前橋街道(草津峠) page 4 【廃径】
● 中電歩道2番・3番取水口間微小窪~(仮称)白沢小屋分岐
この区間の前橋街道は、道型が明瞭で廃道としては歩きやすいが、笹薮が放置され速度が上がりにくい区間である。廃道慣れした方なら割と歩きやすい。笹ヤブはミヤコザサが主なので漕ぎ分けは容易、笹に埋もれた箇所もあるがほぼ水平に行けば良いので迷うこともない。2番取水口の少し草津峠寄りで中電水路から分かれた消えそうな痕跡は、(仮称)二番沢の通過時に流され消滅したが、弱い痕跡程度がすぐ現れ、そこで昭和五十~六十一年仕様の古い缶コーヒーの空缶を見た。記録に見る最後の通行は昭和五十三年の明大隊によるものであるから、この区間が歩かれていた時代の最後の頃に捨てられたもののようだ。
さらに少し行くと、寒沢堰起点すなわち1番取水口の数米下を通過した。1番取水口で全て取水されるため街道上に水は見えなかったが、水音がはっきり聞こえてくるのでそれと分かった。草津峠から来た場合、1番取水口から適当に斜面を下って街道を見つけることもできる。この区間は中電歩道と接続する形で昭和期までかなり歩かれていたと見え、草津峠から草沢にかけての酷い廃道部に比べれば天国のような、幅もたっぷりの安定した道になった。低いヤブの道を数十米進むと、崖状の急斜面から落下する草沢の支流の一つである豊かな水流を通った。寒沢堰がこの立派な水源を見過ごしたのは不思議だが、この崖を掘削できず取水を諦めたのかも知れない。深い森の道はヤブがあってもさほど煩くなく、倒木、落石などが放置されていても、廃道としては悪くない歩き心地だった。崩壊地があるも危険はなく、数十米の間道が消え乱れた踏跡になるだけで通過は容易だった。崩壊の先にそれまでと同じペースの道がしっかり続いていた。街道は、地図上では極めて緩く下っているのだが、意識できないほど僅かな勾配で感覚的にはほぼ水平であった。草沢の最後の支窪は涸れていて、小屋でも建ちそうな小さいスペースがあった。石橋が昭和十五年に報告した笹小屋があったとすることこの辺りであろうか[42]。笹が被って路面が直接見えないものの、藪を漕ぐと云うほど酷い密度ではなく、歩きやすくも歩き難くもないほどほどの道であった。
小さな白沢の流れを横切る部分は道型が流失していた。大部分は道の在り処が見えないほどの笹に覆われているが、所によりヤブが薄くなって高速で歩ける部分もあった。それでも道の中央に大きな木が成長していたり、永年に渡り放置されてきた様子が伺えた。歩みを進めるうち、突然前方が開け立派な刈払道になった。(仮称)白沢小屋への分岐である。草津町が水源巡視道とするため刈払いを行っていると見られ、ここから一直線に笹を切り開いて約一〇〇米を急下する道は、標高一八〇〇前後を通って水源を結ぶ草津町歩道に接続していると見られる。以前は下に小屋があったらしいが、現在の白沢小屋は宮手沢寄りに移転したらしい。草津町の水源を結ぶ巡視路が前橋街道より低い位置を横に走っているが、その道は各水源の位置に応じて激しく上下するため、効率よく水平に移動できる前橋街道を使って巡視対象の水源に最接近し、急下して現場に到達しているものと推測される。
⌚ฺ 中電歩道2番・3番取水口間微小窪-(20分)-(仮称)白沢小屋分岐 [2024.5.30]

●(仮称)白沢小屋分岐~芳ヶ平
この先、草津町によると思われるしっかりした仮払いがあり、整備された登山道同様の非常に楽な道になった。ヤブがきれいに刈り払われて道幅が分かるようになったので、街道は牛馬道規格の一・八米の道幅で作られていることが確認された。小さな崩壊地で道が消えたが、特段の危険なしに渡った。やや切れ込んだ白沢の支窪を渡る急斜面で、中電歩道以外では珍しい古い石積の補強を見た。異常高温のこの年ですら六月に入ったというのに僅かな残雪が見られ、道が作られた当時の雪消えの悪さが想像された。植生が森林から笹原へと少しずつ変わり、そのため斜面の崩れが次第に増えてきた。ただし全般に緩斜面のため大崩壊はなく、崩れていても容易に通過できた。横手山から北東に出る顕著な尾根を一九〇七米で回ると、暫くは緩い下りとなった。宮手沢本流の左岸の笹の斜面は道型が流れて仮払いだけされた斜面のため歩き難かった。
宮手沢は多少の水流がある小沢で、巨岩で沢筋が埋まっているため素直に渡ることができなかった。渡沢点に何に使うかわからぬ細ロープが下がるも、それで岩を乗り越せるでもなく、少し上流にまわって岩を越せる場所を探して渡った。逆方向から来たときは、岩の上から滑り落ちるように沢に降りて容易に通過できた地点である。宮手沢右岸斜面の二つの崩壊も道型が消えていたが、通過は難しくなかった。地形図に乗らない小沢を幾つか渡ると呉服平である。一帯は緩やかな深笹の斜面でどの地点が呉服平と決まっているわけではなさそうだが、ここでは渋峠から萩輪へ下る信州古道の尾根道の分岐を呉服平とした。信州古道は続いた一本の道としてはとうに失われているが、呉服平からの下り部分が草津町水源歩道として整備されており、峨乱三角点へ行く場合はこの歩道を使うと便利だ。芳ヶ平から来た巡視員が分かりやすい(つまり草津峠から来ると見え難い)位置に、分岐を示すピンクテープが設置してあった。
長笹沢の源頭に差し掛かると多数の小流を次々と横切った。作業用のテープやゴミが落ちている付近の直下は草津町第十水源の取水口の一つであり、汚さないようにしたい。高い笹の緩斜面を広く切り開いた平坦な道にそれらの小流から入り込んだ水が溜まり、歩きにくい部分が続いた。長笹沢の左股が激しく削った笹の急斜面をトラバースしながら緩く下る辺りで、長笹沢の水道施設と左岸の萩輪平の植林地がよく望めた。四角く見えるのは資材運搬用のヘリポートらしい。地形図の一八二六独標近くで水道施設へ下る小さな作業道を分け、街道が長笹沢・水池沢中間尾根を回り込んで南に向うようになると、(仮称)長笹小屋への立派な巡視路を左に分けた。南ゼン沢の左岸に入ると笹が低くなって見通しが効くようになり、芳ヶ平ヒュッテの赤屋根が目に入ってきた。芳ヶ平から大量の水が流れ込む南ゼン沢の本流を渡り右岸を軽く登ると、芳ヶ平の一角である。最後の数十米は刈り払いがなく一時的に酷い笹ヤブとなったが、ハイキングコースの大看板を目指して進めば良い。誤侵入防止のためこの区間だけ刈り残してあるようだ。一般道に飛び出たところに先ほど見えた大看板があった。本来十字路であるべきところで、直進が芳ヶ平ヒュッテを経て草津に至る前橋街道、右が芳ヶ平湿原と渋峠、左がキャンプ場、大平湿原を経て入山である。いま来た道は道型が全く見えないため、実際は三叉路である。
⌚ฺ (仮称)白沢小屋分岐-(15分)-呉服平-(45分)-芳ヶ平 [2024.5.30]

● 芳ヶ平~草津
この区間は整備されたハイキングコースなので、簡単に概要だけを説明する。芳ヶ平のヒュッテ前を過ぎ白根山への道を分け大沢川右岸を下る。森に入ると笹が深くなるが刈払いがあるので歩くに支障はなかった。所々で旧前橋街道の古い道が並走するがヤブに覆われ歩く気はせず、試しに少し歩いたが時間がかかるばかりで無意味なので、すぐ隣の現在の道を下った。横笹で大平湿原経由の元山への道を分けると、主尾根に乗り移るため少し下って毒水沢を渡った。この下り部分は旧街道と少し離れた新ルートとなっていた。主尾根を暫く下り、大沢川の右岸支窪を大きく回り込むと大きな案内板があった。かつて大沢川の源泉から湯を引いてここで営業していた香草温泉の跡地で、以前はここまで車道が通じていた。廃道化して草に覆われた車道の小さなヘアピンカーブをハイキングコースの階段でショートカットして下り、約二百米の間、抉れて用をなさなくなった廃林道を下った。廃林道のヘアピンカーブから前橋街道の山道に戻り、蟻の塔渡りと呼ばれる極端なヤセ尾根を通過した。スリルある場所だが、柵があるので転落の危険はない。不思議なくらい平坦な谷所原の右端を進んだ。左の大きな平坦地は、開発されて草津温泉ゴルフ場となっている。そのゴルフ場に続く立派な車道を横断し、道はなお真直ぐに続いた。やがて緑美しい谷所川へと大きく下って、吊橋で渡ってから登り返した所が、地形図の一二〇一独標、もう草津温泉の一角であった。三方に出る舗装路の真ん中を取ると、温泉街の中心湯畑近くに出た。
⌚ฺ 芳ヶ平-(25分)-横笹-(25分)-香草温泉跡-(35分)-1201独標-(15分)-草津温泉 [2024.5.30]
● 【参考】中電歩道(草津峠~草沢本流右岸尾根)
草津峠の約五十米先、上州側に緩く下る前橋街道がでヤブの中に消える地点、ここから折り返して急下する作業道が中電歩道である。言うまでもなく前橋街道が草津峠から約五十米の間きれいに整備されているのは、中電歩道としての役目を負っているからである。道は湯ノ花沢源頭の崖状を半ば崩れた階段で下り、続いて高い笹のトンネル下の水流を下った。湯ノ花沢の源頭部にあたるこの区間を二度通ったことがあるが、初回は水流があって靴を濡らさぬよう注意して通ったが、二回目は微流のため水を気にせず歩けた。点々と赤杭が打たれており道であることは間違いないが、水流があるのが平時なのかは分からない。
数分後に突然寒沢堰の草津峠下送水トンネル上州口に出た。ここは送水トンネルの入口であると同時に、湯ノ花沢からの17番取水口でもある。ブルーシートに包んだ資材が置かれ、暗渠となった水路が水平に続いていた。草津峠を向いた遭難者用の赤矢印板が立木に取り付けられていた。中電歩道はここから寒沢堰の水路沿いに行く。暗渠となった水路上を歩く部分が多く、そのため道幅は十分あり仮払いもしっかりされて歩きやすかった。時々新しい木の板で塞いであるところを見ると、定期的な保守整備も行われているようだ。蓋の材料は場所により、木板、コンクリート、後半等様々だった。先の遭難者用赤矢印プレートに加え、「あなたは遭難しています」など、歩道沿いに頻繁に遭難対策表示を見た。木の幹の高い位置に取り付けられていることから積雪時のスキーヤー用と見られるが、それほどの積雪なら中電歩道は埋もれて見えないだろうし、これを辿っても草津峠への急登で正しいルートを取れるか疑問である。そもそもそれほど遭難者が居るとは思われないが、中電歩道沿いにかなりの枚数が取り付けられていた。
水路沿いに歩いて初めての水流がある小沢が16番取水口であった。次の15番取水口でもしっかり取水し、下流に漏れ出る水はだいぶ減少していた。背丈を超える笹ヤブ地帯を通る歩道は、基本的にしっかり刈り払いされていたが、ところどころヤブの煩い箇所があった。暗渠化した水路の工事や保守点検に必要な部分だけを刈っているため、水路の手入れが不要な完全に表土で覆われた部分のヤブは刈り払いが甘いのかも知れない。
横手裏ノ沢の本流渡沢点はちょうど一九二〇米二股上にあり、12番・13番取水口がある。残雪の中から流れ出る豊富な雪解け水は、コンクリートの取水槽によりその大部分が寒沢堰に流し込まれていた。水量が多い割に危なっかしい丸太橋で沢を渡った。ゲレンデスキー中に迷ってこんなところまで滑ってくるとは信じがたいが、中電歩道には多数のスキー遭難者向けの案内板が設置され、草津峠を越え硯川へ滑り込むよう指示している。ここにもその案内板が設置されているが、板上には「旧草津街道」と表示されていた。草津街道とは地元で俗に呼ばれる前橋街道の別称だが、ここから草津峠側の中電水路では見られないものである。つまりここまで前橋街道とは別の道であった中電歩道が、ここから草津側では前橋街道と一体化していることを示すものだ。
ここから寒沢堰の起点水源近くまで、前橋街道は水路と並走しているようだ。水路は、強度確保のためか枕木のようにも見える凹凸の付いた鋼板や、点検用の開けやすさを考慮したらしい木板などで保護されていた。場所によってはそれが地中に埋没したり、逆に山体が流失して宙に浮いた部分は鋼管や塩ビ管で渡されていた。その水路蓋上もしくは並行して、笹を切り開いた中電歩道が設置されていた。前橋街道は中電歩道とほぼ並行していたと見られ、稀に水路の隣に笹に覆われつつも明瞭な道型が認められたのに対し、多くの部分で旧道の気配すら見られなかった。前橋街道と中電歩道が初めから共通であった部分もあったろうし、中電による堰の改修工事により街道が失われた箇所があったかも知れない。稀に水路と並走する街道の痕跡が見られた地点もあったが、概ね中電歩道と一体化しているように見られたため、暫くの間歩道を進んだ。ところどころ笹が被る箇所もあったが、概ね歩きやすかった。少雪とされた訪問年ですら五月末に水路すなわち街道が雪に埋もれた部分があり、街道が使われた当時は恐らく六月いっぱいまで雪が残っていたのではなかろうか。
すぐ先の水路流失部で水を渡す塩ビ管を見た。比較的新しい工事のようだ。一定の傾斜を保つため緩斜面では水路が溝状に掘り下げられていて雪が残りやすく、残雪を避ける捲道状の踏跡ができた箇所があった。その直後、露天掘り跡の地肌が剥き出しになった横手裏ノ沢を見渡せる場所に出た。だいぶ下方に遭難者への警告か採掘禁止か分からぬが、何か大看板があるのが見えた。寒沢堰の暗渠は明滅を繰り返した。損傷が起きぬよう意図的に埋めたのか流土で自然に埋まったのか分からないが、全く見えなくなる地中に埋まった部分が少なくないのは意外に感じた。一九九八独標から出る横手裏ノ沢右岸支沢を10番取水口で渡る地点でも「旧草津街道」の遭難看板を見た。取水口番号表示に気づかなかった草沢本流の渡沢部は、溢水が激しく靴を濡らさず通るのに注意した。堰の送水能力を上回る水量による設備損壊を恐れ意図的に取水を抑えていると思うほどだ。なお流路が複雑に入り組むこの沢は、横手山頂から出て一九九八、一九一三独標の東を下るのが本流である。傾斜が緩いこの一帯は五月末でもべったり雪が残り、歩道も雪に埋もれがちだった。この緩斜面で水路脇の旧街道の痕跡が比較的はっきり見える箇所があったのでよく観察すると、その痕跡はやや手前で水路から分かれて生じていたが、さらに手前には痕跡が見当たらなかった。旧街道の痕跡が見当たらない部分では水路と一体化してしまっている可能性が考えられた。草沢支流の崖を通過する部分に掛かると製油所のパイプのように四、五百ミリ米程度の鋼製送水管が設置されていた。
9番取水口の草沢本流渡沢部は、溢水が激しく靴を濡らさず通るのに注意した。堰の送水能力を上回る水量による設備損壊を恐れ意図的に取水を抑えていると思うほどだ。草沢は流路が複雑に入り組んでいて、横手山頂から出て一九九八、一九一三独標の東を下るこの流れが本流である。傾斜が緩いこの一帯は五月末でもべったり雪が残り、歩道も雪に埋もれがちだった。その五ヶ月半後に訪れると同じ場所にもう初雪が積もっていたので、雪無しで歩ける期間は半年もないことになる。草沢本流の右岸は相当の緩斜面で、しかも水路が地中に埋まったのか暫くの間見えなくなっていた。斜度のある山腹では流れ込んだ土砂が下方に洗い流されるが、略々平坦な地形では掘り下げた水路の上に周囲から流れ込んだ土砂が積もってしまうようだ。しかもこの一帯では一見道のように見える不思議な溝が何本か並走するのを見た。初めは前橋街道の残骸かと思ったが、複数の溝が明滅しながら中電歩道の山側、谷側いずれにも見られることから、水路工事の残骸の可能性も考えられる。前橋街道もまたこの平坦な森で不明になってしまったため、ここでは便宜上この付近で前橋街道が中電歩道に吸収されたとしておくが、実際のとこはよく分からない。今後機会があれば、再訪して詳しく歩き回ってみたい。
⌚ฺ 草津峠-(5分)-草津峠下水路トンネル上州口-(15分)-12・13番取水口(横手裏ノ沢)-(15分)-9番取水口(草沢本流)-(3分)-草沢本流右岸尾根 [2024.5.30]



















































