豆焼林道 【廃径】

 もともと滝川林道の八丁坂で分かれ、しばらく豆焼沢の右岸を行く道だったが、国道140号の開通に伴い、下部では出会いの丘休憩施設からの東大演習林巡視道が林道の役割を担うようになった。道が豆焼沢左岸に渡り返した後、しばらくは龍谷洞調査道となって明瞭になる。その後、雁坂往還まで不明瞭な痕跡となって延々と続いている。

● 出会いの丘~トオの滝~1230M圏ガレ谷出合

 休憩施設裏でワサビ沢を渡った廃林道は倒木等で荒れて分かり難いが、十数米先で右上に上がる鋼製踏板の階段に取り付いた。自然林を緩く登り、次いで九十九折れて登り小尾根を越すと、植林の緩い登りになった。道の整備はよく、危険箇所には同じ鋼製踏板で桟道や階段が設置されていた。岩壁に架かった階段の踏板下に、強い斜めの腐った丸太が透けて見えていた。昭和初期の文献に良く現れる、岩壁に架かった斜めの丸太とはこういうものかと目の当たりにして、これを行き来した先人の恐怖を垣間見た気がした。緩い下りになり右に小さな遭難碑を見ると、トーガク沢であった。
 雁坂トンネル工事の残土捨場となった沢はすっかり埋め立てられ、コンクリートの水路となり上下に堰堤が連続する人工的な姿になっていた。トーガク沢を鋼製橋で渡った。水平に続く道はほぼ道型が保たれ歩きやすいが、窪状の通過部は崩れて踏跡になっていた。山火注意看板のある黒木に覆われた宿峰の尾根の末端を、1200M圏で乗越した。どこから来たのであろうか、尾根上で東からの踏跡を合流した。直後のトラロープの崩壊を慎重に通過してすぐ、伐採作業の名残であろうか、立木に取り付けられた碍子(ガイシ)を見た。崩壊箇所以外では、概して道型はしっかりしていた。Z字に下って岩場を避け、両岸が崩壊して悪い小沢を踏跡でさらに下って何とか渡った。豆焼沢のすぐ近くまで降りていたのだが、下った分を全て登り返した。岩壁に架かる幾つかの朽ちた桟橋を除けたり高巻いたりして通過した。やせ細って折れそうな丸太の隙間から、二、三〇米下の水流が透けて見えていた。左岸の高みを水平に行く道の傷みが次第に目立つようになったころ、道は大きな岩壁に突き当たり自然と沢に下ろされた。そこはトオノ滝の直下であった。
 二段に落ちる幅広の力強い滝は、暖冬のためであろう、いつもと変わらぬ姿であった。ただ困ったことに、沢を渡るべき飛び石の上に飛び散った飛沫が凍って、川中の石だけに綺麗な氷が張っていた。それでも静天続きで水量が知れているので、浅瀬を探して靴のまま渡渉した。トラロープの下がる右岸の土壁を一〇米も攀じ登ると、右岸の水平道に出た。八丁坂で滝川林道と分かれた豆焼林道の旧道が、この辺りで合流すると見られるが、右岸の急斜面にとても辿る気がしない微かな水平痕跡を認めるばかりであった。
 荒れた水流のある小沢で国有林に入った。マーキングは消え、道は悪くなった。境界標は見つからなかった。 沢の高みを登る右岸の道はよく踏まれていた。倒木で荒れた感じの小沢を渡ると国有林になった。境界標は見つけられなかったが、そこまでの良い道が踏跡程度の細道に変わった。沢は豆焼沢では珍しい穏やかな河原になった。小崩壊を軽く高巻くと、中礫で埋まるの幅広の崩壊が現われた。テープを見ながら、下り気味になった薄い踏跡で通過し、崩壊が途切れると崖が迫るので自然と河原に下った。左岸に水流のない立派なガレ谷が入る1230M圏の地点であった。

 

⌚ฺ  出会いの丘-(45分)-トオの滝-(15分)-1230M圏ガレ谷出合 [2016.1.9]

● 1230M圏ガレ谷出合~1650M圏の水平道

 両岸がガレて踏跡が完全に消えているので前来たときは分からなかったが、豆焼林道はここで豆焼沢を渡り左岸のガレ沢を登っていた。この位置を確認する物的証拠は少なく、ガレ谷右岸尾根の真下辺りの左岸の河原の細い立木に取り付けられた古い東大演習林の小さな境界標、その少し上のガレ谷中の廃棄物(折れた何かの棒、塩ビパイプ、バール、ワイヤー、ビニールシート等)くらいなものだが、いつまであるとも分からない。ただ地形的には尾根と窪とが地形図で分からぬほど襞のように複雑に入り組んでいるので、その特徴で判別出来るかもしれない。このガレ谷出合を行き過ぎて右岸の微かな痕跡を進んだ場合、右に極小のガレ窪を見て、二、三分後に小さな十字峡を目にする。右岸の小沢は懸谷となって十数米の細い滝で注ぎ、左岸のやや水量のある急な小沢は数~十米ほどの滝を連続して架けて落ちている。その十字の左岸河原に、いつ流されてしまうかも知れない「山火事 事故に注意 秩父消防署」の札が置いてある。十字峡の位置は、地形図上では1250M圏、地下を行く雁坂トンネルから北西方向に水平距離で約25M移動した地点なのだが、認識いただけるだろうか。
 豆焼林道はしばらくの間、このガレ谷出合から宿峰に向かう国有林・演習林境界尾根に絡みながら続いている。累々とした礫で埋まった広いガレ谷の右岸寄り、廃棄物が散らばった辺りから登り始めた。これから登るガレ谷の右岸尾根は、恐竜の背のようにギザギザの不定形の岩が連なり、とても手が出つけられない様に見えた。右岸にピンクテープ見えてきたので、その辺から境界尾根に取り付くようだった。その取り付きは、上の方から伏流が切れて小さな水音が聞こえてくる辺りであった。
 初め少し攀じ登ったが、すぐガレ谷の右岸の山腹を絡む、マーキングのあるはっきりした道型が現れた。荒れ気味だが意外と歩きやすく、龍谷洞(燕岩鍾乳洞)への歩道として再整備されたためと思われた。折り返し登るうち露岩が現れてきて、道は桟橋を架けながら岩稜に取り付いていった。腐った斜めに登る桟橋があり、折れる想定で登ってみたら何とか持ってくれた。道はすぐ痩せた岩稜上の一地点(1300M付近)に這い上がった。豆焼沢を見下ろすと中々の高度感であった。
 道の両側に転落せぬよう古いロープが張られた場所を通過した。痩尾根を左右に絡んで登る明瞭な道は、次第に岩が減って桟橋残骸のある岩地と普通の尾根を交互に行くようになった。国有林と東大演習林との境界を示す赤プラの小杭が点々と打たれていた。境界尾根は1350M圏でいったん緩み、気楽な尾根道となった。消えそうな薄さで四二補一〇と書かれた赤プラ小杭と、左側に目立たぬピンクテープとがあり、道はここで正面のやや右寄りを登る薄い踏跡、左に逃げるように巻く龍谷洞方向への踏跡(洞へ道かは未確認)、右の暗い森をトラバースする豆焼林道の微かな痕跡に三分するのだが、尾根を行く正面の踏跡が多少ましではあるが、どれも不明瞭なものであった。しかし詳しい林道の道筋を示す唯一の資料である昭和52年の営林署森林図では、境界尾根から僅かではあるが誤差とは思えぬ程度に東にずれた位置に林道が記入されており、正しいのは右にトラバースする方だ。直進の尾根道を歩いたことがあるが、この先とんでもない岩稜になってしまう。
 四二補一〇小杭から微かな痕跡を踏んでトラバースすると、境界尾根右の地形図で分かるかどうかの微小窪を渡り、ガレ谷と微小窪の中間尾根に取り付いていた。極めて薄い断続的な痕跡は確かに存在し、中間尾根と微小窪との間を電光型に登っているようだった。
 ここから境界尾根を見上げると、微小窪の向こうが高度差一〇〇米以上の一枚の岩壁になっていて、ちょうどそれが途切れる地点からトラバースしてこの中間尾根に移ってきたことが分かった。古道の痕跡を外すと、多少足場が悪く歩き難くなるのでそれに気づいた。この尾根には全く岩がなく、道型が薄いとは言え歩き易いことと言えば境界尾根とは雲泥の差であった。尾根は非常に浅く、水流の現われたガレ谷1390M圏二股の左股に沿って登っている感覚を覚えた。左の微小窪が消えそうなほど浅くなる頃、次第に林道の痕跡も不明瞭に入り乱れるようになり、中間尾根をそのまま登るか、右のガレ谷左股に向かうか、左の境界尾根に向かうかが分からなくなったので、林道の本来的なルートであるべき境界尾根の岩稜が途切れた地点(1510M)へ向かう痕跡に従った。
 近辺の地形は複雑な様相を示している。宿峰から来る国有林・演習林界を成す南に出る大きな支尾根が、燕岩でぷっつり途切れている。森林境界は、そこから東に出る一つの小さな支尾根に移るが、その途中に位置するのが1510M圏の岩稜が途切れる地点であった。ヤブのない自然林の薄い踏跡をひと登りすると、苔が貼り付いた角柱らしきものが半ば土に埋もれていた。掘り出してみると、四二補二八の石標であった。数十センチの深さで埋められた石標が、こんな何ともない自然林の斜面で流されてしまうとは、自然の力は侮れないものだ。これでは、林道が流土に洗われ消えてしまうのも尤もなことである。
 踏跡は相変わらず不明瞭で周囲を探索したが、道自体が消えかかっているため、多くの痕跡が見られたものの正しい道筋を判断することが出来なかった。仕方なくまた少し上へ登って南に出る黒木に覆われた大尾根に乗ると、倒木の陰に非常に古い石標が設置されるのが見られた。文字は全く読めなくなっていたが、位置的には43境界点の石標であろう。
 尾根上には潅木が繁り、倒木や張り出した枝の邪魔はあったが、それを除けて潜るように行く古いがよく踏まれた道が続いていた。尾根筋の潅木が酷くなると、やや左を絡んで登っていた。境界を示す点々と補点のプラ杭を見ながら進むと、何となく登りの気配が弱まり、1650M圏で、やや顕著な水平方向の踏跡が認められた。番号が読めなくなったプラ杭と折れた木標らしき角柱の残骸があった。2年前に1534独標から来たとき通った場所と雰囲気が似ていたが、この辺りの尾根はどこも見た感じが似ているので断定できるものではなかった。逆方向に3分進むと、そのときと同じく困難なガレ窪(ガレ谷1390M圏右股の源頭)に突き当たったので、それと確認できた。

 

⌚ฺ  1230M圏ガレ谷出合-(50分)-1650M圏の水平道 [2016.1.9]

● 1650M圏の水平道~雁坂往還(地蔵岩付近)

 トラバースを始めた道は、十分ほどで、北に向かう小尾根に乗る。歩いた行程からの推測では、止峰から豆焼沢の柾小屋滝付近に南東に伸びる尾根だろう。道はほんの一時この尾根を登り、すぐに再びトラバースに入る。尾根上をまさに通過する地点で、林道中、唯一目に付いた人工物である、色あせた小赤杭を見る。国有林巡視道の道筋を表すものだろうか。よく見ると、古すぎて読めないどころか人工物と認め難いほど傷んだ、折れた角柱も転がっている。
 小さな礫が埋め尽くす、古い崩壊跡を横切る。安定しているいて危険はないが、対岸に続く踏跡を外さぬよう、慎重に確認しなければならない。
 約20分後、再び北に向かう小尾根に出ると、道は今度はその尾根を登っている。止峰西方の1810M圏コルに発する尾根であろう。コルから発する尾根というのも変だが、地図上ではそのように見える。
 尾根に出てからは、比較的歩きやすく、木々やシャクナゲの間をぐいぐい登る。1750M圏の小ピーク(地形図では肩状)を過ぎると、左手の樹間に向かうべきコルが垣間見え、踏跡が怪しく分散する。
 今回は躊躇せず、左に緩くトラバースする踏跡を選んだ。その先にある、「54林班・は小班」のカラマツ植林地へのアクセス路として、道の状態が良いことを期待したからである。
 トラバースに入ると道はやや不明瞭になるが、自然林と枯死笹ヤブの斜面を安定して登っている。そして植林地に入ると、歩きやすい普通の作業道となった。
 喜んだのもつかの間、植林地内、コルの真下辺りまで来た地点で、踏跡は分散し植林地の各方向に散っていくようだ。またコルへと向かって、笹原と白樺の疎林を登る踏跡もいくつかある。それを拾って2~3分登れば、止峰の西方コルである。
 国有林図では、林道は止峰西方コルを乗越し、トーガク沢の、1480M圏二俣で分かれる左俣の1750M圏地点へと下っている。この付近の経路は資料ごとに異なるが、こういう局面では、国有林図は地形特徴を良く捉えて表現されているので、信頼が置ける。念のため付近を探索すると、尾根筋の踏跡も無いではないが、ここまで歩いてきた道は、幾筋かに分かれながらも、明らかにトーガク沢に下っている。
 気持ちよい笹原を数分も下れば、トーガク沢源頭に近い平坦地に降り立つ。沢の傾斜が緩み、止峰とヒダナに抱きかかえられたような、憩いの場だ。
 道は沢を渡り、左岸の笹原を登る。多くの踏跡に分散して、左岸のやや高いところを登っているようだ。また時には流れのすぐ脇まで降りてきてもいるようで、とにかく正しい経路がハッキリしない。
 明瞭な踏跡が沢を離れ、北側の尾根に取り付いているので、行ってみるが、笹原を過ぎ、尾根に取り付くと、沢山の切株が散在する原生林の中で不明瞭になった。伐採作業道だったようだ。
 こうなれば国有林図をとことん信用し、それが正解との前提で進むものとした。相変わらず、笹の中を幾筋にも分かれた踏跡を拾って進むと、1850M圏二俣の左俣に出る。国有林図の通り、右俣を横切って左俣の左岸を進む踏跡が、笹の中に細いながらもしっかり続いている。
 やがて水が涸れ、沢型が不明瞭になると、原生林と笹のなかで、踏跡はますます混迷し分散する。あちこち捜索したが、水が涸れ石が敷き詰められたような沢底地形を丹念に詰めるのが正解らしい。
 止峰の尾根が、寄り添うように数十メートル横を併走するようになると、踏跡は一気に尾根に取り付き、尾根上に出る。
 尾根に出た地点は1940Mあたりと思われ、ワイヤーを巻きつけたまま涸れた大木がある。豆焼沢側は、広大なカラマツ植林になっている。2分も登ると、崩壊地の上端に出る。土は安定しており容易に通過できる。ここからの、豆焼沢から奥秩父主脈までの眺めは雄大だ。
 尾根筋が不明瞭になり、荒れた原生林を、踏跡を探しながら数分登ると、ポンと雁坂道の縦走路に飛び出した。この地点に目印や地形特徴はないが、北に1分進むと地蔵岩分岐の道標がある。

 

⌚ฺ  1650M圏の水平道-(1時間10分)-止峰西方コル(1810M圏)-(45分)-雁坂往還 [2013.5.6]

160109_p01.jpg
トーガク沢までの桟道は整備がよい
160109_p02.jpg
岩壁に架かる旧道の恐ろしい斜めの丸太
160109_p03.jpg
残土捨場となったトーガク沢の連続堰堤
160109_p04.jpg
暫く続く豆焼沢への良道
160109_p05.jpg
宿峰からの尾根を山火注意看板で回る
160109_p06.jpg
連続する腐った桟道
160109_p07.jpg
トオの滝は秋と変わらぬ姿
160109_p08.jpg
氷結しそうな沢を渡渉する
160109_p09.jpg
道型が薄くなって沢へ下る
160109_p10.jpg
この河原で左岸に渡る
160109_p11.jpg
左岸の小さな境界見出し標が目印
160109_p12.jpg
ガレ谷を登り出す
160109_p13.jpg
境界尾根末端の激しく凹凸する岩稜
160109_p14.jpg
ここで境界尾根の山腹に取り付く
160109_p15.jpg
この桟橋は頑張って渡る
160109_p16.jpg
岩稜の境界尾根の急なトラロープ
160109_p17.jpg
急登だが両側にロープがあり踏まれている
160109_p18.jpg
下を見るとなかなか怖い
160109_p19.jpg
壁のように見える尾根を登る
160109_p20.jpg
1350M圏で尾根がいったん落ち着く
130506_p10.jpg
林道唯一の人工物の小赤杭
130506_p11.jpg
枯死笹ヤブと倒木の区間が多い
130506_p12.jpg
崩壊跡は道型不明瞭だが歩きやすい
130506_p13.jpg
カラマツ植林地の良道
130506_p14.jpg
止峰西方コルをトーガク沢に下る
130506_p15.jpg
トーガク沢源頭の別天地
130506_p16.jpg
左岸の沢沿いを登る部分
130506_p17.jpg
笹と小木の斜面を登る部分
130506_p18.jpg
ワイヤーの枯木の地点で止峰の尾根に出る
130506_p19.jpg
林道随一の好展望は雁坂道手前の崩壊跡
130506_p20.jpg
雁坂道へ出る直前の原生林