小金沢中腹林道 page 2 【廃径】
元々は小金沢右岸の源流部への到達路として建設された県有林の作業道であったが、車道(真木小金沢林道、奈良子林道など)の整備が進んだことで、実質的に放棄されている。興味深いことに、その後の電源開発やシオジの森整備に伴い、三石タツマ下、石小屋のタル下、大樺尾根西側~大峠の三ヶ所の短区間だけが、巡視道、遊歩道として再利用されており、その区間だけは通行が可能だ。それ以外の区間は荒廃が酷いが、状態は地形や植生に左右され様々だ。跡形もなく消えた部分もあれば完全に残っている所もあり、まだら模様である。
● [逆行区間]サンショウ沢~矢竹
880M圏の二股付近(厳密には僅か上流)で、旧道が沢を渡る。沢の両岸の道があったかのように見える不自然な地形、沢床の道の断片らしき地形、不自然に沢を跨ぐ倒木のような丸太など、慣れた人であればすぐに気づくはずだ。
沢の左岸の旧道取付には目立たない青いビニールテープが巻いてあるが、そもそもそこが崩壊して道がなくなっていたので、少し先から道型に這い上がった。
道はほぼ水平に、西沢ノ頭から南に伸びる尾根上の899M標高点の北鞍部に向け、踏跡程度で続く。一箇所崩壊地があるが、ここも相応の技術があれば難しくない。899M北鞍部は踏跡が交錯しているが、大サス沢に向かって真東に九十九折で下っている。出だしの10m位は道型が消えているので、下りの場合は要注意だ。
すぐに植林地に入るが、放置された枝打ちの残骸で地面が見えず歩きにくく、しかも作業道との判別がほぼ困難だ。谷沿いの植林地から抜ける道型はないので、どうやらそのまま植林地を下ればよいらしい。
矢竹の村落が近くに見えてくると植林地が途切れ、ヤブの酷い沢沿いの荒地になってしまう。踏跡はあるのだが、3月の今ですら、茨まじりの枯れたヤブが密集し、思うように進めない。ヤブが息を吹き返したら、この地帯を通過するのは地獄だろう。また獣道も行き来し、道の判別はいよいよ困難を極める。とにかく谷を下り、林道が近づいたら左岸の植林地に逃げるのが正解だ。
道は、奈良子林道が大ザス沢を渡る橋の近くまで下って、あとは左岸の植林地内を奈良子林道の上部をかすめるように、ほぼ水平に矢竹の集落まで続いている。そのまま矢竹の家々の軒先に続いていそうな気配だったので、集落末端で間道から奈良子林道の、ちょうど集落を抜け植林地に入る地点に下りた。
⌚ฺ サンショウ沢-(40分)-矢竹 [2010.3.14]
●泣坂ノタル~三ツ石タツマ下
楢ノ木尾根を北に越えると、小金沢中腹林道と思われる水平道が始まる。この山域で一番大きな植林域は、楢ノ木尾根と小金沢川本谷の間の北斜面に広がる唐松林だ。そこに向かって最短で作られた小金沢中腹林道が目指したのは、おそらくはこの一帯であろう。
楢ノ木尾根の北側に入ると途端に荒れがひどくなり、広く歩きやすい部分は少なくなってくる。唐松林の中を水平に進む林道は、崩壊地と笹ヤブが交互に現れる。
それでも道のつけ方が水平一辺倒で、しかも元の道幅が残っている部分が多く、ヤブ山よりは楽だ。新しい鹿のフンの多さからすると、彼らにとってちょうどよい餌場のようで、多くの鹿が林道を利用していると見られる。彼らが通行することで道が保守されているため、ヤブの中でも道筋は明瞭だ。
ヤブは連続しているわけではなく、密集した部分と全くない部分とが入り混じっている。ときおり現れる林道の原型をとどめた部分に出たときの、何か素晴らしい幸運に恵まれたような嬉しい気分は悪くない。北斜面は10cm程度の雪が残っており、真っ白な斜面を見事にトラバースしていく。
やがて前方に見えてくる鉄塔は、深城線30号だ。その直後に新しい杭やテープが現れ、どこから登ってきた人がつけたのかと不思議に思うが、一面真っ白な雪の間から、電源巡視道の黒いステップが垣間見えた。巡視道に入ったらしいので引き返してみると、1分ほど戻って、雪の積もり具合から見て巡視道が尾根から降りてきているらしい形跡が見つかった。楢ノ木尾根の三ツ石タツマから下ってきた巡視道が、その地点で小金沢中腹林道に合流していた。
⌚ฺ 泣坂ノタル-(35分)-三ツ石タツマ分岐 [2010.3.20]
●泣坂ノタル~三ツ石タツマ下
楢ノ木尾根を北に越えると、小金沢中腹林道と思われる水平道が始まる。この山域で一番大きな植林域は、楢ノ木尾根と小金沢川本谷の間の北斜面に広がる唐松林だ。そこに向かって最短で作られた小金沢中腹林道が目指したのは、おそらくはこの一帯であろう。
楢ノ木尾根の北側に入ると途端に荒れがひどくなり、広く歩きやすい部分は少なくなってくる。唐松林の中を水平に進む林道は、崩壊地と笹ヤブが交互に現れる。
それでも道のつけ方が水平一辺倒で、しかも元の道幅が残っている部分が多く、ヤブ山よりは楽だ。新しい鹿のフンの多さからすると、彼らにとってちょうどよい餌場のようで、多くの鹿が林道を利用していると見られる。彼らが通行することで道が保守されているため、ヤブの中でも道筋は明瞭だ。
ヤブは連続しているわけではなく、密集した部分と全くない部分とが入り混じっている。ときおり現れる林道の原型をとどめた部分に出たときの、何か素晴らしい幸運に恵まれたような嬉しい気分は悪くない。北斜面は10cm程度の雪が残っており、真っ白な斜面を見事にトラバースしていく。
やがて前方に見えてくる鉄塔は、深城線30号だ。その直後に新しい杭やテープが現れ、どこから登ってきた人がつけたのかと不思議に思うが、一面真っ白な雪の間から、電源巡視道の黒いステップが垣間見えた。巡視道に入ったらしいので引き返してみると、1分ほど戻って、雪の積もり具合から見て巡視道が尾根から降りてきているらしい形跡が見つかった。楢ノ木尾根の三ツ石タツマから下ってきた巡視道が、その地点で小金沢中腹林道に合流していた。
⌚ฺ 泣坂ノタル-(35分)-三ツ石タツマ分岐 [2010.3.20]
● [逆行区間]大樺尾根~三ツ石タツマ下
大樺尾根から東の林道は、廃道である。分岐の道標は、上下方向の尾根道と大峠の三方向のみを指していた。構わず進むと林道は急に細くなり、カラマツ植林に入った。カラマツは林道上にまで植えてあるので、道が細くなるのも道理で、踏跡程度の道が縫うように続いていた。土壌が荒れて、道の掘削部がほぼ消えてしまい斜面と同化していた。さすがに道の上にまで植林された極端な箇所は、少し先までだった。左に三ツ岩が特徴的な雲取~飛龍の稜線、さらに竜喰山辺りまでが落葉したカラマツを通してくっきりと見えていた。実はこの辺り三年前に歩き、枯死笹ヤブに辟易して途中で引き返したことがあった。その枯氏笹ヤブがすっかり姿を消し、比較的明瞭な作業道が現れて、思っていたより歩きやすかった。あちこちで枯死笹ヤブが筵を敷き詰めたがごとく倒れていることからして、大雪で全て倒れたのかもしれない。小さな窪を回るところの石積みが、八十年にも及ぶ林道の歴史を語っていた。
少しの上下もなく見事に水平に続いていた林道が、突然現れた岩壁に突き当たった。道型は曖昧になって下巻きした後、すぐもとの高さに戻りまた明瞭になって続いていた。ヤクルトのプラスチック、ジュースの空缶、それにワイヤーや桟道の残骸など、作業からまだ極端に時間が経っていないことを思わす落下物が、頻繁に見られた。平成十四年頃のデザインの「マイエードオレンジ」(明治屋)の空缶が落ちていたことから、作業から約十五年が経過したことになる。確かに樹径が目測で十センチ程なので、植林後十五~二十年前後の林地と分かる。
尾根を回って大樺沢右股(大樺ノ頭に突き上げる本沢)流域に入ると、見事な広葉樹の森になった。陽の光を通して赤や黄に色づいた紅葉が美しく、僅かに残された自然林はこの林道のハイライトであった。柔らかい土壌は時に崩れて道を埋めていたが、藪のない気持ち良い森を進む歩みは早かった。所々に現れる露岩がよいアクセントとなる変化に飛んだ道であった。恐らく桟道が落ちたらしい岩壁を容易に下巻きして進むと、小尾根でくすんだ黄標柱を見た。久々に見る人工物であった。下から上がってくる黒いプラスチックパーツで組んだ階段の細道が、東電巡視道の証であった。
巡視道はこの林道に登り着いたところで消えていた。とするとこの先、林道自体が巡視道になっているはずである。広葉樹の良道を水平に行くと、まだ錆びてない立派な鋼製の橋で小窪を渡った。次のガレた窪(大樺沢左股)に黄標柱があり、消えかかったマジックは、下方向に4、上方向に5と書いてあった。設置されたテープが、その窪の踏跡を登るよう促していた。ここを上に登れば、石小屋のタル(大樺ノ頭の東鞍部)の黄標柱に出て、唐松立の葛野川線5号鉄塔に出て、先の黒プラ階段を下れば、同4号鉄塔に至るのであろう。
ここで林道の巡視道化された部分が終わり、再びカラマツ植林に入ると、道型は分かるも荒れ気味になってきた。土壌が流され硬めの土となったうらぶれた植林地をただ進み、小さい広葉樹の森を通過すると、数センチ径の細いカラマツ植林を抜けた。その先にはなかなか手強い岩壁が待ち構えていた。始めの壁は桟道の落ちた部分を下って登り返せば通過できたが、続く長さ十数米の垂壁は手が出なかった。水平に張られた一本のワイヤーを使ってフリクションで進むのは高リスクであり、実際には数米下へ懸垂下降して登り返すのが順当と見えた。しかしここはカラマツ植林地であり、わざわざここを正直に突破する必要もない。ガレを横切るように大きく十数米下って岩壁全体を下巻きし、だいぶ先で登り返す微かな踏跡を使って通過した。崖近くでは見通しが良く音の通りも良いので、小金沢の激流がそこまで響いることに気がついた。
植林地ではかなりの土壌流失があると見え、次の窪は酷く抉れて沢山の大岩が露出していた。見通しが利く場所があり、長峰、牛ノ寝、丹波大菩薩の紅葉が三層に重なり、遠くの飛龍から唐松尾にかけての黒い稜線とコントラストを成していた。広葉樹の落ち着いた森に入り、露岩を通過すると、切通状のきれいな道で滝沢尾根を通過した。珍しく尾根上にはヒノキが伐り残されていた。その先も自然林だったが、伐採跡の二次林であろうか、やけに細い雑木が多かった。またカラマツ植林で道が荒れてきた頃には、鉄塔のある尾根や大峰のトンガリが目に入ってきた。また抉れた窪渡った。そこだけ完全に道が消滅していた。一方緩い斜面で道が落ち着いた部分は、往時を思わせる一・五~一・八米程の牛馬道クラスの立派な道であった。
丸い尾根上で急に道がヤブっぽくなった所を、尾根を行く小さな踏跡が横切った。見ると深城線30号鉄塔の真横であった。横切ったのは登ってきた巡視道で、恐らく林道は工事の余波で消えてしまったのだろう。構わずヤブを分けて水平に進むと数十米先で復活し、更に少し進んで巡視道に合流した。巡視道は一度すぐ上の鉄塔まで登り、また林道の位置まで降りてきたのであろう。この地点から、林道は再び巡視道になっていた。桟橋が落ちて通れない岩場を、巡視道は上巻きで越し、鉄梯子で下っていた。数分先に、尾根へとに向かう黒プラ階段があった。ここで水平に行く林道の薄い踏跡は、尾根近くの29号鉄塔に向かって登る巡視道と分かれていた。
⌚ฺ 大樺尾根-(40分)-葛野川線巡視道下り方向分岐-(5分)-石小屋のタル分岐-(45分)-深城線30号鉄塔-(5分)-三ツ石タツマ分岐 [2017.11.4]
● [逆行区間]大峠~大樺尾根
大峠の車止め先の道標からシオジの森へ向かう遊歩道に入る。この区間は整備されているが、これが林道である。始め自然林を行く林道は、殆ど水平のままカラマツ植林に入り、トクサ谷の三本の流れを続けて渡った。自然林に戻ると上ノ荒出沢を渡り、広い尾根を回った。少し下った次の沢が下ノ荒出沢で、両岸に門のような大岩が屹立し、上流まで露岩が続いていた。この道で初めて見る大岩で、昭和九年にここを通った岩科が「大きな白岩」と呼んだものだろう。この一帯は砂岩なので、崩壊などで地表に出たときは白っぽいが酸化により次第に黒ずんでくる。現在見られる岩は新しそうなものはなく、どれももう黒くなっていた。
ここからは昭和初期の古い道である。しかしむしろ道は良くなった。道の元々の作りが良かった上、遊歩道として整備し直したためであろう。東京都の水源巡視道を思わせる、広く歩きやすい道だった。谷川に蘖(ヒコバエ)したシオジが見えだすと、もう長沢だった。流れは積石で固められ、左岸に網が張られた何かの敷地があった。ここが岩科が報じた八十年前の小屋場と思われる。道標があり、今は一般人は使用できないシオジの森の駐車場へ下る道が左岸についていた。さらに牛馬道規格らしき良道を水平に進むと、突然柵が現れ、遊歩道は右の山腹へと登り始めていた。柵の向こうに、岩を掘削して林道は続いていた。崩壊し狭くなった部分があるので遊歩道化の際、この一帯だけが廃道化されたと見られる。百米ほど水平に進んで、危険箇所を高巻いてきた遊歩道に合流すると、すぐに大樺尾根の道標が見えてきた。
⌚ฺ 大峠-(35分)-上ノ荒出沢-(25分)-大樺尾根 [2017.11.4]
【林道途中へのアクセスルート】(確認済みのもの)
- 大指沢右岸尾根踏跡(899独標付近)
- 楢ノ木尾根道(泣坂ノタル)
- 楢ノ木尾根道から電源巡視道(三石タツマ下の分岐)
- シオジの森駐車場から遊歩道(大樺尾根)