雪久保林道 【廃径】

 

 雪窪歩道は、松尾坂からはるばると広河原(南天山の北、鞘木沢出合付近)まで、国境稜線の埼玉側を行く長大な林道で、古くは広河原沢に沿って中津川に近い鉱山の大黒坑まで続いていた。現存する営林署の「雪窪歩道」は再編の結果、一部区間の径路変更が行われ、広河原~1251独標上までがサカキノ沢経由に、高水ノ頭南東肩から松尾坂までが上武国境になっている。再編とは、昭和22~59年の中津川流域の伐採に伴い、車道・歩道とも改修が進んだことである。これにより、三国峠越えの車道の開通だけでなく、原全教の時代に廃道とされた古林道が蘇ったり、逆に古い峠道が作業場と化して廃れるなど、様々な変化が発生した。古い道筋の、新しい植林地に合わせた経路変更もなされたようだ。
 目にした中で最も古い記録が、原全教の解説である。原全教は、雪久保林道に関する具体的な記録を残した、知る限りで唯一の人物である。「奥秩父・続(S10)」の複数の箇所に断片的もしくは要約的に記述しているが、「奥秩父(S17)」の記述が纏まっており、「奥秩父研究(S33)」にも、似たような文書が写しこまれている。原は何回かに分けて現地を訪ねており、例えば昭和3年に松尾坂を歩いている(「奥秩父回帰」)。その時代の林道を「旧」を付けて呼ぶなら、松尾坂を境に、十文字峠側が「旧中津川林道」、広河原側が「旧雪久保林道」と分かれており、しかも両者は松尾坂の峠道で接続するが、直接の接続はなかったとされている。ただ、雪窪という場所は旧中津川林道沿いの悪岩直下にあることから、原は不思議に思っている。
 原が歩いたのは、旧雪久保林道(松尾坂→広河原)である。松尾坂から分かれる地点は、旧大河俣林道分岐(丸山西鞍部)から5分下った(「奥秩父・続」) 、信濃沢出合まで30分(「奥秩父」S17)の地点という。松尾坂を登ってきたとき、「尾根上となり楽になると右下へ下るのが群馬県への道」で、さらに15分で大河俣林道分岐という(「奥秩父登山案内」(秩父鉄道)」)ので、松尾尾根の1390M圏あたりであろう。経路は、信濃沢源頭を巡り、上武国境下を巻いて官林沢の源頭を通り、新平沢の径と合わさり高水ノ頭の南肩に達するとしている。ところで国境の日向休場(上州道が稜線の北に外れ始める地点)の解説では一貫して雪久保林道が下方を通ることを明記しているが、雪久保林道の項では、「神流川本谷への小径を分かち」(奥秩父・続)、「かなりの登りがあって日向休場に登りつき」(奥秩父(S17))、「かなりの登りがあって日向休場にとりつき」(奥秩父研究(S33))と、版により表現を変えている。仮に昭和初期の歩行とすれば、時間の経過により、林道が日向休場を通過するよう勘違いしたものと推測される。
 高水ノ頭の南東肩から南天尾根北面のトラバースの途中までは、現在の雪窪歩道と一致しているようだ。最後、広河原に下りる部分だけは、現在の小沢に下り鞘木沢を経るルートでなく、南天山近くまでトラバースし一気に広河原へ下るルートだったらしいが、陸測図の不正確さのため、確かなところは分からない。原の時間記録によると、松尾坂(1時間)信濃沢(1時間余)高水ノ頭肩(1時間30分)南天尾根乗越(2時間)広河原、となっている。
 また原は、南天尾根乗越の道標に、雪久保支線で国境まで3Kと記されていることを報告、支線は、オオツ(ブドー沢ノ頭)の北肩まで東を巻き、ブドウ沢の道を分けるといったん国境稜線に乗り、西沢の道を分けて再び武州側を巻き、天丸山のヤハズ(馬道ノコル)に達する道が雪久保支線であろう、としている(「奥秩父(S17)」)。ヤハズの西400メートルまでが国有林となっており、確かに辻褄が合う。道標の国境まで3Kとは、ブドウ沢ノ頭北肩を指しているのだろう。野口冬人も、「ブドー沢の頭で、中津川よりくる道と合して」(「西上州の山」(S37))と、支線が来ていることを示唆している。

 

● 松尾坂1390M圏~松尾尾根1650M圏肩状から北東に出る尾根(1470M肩)

 自然林を並走する複数の微かな踏跡が、軽く下った後、ほぼ水平に続いている。恐らくここまで辿ってきた水平道に吸収されたのだろうが、何分踏跡が不明瞭で正確なところは分からない。下方に小規模な植林を垣間見るが、もしかすると連続しているのかもしれない。
 多少岩があると道型が見えるが、自然林の水平部ではほぼ消えてしまう。それらしい痕跡を見つけながら、水平を保って進む。シャクナゲの小尾根の通過では道が消え、礫で埋まった窪状ではつる草が茂る。
 ヒノキ植林の丸山北尾根を過ぎるとシャクナゲが強まり、次に大岩が現れる。それを下ってかわしてからは、また水平になる。その先はカラマツ植林なのだが、植林が疎ら過ぎ、勝手に生えた細い二次林のため、全体としては自然林のような印象だ。この辺り踏跡が散らばり、上下に様々な踏跡が並行するため、本物を見極めるのが大変だ。窪状では相変わらずツル草が繁茂している。
 水のある小流を渡り、数分で松尾尾根1650M圏肩状から出る小沢を渡る。左岸がヒノキ植林になっている。ここは雪久保林道の重要ポイントだ。推定ルートでは、林道はここから百数十メートル登ると予想していた。実際、植林中を水平に行く良い踏跡は無く、岩勝ちな小尾根の左を絡んで植林を登る踏跡があった。
 約10分の登りで露岩が終わり、尾根筋を行く踏跡となった。沢山の古い切株が、かつての美林を想像させる。なお数分行くと、シャクナゲが出てきて、松尾尾根1650M圏から北東に出る尾根の緩い部分(1470M肩)に乗る。稜線のシャクナゲヤブと入り乱れ、踏跡は不明瞭である。

 

⌚ฺ  松尾坂-(1時間)-松尾尾根1650M圏肩状から北東に出る尾根 [2014.10.11]

● 松尾尾根1650M圏肩状から北東に出る尾根(1470M肩)~信濃沢(1400M圏)

 自然林を並走する複数の微かな踏跡が、軽く下った後、ほぼ水平に続いている。恐らくここまで辿ってきた水平道に吸収されたのだろうが、何分踏跡が不明瞭で正確なところは分からない。下方に小規模な植林を垣間見るが、もしかすると連続しているのかもしれない。
 多少岩があると道型が見えるが、自然林の水平部ではほぼ消えてしまう。それらしい痕跡を見つけながら、水平を保って進む。シャクナゲの小尾根の通過では道が消え、礫で埋まった窪状ではつる草が茂る。
 ヒノキ植林の丸山北尾根を過ぎるとシャクナゲが強まり、次に大岩が現れる。それを下ってかわしてからは、また水平になる。その先はカラマツ植林なのだが、植林が疎ら過ぎ、勝手に生えた細い二次林のため、全体としては自然林のような印象だ。この辺り踏跡が散らばり、上下に様々な踏跡が並行するため、本物を見極めるのが大変だ。窪状では相変わらずツル草が繁茂している。
 水のある小流を渡り、数分で松尾尾根1650M圏肩状から出る小沢を渡る。左岸がヒノキ植林になっている。ここは雪久保林道の重要ポイントだ。推定ルートでは、林道はここから百数十メートル登ると予想していた。実際、植林中を水平に行く良い踏跡は無く、岩勝ちな小尾根の左を絡んで植林を登る踏跡があった。
 約10分の登りで露岩が終わり、尾根筋を行く踏跡となった。沢山の古い切株が、かつての美林を想像させる。なお数分行くと、シャクナゲが出てきて、松尾尾根1650M圏から北東に出る尾根の緩い部分(1470M肩)に乗る。稜線のシャクナゲヤブと入り乱れ、踏跡は不明瞭である。

 

⌚ฺ  松尾坂-(1時間)-松尾尾根1650M圏肩状から北東に出る尾根 [2014.10.11]

● 松尾尾根1650M圏肩状から北東に出る尾根(1470M肩)~信濃沢(1400M圏)

 1470M肩のシャクナゲヤブを突破してから、定まらない水平踏跡のメインコースは、尾根を水平に回りこむ。相変わらず二次林の荒れた斜面を行くと、割れた酒瓶が落葉に埋まっている。ここが林道である証拠の一つだ。たまにカラマツが見えるので、ここも一応植林地であるらしい。
 1702M独標から北東に出る沢は、右岸が抉れており下巻きで通過、1702M独標北東尾根はなかなかシャクナゲが繁茂するので、下からかわして回る。この尾根の北斜面のトラバースに入ると、土砂崩壊のためらしく、フワフワでズブズブの泥の急斜面が続く。踏跡はほぼ消え、一歩ごとに崩れ歩きにくい。これが10分くらい続くが、とにかく水平に我慢して通過する。あたりは、大木が点在する絵のように美しい自然林だ。
 松尾尾根1730M圏からの沢を1430M圏二俣で渡ると、左岸を進むうち、だんだん斜面が落ち着き踏跡が見え始めてくる。立派な木が上から生える巨岩を乗り越し、苔むした小窪を横切ると、信濃沢が見えてくる。整った森の中を静かに流れる穏やかな流れだ。
 最後は岩混じりの尾根が落ちてきて行く手を阻まれ、沢へと導かれる。この辺り、ほとんど踏跡が分からなくなっている。沢をどこで渡るのか、何のしるしも踏跡もなく、勘で対岸に渡ってみた。1400M圏のあたりである。これより上は、沢は多少の傾斜を得て、階段のような低く細かい滝を連続させ、三国山へと登っている。自然林に覆われた黒土の広い川岸に、ヒコ生えのカツラが点在する楽天地だ。

 

⌚ฺ  松尾尾根1650M圏肩状から北東に出る尾根-(1時間20分)-信濃沢 [2014.10.11]

● 信濃沢(1400M圏)~魚留ノ頭下

 源流間近の信濃沢は流量が少なく、楽に渡れた。対岸にも全く人的痕跡がなく、どこへ向かうか戸惑ったが、とにかく水平に移動して見ると(沢床の傾斜がほとんどなく左岸を下ったと同じ)、30秒で空きビンを発見、また今までと同じ微かな水平踏跡と、左岸を下る踏跡とが見えた。
 小流の沢を渡り、つる草が繁茂する窪状を通過すると、あっという間に信濃沢が遠ざか、り美しい自然林を進む。ところどころ、崩れた土砂や礫で均された軟らかく崩れ易い斜面になる。少しでも歩かれたらしき痕跡を探しながら進んでいく。
 木々の間から、大岩壁を見上げつつ行くと、国境稜線11図根点(1610M圏肩)から来る伏流の沢を渡る。少し下から水の流れる音が聞こえる。驚いたことに、あの幽玄な信濃沢渡沢点から僅か15分の地点なのに、左岸がヒノキ植林になっていた。
 昭和22~27年に掛けての大伐採の到達点が、この辺りだったのだ。当時はまだ自然保護の発想がなく皆伐の計画だったが、採算性を考え一部の伐採に留まった。そのため奥地は伐採を免れたのであろう。
 沢の左岸は高い岩壁が断続し、道は押し上げられるように、上への自然林へと逃げていく。崖上の各所から、今日辿ってきた丸山の突起が唯一の特徴であるなだらかな松尾尾根が、三国山へとの伸びる様子が、手に取るように眺められる。しかし細い踏跡では転落の危険があり、気を許せない。
 崖を避けていた植林が再び姿を現し、今度は間伐なのか、真新しい切り株やら伐採木が目に付くようになる。頼りない踏跡は、倒れた木や多くの作業踏跡に紛れて、分からなくなってしまい、荒れた斜面のため水平を保つことも難しい。
 1427M独標西鞍部で、ようやく間伐帯が終わった。相変わらず薄い踏跡ではあるが、久しぶりに古い桟橋や割れたビンが見え、ルートは合っているようだ。酷いシャクナゲヤブを上からかわし、薄ヤブの自然林を水平踏跡が並走するようになる。見上げると、高度を下げた国境稜線が徐々に近づいてきた。
 歩きにくい、崩礫帯、つる草帯を交互に通過する。多数の痕跡があり、歩こうと思えば、どこでも歩くことができるので、どれを辿れば良いか分からない。
 小尾根を回るとさらに痕跡が不明となり、変な感じがしたので闇雲に3分登ると、それらしい痕跡があった。小尾根を登る気配も認識していたのだが、やはり正規道は小尾根を登っていたのかも知れない。
 高度を上げた道は、稜線直下の、もう手が届きそうな辺りまで来た。地形図に見える岩場を上巻きする作戦だろう。国境稜線の魚留ノ頭のすぐ南を巻くように通過した。

 

⌚ฺ  信濃沢-(1時間15分)-魚留ノ頭下 [2014.10.11]

● 魚留ノ頭下~高水ノ頭南東肩

 魚留ノ頭から高水ノ頭にかけて、前回かなり迷いながら進み、結果的に違う踏跡に入ってしまった一帯である。この区間は崩土で道型がほとんど消えてしまい、稜線下を水平に行く多数の微かな踏跡が並走しているため、正しいルートの判断が難しいのだ。そこで今回は発想を変え、地図上で歩くルートを決め、多数の踏跡の中からそれに適するものを選んで歩く作戦に切り替えた。この一帯はどう歩いても、何らかの踏跡が見えるのである。
 魚留ノ頭の南斜面を過ぎて100メートルも行くと、表土が流されてきれいに均されている地帯に出た。見た目は怖そうだが、ザクザクとステップを効かせて、やや登り気味に早足で通過した。高水ノ頭南東肩までに約100メートル高度を上げるので、とにかく稜線直下を絡むように進めばよいことになるのだ。小尾根を少し登り返して高度を稼ぐと、国境1520M圏の肩状峰は稜線上に巨岩を置いたような妙な地形になっていた。巨岩を避けて下りてきた稜線の登山道に一瞬合流し、また離れていった。国境下20メートルくらいを水平かやや登り気味に行くが、しっかりした道型はなく、ほぼ感に頼って進む状態だった。歩いた痕跡は多数あるため、どこを歩いても何らかの痕跡に乗ることができた。
 高水ノ頭が近づいたころ、再度小尾根を登って高度を稼いだ。正しい踏跡が判別できないため、稜線から離れたら登り返す、この作業をしっかり行いながら進むしかなかった。時々フワフワの流土のトラバースあるが、ステップを切りながら慎重に通れば問題はなかった。
 高水ノ頭が迫ってくると、斜面が急になり上から露岩が迫ってきた。その下を通る踏跡はやや明瞭になった。どうも高水ノ頭南東尾根から国境にトラバースしようとする人がいて、多少は踏まれているようだった。露岩が埋め込まれた急傾斜にやや心配たが、踏跡を忠実に辿ると困難もなく、肩の直前で道を塞ぐ倒木帯を越えると、ぴったりと高水ノ頭の東肩に出た。ここは1年半前に学沢源頭に向かって林道を歩き始めた地点であった。道標が打ちつけられていた形跡のある古い角柱もそのままだった。
 高水ノ頭まで出てみると、三国山~大蛇倉山の稜線と、諏訪山とがよく見え、弥次ノ平やツギノスの遠望も良く、浅間から上越までの山並みも素晴らしく見えた。北面の僅かな残雪を溶かして冷たい水を飲んだ。

 

⌚ฺ  魚留ノ頭下-(35分)-高水ノ頭南東肩 [2015.3.31]

● 高水ノ頭下~1546独標下(学沢奥の右股源頭)

 初めは、降り積もった深い落葉の中を、トラバース気味にどんどん下っていく。落ち葉が深いためルート判別は簡単でないが、時々剥き出しの土が見える部分では、道自体ある程度はっきりしていることがわかる。下り方向は上から俯瞰できるから良いが、登りではルートを正しく捉えることが難しいだろう。
 数分下ってからは、ほぼ水平に落ち葉を掻き分け進んでいく。複数の痕跡が錯綜し分かり難い。倒木、崩壊などでいったん道が途切れると、水平道と分かっていても、再度道を見つけるのに神経を使うほどだ。
 尾根筋の地形に特徴がなく、それを絡む雪窪歩道もまた然り、今どこにいるのか正確に見当をつけることが出来ないので、一回あえて稜線まで登ってみた。しかし、恐竜の背のように、うねうね尾根筋が続くばかりである。現在地の候補を2つにまでは絞れたが、100%確定することは出来なかった。
 1546M独標の直下、学沢の源頭の一つを渡るところで、立木に大きな赤ペンキの古いマーキングがあった。ルート取りに自信が持てない中、心強い。

 

⌚ฺ  高水ノ頭下-(40分)-1546独標下 [2013.11.27]

● [逆行区間]南天尾根乗越~1546M独標下(学沢奥の右股源)

 4本の道型のうち、ムジナ沢の源頭をトラバースしていくものが、雪久保林道である。ムジナ沢は国境に近い源頭部が国有林になっていて、昭和50年代を中心に、広河原から索道を掛けて、盛んに伐採・植林作業が行われたところだ。山としての興味は薄いが、植林地で道がいいのではと期待した。
 道が明瞭な枯死笹ヤブを抜け、カラマツ植林に入ると、作業踏跡が入り組んでいる。崩壊小窪で道が荒れるが次の植林でいったん回復した。
 少し下って、トタンが落ちている、大蛇ノ舟(1659M)から出るムジナ沢源頭の小流を渡る。他にも、空き缶や黄色い電線などが落ちているのを見かける。植林と自然林が頻繁に入れ替わり、連続した植林地は見られない。小沢がまた崩壊し、ヤブの繁茂も酷いので、道型は分かるが追い難いので、小沢を使って下巻きする。
 次のヒノキ植林が終わった1495M東の小窪の辺り、踏跡が交錯し分かりにくい。倒木が多い荒れたカラマツ植林や崩壊気味の小窪を次々渡ると、また1495M独標南の大き目のヒノキ植林に入る。尾根を回る辺に牛乳瓶が落ちている。この辺は潅木の張り出しを我慢すれば、割りと歩きやすい。
 1495M西の小窪が崩壊しており、踏跡で水平に渡る。この辺から、カラマツ植林が主体となるため、道型が極めて不明瞭、道はないに近い。巡視で歩いたものなのか、微かな痕跡があるので、それを頼りに行くしかない。
 荒れたカラマツ植林を抜けるとムジナ沢の左俣、これも崩壊している。左俣右岸の、倒木の多いカラマツ植林と崩壊小窪を交互に二、三回渡り、一瞬だけヒノキ植林を通過する。少し先の小窪で、水平踏跡がこれまで以上に不鮮明になり、痕跡はその小窪を登っているようだ。それに従うと、どんどん登り、尾根が見えるようになってきた。上に青い何かのゴミが落ちている。さんざん歩き回り、後で分かったことだが、この小窪を尾根まで登りつめるのが正解のようだ。そこが、ムジナ沢・学沢中間尾根の61空中図根点である。
 付近は南天尾根に輪を掛けた酷い作業場跡で、ゴミやワイヤは序の口、多数の廃造林設備が残置され、扉や壁の一部が失われた小屋まで残っていて、雨露程度なら何とか凌げるだろう。学沢から学沢歩道が上がってきているはずだが、あまりにゴチャゴャしていて良く分からない。国境に向かってまあ良い道がついている。
 雪久保林道は、成長して張り出した潅木を潜るように、水平な良道として続いている。1546M独標下、独標に突き上げる学沢源流の一つの窪に近づくと、きれいな広葉樹の森になるのと引き換えに道型がほとんど消えてしまった。見覚えあるこの窪の風景で、以前来た場所だと分かった。歩き回ると、十数メートル下に目印の木が見つかった。マーキング用に十数センチの長さで赤ペンキが塗られた細い木だ。

 

⌚ฺ  大蛇ノ舟南東尾根-(1時間10分)-1546独標南東尾根-(10分)-1546独標下 [2014.10.20]

● [逆行区間]足切沢1170M圏右岸出合窪~南天尾根乗越

 足切沢1170M圏右岸出合窪の右岸の、礫と落葉に覆われた斜面で、道は微かな痕跡程度になる。緩く上と下とに向かう痕跡があるが、上が雪窪林道だ。ここまで水平だった道が急に登り始める地点であり、正規ルートを知らなければ、まず分からないだろう。
 微かな痕跡は、すぐゴーロの涸窪に出る。両岸は崩土の斜面で、かつてあったかもしれない道はきれいに均されている。まったく道らしい痕跡がなく戸惑ったが、国有林図では確かにここを登るされている。
 緩いが歩き難い窪を進むと、時々左岸に踏跡というのか、柔らかい土にめり込んだ歩いた足跡が見えるようになるので、それに従う。その痕跡は、離合集散しながら右岸を進み、窪に入って約10分、傾斜がきつくなってくると、右手の尾根に絡んでいく。
 やがて、落葉にびっしり覆われた広くて感じのいい自然林の尾根に乗った。振り返ると宗四郎の三角形の頭がピョコンと際立っている。土の上に続いていた頼りの痕跡は、落葉の上には跡を残さず、道を知るすべを完全に失ってしまった。
 地形図を読みつつ尾根を登り気味に回り込むと、斜めに登るそれらしい微かな痕跡がある。進むほどにしっかりしてくるので、間違いなく雪久保林道だろう。トラバース気味に登るこの道は、現在の雪窪歩道でもあり、旧林道の推定ルートとも一致するので、古くから使われていた部分であるに違いない。
 心強いことに、久々に例の黄色い電話線が現れた。間違いなく正規道だ。しかし数分で道は細くなり、かなり崩壊で途切れている。電話線も、ここで切れている。
 手が付けられぬほどの斜度ではないが、きれいに均された硬い崩壊面は、足場がない上、一度落ちたら止まらない恐れがある。通行者が少ないためか、明確な巻き踏跡はない。下巻きの痕跡はあるが、崩壊はかなり長く、どこまで下るのかハッキリしない。一方、数十メートル高巻けば、崩壊上部を通過できそうに見えた。そこで、高巻きすることに決めた。
 確実に高巻ける場所は稜線近くまで見つからず、ようやく可能となった場所も、滑落に注意しながらの急斜面の連続だったので、むしろ稜線に出た方が早いと、前回帰路に通った辺りで南天尾根に上がった。分かってはいたが、やはり尾根道もあまり歩きやすくない。そこで右手を巻くように絡む断続的な踏跡で南天尾根乗越に向かうと、ちょっとましな踏跡が落ち葉の中を上がってきた。崩壊で普通となった、林道続きらしい。
 試しに下ってみると、途中に黄色い電話線があった。崩壊部の先に、道は意外としっかり続いていたのだ。電話線を裏切ったバチが当たった。
 道はだんだん薄くなり、1562M独標北尾根の直前の小窪で危険な状態になった。ここで踏跡が弱まっていると言うことは、地形図の詰まった等高線と照らし合わせると、この先暫く険悪な区間が続くことは間違いない。明瞭な痕跡は見つけられなかったが、やはりこのあたりまでは、下を巻いているようだ。
 先の林道発見地点まで戻り、先に進んだ。1562M独標の西側の1550M圏峰は、丸みを帯びた地形図とは異なり、北面は鋭い岩峰になっている。その下を抜け、僅かな距離を緩く登りながら進むと、1550M圏峰の西肩で南天尾根に出た。
 この付近の南天尾根は幅広で、複数踏跡が並走しているが、厳密に尾根筋に従うものを取ると、踏跡が稜線を行くものと左にトラバースするものとに分かれている。ここが、雪久保林道の下り口である。北西に尾根を緩く下り、1分で錆びた巨大な滑車、さらに1分で建物の土台のような跡を見る。さらに1分の最低鞍部が、60空中図根点だ。
 ちなみに黄色い電話線は、以前、南天尾根乗越と1546M南東のムジナ沢・学沢中間尾根の作業小屋との間でも見かけたことがある。造林作業小屋には電話を引いていたという話もあるから、林道沿いに設置された、作業小屋への電話線だったのかもしれない。

 

⌚ฺ  足切沢1170M圏右岸出合窪-(40分+崩壊高巻きに1時間)-南天尾根乗越 [2014.11.3]

● [逆行区間]広河原~足切沢1170M圏右岸出合窪

 アプローチは閉鎖が続く車道(上野大滝林道)で、広河原までは物理的には通行可能で舗装工事が進んでいるようだが(山吹沢付近から先が舗装済、舗装終了点不明)、進入禁止のため、大黒から3.7Kの長い車道歩きとなる。雪久保林道の車道と平行する部分は、ほぼ消滅してしまったと見え、この区間は車道を歩かざるを得ない。
 車道の上野大滝林道を辿り、山吹沢の先、鞘木沢がカーブの分かれるま車道のカーブで、左下に降りる踏み跡にマーキングに従って入る。すぐ本沢を渡渉し、続けて大差ない水量の鞘木沢を渡る。晴天続きで渡渉に苦労ない。鞘木沢出合は、鞘木沢、ムジナ沢奥地の国有林伐採の時、土場が置かれた場所で、整地されたスペースと、右岸には古い設備の残骸が残されている。  二本続けて渡渉するこの部分で道が一時消えるが、右岸のヒノキ植林に良い作業道が復活する。これが雪久保林道だ。多少距離を置きつつ鞘木沢右岸に沿って歩くと、すぐ左上に作業道が分岐する。道が沢から離れているため、気づかぬうちに道は鞘木沢の支沢であるサカキノ沢の右岸を進んでいる。
 渡渉から10分弱、堰堤のところで右岸道が突然消えた。さんざん探し回り、30分以上右往左往した。下した結論は、沢自体が道である、というものだ。そこまで続いていた良い道の続きが全くなく、一時的な道の寸断とも思ったが、数百メートル上まで調べても道の続きは見つからなかった。
 サカキノ沢は平水なら水量が少なく、靴をぬらす心配はない。荒れたゴーロを登山靴で遡行する。次の堰堤はなかなか悪く、左岸を残置トラロープで越える。
 遡行開始後、約20分で1100M圏二俣は、右俣に入る。踏跡が全くないため、国有林図で正規ルートを知らなければ、やや沢床が低い左に入ってしまうかもしれない。
 右にヒノキ植林が現れるが、相変わらず踏跡はなく、沢を歩けとのことらしい。12M2段の滝は直登も容易だが、登山靴で滑って落ちても馬鹿らしいので、あまり果敢に攻めないようにした。さすがにここは、左岸の植林に巻きの踏跡がついていた。
 すぐ両岸が植林となり、数メートルの滝が現れるが、実は滝の下あたりから、手前に戻るように左岸植林を登る道が始まっている。入口にマーキングがないので、登り方向では見えず、帰りに初めて知った。この滝も全く容易で、その後も消えそうな水流に沿ってゴーロを登るだけなので、道に気づかなくても問題ない。
 1220Mあたりで傾斜が緩み、左岸に空瓶が幾つも転がっているので、これを目印に林道に入ればよい。歩道はやや不明瞭だが、初め左岸を進み、1~2分で折り返して植林中を斜めに登り、再度折り返してすぐ、1251M独標の少し上で尾根に出る。尾根が急に登り始める直前に、58空中図根点の石標がある。
 林道は暗いヒノキ植林を水平に巻く良道となり、1538M独標北尾根を回るところで、伐採木運搬用の索道の中継塔跡を見る。足切沢の向こうに、紅葉したオオツの鋭峰が高い。
 続いて自然林とカラマツ植林が、交互もしくは混在して表れる。場所によっては、林道は細く歩きにくくなる。数分で、岩場を上から巻く小さな折り返しを挟み、なおもトラバースを続ける。
 次の窪(足切沢1140M圏右岸出合窪)を渡る手前、右岸の急傾斜が崩れて歩きにくい。黄色い電話線のようなものが張られている。そのあたりに59空中図根点の石標があるが、踏跡が乱れているため、ルート取り次第で、気づかず通り過ぎるかもしれない。沢でも尾根でもない中途半端な場所に珍しいが、沢筋での流失を避けてのことかも知れない。その数十秒後、窪を渡り、左岸を水平に進んでいく。
 踏跡のある小尾根を回り込むと、雰囲気の良い自然林になる。左上に分かれる踏跡は、尾根上の索道中継塔跡に続くものだ。
 やがて崩礫と落葉により、道が不明になってくる。ハリギリやトチノキなど葉の大きい広葉樹が多く、地面を完全に覆ってしまうためだ。足切沢1170M圏右岸出合窪を渡る手前から、道型はほとんど分からなくなっているが、この窪の右岸、道が不明になるあたりで、微妙な痕跡が緩い登りの雪窪歩道と緩い下り足切沢に至る水平道の二手に分かれている。

 

⌚ฺ  広河原-(1時間10分)-足切沢1170M圏右岸出合窪 [2014.10.20]

● 雪久保林道支線:南天尾根乗越~オオツ北肩

 雪久保林道支線については、原全教が「奥秩父・続」に道標の指示内容として触れているが、より詳しくは「奥秩父(S17版)」で、南天尾根乗越の道標表示として「本林道(雪久保支線)経由国境三粁一時間廿分、浜平十八粁六時間五十分」とし、「浜平へは支線がオキ葡萄ノ頭・葡萄ノ頭をまき、左葡萄沢へ下り、さらに左へ乙父沢の西沢へも林道が入る。多分雪久保林道という名称はこの尾根(註:国境稜線)あたりまでを指すものと思う。」と述べている。国有林図では、浜平および乙父からの林道はそれぞれオオツの少し北の別々の地点で国境に達しており、支線は南天尾根乗越からそこへ向かってトラバース気味に登っているものと予測された。
 なおチョウヅケより奥の神流川右岸の地名については資料が少なく、高畑棟材(「山を行く」)、原全教(「奥秩父・続」)、中村謙(「上信越の山々」)の各氏が解説しているが、それらは何れも単に「○○の頭」のように上州側の沢の名を取って山名としており、いずれも上州称である。この記述は秩父側に関するものなので、秩父称の、オオツ(上州称:ブドウ沢ノ頭)、大蛇ノ舟(上州称:沖ブドウノ頭、1659独標)を用いることとしたい。オオツの名は、秩父山岳会の坂本朱(勝司)氏(「奥秩父西側尾根」(山と渓谷34号68ページ、S10))を始め、秩父営林署(秩父営林署管内図、S38)でも使用されている。
 南天尾根乗越周辺は枯死笹ヤブに覆われ、埼玉側を巻く支線の踏跡が分からなかったが、数十メートル国境寄りの一段上に上がったあたりに、水平踏跡がみつかった。柔らかい落葉と土の疎らな自然林の斜面に、微かな痕跡が続いている。ほとんど植生がなく、少し怖いと感じるほどの急斜面だ。
 大蛇ノ舟(1659M)東の岩壁は、標高差約30Mを下巻きする。その途中で白い電話線を見かけた。 雪久保支線沿いに電話を引く理由は見当たらないので、単なる落し物だろうか。いずれにせよ、この怪しげな踏跡が、やはり巡視道である可能性を示している。
 急斜面に点在する露岩地帯を、踏跡は上下にかわしながら続いており、なかなか気が許せない。
 南天尾根から三十分弱で、大蛇ノ舟の北鞍部を数十メートル上に見上げる窪状地形に出た。この先、漸く傾斜が少し緩み、転落への緊張から開放される。
 1650M圏峰から出る、鞘木沢・足切沢中間尾根は鋸状の岩稜になっていて、目前にして踏跡は緩く下っている。ギザギサの尾根は傾斜が緩く、下巻きならかなりの大回りになりかねない。良く見ると一つの踏跡が果敢に岩稜に向かっている。それを辿ると、鋸状の「歯」の隙間から、反対側にうまく抜けられた。
 尾根上はヒノキ植林、向こうはカラマツ植林になっている。この谷は植林されていて、すぐ下まで小三国歩道が来ているはずだ。木の間越しに、灰色がかったオオツ南面の岩壁が、行く手を阻むように聳えている。
 水平にカラマツ植林帯に突入すると、作業踏跡のため、歩くには困らないが、ここまで続いた微かな踏跡が分からなくなってしまう。露岩が現れ下巻きするあたりで一瞬踏跡が復活したが、また不明になる。
ルートが分からぬまま、カラマツ植林が終わる次の小尾根(1650M圏峰から東に出るもの)に乗る。やや幅広の自然林の尾根で、落葉に覆われ踏跡は全く分からないが、踏跡を外れると落葉の踏み心地が変わってくる。正規ルートでは踏んでも滑らないが、外れると落葉ごと斜面をずり落ちてしまい、疲れる上に全然時間がかかる。だから、極力正規ルートを外れぬよう、気をつけて進むが、それでもしばしば外れてしまう。
 枯葉が織り成す黄色と茶色の斑のじゅうたんに、緑の苔と白い礫のアクセントが美しい窪状を通過し、小さな枯死笹ヤブ帯を巻いてかわす。右手には、波のようにうねる紅葉を纏う南天尾根が、長く連なっている。踏跡を失うと、枯葉はまるで斜めのスケートリンクのように良く滑る。
 オオツ南面の岩壁の下に来た。地形図に岩記号はないが、標高1550~1600Mあたりの等高線が詰まったあたりがそこだ。微小小尾根が派出しており、この日は、天候、色づきのタイミングとも最良で、青空に生える朱色と黄色の見事な紅葉が見られた。
 このあたり、露岩や岩壁の巣で、踏跡はうまくかわしながら進んでいる。オオツ南東東尾根の平らな地形の向こうに回り込むと、尾根直下の僅かな領域に、針葉樹と苔の奥秩父らしい風景が展開していた。
 針葉樹の倒木だらけの荒れた森と、下ばえのない枯葉に覆われた広葉樹の森の境目近くを、登り気味に進む。森の荒廃と露岩とで踏跡は不明瞭かつ分散し、ルート取りに悩むようになる。しかも歩き難さのため、速度が上がらない。
 地形図を見ると、オオツの北で国境に出るには、この当たりで多少高度を上げる必要がある。実際水平を保つ、もしくは下る有力な踏跡は見当たらなかったので、荒れた森の中を、断片的な痕跡を繋いで登り気味に進んだ。
 オオツの直下、稜線に這い上がるも、出てみるとそこはオオツ南東東尾根のようだった。稜線直下の水平踏跡を見つけて辿ると、オオツ東面の急傾斜をトラバースし、頂の北に回りこむことが出来た。
 最後は踏跡が曖昧になったものの、軽く登って、1640M圏のオオツ北肩で国境に出た。帰宅後に国有林図を良く見て気がついたのだが、ブドウ沢道はオオツ直下で諏訪山への尾根を乗越し、数十メートル北東の1620M圏で国境に達しているようで、多少ずれた位置に上がったのは、迂闊だった。
 この1640M肩からは、国境稜線と諏訪山への尾根(赤テープあり)に、明瞭な踏跡が付いていた。またブドウ沢へ向かう道なき道にも赤テープが打ってあったが、非常にヤブっぽいため道であるか判断が付かなかった。
 この後、国境稜線を辿り大蛇ノ舟、さらに南天尾根から雪久保林道の南天尾根乗越(60空中図根点)へと向かった。前回霧でルートファインディグに苦労したのが嘘のように容易な道で、大蛇ノ舟では、雄大な浅間山、大きく複雑な形をした御座山と少し尖ったツギノス、どっしりした所並ノ頭と三角形の大蛇倉、の眺めが見事で、低い山々を切り裂く神流川の抉れが西日の中に際立っている。また南天尾根を下り始めると、奥秩父主脈の素晴らしい。特に岩場を右巻きするガレ場からは、三宝山を中心に右に国師・金峰、左に雁坂から破風山が、屏風のように並んでおり、まっ赤な紅葉が最高のフォトスポットを提供していた。

 

⌚ฺ  南天尾根乗越-(1時間50分)-オオツ北肩 [2014.11.3]

【林道途中へのアクセスルート】(確認済みのもの)

  • 上武国境登山道(魚留ノ頭)から魚留ノ頭直下
  • 上武国境登山道(高水ノ頭)または新平沢の歩道から高水ノ頭南東肩
  • 学沢の歩道から1546独標南東尾根の61空中図根点
  • 上武国境登山道(大蛇ノ舟)または南天尾根の歩道から南天尾根乗越(60空中図根点)

 

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水平に分かれる雪久保林道に入る
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ヒノキ植林の丸
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伏流の沢を渡ると再度植林小尾根に取付く
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尾根を乗越すあたりで見る丸山の突起
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尾根上はシャクナゲヤブで踏跡は不明瞭
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二次林の北斜面はほぼ道型が消えている
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トラバース中の何とか径路が見える部分
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割れ酒瓶が道しるべに落葉から顔を出す
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最明瞭部でもこの程度の道
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土砂崩積帯では踏跡が流失
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信濃沢が近づくと見事な自然林になる
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大木を乗せた大岩を上から越す
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別天地を思わす信濃沢の流れ
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上流は階段状に傾斜をつけている
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渡沢点は踏跡が弱く唯一の目印となる空瓶
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左岸にも美しい自然林が続く
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露岩や崖が次々と現れるようになる
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緊張する岩崖上端の歩道通過
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突然植林地の間伐帯に入り不明瞭に
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国境稜線が近づくと疎らな自然林となる
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歩きやすいが道型は非常に薄く追跡困難
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高水ノ頭近くの雪久保林道の痕跡
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高水ノ頭南東肩の古道標らしい角柱
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深い落葉に埋もれた雪窪歩道
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部分的に落葉が切れると道型が見える
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1546M独標下の立木の赤ペンキマーキング
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60空中図根点を見て南天尾根を越える
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枯死笹ヤブをムジナ沢へとトラバース
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ムジナ沢源頭を渡る
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ヒノキ植林で安定する林道
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土砂崩壊で道が消えた小窪の通過
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ヤブ繁茂箇所は道型が分かっても通れない
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桟橋の残骸で辛うじて道と分かる
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ムジナ沢・学沢中間尾根の破れ小屋
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雨露をやっと凌げる程度
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ゴミと廃材に埋もれそうな61空中図根点
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悪い崩壊で道も電話線も途切れる
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崩壊を巻くと道と電話線は復活する
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南天尾根乗越脇1550M圏は地図と違い岩峰
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南天尾根の小屋跡らしき残骸
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南天尾根からの広河原への林道下り口
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鞘木沢出合の渡渉点
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土場跡から雪久保林道が始まる
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サカキノ沢の沢床を遡る
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1100M圏二俣は右を取る
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2段12Mは直登容易だが巻きも可能
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左岸植林を登る
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58空中図根点先は植林を水平に
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広河原索道らしき施設跡
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植林カラマツ越しのオオツ
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使えない桟橋がまだ残っている
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落葉で埋まる道型
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紅葉の始まった自然林を行く
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足切沢1220M圏右岸出合窪の水平作業道
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僅かな痕跡を頼りに雪久保支線を行く
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大蛇ノ舟下の岩壁は下から巻く
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痕跡が左下から右上へとうっすら見える
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冬枯れの森から両神山が美しい
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紅葉の散歩道も道型が薄く気を許せない
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オオツ南面の大岩壁の下を通る
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最後の紅葉の一花
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鋭い岩峰をうまく縫って進む
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オオツ北肩(1640M圏)で国境に出た