尾名手峠道【仕事径】

 鶴川の腰掛から葛野川の瀬戸に越す[1]峠道で、大正十三年に河田楨は、縦走中に峠を越える里道を見た[2]というが、約七十年前には既に「最近あまり利用されていないらしく、かすかな踏跡程度」であったという[3]。尾名手峠道の起源に関する資料を未入手のため不明だが、恐らく腰掛集落の住人の必要から発生した道と推測される。鶴川は腰掛のすぐ下流で通過不能な渓谷を成しており、鶴川沿いに上野原に出るには、一度左岸高く上って悪場を巻いてから初戸(ハド)へ下り、さらに譲原村までも左岸の険悪な通路を辿る必要があった。丹波川や神流川の渓谷沿いの街道で滑落・転落により命を失った話は数多く、それはここ鶴川でも同じ状況と想像される。腰掛の住人にしてみれば、昭和初期には既に、回数は少ないながらも八坪までバスが入っていたらしい[4,5]ので、山越えの苦があるとは言え安全確実な尾名手峠道を利用したことは、十分想像できる。
 その頃譲原村の用竹[4]までだった鶴川沿いのバス便は、昭和三十年のガイド[6]では沢渡まで入るようになった。同年の別のガイド[7]は、麻生山から長尾根を直接下るのは不明瞭として、わざわざ尾名手峠まで戻り、峠道で葛野川へ下るコースを紹介している。鶴川から来て峠を越す道は十分認識できるものであったという。腰掛への車道は地形図の変遷で見ると昭和四十年前後の開通と見られる。車道の利用が中心になり、次第に尾名手峠を越える者はなくなったのではなかろうか。
 近年約七、八十年ぶりにガイドブックに収録された[8]ことも関係してであろうか、ネット記事から推測するところ登山者が増えているようだ。しかし、尾名手川源頭部は廃道化して消えかかっており、尾名手川左岸には他にも分かりにくい部分があり、ガイドブックを見ての一般登山者の通行には適さない。

● 駒宮~麻生山分岐

 旧版地形図によれば、本来の峠道は集落の南側から天神峠に登る道と見られるが、入り組んだ集落内の狭い道を彷徨ううち、浅生沢左岸の舗装路終点に立つ道標の登山口に自然と誘導されてしまった。一般登山道の歩きやすい道でなだらかな長尾根を緩登し、傾斜が増すと電光型に登った。再び緩い尾根を行くと、道標地点から峠道は左にトラバースするが、道標は薄い踏跡が直進する麻生山を指すのみだった。

 

⌚ฺ  駒宮-(1時間5分)-麻生山分岐 [2009.10.4]

● [逆行区間]尾名手峠~麻生山分岐

 尾名手峠の道標は、峠道の駒宮側だけを指していて、腰掛側を指すのは倒れて消えかかった古道標のみであった。道の整備状態は良く、そこそこ踏まれて歩きやすかった。安全用のトラロープが一箇所、一瞬踏跡が怪しくなる小窪があったが、通過はさほど難しくはなかった。程なく長尾根に立つ道標に出会った。

 

⌚ฺ  尾名手峠-(10分)-麻生山分岐 [2017.3.4]

● 尾名手峠~腰掛

 峠の古い道標に従い、腰掛方面へ下り出す。すぐ下の1180M圏小平地は、尾根を下る踏跡に入りやすいが、峠道は尾根の左を絡むように下っており、道型は薄い。折り返して左に山腹を縫うように下り、やがて涸沢に出る。逆方向では登り口が分かり難いが、マーキングテープがある。
 道は始め沢の左岸を行くが、道型はかなり薄く分散している。途中右岸に移り、再び左岸に渡ると、そこで沢を離れて山腹に上がる。左岸に古い石組みが見え、細い木の幹に巻かれた赤テープが2回現われる辺りである。
 左岸山腹の自然林のトラバースは、始め道型が薄いが、次第に細いながら比較的明瞭で歩きやすくなる。一つ目の小窪には、かつて尾名手大ダルミへ至る道があったと思われるが、今は痕跡すら残っていない。次の大寺山から来る涸沢を横切る部分の左手に、かつてしっかりした建物があったであろう、立派な石組みがある。
 ほどなく植林が現れ、以後しばらく断続的に植林地が続く。地形図860M圏の建物記号に現在建物はなく、竹林の中の平坦地になっている。800Mの建物記号には、左手に大きな廃屋が現存する。
 後で地図を見ると、登山道は廃屋を横目に見ながらどんどん下っているようだ。このときうっかり廃屋に気を取られ、ピンクテープに導かれトラバースする植林作業道に入ってしまった。峠道よりは道が悪く、すぐに変だと気づいたが、廃屋の先を丹念に捜索したため、廃屋手前を下る正規の峠道を見逃していた。峠道を探しつつ地図を読みながら下ったため、本来10分程度の距離を20分掛けて歩き、付図の白丸地点で正規道に復帰した。地形図では、外した部分の正規道にも建物マークがあり、別の廃屋があるのかも知れない。
 いったん植林が切れ美しい自然林になったころ、地形図どおりの地点で、尾根越えで平野田に下る道が分かれる。大きく下った後、再び水平歩行となり、巨大堰堤を右下に見て腰掛に下り着く。

 

⌚ฺ  尾名手峠-(1時間45分)-腰掛 [2012.7.16]

【林道途中へのアクセスルート】(確認済みのもの)

  • 葛野川鶴川分水尾根から尾名手峠

 

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直線的な長尾根の緩い登り
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尾名手峠直前の良道
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尾名手峠
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古い道標に微かに見える腰掛の文字
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雪の時期に峠の直下から見上げる
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涸れた尾名手沢源頭沢に下る
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石組みと赤テープの地点で沢を離れる
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大ダルミ分岐付近の微かな道型
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道型が良く残った部分(950M付近)
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800M圏廃屋
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美しい自然林を腰掛へと下る(670M付近)

 

[1]]田島勝太郎『奥多摩 それを繞る山と渓と』山と渓谷社、昭和十年、一九七~二一五、二一五~二二二、三〇二~三〇六、四九四~五〇一頁。
[2]河田楨「麻生山・権現山」(『霧の旅』一七・一八・一九号、一一七~一二七頁)、大正十五年。
[3]田中新平「鶴川水源の山々を探る」(『山と渓谷』一一〇号、二九~三四頁)、昭和二十三年。
[4]朝長大『奥多摩黒嶽登山図』浅古書房、昭和七年。
[5]岩科小一郎『大菩薩連嶺』、昭和三十四年、「長峰」二七七頁。
[6]奥多摩山岳会編『奥多摩 登山地図帖』山と渓谷社、昭和三十年、大矢直司「三頭山」七〇~七六頁。
[7]落葉松山岳会編『大菩薩とその附近 登山地図帖』山と渓谷社、昭和三十年、北村武彦「尾名手峠から麻生山へ」一七六~一七八頁。
[8]松浦隆康『バリエーションハイキング』新ハイキング社、平成二十四年、「尾名手峠道と阿寺沢右岸道」一三一~一三四頁。