小三国峠道 【廃径】

 神流川源流の車道整備により、旧峠道は棒切沢から先の僅かな区間のみが残されている。営林署等の伐採事業と林道整備により、ソラ峠までの登路は長戸沢の造林小屋経由に変わってしまったが、ここでは中村謙が以下のように簡潔に纏めた棒切沢経由の古いルートに従った。「魚止ノ滝から十五分位で棒切沢に達する。これから路は急に左折して幾回となく左右に沢を渉りかえしながら遡って次第々々に登ってゆく。処々伏流になって水のないところがある。かくして沢をつめること小一時間。右岸から水なき窪の出合うところで、左岸に取付き、電光形に之を登ると五分ほどで小尾根の上に出る。これより左上に尾根を伝い、心持ち右側を搦んで進めば、ツガやモミの巨樹欝蒼たる峠に立つ。一寸秩父らしい感のする潤いのある峠で、気の早い人は誰しも之を三国峠と間違うほどである。かつて陸測の人達も、霧が深かった為め、ここを三国峠と誤信し、目の下の神流川本流へ降ってしまい、そのために一時行衛不明を伝えられたことさえある。爾来人之を呼んで「虚(ソラ)峠」という。ソラ峠の左側には大きな巨岩が頑張っている。路はだらだらと降ってこの岩の根を巻き、間もなく石楠花坂の上りにかかる。」(『上信境の山々』朋文堂、昭和十三年、二六〇~二六七頁)
 このソラ峠の位置については、他に昭和10年代の小林秀二、春日俊吉らの記述があり、また昭和50年頃には中島徹夫が同じ道筋で古道を辿り、同様の記述を遺している。しかし新ハイキング社から刊行された「西上州の山と峠」(佐藤節)では上武国境の日向休場付近を空峠(漢字も違っている)と記した明らかな間違いがあり、どうも同じ出版社から発行された「新ハイキング」誌の誤った記事に惑わされたようである(68号のp66-73の記事が誤りの根源か)。また「西上州界隈山サイ雑記帳」主催者殿のウェブサイトでは、棒切ノ頭北尾根の祠のある1520M圏鞍部を空峠としているのでこれも違っているのだが、記事を拝見すると元ネタ「ニューサイクリング」の誤りをそのまま引き継いだためのようである。真偽の確証が定かでない文献を引用すると、間違いが連鎖し伝播してしまう一例である。
 その先、尾根筋を登る石楠花坂の部分では明瞭だが、棒切ノ頭、三国山の北面を巻く部分も、最近の通行者の殆んどが稜線の道を辿るため、林道は消滅しかかっている。

● 棒切沢出合~ソラ峠

 冬期通行止めチェーンがある本谷三号橋から長門沢ダムまで車道を辿り、河原に下りると上流側の右岸から棒切沢が出合っていた。右岸には森林軌道跡の路盤があり、棒切沢を渡る小さな橋梁の両側の石積みの土台が残っていた。左岸から沢に取り付く踏跡を辿り、巨岩が出ると右岸に移るがすぐ左岸に戻った。基本的に、ずっと左岸に薄い断続的な踏跡あった。1180M圏の沢が右に直角に折れるところは、踏跡が残雪に埋もれて見えなかったので、滝を登った。特に困難というほどでもなかった。時々現れる滝を、踏跡はたいてい左岸から巻いていたが、時々右岸からの巻くときもあった。
 20分ほど登ると前回間違えて尾根に取りついた地点に着いたが、今度はそのまま谷を進んだ。左岸のやや高いところを行く踏跡は、倒木や落下した枝、崩礫で荒れていて、踏跡は寸断され歩き難かったが、よく探すと必ずしばらく先で復活していた。5M滝を左から巻き、左岸に戻ってまだ何とか朽ちずに残っている桟橋を見ると、1270M付近で緩く広い、良い雰囲気の谷になった。
 1280M圏は、前面に山が立ちはだかる変則四俣で、まず右俣が分かれ奥ですぐ左右に分かれ、次に中俣がすぐ分かれ、残った左俣が本流であった。微かな踏跡は当てにならないので、ともかく左俣入った。すぐ、右に大岩を見ると、ペットボトル、ピンクテープ落ちていた。前方に1350M圏二股が見えてきた。その手前の右の山肌に取り付く踏跡があるので、それに入った。
 折り返すように尾根筋近くまで登ると、踏跡は分散し不明になった。尾根筋はシャクナゲが煩く、道ではないようだった。尾根の左側に幅狭だがやや植生の少ない、何となく踏まれた雰囲気の空間があったので、峠道はここを折り返しながら登っていたと推測された。踏跡がはっきりしないまま、その部分を登り、やがて尾根筋にに乗った。古い切株が幾つもあった。
 1410M圏で地図に現れない小鞍部となり、前方の大岩壁に行く手を阻まれた。尾根の下方は急な岩壁となって落ち込んでいて、右巻きは際どいトラバースになるので道ではなさそうだ。岩壁の正面突破を試みる踏跡を追うも、途中の岩のテラスで前進できなくなった。そこまでの道もなかなか危なっかしい登りだったので、これも正しいルートではないようだ。黒い森の木々の間から、浅間山から黒斑山のあたりが白く輝いていた。慎重に下って左巻きを試みると、岩の根元をどんどん水平に巻く踏跡があり、岩を避けて隣の支尾根にまで来てしまった。これを急登し、大岩壁の上の1450M圏小鞍部に躍り出た。1450M等高線の中に、地形図では現れない岩峰があった。下りでは迷いやすい場所であろう。

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茶実線:尾根筋、青点線:谷、赤実線:小三国越歩道、
黄実線:他の歩道(国土地理院の地理院地図を使用)

 この1450M圏鞍部からソラ峠までが、地形図が間違っている一帯である。地形図では、今登ってきた尾根は棒切ノ頭北尾根の1550M圏の平坦部の先端から出るようになっている。登ってきた支尾根を最後は右に巻くように棒切ノ頭北尾根に登り着いたところがソラ峠(虚峠)というから、1543独標南鞍部の1520M圏がソラ峠に見えてしまう。ところが実際は、今登ってきた尾根は棒切ノ頭北尾根の1560M圏から出ているのである。従って、ソラ峠は1560M圏に登りつく手前を右に巻いて登り着く1550M圏である。そこには中村が言う通りの大岩があり、峠道はその大岩の右下を巻くようにやり過ごして石楠花坂を登っているので、完全に記述と一致する。この地形は、数値地図(グーグル地図等で表示される等高線図)では正しく表現されているので参照して頂きたい。こうして棒切ノ頭北尾根の厳しい岩峰群を、峠道は見事にかわしているのである。
 1450M圏鞍部で今巻いてきた岩峰を背に右を見ると、水のない狭い谷が下から上がってきていて、右に並行して小尾根が走っている。その小尾根はすぐ下から起こっているようだった。谷を渡り右の小尾根に移ることも可能であったが、わざわざ谷の向こう側の、棒切ノ頭北尾根のより低い位置に登りつく小尾根に乗り移るのは、不合理の極致であり考えにくかった。谷には雪が残っていて踏跡の有無で確認することはできなかったが、取りあえず定石どおり、明瞭な踏跡が続く今来た尾根を辿ってみた。両側の緩い谷に挟まれた明るい自然林の尾根は小気味よく、西上州らしいたおやかな表情を見せつけていた。
 棒切ノ頭北尾根の1560M圏の大岩が近づくと、左右どちらかに巻くことになるが、トラバース部が倒木とヤブで荒れ踏跡は不明になった。中村謙の記述どおり右に巻くと、薄い踏跡が見つかり、すぐに主尾根上達し、本谷造林小屋から取りついて尾根を登ってきた作業道に出会った。ここがソラ峠であろう。中村の記した通り、今巻いた大岩が左にあり、峠道は大岩の右側をいったん緩く下って登り返すように、石楠花坂へと続いていた。昭和53年の国有林図を見ても、確かに巡視道は1560M付近から棒切沢側に下っている。国有林図の道がすぐ先で途切れているのは、地図の地形自体が間違っているため、担当官が等高線図上に道を書き込みようがなかったからではなかろうか。
 なお確認のため、数分下のニセ・ソラ峠まで一応下ってみた。36境界標、古い境界を示す角柱、境界見出標などがあり、本谷造林小屋からの作業道が登ってきていた。

 

 

⌚ฺ  長戸沢ダム(棒切沢出合)-(1時間20分)-ソラ峠 [2015.3.31]

● ソラ峠~日向休場先上武国境(緑の回廊看板)

 ソラ峠の大岩を右から巻いて、シャクナゲの稜線を一気に登った。柔らかい残雪や地面が凍結した箇所が所々にあって歩きにくかった。本谷造林小屋からの道に出てから、ピンクテープが異常な頻度でついている。何の目印機能もなく、のべつまくなしに付けている方から見て初心者が付けたようだが、付け方から見て森林作業者でなく登山者の仕業のようだ。異常な頻度でつけられたテープは、近々落ちてゴミになる。設置者は、テープ自体が環境破壊(景観破壊・ゴミ散乱)であることに気づかないのだろう。
 踏跡はまた西側を絡むように登るが、正確に尾根上を辿る踏跡も現れる。1560M圏からは尾根上に一本化され、一般登山道と思うほどの良道になるが、1690M圏で稜線を行くバリエーション登山者の踏跡と西へ巻く峠道の踏跡とに再び分れる。
 巻きの踏跡はややバラけ、僅かに下って地形図の崩壊記号の上端を通り、笹ヤブを登り気味に巻いて突破すると、上武国境に出る。県境の踏跡が合わさり、しっかりした道になる。なお逆コースの場合、笹ヤブで不明になるので、とにかく先の崩壊を探すのが良いかも知れない。
 旧三国峠に向かっては、忠実に県境を辿る踏跡と稜線を通らない峠道とが平行してついている。峠道は、まず次の1700M圏峰を武州側から巻く。この辺りは陽当たりが良く日向休場と呼ばれていたという。再び上部国境に出て、営林署の大小二つ設置された「緑の回廊」で稜線をまたぐ。三国山の北東約300Mの地点にある1796独標とその北の1700M圏小峰との鞍部の地点でもある。

 

⌚ฺ  ソラ峠-(45分)-日向休場先上武国境 [2012.4.29]

● 日向休場先上武国境(緑の回廊看板)~旧三国峠

 上州側に入ってトラバースを始めると、崩壊気味の窪状を通過し、原生林を水平に進んで1796独標西側の大岩の下に至った。露岩帯の下に沿って約50Mの高度を急に登り、最後の露岩の微小尾根を越えると、トラバースしながらの緩い登りになった。シャクナゲヤブや倒木で多少分かり難いが、苔むした原生林の疎林を細い踏跡が続いていた。峠が近づくと踏跡はやや曖昧になり、旧三国峠の鞍部に登り着いた。最新の国土地理院の地形図が示す地形は明らかに間違っており、旧峠の位置は地図上では1810~1820Mの上信国境上になってしまう。実際の地形は、旧峠の三国山側は急に登り出し、西側は緩い小ピークになっている。その間の小鞍部の、白樺に安中山の会の金属プレートが設置され、文字が消えた保安林か何かの黄色い看板がある辺りが、旧峠の位置になる。プレートは錆びて読み難くなっているが、「S50・9・1? ソラ峠を経由ハマダ(イラ) 安中山の(会)」と書かれていた。木の間越しに梓山の農村地帯が望まれ、奥秩父・八ヶ岳の遠望された。

 

⌚ฺ  日向休場先上武国境-(20分)-旧三国峠 [2016.4.19]

【林道途中へのアクセスルート】(確認済みのもの)

  • 長戸沢の本谷造林小屋からソラ峠
  • 上武国境の道から棒切ノ頭南鞍部
  • 上武国境の道から日向休場先の「緑の回廊」看板

 

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軌道の鉄路や橋脚が残る棒切沢出合
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すぐ岩壁が出ると右
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渡り返す部分の簡易木橋
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左岸を行く部分で桟橋を見つけた
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1270M圏の緩い谷
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大岩を過ぎたここから右の斜面に取り付く
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電光形に登る細い踏跡
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古切株が道であることを暗示する
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小尾根上の微かな踏跡程度の峠道
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西上州らしく浅間が近い
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明るい自然林の細い尾根になる
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ソラ峠直下は倒木と藪が酷い
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脇に大岩が鎮座するソラ峠
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地名混乱防止のためテープを巻いた
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(参考)ニセ・ソラ峠の標柱
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緑の回廊看板から横手道に入る
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山中横手の原生林を登り返す
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巨岩を掠めて山中横手を下る
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旧峠直下の小三国峠道
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旧峠を示す唯一の古い道標
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旧三国峠の明るい南望