水晶歩道 【廃径】

 水晶歩道とは、滝川源流の稜線直下を巡る歩道のうち、雁峠から釣橋小屋上までの部分を指す名称である。付近では古くから盗伐が行われていたらしく、昭和十八年の記事によれば面蔵滝付近に数十年前の盗伐作業道の腐った桟橋が見られたという[1]。正式な開発が始まったのは第二次大戦後のことで、昭和二十八年の第六次経営図[2]に、雁峠から水晶谷までの車道の計画線が記入された。秩父営林署の第一次経営計画では、雁峠から3000mの笠取索道を架設し、昭和35年度から水晶谷の伐採を開始する予定だった[3]。水晶歩道と水晶小屋は索道架設とその後の伐採用に整備されたと考えられる。昭和三十三年に奥多摩山岳会の樽井秀美が面蔵滝上を通過したとき道はなく[4]、三十八年の管内図[5]に図示されたので、その間に作設されたものと見られる。歩道が出来たものの、索道の架設は実現せぬまま、昭和37年の第二次経営計画では架設予定が撤回された[6]。採算性か技術上の問題か分からないが、いずれにせよ長距離搬出に問題ありとされたのであろう。そうこうする内、昭和42年の第三次経営計画では搬出手段は水晶谷を横断する車道「奥秩父林道」によるものとなった[7]。国道140号の建設が少しずつ進展し、それに接続する車道を使った開発方針に切り替えられたのであろう。
 歩道の全線が初めて図示されたのは、三十八年の管内図[5]である。従って、恐らく三十年代半ばに開通したのであろう。同図が示す経路は、雁峠の北側すぐ下を通過する車道の斉木林道から分かれて、古礼沢、水晶谷を渡って、釣橋小屋上で滝川林道に出合うものである。しかし五万分の一の大縮尺に加え、当時の地形図の精度の悪さもあり、管内図からは詳細な経路が分からない。この歩道は最新の施行実施計画図[8]にも収載されているが、道筋の記入は全く粗いもので、とても経路を特定できるものではない。昭和四十年の奥多摩山岳会の貴重な通行記録[9]によると、水晶谷遡行時、面蔵ノ滝(最近ガイドブック等で間違った滝が「面蔵の滝」と呼ばれており、正しくは1430M付近の十数Mの滝のこと)を越えた先、「二、三の小滝を越すと源流化し、まわりが開けて来た頃林道に出る。(この道は田辺さんの話によると営林署の巡視路だそうで雁峠へ抜けている)沢の右側には小屋があり五人くらいは泊まれそう」であったという。営林署小屋のところで水晶谷を横切るのが水晶歩道である。彼らは面蔵ノ滝から二十分で歩道に出合って遡行を終え、雁峠まで正味二時間四十五分で歩道を使って抜けている。渓嶺会の高橋泰一も、谷が開けると左岸に丸太造りの素朴な水晶小屋があり、荒れてはいるが七、八名は泊まれるとしている[10]。小屋の前を、黒岩林道から分かれて黒岩尾根に絡んできた道が横切り、古礼沢を横切り、ブドウ沢に入って雁峠に達すると述べている。しかし同じく奥多摩山岳会が昭和五十二年に発表した水晶谷遡行のガイド記事[11]では、小屋及び歩道についての記述はなく、谷を渡る部分は流失していたようだ。このガイド以降、水晶小屋跡の少し上から登る雁坂小屋への踏跡が記されるようになった。

● 雁峠~古礼沢

 現在、笠取小屋に達する車道は、かつてブドウ沢まで伸びていた。その車道は、笠取小屋から奥秩父主脈縦走路までは、現在も登山道として使用されている。その先の廃道部は、埼玉側に入り、笠取山の下を回りこんで雁峠の直下に至り、高度を落とさぬまま水平にブドウ沢左岸を少し進んで分岐する。一方はそのまま高度を保ちながら水平にブドウ沢左岸を進み、他方は折り返してブドウ沢に下っている。部分的に崩壊、流失があるものの、今でもほぼ歩行可能である。
 雁峠から埼玉側に薄い踏跡を30秒も下ると、笹原の中に明瞭な車道跡が見られるので、それを辿る。車道跡はブドウ沢の左岸、燕山からブドウ沢出合に落ちる尾根の山腹を、水平に進んでいる。
 二本目のガレた沢で、渡沢点から左岸にかけてが幅広く流失しており、バラけた高巻き踏跡で通過する。3分ほど高巻いたら、適当に下れば車道跡の続きが見つかる。
 次の沢もガレており、車道跡は再度流失している。岩稜をうまく抜ける踏跡を使って数分進むと、車道跡が復活する。地形図ガレ記号下の水流のある小さな窪で、車道跡が終点となる。ここからは明瞭な歩道が、そのまま水平に続いている。
 歩道になった直後、目の前の大きめの崩壊を20メートルほど高巻き、続いてガレ沢を通過する。その先の笹原の小尾根を回って少し進むと、次の小窪はガレていて悪く、約30M登って高巻く。
 踏跡は、そのまま高度を落とさず水平に進むもの、高巻いた分を下るものなど、不明瞭に分散する。一度合流するが、再び水平と小窪を登るものとに二分し、約2分でまた合流する。
 桟道の古い丸太を見ると、水平に行く道は、潅木とシャクナゲが繁茂したブドウ沢・古礼沢中間尾根を一度1800M圏で乗越す。尾根上の燕山側、乗越から10M位先のヤブの中に、若干の展望が得られる小さな岩がある。
 道は尾根の古礼沢側を短区間急降下すると、バラけた踏跡になり、尾根筋と平行に進むようになる。1770M圏で踏跡は再度、尾根筋に乗る。
 尾根筋を行く踏跡を捨て、古礼沢に向かって支尾根を下る林道の道筋を取る。丸みを帯びたやや不明瞭な尾根筋の、左手を絡むように、道は下っていく。斜面につけられた道なので、あまり明瞭でなく、分散気味だ。
 シラビソの疎林と低く疎らな笹を縫って、軽快に、しかし道を失わぬよう用心深く下る。1630M辺りから笹が高く濃くなり、尾根筋に絡んでの歩行が難しくなってくる。道は猛烈な笹ヤブを避けるように、左の小沢方向に逃げながら下る。深い笹の中の踏跡が幾筋にも分散し、見通しも聞かないため、ルートの確保がままならない。メインルートを何度も失っては発見しながら、少しでも薄ヤブを狙って蛇行しつつも、トータルではほぼ斜面に対して垂直に、小沢に向かって下っていく。
 一瞬笹の切れ目で良道となったが、両方向ともすぐ笹ヤブ中の不明瞭な踏跡となっており、それを何回か繰り返した。
 いったん左の涸窪に降りたが、水流が現れると、道は再び笹ヤブに突入する。窪はかなりの急傾斜で、気安く下れるものではない。暫く笹の弱まる場所を縫って、尾根筋方向にトラバースするが、尾根上に乗らないうちに、再度猛烈な笹ヤブを電光型に急降下する。笹ヤブに入ってからずっと、幾筋もの不明瞭な踏跡が集合離散を繰り返し、ルートの確保に非常に神経を使うので、意外と時間が掛かっている。
 水流の現れた窪まで再び下ると、少しの間右岸に沿って下るが、滝が連続する急流になると、また尾根筋方向に笹ヤブの中を逃げていく。その窪の右岸小尾根を通過の際、その小尾根を下る踏跡も見えるが惑わされず、トラバース気味の緩い下りを続ける。なかなか古礼沢が近づかずイライラするが、我慢して回り込んでいく。  ようやく流れが見えてくると、左の小さな涸窪状地形に下り、そのまま古礼沢に降り立つ。古礼沢は、出合付近の右岸は崖のような急傾斜が続くので、貴重な下降点だ。
 下降した場所は、水晶谷出合上のゴルジュを抜けた、穏やかな河原の部分だ(1330M圏)。河原の立木に白テープを巻いた。
 なお、後日この尾根を尾根筋の枯死しかかった笹ヤブの薄い踏跡を下ってみたが、概ね問題なく下ることが出来た。周辺山域同様に今後笹ヤブが消えれば、この尾根筋ルートがメインになるのかも知れない。

 

⌚ฺ  雁峠-(1時間30分)-古礼沢 [2014.5.4]

● 古礼沢~古礼沢・水晶谷中間尾根1680M圏(尾根を離れる地点)この節の記述が長期間欠落していた事に気づき訂正しました。申し訳ありませんでした。2024.2.18

 古礼沢・水晶谷中間尾根に向かって、地形図でも見えるか見えないかの微小な枝尾根を登っていく。取り付きは蟻地獄のように崩れるので、斜面にしがみ付くように登る。すぐ樹林と笹の落ち着いた林相となるが、地形はあまりはっきりしない。両側は何となく谷っぽく、またちらほら露岩も見えるので、どちらにも寄り過ぎぬよう真ん中を登っていく感じだ。
 古い道筋は尾根に絡むように、折り返しも入れながら登ってることが痕跡から分かるが、倒木や流失のためそれを追い難く、敢えて踏跡のない稜線をきっちり追ってみたりもした。この区間は、ほとんど歩かれていないのかも知れない。
 1570M圏のあたりで古礼沢・水晶谷中間尾根に出る。ヒノキに覆われた暗くて明瞭な尾根筋に変わる。こういった天然ヒノキの尾根道は、基本的に分かりやすく安定しているが、何分長期間利用されていないらしく、良い部分と痕跡程度の部分とが混在し、時に、岩場、倒木、シャクナゲ・笹等のヤブなどで寸断されている。
 尾根筋には一貫して、古い切株が点在している。切口の腐敗具合から見て、数十年前のものと思われる。大木がまだ多数残っていることから、かつてこの尾根で国有林の択伐が行われていたのだろう。想像するに、修羅(木材運搬用滑り台)を組んで古礼沢に落とし、釣橋小屋あたりまで流したのだろうが、大変な労力である。昭和30年前後に、奥秩父では幾本もの歩道が新設・再整備された。水晶歩道は、荒廃状況から推定し数十年が経過していると見られるので、その頃開設されたものであるかも知れない。
 この尾根は意外と地形図で見えない凹凸が多く、道はそれを左右からうまく巻いて進んでいる。ただし岩場やヤブがあると、複数の踏跡にしばしば分散している。展望が利かず、地形図も微細な凹凸が異なっているため、なかなか現在位置が分からない。急登と緩い登りとを交互にこなすこと約30分で、1676M独標らしき岩勝ちなシャクナゲヤブの小峰となる。踏跡分散のためルートを探すも、南巻きが優勢のようだが明瞭な踏跡は見つからなかった。
 1680M圏と推定するが、尾根上の踏跡が右に逸れる地点があった。小ピークの巻きとも思ったが、直感的にここから林道は水晶谷へ向かうのではと感じた。慎重に捜索し、尾根筋よりトラバースの方が優勢であることから、ここから分散気味の踏跡が水平に発生しているものと判断した。つまりここが、水晶歩道が水晶谷に向かって中間尾根を離れる地点であると思われた。

 

⌚ฺ  古礼沢-(1時間15分)-古礼沢・水晶谷中間尾根1680M圏 [2014.5.4]

● 古礼沢・水晶谷中間尾根1680M圏(尾根を離れる地点)~水晶山東尾根1690M圏

 トラバース踏跡はすぐ二手に分かれ不安定になるが、いずれも暫く水平に続き合流した。以後、たびたび現れる倒木・小崩壊などの障害ごとに、分かれては合流を繰り返した。そのため基本はほぼ水平なのだが、上り下りが意外と多い。少なくとも尾根道よりは格段に分かり難く、常に注意を切らさず道筋を見極めながら進む。
 立派な木が点在する低い笹と倒木の一帯を抜けると、古礼沢左岸尾根1870Mから来る急な窪の深い切れ込みが近づいてくる。手前にその支窪があり、二本を連続して渡る。窪の通過箇所が複数あるのか、踏跡は分散している。支窪は急だが水がなく意外と容易に渡れた。主窪は水が流れているようで、大部分が雪渓で埋まっている。対岸に邪魔な大倒木があるが、雪渓で踏跡が消え回避ルートが不明だ。ひたすら水平に、雪渓を渡り倒木を潜って突破すると、徐々に高く濃くなってきた笹の中に道の続きが見つかった。道型は十分認識できるが、完全に笹に埋もれており、殆ど踏まれていない雰囲気だ。
 2~3分笹を漕ぎ分けると、古礼沢・水晶谷中間尾根の2070M圏小峰付近から来る次の窪が現れた。ここも雪渓に埋まっており、対岸は小さな岩壁のように見えるので、いたずらに雪渓に突入せず近辺をよく捜索した。幾つかの高巻き踏跡があり、雪がないと厳しい窪なのかもしれないが、今回は雪渓上を急傾斜ではあるが自由に行動できる。そこで十数メートル高巻いた地点で窪を渡ってみると、向うに左岸支窪らしいもう一つ窪がある。結局雪渓沿いに、最初に窪に出会った高度に当たる支窪の合流地点まで、高巻いた分を下りなおした。対岸の岩壁状は、まずまずのホールド、スタンスともあり、この林道を行くレベルの登山者なら通過は容易だ。
 いよいよ酷くなった笹ヤブの中、相変わらず道型は水平に続いている。太く密度の濃い笹の束が、斜面から歩道上に下がってとおせんぼになっており、その僅かな隙間から道が見えるのだが、通るに通れない。小尾根を回り、水のない窪を渡る。横倒しの激しい笹の束を、大股で一歩ずつ跨いでいくので、時間ばかりが過ぎ、一向に前へ進まない。その中に倒木や小崩壊が点在するので、それも回避しながら水平に進む。回避中のあるとき、笹に足を取られて滑り台のように滑落したが、「トンッ」と止まった段差のようなところが正規道であった。
 地形図でぎりぎり判別つくほどの小さな尾根や窪を過ぎ、笹が心なしか弱まり始めたと思うころ、立派なヒノキに覆われたガラッと雰囲気が違う丸みを帯びた尾根に出た。尾根上のちょっとした窪みに、朽ちて細くなった古い桟橋らしい二本の細い丸太が掛かっている。笹ヤブの中に次の桟橋の残骸も見えるが、笹がびくともせず進めない。笹を高巻いて向うに行くと、ヒノキの森の中にまた小尾根がある。北東に向かうこの尾根は、水晶谷1350M圏の排煙塔(雁坂トンネル火災時に煙が充満しないための逃がし口で、谷中に異彩を放つ大建造物)へと落ちる支尾根のようだ。
 この尾根を境に笹が消えた斜面を、林道はさらに水平に続いているのが見える。尾根には、しっかり確認しなかったが下から踏跡がきている感じがあり、また上に向かう明瞭な踏跡が付いていた。ここまでの時間の掛かり方を考えると、ここで撤退しないとまずいと判断した。

 

⌚ฺ  古礼沢・水晶谷中間尾根1680M圏-(2時間)-水晶山東尾根1690M圏 [2014.5.4]

● 水晶山東尾根1690M圏~水晶谷降下点(1460M圏)

 緑濃い急な山腹のトラバースを始めると、水平道はすぐ道型不明な痕跡になり、直ちに道の向かう先が分からなくなった。しかし小さな露岩近くで、片方が土に埋まり片方空中に突き出た丸太があり、その枝がスパッと切り落とされているのを見て、岩に渡した桟橋の残骸であることが見て取れた。次に見た岩に引っかかったような一本のぼろぼろの丸太には、細い針金が巻き付けられていた。道型はほぼ失われ、踏跡も定かでなく、このような桟橋の残骸だけが確実な道しるべだった。道の荒れ方は猛烈で、右往左往しながら道の痕跡や踏んだ跡を探して進んだ。シャクナゲヤブや倒木が出始め、前方に大きな岩場が現れ、もはや道の痕跡は微塵もなかった。釘を打ち付けた朽ちた桟橋の残骸が、シャクナゲヤブに引っかかるように斜めなって落ちていたので、見当をつけて勘で進んでいたが、まだルートは失ってないようだった。薄く途切れがちな道型が、倒木・シャクナゲと幼木のヤブ・崩礫の間に明滅し、行くべき方向が分からず水平と仮定して進んだ。先の尾根からもう20分も歩いたのに、まだ70-80Mしか前進していなかった。猛烈なシャクナゲヤブを抜けたが、累々と倒木が連なる荒廃した斜面ではルートの当ても無く、むしろ今から道を通すなら地形的にここだろうか、という場所を見定めながら進んだ。露岩が出てきたのでやや登り気味に越した。時々、伐採にしては細い直径10cmほどの切株が見られ、現地調達した桟橋用丸太の切株と思われたので、これも一つの道しるべになろう。
 1410M圏出合支窪の水のない源流を渡った。時に見る道の薄い痕跡や桟橋で、辛うじて経路が正しいらしいことを知った。直進は難しい岩壁が現れ、その手前を戻る様に折り返して登る気配を感じた。捜索の結果、さらに九十九折で登った後、30M程上のシャクナゲヤブの隠に水平に行く微かな痕跡を見つけた。荒れた薄い痕跡は先に続いてる感じがしたが、これが道であるかどうか判断しようがなく、信じて頼るしかなかった。モミとシャクナゲの中に少しの間薄い水平痕跡が続いたが、一面に倒木・幼木と礫が広がる斜面で一切の痕跡が消えてしまった。ここを水平を保って適当に抜けたが、続く水平痕跡が見つからなかった。微小尾根を下降する痕跡が見られたが、これはおかしいと思った。この微小尾根で一本入れて、よく検討してみた。水晶歩道はまだ基本的に水平を保っているはずであり、下る痕跡はむしろ道を失ったかつての通行者がつけたものかも知れない。尾根の踏跡がよく残り、トラバースする道が消えやすいのは、古林道歩きの常識である。「倒木・幼木と礫が広がる斜面」をじっと見て、その先に続くであろう地形と微かな痕跡を具に観察すると、実際に見えたというより勘に近いものと思うが、一つのルートが浮かんで来た。道筋は、「倒木・幼木と礫が広がる斜面」を斜めに緩く下ってきて、今いる微小尾根を回り込み、なおも斜めに下っていると思われた。それが正しい前提で、さらに前進を重ねた。踏跡らしき気配は断続的ながらも稀に現れ、それを繋ぐ経路は徐々に高度を落としていた。たびたび急下する痕跡を見かけたが、騙されずに極力水平か緩く下る痕跡を採った。小さな水音が聞こえて来ると、ちょっとした岩場を下降して1440M圏右岸出合支沢に下った。この難しい下降箇所には、かつて桟橋があったに違いない。支沢は水を汲むには十分な流れで、渡った部分の傾斜はきつくなかったが、下流側は落ち込んで見えなくなっていた。
 しばらくの間、支沢左岸の高みを下る倒木と幼樹の極悪路の地獄が続いた。デタラメに行くのでなく、殆んど見えない道を外さぬ様に行くのは、強いストレスだった。1813独標尾根から下りてくる支尾根の岩稜をかわし、支沢左岸の支窪をうまく渡りながら、薄く断続的な痕跡を探して下った。倒木や幼樹の中で多数の痕跡が入り乱れ、正道が分からなかった。どこでも歩くことが出来、この部分、道は消滅していると言ってよいかもしれない。最大公約数を広いながら下り気味のトラバースを続け、結果的に常に水音を聞きながら支沢の左岸斜面をうまく下った。断続的ながらも常に何らかの痕跡や気配が断続的に感じられ、ルートを外していない根拠にはならないとしても、気休め程度の安心感を与えていた。所によりシャクナゲヤブや倒木が目立ったが、たまに見る痕跡を感じながら下った。下り方向なので時には上から見回して、多少植生が透いたところを狙って下ると、そこに痕跡を見つけることが出来た。この区間を見通しの利かない登りでルートを失わずに通るのは、まず不可能だろう。
 1650M圏で、待望の1813独標尾根に乗った。尾根は一面天然ヒノキの森で、下層が薄い笹ヤブになっていた。上からくる踏跡は、85年前の原全教の水晶谷の(記録上の)初遡行時にもあった盗伐道の残骸だろう。現在は遡行者のエスケープルートとして使われていると見られる。付近の切株は100年前のものには見えず、水晶歩道開設前後に切られたものと思われた。広く、小さな分枝が不規則に分かれる尾根に絡んで多くの薄い踏跡が付いていて、正道が分からなかった。尾根が左右に分かれ、踏跡は両者の間の薄ヤブの窪を下る感じだった。あいまいな地形のためその時は分からなかったが、帰宅後見たGPSでは左が主尾根であった。 その窪に次第に露岩が現われ、10M以上の長いボロ丸太が一つの岩に引っかかっていた。とてもそうは見えない荒れた斜面なのだが、打たれた錆釘や鎹(かすがい)から、まさにここが林道と分かった。1590M圏で再び左の主尾根に乗る辺り、水晶歩道に入ってから初めて道型が数十M続いた。尾根の僅かな凹凸で鞍部状になった地点から、道は折り返して窪に戻っていた。この道型が続けばとの願いも、すぐシャクナゲヤブに断たれ、下方を覗き込んでは明滅する道の断片を見つけ、時に見られる桟橋の残骸を探しては尾根の右寄りに絡んで下った。一度は激しい倒木とシャクナゲで道を失ったが、また偶然斜めに下る道型見つけた。
 道は折り返しを止めて長く斜めに下るようになった。主尾根を回ると、岩場の捌けた長いトラバース気味の斜面になった。かつての桟橋が消え、木の根や岩角をホールドとした危っかしいトラバースで通過した。一度見えた道型は、すぐ前方の崖で行き詰まった。ここは地形図の崖記号(1440M圏右岸支沢出合上の右岸にあるもの)の上辺り、実際どちらを見ても崖、活路はなかった。上流側に大きく高巻けば谷には降りられると見られたが、水晶歩道を追うためには通過する必要があった。左岸の泥岩質急斜面の甘いスタンスを頼った長い下り気味のトラバースで、この斜面を一気に下った。歩道があった当時は、人工的な連続桟橋を架けて通していたのだろう。下から見上げると、ただの崖にしか見えなかった。もう二度と通りたくない場所であった。
 いよいよ谷が迫ってきて、適当に下ればすぐなのだが、対岸の道の続きを見つけるためにも、厳密にルートを辿る必要があった。上から落ちてきた礫で道型は消えており、恐らく崖を避けるルーティングを探したり、道を失ったものが探し回ったりしたためであろう、痕跡は様々な方向に散っていた。下流側は崖が酷く行き詰まり、上流側は数分少し先で痕跡が途絶えていたので、先ほど下った恐怖の泥岩質斜面を抜けた地点から、緩い窪状を真っ直ぐ下るのがルートと思われた。下り着いた所は、水晶沢1460M圏の伏流した荒れた河原で、正面には北向きの水がない小窪が入り、両岸は切り立った岩壁になっていた。聞こえる水音から、すぐ下から水流があることが感じられた。

 

⌚ฺ  水晶山東尾根1690M圏-(2時間)-水晶谷降下点 [2016.10.15]

● 三本桂沢1220M圏二股右股窪~滝川林道合流点(1217独標付近)

 三本桂沢右股窪から滝川林道に接続するまでの最後の区間は、数少ない情報からでは、完全なルートの特定ができなかった区間である。林道が開設されたと推定される昭和30年代前半以後の地図情報としては、等高線入の秩父営林署管内図(昭和38年、5万分の1)が、実質的に唯一のものである(昭和50年代以降の国有林図は、旧図上の林道経路を新図に転写したため、明らかに変な道筋が記入されていて参考にならない)。昭和48年以前の地形図は明治43年測図のものを修正使用していたため、下図に示した通り、細部の地形が全くおかしい。例えば、釣橋小屋や枝沢出合の位置が異なり、滝川林道、黒岩林道とも相互に違う位置に記入されている(しかも実際の林道の位置とも異なる)。しかも旧図には、滝川林道の国有林・演習林境界尾根乗越(1180M圏)付近の特徴的な平坦な地形が全く存在しない。そのため、不正確な旧図に記入された水晶歩道の経路もまた、実際の地形と符合しないおかしなものになっている。
 滝川林道との関係を軸に水晶歩道の道筋を見てみると、旧図では滝川林道が釣橋小屋へと下り始める直前で分岐し、尾根を数十M(20M間隔の等高線で2~3本分)登ってから、尾根の南側をトラバースしつつ登っている。試みにその道筋を新図に転記してみると、地形を無視した全く意味不明な経路になってしまう。仮にその道筋が正しいとするなら、下流側から来たとして、境界尾根を乗りこしていったん数十Mを下り、そこで分岐してトラバース気味に登り始めることになる。ところが実際にはそこに激しく崩壊した小窪があり、トラバースしての通過は難しい。この通過困難な崩壊小窪については、上下両方から通過を試みいずれも困難であったことで確認した。
 つまり境界尾根を数十M登り、崩壊窪の上端を過ぎてからトラバースを開始するのが道筋とみるのが妥当であろう。昭和30年代には境界尾根上を行く林道が存在していたことも、その尾根を登ってから分岐するとの仮説を後押しする。残る問題は、境界尾根のどの地点で分岐していたかである。崩壊小窪上端を通過するなら1270M圏が当時の境界尾根の林道との分岐となるので、管理図と一致が最もよく、現時点ではこれが最有力候補である。他に、境界尾根の1410M圏にある17補1の石標から水平に行く割と良く踏まれた踏跡があり、林道の本来ルートの荒廃後、代替ルートとして機能しているのかも知れない。

 

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左:国土地理院5万分の1地形図「三峯」(昭和4年要部修正)、測図は明治43年、右:同「三峰」(昭和49年編集)、測量は昭和48年
赤破線は管内図が示す滝川林道(図の右上→釣橋小屋)・分岐する水晶歩道の経路、青丸は滝川林道が国有林・演習林境界尾根を乗り越す実際の位置

 

 三本桂沢右股窪の左岸は、常緑樹に覆われた岩稜混じりの小尾根だった。下方が激しく落ち込んだ小岩稜を、落ち込み直前の土と露岩の混じった一帯をうまく抜け、下り気味に進んだ。木々の間に多くの踏跡が見え、水平なものに入らず、なるべく下り気味のものを選んで次の小岩稜も通過した。断続的な痕跡を繋ぎながらの長いトラバースの後、危険な切れ込みの上端を注意深く渡って、ようやく小尾根の平らな部分を1360M圏で乗越した。平らといっても岩稜のためゴツゴツした森に覆われた場所であった。向こう側はすぐ先からすっきりした疎林になっていて、下り出す小さな道型が見えていた。
 釣橋小屋前に落ちる窪を渡る捌けた斜面で道は消え、たまに出る露岩を避けつつ下り気味に適当に進んだ。砂礫の流出で均された道型のない斜面を探りながら下り、2、3の小さな露岩帯を抜けた。多少踏まれているが、道とはいうほど明瞭なものではなかった。釣橋小屋前に落ちる窪の左岸尾根はやや発達した岩稜だったが、何とかうまく抜けられる場所があった。下を駆けていく2頭の鹿を見ると、ただの鹿道とも疑念も消えなかったが、ここしか抜ける場所はないので、たとえ鹿道であっても元々は古林道の経路だったろうと勝手に納得した。その岩稜から落葉の斜面を急下して、下方で滝川林道が滝川近くに下るガレた窪に降り立った。ここは逆コースで来ても、とてもルートが見定められないので、今や実質的に下り専用のルートだ。
 境界尾根の下にも露岩が多く、避けるようにザレた窪と境界尾根との間をトラバース気味に下った。薄い踏跡が見えてきてなぜか水平にいくと思うと、導かれるように自然と境界尾根に乗り上げた。そこは1270M圏の小さな舟窪地形がある場所で、その舟形の北縁を境界尾根の古林道、南縁を水晶歩道が通過し、その下で合流するような位置関係になっていた。直上には「火の用心」の赤札、直下の直径1M近い大木には境界見出標の小プレートが打たれていた。確認のため少し戻って、境界尾根に乗り上げず南側をトラバースしながら1180M圏まで下ってみたが、その直下に始まる激しく崩壊した小窪を渡ることができず、滝川林道が境界尾根に絡んで通過する1210M付近の地点で接続することは、とても不可能だった。約2ヶ月前に崩壊小窪の左岸側からトライした時もやはり通過できなかったので、やはりその上端を通過するこのルートが正道であろう。
 境界尾根上には、1217独標付近の滝川林道から黒岩林道の「境界尾根」表示点まで古い登山道が走っている。これを5分ほど下って、滝川林道に合流した。滝川林道が釣橋小屋に向かって急降下を始める寸前の地点である。

 

⌚ฺ  三本桂沢1220M圏二股右股窪-(40分)-滝川林道合流点 [2016.11.23]

● [逆行区間]落橋した垂壁のルンゼ(1410M圏左岸出合支窪)左岸~水晶谷を離れる地点(1450M圏左岸出合支沢)

 この渡れないルンゼには、長さ10Mほど、高さ20M位の橋桁を使って木橋が架かっていたと想像される。対岸に桟橋の残骸のように見える丸太が飛び出しているのが見えるが、左岸は危険で崖のギリギリまで近寄る事ができず、立木の隙間から見ることしか出来ないため、正確なところは分からなかった。早速、高巻きのためルンゼ左岸の笹ヤブを登り始めた。10分ほどで今朝下って来た小尾根に乗り、さらに少し登った恐らく1650M付近でルンゼを渡れそうな雰囲気を感じ、水平にトラバースを開始した。およそこの辺でルンゼを渡れることを二週間前に確認していたからである。前回より10-20M下の部分と思われ、スラブと礫とのためやや崩れやすく、右岸もスラブに乗った不安定な土で要注意だったが、大きな困難はなくルンゼの右岸に回り込むことが出来た。
 数分のトラバースの後、はっきりした踏跡がないルンゼ右岸の微小尾根を下った。右岸の林道の痕跡を見逃さぬよう、時々林道の捜索を挟んだ。小尾根の傾斜が急で下れなくなって来ると、右の小窪を使ってなおも下った。水晶谷の水音がかなり大きくなってきた。面蔵滝から続く連瀑帯が発する音であろう。尾根に絡む様に歩きやすい小窪を下ると、ヤブに若干隠れ気味に桟橋用の丸太伐り出し跡らしき切株が見られた。道型は見えないが、近くに林道がある可能性が高い。確認のため、できるだけルンゼの近くまで行ってみた。笹ヤブを少し行くと、緩く傾いたスラブに乗った薄い土の層を踏んで進んだ。その末端で目にしたのは、さらに切り立った岩壁を30Mほど伝ってトラバースする水晶林道の道筋だった。崖の途中のテラスを伝って架かっていたであろう桟道の残骸は落下して殆んど失われていたが、朽ちた木の根から吊った数本の細い針金に腐朽した丸太が下がっていた。その向こうにようやく見える、落橋した垂壁のルンゼに飛び出した倒木の様なものが、左岸で見た桟橋の残骸のように見えたものの正体らしかった。しかしかなりの距離があるので、確かめようがなかった。

 

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水晶小屋跡付近

 水晶小屋跡へ向けて、断崖が連続する左岸をどう抜けるのか、不安を抱えながら出発した。道型は極めて不明瞭で、道かどうかも分からぬ薄い痕跡を追って、所々に露岩が点在する枯死笹ヤブを急下した。それでも時々、ごく短い道らしい部分があり、これが正道の道筋と感じられた。下方に見える緩い部分に向け斜めに下る痕跡を辿ると、その小尾根状地形が緩んだ部分に桟橋の切株があった。振り返ると、下って来た部分は道の痕跡のように見え、少なくともここまでは正しいと確信された。そこは微小尾根上で、後方は高さ10Mほどの大岩が控え、右の窪に下る気配があり、また微小尾根にも下る踏跡もあった。
 まず比較的明瞭な小尾根を下降する踏跡を追ってみた。すぐ右の窪は両岸が鋭く切り立った崖になり、とても通過できないようになった。小尾根の踏跡は枯死笹ヤブを急下し、水晶谷の連瀑帯がよく見える位置まで下降した。一番奥に釜を持つ8Mナメ滝が見え、途中の2つの小さなナメ滝、目の前の美しい2段になって捩れた滝が、黄葉を透かしてよく見えた。真下は竦む様な崖になっていて、その陰から直下の面蔵滝の一部が飛沫を覗かせていた。右の切り立った窪には大倒木が何本も転がり、下るにもビレイを付けての登攀装備でなければ危険な状況だった。左の窪状から水晶谷に下れる可能性もあったが、その場合面蔵滝と、その上の2段捩れ滝を巻いて登り返す必要があるので、経路としてはいささか不合理だった。
 この小尾根ルートは違うと見て、いったん10Mの大岩下に戻り、右の窪に下る気配を追ってみた。水晶谷出合から遙か上方まで両岸が切り立ったこの窪は、不思議とこの部分だけは両岸が緩んでいて渡窪可能な状況であった。渡窪部で微かな痕跡を感じたが、右岸に入ると道型の殆んどない見えない枯死笹ヤブのトラバースとなり、程なく一つ隣の窪との中間小尾根に立った。隣の窪もまた両岸が垂壁で全く取り付く島もなく、その中間小尾根を下る以外、活路はなかった。所々が痩せた枯死笹ヤブの小尾根の踏跡を急下し、何とか谷近くまで下り切った。隣の窪を出合近くの緩い部分で無事渡ることが出来た。見覚えのあるこの場所は、先月水晶谷の右岸から下ってきて達した地点で、その時はこの窪の左岸小尾根の登り口がヤブっぽいため、林道の続きを確信できずに諦めてしまった。この付近はほとんど桟橋がないため林道の経路を断定するのが難しいのだが、窪を見上げると遙か上まで長くスラブが続いているので上部での渡窪は容易でなく、やはり今来た経路が正道であろう。

 

⌚ฺ  落橋した垂壁のルンゼ-(1時間20分)-水晶谷を離れる地点 [2016.11.12]

● [逆行区間]排煙塔左岸出合尾根~落橋した垂壁のルンゼ(1410M圏左岸出合支窪)左岸

 一見水平道が消えたように見えたが、水晶小屋跡へ出るには、水晶歩道はまだ水平に続いているはずであった。笹ヤブを捜索すると、10M程先に水平を向いて丸太が落ちていた。桟橋の残骸に違いない。道型や踏跡はすっかり消滅しており、凡そのルートを知らないととても追いきれるものではない。地形図に見える次の微小窪も悪く、岩壁に架かる桟橋はすっかり落ちていた。ヤブを纏った波打つ岩の斜面を幾つも通り過ぎていった。時々目にする道の気配や断片は悪路通行の足しにもならないが、それ自体が林道経路の目印としての大事な役割を担っていた。かつて道があった場所であり、岩の巣も必ずどこかに通れる箇所があった。その正道の痕跡とは別に、弱く途切れ途切れの踏跡も時々見つかった。廃道化後の通行者が、ヤブを避けて踏み慣らした跡と思われた。ガレて岩勝ちな小窪を渡る時、対岸に水晶山とそこから出る色づいた小尾根が顔を覗かせたが、心には余裕がなかった。
 微流の小窪を通過し、あるかなしかの痕跡、いやかつて道があったかも知れない雰囲気を感じつつ、時々見える丸太に元気を貰いながらゆっくりと進んだ。笹ヤブは8割方枯死していたが余りにも濃密で向こうがたいして見えなかった。隙間にうっすらと道の気配や桟橋の残骸が見えるのを、必死に探した。笹ヤブが元気だったころならお手上げだったろう。不明瞭にそれとなく続く道の雰囲気は、かつて豆焼林道を歩いた時の雰囲気に似ていたが、それよりさらにヤブは濃く、斜面は険しかった。道を塞いでいた倒木を処理した跡が見える所を通った。道型はほぼ消えているのに頻繁に人の活動の痕跡が次々と現われるのは、何だか奇妙な気分であった。
 この下にある面蔵の滝から来るものだろうか、ゴーゴーと強い瀑音が響いてきた。酷いヤブを踏跡に従い高巻き、また岩勝ちになってきた斜面を下り勾配の太い桟橋を横目に下った。山腹はますます険しさを増し、ヤブを分けて一つの古桟道を過ぎたところで、少し先に垂壁が見えてきた。行って見るとそこは幅10M近くはあろうかというルンゼ状の岩窪で、手前側は激しく落ち込み、対岸のやや高い位置に折れた桟橋の残骸が見えていた。かつては両岸を渡す10M位の丸太橋が渡してあったのだろう。両岸とも45度以上の傾斜で深く落ち込み、下降して登り返すのは林道歩きの範疇としては難しかった。見上げると両岸の岩壁は途切れなく続き、高巻くにもかなりのアルバイトになる。以前、今向かっている水晶小屋跡付近から探った左岸の様子は、危険な岩稜や窪がいくつも長い筋となって何箇所も谷へと落ちていたので、この先続く水晶谷左岸の岩壁を渡り切れるかどうかも分からなかった。このルンゼは地形図では水晶谷1410M圏左岸出合小窪として示されている。

 

⌚ฺ  排煙塔左岸出合尾根-(35分)-落橋した垂壁のルンゼ [2016.10.29]]

● [逆行区間]1577独標~排煙塔左岸出合尾根

 倒木と、よく滑る倒れた枯死笹ヤブの筵とで、また大変になってきた。独標尾根で一時分かったルートもすぐ不明になり、水平を保って適当に行くしかなかった。笹ヤブは密度を増し、生きたものが混じるようになった。枯れたものが半分以上とは言え抵抗は激しく、消耗戦が始まった。正道が笹ヤブに埋もれ、幾つかの踏跡がそれを避けて分散しながらヤブの中をうねる様に進んでいた。水晶谷1330M圏左岸支沢の右股は、出合同様、両岸に露岩が連なりここでも伏流になっていた。道の痕跡を足場に使って注意深く沢の左岸を下り、岩勝ちな右壁に何とか取り付いた。
 笹ヤブはいよいよ濃くなり、半分位はまだ生きていて、身動きもままならなくなった。転落が怖いほどの急斜面をトラバースするのだが、余りの密ヤブに恐怖心はない。その中に時々見事に水平を保って丸太が落ちているのは、間違いなく桟橋の残骸であろう。しかしヤブが酷く近づいて確認することも出来なかった。少しでもヤブが薄くなる部分を狙って、通れるとこから僅かずつ前進した。
 先の伏流の沢の右岸急傾斜をもがきながら進むと、前方に上下に伸びた敷地を囲む塀の様な小さな岩尾根が落ちてきた。高さは知れていたが隙がなく、まずは10Mほど下に見えていたボロボロの長い丸太の方に行ってみた。手前の岩棚から渡りながら岩壁を乗越えるように、チムニー状の微妙な位置に斜めに架かった桟橋であった。何本も釘が打たれているが横木は一つも残っておらず、もはや桟橋として用を成していなかった。岩壁登攀が専門ならフリーでトラバースは可能だが、林道方向者にとってはきつい。下方は傾斜のあるスラブがさらに10M程下へ伸びていて、ここを落ちながら通過するのも嬉しくなかった。安全に行ける最下端まで岩壁沿いに下ったが、最後の一歩を岩の縁の土の部分に踏み出そうとした時、何かいやな予感がして止めた。すぐ上の木の枝に体を持たれ掛けて覗き込むと、今足を置こうとした場所は、底がない単なる枝や葉の堆積だった。体が危険を察知して、10Mスラブの落下を免れた。急斜面の猛烈な笹ヤブを岩壁沿いに登ってみた。余りの傾斜に掴んだ笹に大きな重力が掛かって抜けそうになるので、潅木があるところではなるべく利用した。10分も喘登すると岩壁の弱点が現われ、そこに水平な巻道が通っていた。まだ林道に通行があった時代、桟橋が落ちて誰かが笹の中につけた踏跡なのだろう。この踏跡も今は笹に埋もれ、行って初めて気づく存在でしかなかった。この岩壁がある急で痩せた小尾根上は意外にも踏跡があり、苦労した約30M分の高度をあっという間に急下した。あっさり桟橋の反対に回り込んだ。ヤブは薄く、反対から来れば迷わずこの尾根を登って巻くことを考えただろう。
 岩壁の小尾根の直後、笹ヤブが一瞬弱まり踏跡が続くところがあった。ここからしばらく地形図では分からないが、一筋縄ではいかない露岩の落ち込みが次々と現われた。桟橋が落ちた微小窪を渡り、次の窪のも岩壁も桟橋が落下し何とか岩を伝って下った。その直後の岩壁は辛うじて残る桟橋を伝って渡った。横木や結わえた針金は失われていたが、まだ折れずに何とか持った。昭和30年代の桟橋は、保存状態がよいものなら何とか使う事ができる。直後に笹ヤブが激しくなり、3割方生きてるので抵抗も強かった。道が見えないので、とにかく桟橋の残骸を探しながら進んだ。次に見えて来たのは水晶谷1330M圏左岸支沢の左股で、左岸は桟橋の落ちた岩場、右岸も凄い岩稜になっていた。左岸の露岩帯をうまく窪まで下った所で振り返ると、今来たところはどこに道があるのか見当がつかぬ岩場であった。ありがたいことに小流の窪は水が汲める小沢で、喉を潤すことができた。
 渡沢点右岸の目立つ位置に直径20-30cmの切株があったので、道の通過場所のよい目標になった。この手の中程度の径の切株が林道沿線に散見されたのは、桟橋を現地調達した痕跡らしかった。少なくとも水晶歩道では、切株と桟橋の残骸とがペアになっていれば、付近を林道が通っていたと見て間違いないようだ。恐らくこの木で作ったと見られる立派な桟橋は、まだ腐った横木と錆びた針金まで残っていた。丸太自体もまだ何とか渡ることができた。生きた笹の混じるヤブはそれなりに手強く、点々と見る桟橋の残骸で道筋は明らかなのに思うように進めなかった。次の小尾根で踏跡はその下りやすそうな尾根を辿り始め、これまでの水平踏跡が消えているように見えた。ここが排煙塔左岸尾根なので、尾根の踏跡は排煙塔へと続くのであろうか。排煙塔の建設はH3-7年なので、約20年が経過している。建設時に、黒岩林道の「水晶谷直下」から小ケルンまで尾根を下り、水晶歩道を経てここに達し、排煙塔左岸尾根を下る経路が果たして使われただろうか。ここまでの水晶歩道は激しく傷んでおり、20年前に通過できたか確信が持てず、したがってこの経路が排煙塔への到達路であったことは、可能性はあるにしても不確かに思えた。むしろ航空測量時に使用された96図根点(水晶谷1330M圏左岸支沢出合付近)への道と見るのが自然かもしれない。

 

⌚ฺ  1577独標-(1時間5分)-排煙塔左岸出合尾根 [2016.10.29]

● [逆行区間]八丁頭南尾根右尾根(1610M圏)~1577独標

 黒岩林道の「直下水晶谷」道標から下った地点にあたる八丁頭南尾根右尾根(1610M圏)の尾根が一瞬平らになった所に、目印の小ケルンを積んである。水晶歩道はそのすぐ上を横切っている。
 谷の上流に向かう水平踏跡はほんの痕跡ほどのもので、捌けた斜面に明らかな道型は見えずとも、落葉の上のやや凹み気味の部分があって、他を歩くより多少歩きやすいことで道の存在を認識した。倒木とヤブの疎林はどこでも歩けるが、道型や踏跡はほとんど分からず、心持ち歩きやすい部分を拾って進んだ。こういう手掛かりのないトラバースは、感覚を研ぎ澄ませてルートを嗅ぎ分けるしかない最上級の技が要求された。斜めに倒れた枯死笹ヤブが筵のように敷き詰められ、倒木の多さと相俟って、全く見当がつかなくなった。不思議と水平に歩きやすい感触が続けば、そこが道のようだった。この感覚、この認識の仕方は、この手の場所を歩き慣れていないと分からないだろう。
 水音のみが聞こえる、伏流した水晶谷1290M圏左岸支沢の右股を渡った。この沢の出合で原全教は猟師の小屋を見たという。険しい水晶谷の左岸を下るとしたら、崖状になった他よりはやや傾斜の緩いこの沢から下ったのかも知れない。この伏流を渡ってから岩が目立つようになり、道自体が分かり難い上、安全に通過できる場所を見つける必要もあり、歩行速度が急速に低下した。どこが道かも分からぬまま、次々と襞状に張り出してくる露岩の間の通過可能な場所を、縫うように拾って進んだ。不思議と必ず何とか回り込める場所があったのは、そこが道であるからだろうか。岩稜が切れると、倒れた枯死笹ヤブが斜面を埋め尽くし、踏跡が全く見えない上に滑って歩き難かった。雰囲気を見ながらただ水平に進んだ。小崩壊や倒木も加わり、もはや歩くこと自体が大変であった。それでも道の痕跡らしき箇所やひいき目に見れば道型にも見える部分が数米続くことがあり、それを探し、目印にして繋ぎながら進んだ。
 ヤブの中に桟橋っぽい古い丸太が見えた。近くでよく見ると枝の切り落とし跡がある!この界隈で初めて見る、確実に林道であるとの証拠であった。礫と落葉が覆う山肌は全く踏跡が見えなかったが、踏んでみて多少硬い部分があり、道の気配は感じられた。ただ頻発する倒木ごとに、それを避けてあらぬ方向に進むため、その度に経路が不明になった。水晶谷1290M圏左岸支沢の左股は、伏流のまま分流していて、いつの間にか通過した。また手強そうな岩稜地帯に入り、どう抜ければよいか頭を悩ますようになった。上下に露岩をかわし、崩礫帯を抜け、探りながら進んだ。実に歩みが遅く、なかなか前進しなかった。道型的なものちらっと見えた後、さらに緩く上下しながらトラバースする踏跡が続くようになった。ここで初めて古林道であることを実感した。すぐに1577独標の尾根を独標付近で回った。潅木を潜って尾根の少し先まで行ってみると、崖の様に落ちる鼻に出て、前方の展望が開けた。水晶谷を挟んで古礼沢を隔てる低い尾根があり、奥には笠取から黒槐の稜線が見えていた。尾根の右に絡んで下る細く頼りない踏跡が見えた。

 

⌚ฺ  八丁頭南尾根右尾根-(50分)-1577独標 [2016.10.29]

● 八丁頭南尾根右尾根(1610M圏)~八丁頭南東尾根(1500M圏)

 ヤブのない自然林に、僅かに下り気味の細い踏跡が続いていた。時に二、三本が並走するので、隣の支尾根の1593独標付近でどれが本当か分からなくなった。尾根に乗って向こうに続く踏跡を探すと、1600M付近の尾根が傾斜を持ち始める地点で、それまでと同じ細い踏跡が続いているのを見つけた。つまりここが歩道が尾根を回る地点と言うことになる。ほぼ独標上を通過すのも、これが正道である間接的な証拠である。
 ここでいったんデポの回収に向かった。1593独標尾根の左を絡む明瞭な踏跡を登った。1680Mの尾根平坦部も左を絡んで通過した。1690M付近で左へトラバースする踏跡を分け、とりあえず1720M圏の尾根二分点に戻った。そこから南東の支尾根を少し下ってデポを回収し、やや下り気味のトラバース踏跡を東に向かうと、やはり1690M圏で分けた踏跡として登ってきた支尾根に復帰した。針葉樹と低い潅木に覆われた緩い尾根はどこも似た風景で根拠のない不安を覚えたが、そのまま数分下ると無事再び1593独標に戻った。ここにも白テープを巻いた。
 水晶歩道のトラバース踏跡に入ると、尾根とは比較にならぬほどの微かな弱い痕跡が続いていた。次の小窪は潅木や露岩で荒れており、続いて蔓草や小崩壊で痕跡すら消えた部分を通過した。地形図で傾斜が急になった所である。緩やかなフクロ窪に入ると、綺麗に均した斜面になり、痕跡はそこを緩く下っていた。窪には水はなく、一面の広葉樹の大木の中に多少の苔むした礫が転がる、秩父らしい美景だった。微かな踏跡はトラバースしながら一直線に高度を下げていたが、ごく薄い痕跡の判別は困難で、下り過ぎて道を外すこともあった。それでも見通しの利く下り方向だからこそ何とか道筋を追えたが、登りでは難しかったかもしれない。辺りをキョロキョロ見回し、一番それらしい部分を常に再発見しつつ、ルートを失っては復帰することを繰り返した。微小小尾根回る時にだけ、針葉樹に道型がうっすら現れた。
 1520M圏で踏跡はまた水平になり、黒岩林道の「天然カラマツ見本林」表示道標の尾根(八丁頭から南東に出る尾根)が幾つにも細かく分枝した微小尾根を次々と回った。回る度にそこだけ多少は道が見えていた。この標高では主尾根ですら支尾根と全く区別不能な微小尾根になっていて、そうと確信を持てぬまま通過した。踏跡は露岩に突き当たると、そこだけ明確になって上を巻いた。尾根筋以外は不明瞭な痕跡だったが、とにかく水平ないしはやや下り気味に進んだ。
 八丁頭南東尾根は、ちょうど林道が横切る辺りで形状が非常に不明瞭になっていた。殆んど気づかぬうちに主尾根を通過し、次に通る支尾根の方がむしろ少し立派に見え、若干だが尾根的な雰囲気が感じられ、ここには黒岩林道の「天然カラマツ見本林」道標から踏跡が下ってきていた。

 

⌚ฺ  八丁頭南尾根右尾根-(1時間5分)-八丁頭南東尾根 [2016.9.17]

● 八丁頭南東尾根(1500M圏)~三本桂沢1220M圏二股右股窪

 広葉樹の疎林を行く水平踏跡は、時には二分して並走しながら細々と続いていた。切れ込んだ小窪の上端を通過し、その左岸微小尾根を少し下ってまた水平になった。しかし数分先の三本桂沢右岸斜面に入ると土砂や崩礫で表層が均され、さらに落葉が覆うことで、弱い道型は消えてしまった。それでも微かな踏跡が続き、小さな岩窪を渡り、すぐ緩い窪にしか見えない涸れた三本桂沢を渡った。
 目の前に現われた、沢の左岸の手強い岩壁に目を奪われた。実はこの後に連続して幾つも現われるのだが、小岩稜とも露岩帯ともいえる一帯が断続的に現われ、トラバースするには岩壁状になった段差を乗越える必要があるので、道具を使わず確保なしで安全に通過するにはなかなか厄介なのであった。多分、10中8、9、通れそうなところは幾らでもあったが、それを果敢に責めるのはもはや林道歩きではない。あくまでも林道が通過していたであろう、確実なポイントを丹念に探すのである。
 まず20、30M下方のポイントを調べたが、微妙なバランスでしがみ付く様に通る必要があるので、ルートでないと判断した。僅かに登って、最初の小岩稜に乗り上げる事ができ、ホッとしたのもつかの間、向こう側の下りも岩壁になっていた。唯一使えそうな小岩稜上をやや下り左の窪状へ抜けるルートで、倒木を潜りつつ何とか乗り越した。見えて来た薄い踏跡で水平移動すると、すぐ2番目の小岩稜であった。廃桟橋でも残っていればルートが分かるのだが、すっかり捌けた土の部分からして、かつて桟橋があったとしても残骸は全て遙か下方に流されたはずで、何の手掛かりもなかった。結局、20-30M下った所に通過可能な場所が見つかった。続く3番目の小岩稜に何とか取り付くも、やはり向こうに降りられなかった。試行錯誤の末、先ほど下った高度を登り返すと、水平に通過する微かな痕跡が見つかった。
 捌けた斜面を短くトラバースすると、すぐ4番目の小岩稜だったが、泥斜面を細い木の根をつかみつつ同じ高度でトラバースすると、露岩の目立たぬ部分でうまく通過できた。そのまま5番目のツガとアセビに追われた露岩の点在する緩い小尾根状に差し掛かった。見た目は岩稜というより森に覆われた一帯であり、分散した数本の踏跡がトラバースしていた。ほんの一瞬、林道の良い部分が見られた。こんな場所に幾つもの踏跡があるのは鹿道に違いなく、どれが林道か分からなかった。廃道化して数十年、正道の部分すら現在は鹿により歩き継がれる状態だろうから、どの踏跡が正しいか考えるのもナンセンスだろう。いやな感じの急峻な露岩帯が現れ、トライするも安全な通過し難かった。この露岩帯は三本桂沢の1220M圏二股の右股窪の中に浮島のような形で存在するので、林道は無理に越えず下からかわしているのだろう。結局右股窪をどんどん下ると、いつの間にかその露岩帯は消滅した。この窪は礫が多く、踏跡は完全に消滅していた。この先、林道の道筋はどのように付けられているのだろうか。

 

⌚ฺ  八丁頭南尾根右尾根-(55分)-三本桂沢1220M圏二股右股窪 [2016.11.23]

● 三本桂沢1220M圏二股右股窪~滝川林道合流点(1217独標付近)

 三本桂沢右股窪から滝川林道に接続するまでの最後の区間は、数少ない情報からでは、完全なルートの特定ができなかった区間である。林道が開設されたと推定される昭和30年代前半以後の地図情報としては、等高線入の秩父営林署管内図(昭和38年、5万分の1)が、実質的に唯一のものである(昭和50年代以降の国有林図は、旧図上の林道経路を新図に転写したため、明らかに変な道筋が記入されていて参考にならない)。昭和48年以前の地形図は明治43年測図のものを修正使用していたため、下図に示した通り、細部の地形が全くおかしい。例えば、釣橋小屋や枝沢出合の位置が異なり、滝川林道、黒岩林道とも相互に違う位置に記入されている(しかも実際の林道の位置とも異なる)。しかも旧図には、滝川林道の国有林・演習林境界尾根乗越(1180M圏)付近の特徴的な平坦な地形が全く存在しない。そのため、不正確な旧図に記入された水晶歩道の経路もまた、実際の地形と符合しないおかしなものになっている。
 滝川林道との関係を軸に水晶歩道の道筋を見てみると、旧図では滝川林道が釣橋小屋へと下り始める直前で分岐し、尾根を数十M(20M間隔の等高線で2~3本分)登ってから、尾根の南側をトラバースしつつ登っている。試みにその道筋を新図に転記してみると、地形を無視した全く意味不明な経路になってしまう。仮にその道筋が正しいとするなら、下流側から来たとして、境界尾根を乗りこしていったん数十Mを下り、そこで分岐してトラバース気味に登り始めることになる。ところが実際にはそこに激しく崩壊した小窪があり、トラバースしての通過は難しい。この通過困難な崩壊小窪については、上下両方から通過を試みいずれも困難であったことで確認した。
 つまり境界尾根を数十M登り、崩壊窪の上端を過ぎてからトラバースを開始するのが道筋とみるのが妥当であろう。昭和30年代には境界尾根上を行く林道が存在していたことも、その尾根を登ってから分岐するとの仮説を後押しする。残る問題は、境界尾根のどの地点で分岐していたかである。崩壊小窪上端を通過するなら1270M圏が当時の境界尾根の林道との分岐となるので、管理図と一致が最もよく、現時点ではこれが最有力候補である。他に、境界尾根の1410M圏にある17補1の石標から水平に行く割と良く踏まれた踏跡があり、林道の本来ルートの荒廃後、代替ルートとして機能しているのかも知れない。

 

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左:国土地理院5万分の1地形図「三峯」(昭和4年要部修正)、測図は明治43年、右:同「三峰」(昭和49年編集)、測量は昭和48年
赤破線は管内図が示す滝川林道(図の右上→釣橋小屋)・分岐する水晶歩道の経路、青丸は滝川林道が国有林・演習林境界尾根を乗り越す実際の位置

 

 三本桂沢右股窪の左岸は、常緑樹に覆われた岩稜混じりの小尾根だった。下方が激しく落ち込んだ小岩稜を、落ち込み直前の土と露岩の混じった一帯をうまく抜け、下り気味に進んだ。木々の間に多くの踏跡が見え、水平なものに入らず、なるべく下り気味のものを選んで次の小岩稜も通過した。断続的な痕跡を繋ぎながらの長いトラバースの後、危険な切れ込みの上端を注意深く渡って、ようやく小尾根の平らな部分を1360M圏で乗越した。平らといっても岩稜のためゴツゴツした森に覆われた場所であった。向こう側はすぐ先からすっきりした疎林になっていて、下り出す小さな道型が見えていた。
 釣橋小屋前に落ちる窪を渡る捌けた斜面で道は消え、たまに出る露岩を避けつつ下り気味に適当に進んだ。砂礫の流出で均された道型のない斜面を探りながら下り、2、3の小さな露岩帯を抜けた。多少踏まれているが、道とはいうほど明瞭なものではなかった。釣橋小屋前に落ちる窪の左岸尾根はやや発達した岩稜だったが、何とかうまく抜けられる場所があった。下を駆けていく2頭の鹿を見ると、ただの鹿道とも疑念も消えなかったが、ここしか抜ける場所はないので、たとえ鹿道であっても元々は古林道の経路だったろうと勝手に納得した。その岩稜から落葉の斜面を急下して、下方で滝川林道が滝川近くに下るガレた窪に降り立った。ここは逆コースで来ても、とてもルートが見定められないので、今や実質的に下り専用のルートだ。
 境界尾根の下にも露岩が多く、避けるようにザレた窪と境界尾根との間をトラバース気味に下った。薄い踏跡が見えてきてなぜか水平にいくと思うと、導かれるように自然と境界尾根に乗り上げた。そこは1270M圏の小さな舟窪地形がある場所で、その舟形の北縁を境界尾根の古林道、南縁を水晶歩道が通過し、その下で合流するような位置関係になっていた。直上には「火の用心」の赤札、直下の直径1M近い大木には境界見出標の小プレートが打たれていた。確認のため少し戻って、境界尾根に乗り上げず南側をトラバースしながら1180M圏まで下ってみたが、その直下に始まる激しく崩壊した小窪を渡ることができず、滝川林道が境界尾根に絡んで通過する1210M付近の地点で接続することは、とても不可能だった。約2ヶ月前に崩壊小窪の左岸側からトライした時もやはり通過できなかったので、やはりその上端を通過するこのルートが正道であろう。
 境界尾根上には、1217独標付近の滝川林道から黒岩林道の「境界尾根」表示点まで古い登山道が走っている。これを5分ほど下って、滝川林道に合流した。滝川林道が釣橋小屋に向かって急降下を始める寸前の地点である。

 

⌚ฺ  三本桂沢1220M圏二股右股窪-(40分)-滝川林道合流点 [2016.11.23]

【林道途中へのアクセスルート】(確認済みのもの)

  • 水晶山東尾根右尾根(排煙塔に向かうもの)
  • 水晶山東尾根左尾根(1813独標を通るもの)…踏跡が来るのを見たが実際歩いていない
  • 黒岩林道の黒岩展望台分岐付近から水晶小屋跡まで小尾根を下るもの
  • 黒岩林道の地形図「黒岩」文字直東1870M圏峰付近から南に出る小尾根を下るもの
  • 黒岩林道の「直下水晶谷」道標の尾根(八丁頭南尾根)の右尾根
  • 黒岩林道の「直下水晶谷」道標の尾根(八丁頭南尾根)の左尾根(1593独標の尾根)
  • 黒岩林道の「天然カラマツ見本林」道標の尾根(八丁頭南東尾根)

 

[1]編集部「水晶沢下降」(『山と渓谷』八〇号、九〇~九一頁)、昭和十八年。
[2]東京営林局『東京営林局 秩父営林署 秩父経営区経営図 第6次編成』、昭和二十八年、5片之内第3、4片。
[3]東京営林局秩父営林署『埼玉経営計画区第1次経営計画書 実行期間 自昭和33年度至36年度』東京営林局秩父営林署、昭和三十三年、九五、九七、一二一頁付近。
[4]樽井秀美「滝川谷水晶谷遡行略図・滝川谷支渓葡萄沢遡行略図」(『OMCレポート』一一四号、付図)、昭和三十四年。
[5]東京営林局『東京営林局秩父営林署管内図(昭和三十八年三月現在)』、昭和三十八年。
[6]東京営林局秩父営林署『埼玉経営計画区第2次経営計画書 計画期間 自昭和37年4月1日至42年3月31日』東京営林局秩父営林署、昭和三十七年、二六~二七頁付近。
[7]東京営林局秩父営林署『埼玉経営計画区第3次経営計画書 計画期間 自昭和42年4月1日至47年3月31日』東京営林局秩父営林署、昭和四十二年、二四八~二四九頁付近。
[8]関東森林管理局東京分局埼玉森林管理事務所『埼玉森林計画区第4次国有林野施業実施計画図』、平成二十四年、大滝(第2片)。
[9]木村正明・波多野隆・村越正信「滝川本流より水晶谷へ」(『OMCレポート』一八九号、四~六頁)、昭和四十年。
[10]渓嶺会「大洞川と滝川 奥秩父の谷(5)」(『岳人』二七九号、五五~六〇頁)、昭和四十五年。
[11]奥多摩山岳会「奥秩父の沢ベスト7」(『山と渓谷』四六九号、一二九~一三四頁)、昭和五十二年。

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歩き出しは廃林道
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正面のクラックから容易に越せる崩壊窪
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歩道になっても比較的歩きやすい
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尾根を乗越し古礼沢へ下る
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切株の脇を行く明瞭な歩道
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歩道の桟橋らしき残骸
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1800M圏の尾根乗越
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尾根の古礼沢側をトラバースする道
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支尾根に入る地点
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支尾根の下り初めは薄い笹の原生林
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>笹ヤブが酷くなり左の小窪に下る
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古礼沢の1330M圏に下り着く
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穏やかな河原状の古礼沢
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右上に登って行く水晶歩道
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古礼沢・水晶谷中間尾根の道
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数十年前と思しき古い切株が多い
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小峰を巻きながら進む尾根道
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1680M圏から尾根を離れトラバース
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北面の低い笹の中を水平に行く
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雪渓と倒木で埋まる窪を横切る
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水平道は荒廃が酷い
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次の窪も雪渓のため対岸が分からない
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猛烈な笹ヤブで捗らない
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この辺の笹は茎が太く枯れていない
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排煙塔尾根近くの朽ちてやせ細った桟橋
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まだ先へ続く水平道を見送る
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水晶歩道に出た所の木の根にテープを結ぶ
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針葉樹の森を行く水晶歩道
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巻きついた細い針金で桟橋の残骸と分かる
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道なき山腹に不自然に渡した廃桟橋
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廃桟道の丸太がお分かり頂けるだろうか…
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シャクナゲ中の廃桟道(右)、左は倒木
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打った錆び釘は貴重な道しるべ
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道型は無くとも気配を感じて進む
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この程度ルートが分かればましな方だ
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小尾根を回る時に少しだけ道が出てくる
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荒れた斜面にも時に僅かな痕跡が見つかる
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この岩壁を下ると1440M圏左岸出合支沢
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これでも一応道(1813独標尾根へ)
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ヒノキとシャクナゲの1813独標尾根の踏跡
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岩に渡した長大な桟橋
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釘や鎹が打ってあるのでそれと分かる
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今日の区間で初めて見るよく残った道型
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露岩の急壁を水晶谷まで下る
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谷は伏流して全く水がない
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両岸が切り立った伏流の水晶谷に立った
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すぐ下流で谷は狭まり水が現われる
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直下は釜を持つ8Mナメ滝
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連瀑はさらに面蔵の滝まで続く
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途切れた桟橋の先は…
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垂壁のルンゼで落橋している
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高巻き後下って見た切株で林道を再発見
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傾いたスラブ上に引っかかった桟橋廃材や
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桟橋を吊った針金で林道を認識する
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かつての林道はこの岩壁を渡っていた
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1500M圏の緩斜面まで斜めに下る痕跡
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大岩下を横切って隣の窪も渡る
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沢近くまで下った崖上で見る面蔵滝の飛沫
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とても険しい窪もここなら渡れる
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次の窪を出合近くで渡る
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水晶谷に沿って短区間左岸を行く
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微かな気配や痕跡が頼りの水晶歩道
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頻繁に現われる露岩は行ける所から行く
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ごく稀に短区間で道型が見える
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こんな桟橋の残骸を見逃してはならない
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礫と露岩で見えないルートを探って進む
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ここまで明瞭なら天国だ
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荒廃した山腹は道がほぼ消えている
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露岩帯では桟橋が落ちると経路が不明に
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ヤブの中の廃桟橋を判別してルートを探る
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ここが道なのだが…
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ヤブの中のチムニー状に架かる廃桟橋
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打たれた錆び釘で桟橋と分かる
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こんな岩壁を次々とトラバースする
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桟橋の現地調達跡らしい不自然な切株
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珍しくまだ桟橋の横木と針金が残っていた
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ルートは明らかだが岩を登って越えねば
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ヤブ斜面の廃桟橋は目印としてのみ有用
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道探しに紅葉を眺める余裕はない
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岩の隙間がこれ道である
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平行な丸太は分かりやすいモニュメント
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この先のルンゼで急に道が消えた
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通過不能な落橋のルンゼ
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対岸に折れた丸太橋の断片が見える
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1610M圏に積んだ小ケルン
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水晶歩道の痕跡を緩く下る
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1593独標上を通過
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急傾斜に微かな痕跡が続く
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緩やかなフクロ窪の美景
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天然カラマツ見本林の尾根の小分枝を回る
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うっすら見える水晶歩道の道型
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この辺りでは道の存在が感じられる
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最初の小岩稜をどこから越すか
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2番目の小岩稜は下から巻いた
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4番目の小岩稜はここを水平に抜ける
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5番目の岩混じりの小尾根で見た一瞬の良道
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三本桂沢右股窪の浮島状露岩帯を避け下る
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三本桂沢右股窪左岸を下る踏跡
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右股窪左岸尾根の平らな部分を乗越す
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露岩が点在する釣橋小屋前に落ちる窪
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踏跡が消えた部分も少なくない
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小さな舟形地形で境界尾根に乗る
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その直上の火の用心の赤札