雁坂旧道(孫四郎峠) 【仕事径】
孫四郎峠には幾多の本に紹介された面白い謂れがある。資料により多少表現の違いがあるが、概ね次のようなものである。「かつて武田氏の家臣で栃本に移住し歩荷を生業としていた孫四郎という者がおり、雁坂峠を越える旅人を案内する時いつも荒川谷への分岐を雁坂峠と偽り栃本に引き返していたため、いつしかそこが孫四郎峠と呼ばれる様になった。」
歴史ある雁坂峠越えの街道も、昭和30年代の台風被害と植林事業のため廃道となり、峠へ直接登らず雁坂小屋へと通ずる現在の新・雁坂往還が整備された。現在の地蔵岩分岐の道標から約200M雁坂側に行った辺りが旧道との分岐で、ここから孫四郎峠を通って雁坂峠へ向かう道は、放棄され廃道となってしまった。それでも短区間ながら孫四郎峠周辺に限れば、旧道の断片と作業道を繋いで、一時新道を離れて孫四郎峠を経由しまた新道に戻る経路を取ることがが可能である。ただし訪問時点では作業道の荒廃が酷く、一般登山者が安全に通行することは難しい。
由緒ある道でありまた短区間でもありますが、訪問時現在の状況では荒廃が酷く、廃道に近いです。地形が複雑なため、2.5万図ですら縮尺不足のため地形を十分正しく表現できていません。通行の際は十分ご注意ください。
● 現雁坂往還からの雁坂側分岐~現雁坂往還からの川又側分岐
雁坂峠から下り、豆焼沢源頭の水場を過ぎ、2113独標東の二ヶ所の立派な手摺代わりの鎖を取り付けた個所を過ぎてすぐ、左上に登る雁坂側の入口の踏跡が分かれていた。すぐ不明瞭になったが、折り返し登っているような踏まれ方だった。高度差で三、四十メートル登ると斜め直線で登るようになり、ガレの上端をギリギリ抜けると細い原生林に覆われた陰気な稜線の一地点に出た。そこが孫四郎峠であった(後に表示板が設置されたとのこと)。孫四郎林道が谷へ直線的に分かれていたが、倒木や枝張りのため、心を落ち着けてよく見ないとそのことに気付かない。
旧道は尾根を乗越し小荒川側をトラバースして下っていた。下り出しは、細い原生林がヤブ的に枝を巡らせていて分かりにくいが、二、三十メートル先からある程度踏跡らしくなってきた。岩を乗越し、さらに斜めに下った。上から見通せる下りなら何とか分かるが、登りでは見つけ難いほど道型は薄かった。旧道は孫四郎峠の北のピークを巻いて、その北側の1990M圏鞍部を再び豆焼沢側に越えた。低い笹原を恐らく水平に抜けていたはずの旧道は殆ど消えていた。笹の中の小さな窪に沿って下り、適当に笹を横切り、現在の峠道に出た。地蔵岩下から緩く下ってきた峠道が、Z字を描いて大きく下るその直前の地点であった。ここが川又側の入口であり、1990M圏鞍部がすぐ上に見えていた。