みをトラバースする巡視道の踏跡
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ここで見黒からの巡視道に合流
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滝川の木橋は吊り上げられ使えない
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水量が許せば渡渉場所を見て慎重に渡る