杣口金桜神社奥社参道 【仕事径】

 金桜神社は、甲州金峰山をご神体する神社である。少なくとも千年以上は確実に歴史を遡ることが出来、平安時代の法典「延喜式」(延長五年、927年)の巻九・十が示す神社一覧にも、「甲斐国 山梨郡 金桜神社」と列記される。山梨郡内の金桜神社には、杣口、万力、歌田の三社があり、万力は二世紀の、歌田は紀元前二世紀の創建と伝えられるも、神話の世界との境界が定かでない。また明治四十年頃に焼失し現存しないが、金峰山山頂の五丈岩直下に本宮があった。他に、辛うじて巨麻郡内になるが御嶽にも金桜神社がある。
 延喜式に記録された金桜神社がどれを指すか確かな証拠はないものの、一つの見方として杣口金桜神社奥社を有力視する向きもある。発掘調査により、少なくとも杣口金桜神社は、中世には多数の寺院や宿坊を要する大規模な寺社であったこと明らかになっている。当時の金桜神社は、「杣口」バス停近くの現在の位置とは異なり、川上牧丘林道の「金桜神社奥社地跡」看板付近にあった。杣口の村から奥社地にかけては、様々な宗教施設が点在しており、参道となっていた。ここに示す道は、杣口から奥社へ向けての旧参道である。区間により、現在の道の状態が著しく異なるので、平均的な状態として「仕事道」に分類したが、一部区間で特に道の悪い部分を含むことをご留意いただきたい。

● 杣口赤鳥居~護摩堂上の車道横断点

 杣口集落の上端近くに金桜神社の大きな赤鳥居がある。塩山から直線状の県道219号を上がって来た時、正面に見える目立つ鳥居である。鳥居の直前で、県道から鳥居下を通る道が分岐しているが、その分岐から東に向かって林の中に入る小道を取る。すぐに出る舗装された細い車道は、先の分岐の数十米下で県道から分岐してきたものだ。しばらくはこの細い舗装道路を行く。青山橋で琴川を渡り、点在する農家を見ながら山裾を緩く登る。小楢山を背景に頭部の欠けた観音像を見る。やがて道が植林地に入るところに動物除けのゲートがある。ここまでの約1.3Kは車で通行したが、ゆっくり歩いて約20分と思われる。
 ここから古い参道となって、暗い植林を登り出した。右に水道施設をみて進むと、左に石垣で整地した大規模な敷地が、斜面に段々に並んでいる奇妙な光景を目にした。これが青山千軒である。古い寺社によくあることだが、当時の金桜神社もまた隣接する米沢寺と実質的に同居していて、寺の加護を受けていた。当時の米沢寺も大寺院であり、宿坊がどちらの施設であるかは不明だが、この敷地を見れば、金桜神社が大規模な宗教施設であったことは十分想像できる。
 道は植林中を数度の折返しを入れて登り、やがて斜めに上る。山腹に開かれた右手の敷地は護摩堂跡とされるが、今は何もない。さらに登り気味に少し行くと、川上牧丘林道にぶつかるので、一度車道に上がった。

 

⌚ฺ  杣口赤鳥居-(20分)-車道終点-(15分)-護摩堂上の車道横断点 [2021.10.20]

● 護摩堂上の車道横断点~奥社跡下の車道横断点

 緩く登る旧参道は、反対方向にやはり緩く登る車道と交差していたようだ。そのため両者が上下を入れ替える約60-70mの長さで、旧道は車道に削られ消滅していた。車道の山側は擁壁が築かれているため、旧道は数十米の間、車道擁壁の上端近くを伝う危うい踏跡となって、植林中に細々と続いていた。車道に転落せぬよう、注意して通過した。やがてヤブの中に赤い小杭が打たれた旧道の道型が水平に現れ、一時は明瞭な道が回復した。だが堰堤上で小沢を渡る付近は、道型はしっかりしているものの、落石や倒木で激しく荒れていた。
 道は悪路のまま、小沢右岸の緩い斜面に取り付いた。この下の琴川に、かつてはアゲマチという禊場があった。ちょうど川上牧丘林道の鳥之口橋の辺りである。落葉に埋もれた道を緩く登るあたりは、道の判別が非常に難しく、僅かな道の窪みと小さな赤杭を頼りにした。やがて先ほど渡った小沢沿いの道と、左に分かれる踏跡とに分岐した。左が奥社に向かう参道である。多少曖昧になった道型は、百米も行かぬうちに、何かの敷地に当たって突然途切れた。最近建設されたソーラー発電施設である。やむを得ず周囲に沿って進むと川上牧丘林道に出て、それを少し左に行くと奥社跡の看板があった。

 

⌚ฺ  護摩堂上の車道横断点-(15分)-奥社跡下の車道横断点 [2021.10.20]

● 奥社跡下の車道横断点~金桜神社奥社

 看板後方の森を探るとすぐ、赤い小鳥居を潜る奥社への踏跡が見つかった。社地に入ると道が幾筋かに分かれていた。大規模な社地のため、どの道が中心とも言えないが、右側が金桜神社、左側が米沢寺であったという。何となくその中心を通る道を、祈念塔か何かであった雰囲気の古い石を見ながら登った。寺社の敷地を作る石垣や石段がそこここに見られ、参道も地形に合わせた緩い石段で構成されていた。
 次第に後方の高い山が迫ってくると、敷地の最上部にある奥社跡である。ここだけは、現在小さな祠が再建されていて、時々訪れる参拝客もいるようである。中世の行者は、里宮であるこの金桜神社に参拝したあと、尾根伝いに大烏山、遠見山、千丈岳を越え、本宮の金峰山まで遠駆けしていたと云われている。今伝えられる金峰山古道が成立する以前の、古い時代の話である。

 

⌚ฺ  奥社跡下の車道横断点-(10分)-奥社 [2021.10.20]
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杣口集落奥の観音像
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動物除けのゲートを通る
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何段にもなった青山千軒の巨大な敷地
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意外とまだしっかりしている石垣
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植林を行く旧参道
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山中に突然現れる護摩堂跡の平地
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参道は車道造成で一度途切れる
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踏跡から車道擁壁の上に回る
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車道と並行する部分は転落に注意
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ヤブの中で参道の道型が復活
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一時はきれいな道になる
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小沢を渡る付近は酷く荒廃
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道型は続くも倒木・落石で歩き難い
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緩い山腹で道は不明瞭に
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分岐を左に取り道型の窪みを辿る
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ソーラーパネルの敷地で道が途切れる
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奥社跡看板で再度車道を横断
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赤い小鳥居を潜る細道を辿る
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旧社地には多数の遺構がある
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歪みが強まった石段を登る
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文字が消えるも残る石柱
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明らかに人工的な三角形の石が立つ
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奥社跡に再建された小社