引馬峠道 page 2 【廃径】
●川俣温泉~平五郎山分岐
川俣温泉の最東端に新下の沢橋がある。その東側から奥へ入るゲートのある営林署の林道を、シェルターを抜けて百数十米行くと(旧)下の沢橋があり、その手前を登る踏跡がある。これが引馬峠道である。踏跡はすぐに、先程潜ったシェルターで潰された本来の登り口から来る峠道の道型に出合った。道の真ん中に笹が生えていることから、現在全く使われていない廃道であることが分かった。斜面を五度折り返して登って一〇七五米で台地の一角に立った。不思議なくらい平坦な台地上は一面のカラマツ植林で、ピンクテープの小さな踏跡が中に導いていた。つられて従うと旧版地形図と道とは違う方に行ってしまうので、図の通り台地西端の崖状に沿って、植林地の食害防止網と平行に真っすぐ北に登った。網に沿う部分は、植林や網の設置で完全に道が消えていた。一一四五米でまた一段高い、今度は自然林の台地に乗った。ほぼ平坦な尾根状地形だが、僅かずつ登っていた。踏跡がないままヒザ下の笹を蹴り分けてその尾根を辿ったが、軽く下った一一三三米の小鞍部付近は尾根が狭まり踏跡が現れた。小鞍部には谷沿いに県道二三号から登ってきた作業道が来ていて、折り返して斜めに牧場跡の方へ登っていた。それを見送りなおも尾根について登ると、一一五五米で今までの台地の優に十倍以上はある牧場跡の広大な平原に登り着いた。牧場跡の中央には、鍋、ドラム缶、ワイヤーのある小広場があり、少し離れた位置に搾乳関係の施設なのか監視台のような櫓の上に集乳缶が置かれたものが放置されていた。牧場跡では幾つかマーキングのテープを見たが、平坦な地形だけにはっきりした踏跡は見られなかった。牧場東端で、県道から登ってきた楡ノ木沢林道に出合った。川俣湖が遠くに光っていた。そこから十分余りは車道を伝って北に向かった。峠道は尾根上を行く車道に呑まれてしまったようだ。
小さな起伏を避けながら尾根上を進む楡ノ木沢林道が突然尾根の左に回り出す地点、そこが旧峠道の取り付きである。低い法面的な箇所から無理に尾根上に上がるとカラマツ植林になってどこからか作業車道跡が現れたが、車道というより山道といった方が良いほど荒れていた。道は次第に尾根を離れ右の栃平沢に沿うようになった。一二八〇米付近で廃車道はそのまま栃平沢右岸を行くものと左岸山腹へと沢を渡るものとに分かれた。この辺りから道が笹に埋もれ、旧峠道うんぬんより現在の道すら判然としなくなってきた。一方、一面に伐採跡に植林されているため作業時の様々な痕跡が豊富にあって、笹に埋もれた作業時の痕跡の中から旧道を判別するのは容易でないと思われた。そこで栃平沢の植林帯では旧道を諦め、伐採時の踏跡らしきものを拾いながら抜ける方針にした。まず廃車道を右にとって栃平沢の細い流れを渡り、直ちに左岸に入る支窪沿いの廃車道を登った。一三一〇米で終わるがなおも微流の窪沿いに植林地を登ると、一三三二米で遠回で登ってきた作業車道を横切った。この車道は両方向とも下りという妙な作りになっていた。そこからは上に見える一段高い廃車道終点目指して、低い笹を漕いで登った。登り着いた一三八〇米付近の廃車道終点は、付近の作業車道の最高点と思われた。斜めに登る作業道を辿るとすぐ消えたが、笹は歩くに支障ないほどで、カラマツ植林を適当に登った。一四二〇米で平五郎山から出る支尾根の一つに乗ると微かに踏まれていて、古い赤テープや新しいピンクテープが付いていた。平五郎山へヤブ山登山する方が使うルートと思われた。
一五〇〇米付近でカラマツ植林が終わって古道が現れる可能性が期待された。一五一二独標を西から捲く痕跡があり、その先も痩せてくると尾根を絡む痕跡があった。この辺りから古道を歩いている可能性が感じられた。一五三〇米辺りから一度緩んだ傾斜がまた強まると、尾根を折り返し登る峠道のボロボロの道型が所々見えるようになった。道は尾根上もしくはやや西寄りを絡むように付いていた。一六〇〇米付近からササが胸にまで達し古道の道型が判別し辛くなって来る辺りで、古道の痕跡らしきものが西にトラバースを始めた。そのまま一六三〇米で一旦左の大尾根に乗ると、踏跡が明瞭になった。黒木に覆われた一六四八小峰の西を捲くと、尾根が広く平坦になってササが胸に達し道が不明になった。道と言うには自信が持てない笹の中のあやふやな痕跡は、何となく尾根を左に捲くように続き、道型は完全に失われていた。一六五五米で小さな支尾根を回るところから黒木の森になり、突如として踏跡が回復した。小さなゴミの欠片も見たので正道であろう。この辺りは、旧版図でちょうど平五郎山の西を捲く部分である。また笹ヤブになって道型が消え、さらに倒木が加わり前進も容易でなくなったが、平五郎山を捲き終わりもうすぐ先にこれから行く主尾根が見えていた。倒木の一帯を無理やり突破すれば主尾根上の軽く開けた一六八〇米の場所で、左が引馬峠道、右が平五郎山から越野林道方面である。平五郎山へ寄り道してみたところ、明確な踏跡がない平らな地形を灌木と笹原を縫って五分ほどの道のりであった。山頂を探すのも一苦労だったが、黒木に覆われた辺りにある三角点の近くに山名プレートが設置されていた。荷物をデポした地点へ下る帰りの方が、あらぬ方向に下ってしまい勝ちでさらに難しかった。
⌚ฺ 川俣温泉-(10分)-新下の沢橋-(50分)-牧場跡-(10分)-楡ノ木沢林道を離れる-(20分)-1380m作業車道終点-(1時間5分)-平五郎山分岐 [2022.11.12]
●平五郎山分岐~ホーロク平
平五郎山分岐から引馬峠へ向かうと、しばらくの間は尾根が明瞭なため、比較的道がはっきりしていた。とは言え笹がかぶっている部分が多く一般向きの登山道とは言い難い。笹がヒザ下までなら道が見え歩きやすかったが、小ピークを捲くときはヒザから腰までの笹となり、道が見えないので道型を足探りで探しながら進むことを強いられた。植生的に微妙な標高のためか、歩きやすい針葉樹と笹が濃く難渋する広葉樹の部分が交互に現れた。尾根上を辿るか左を搦むかは場所により異なり、ある程度の上下を交えながら尾根を進んだ。場所によって道が良いのにはシカを見かけることから、シカにより道がが保守されている部分も多そうだ。高低差の少ない尾根歩きは気持ち良く、たまに笹が被っても掻き分ける程度なので、慣れた方なら一般道に近い感覚で歩けそうな一帯だった。一七二五独標の登りは笹が濃く、川俣温泉以来初めて道の捜索が必要になったが、尾根上を丹念に探すと笹に沈んだ道型が見つかった。この激しいヤブはものの一分で独標の小ピークに抜けて終わり、時々笹が被って足探りで進む程度の割りとお気楽な尾根道に戻った。はっきりとした場所は分からないが、大正九年に通りがかった沼井鉄太郎が、老婆と手伝いの三人がいて焼いた鳥をご馳走になったという鳥屋は、平五郎山から約十丁、錆沢の支沢から突き上げた鞍部にあったというので[16]、恐らくこの辺だったと思われる。
次の一七八一独標の急登も笹が濃いうえ、今度は稜線に道型が見つからず困ったが、ここは地形的に見るときっちり稜線伝いに登る必要はなく右から独標を捲く方が得策である。幸い右の斜面にはヤブの薄い部分があり、分散した幾つかの踏跡が付いていた。尾根の数十米下を稜線近くの巨岩を見上げながら黒木の森を捲きながら登った。峠道がわざわざここを捲かずに急登していたとはとても思われず、この捲道が正道ではなかろうかと推測された。捲き始めてから約三百米先の、一七八一独標の西隣りの約一七八〇米の平たいピークで久しぶりに尾根に出た。比較的歩きやすかったのはここまでである。
この先の黒木に覆われた尾根は、鳥屋場があったということは風の通り道とも言え、さすがに尾根筋は倒木が酷くなってきた。左に逃げながら一七六五米鞍部へ下ったが、一八一六独標手前の一八一〇小峰まで激しい笹ヤブの登りとなった。この辺りはまでは積雪量がさほどでないと見え、ネマガリダケでなくミヤコザサなので力ずくで何とか登ることができた。背丈を越す笹の下を初めは辛うじて道の痕跡を辿りつつ登ったが、消えたのか見失ったのか直ぐに痕跡が消え、しかも笹はネマガリダケに変わって一気に苦しくなった。一八一〇小峰を目前にしてもがき苦しんだが、小さな針葉樹の塊に逃げ込むとそこに踏跡があった。小峰からしばらくは弛んだ平坦地となり、ササと倒木の隙間を探してやっとのことで進んだ。しかし一八一六独標の登りでまたネマガリダケとの激闘になった。この辺りはミヤコザサとネマガリダケが拮抗して交互に現れるようである。一八一六独標は肩状でネマガリダケが密集した広い地形だった。途方に暮れてその先の尾根に取り付いてると、うまいこと再び道型が見つかった。一帯の尾根はかなり幅があるので意図的に探し当てるのは難しいと思われ、たまたま道の続きを探し当てることができ命拾いした。
ホーロク平へは標高差七〇米以上の、この尾根としては長い登りである。尾根はダケカンバ優勢で下層が深いササになっていたが、何とかその下の踏跡を追うことができた。むしろ倒木や空地のためササが切れると道が分からなくなるので、却って嫌だった。高度を上げるに従い笹が腰から胸辺りに下がってきた。道であるか分からないが右側のササ弱い部分を繋いで歩いた。場所によってはシカ道らしい感触もあった。一八五〇米辺りからまた激しいネマガリダケのヤブになった。潜るようにして大事に道型を追いかけたが、それが倒木があったりヤブが薄くなりして途切れると本当にげんなりした。このようなヤブの濃淡をしばらく繰り返したあと、突然ヤブが収まり、人工的に切り開いたかようなヤブのない小敷地が点在する不思議な場所に出た。ホーロク平とは一八九六独標付近の広大な平坦部のことだが、あえて一つの地点として示すならこの場所であろうか。笹の中でこれだけ広いヤブが切れた場所は他にないので、例えば伐採時の土場であるとか、何らかの目的で人工的に開かれた場所なのかもしれない。なおホーロク平の位置を誤って記しているネット記事が多数あるが、沼井鉄太郎の記録に「一八九二米の一帯」(現在の一八九六独標)と明記されている[16]。
⌚ฺ 平五郎山分岐-(50分)-一七八一独標西で尾根に出る地点-(55分)-ホーロク平 [2022.11.12]
●ホーロク平~引馬峠
ホーロク平は等高線間隔が一〇米の二万五千分の一地形図では三つの緩い丘から成っているが、実際は東側の丘は無く単なる肩であるため、独標がある西峰と地形図では中峰のように見える東峰の二つの丘がある。ここで仮にホーロク平の地点として前記したのは、「地形図で中峰のように見える東峰」の東の肩である。平らな稜線は相変わらず笹が濃いので、笹がやや薄い針葉樹林を縫って「中峰のように見える東峰」の右から捲く、道というほどのものではない断続的な痕跡を使って進んだ。捲き終わって稜線に戻ってみると、シカ道と思われ一般登山道並みに道がよく、二つの丘の鞍部はヌタ場になっていた。倒木を避け、断続的なシカ道を探しながら、腰までの笹を進んだ。西峰もやや北を捲くとホーロク平が終わり、約四〇米を急下した。この尾根で随一の下りなので、前方の樹間に孫兵衛山、引馬峠、台倉山が見える貴重な機会を得た。下るとき、水流跡なのか古道なのか分からないが不思議な溝状地形を見た。またこの辺りで昭和三十年代の二ツ山林道が分かれるはずだが、深ヤブのためか気配も感じなかった。
ひとしきり下った一八五八米で尾根が痩せて平らになると一時踏跡が明瞭になったが、すぐまたササと灌木をかき分けて潜り進む曖昧な痕跡の断続に戻った。一八五〇米の鼻状から一八一〇米鞍部への下りは、樹木で見通しが利かない笹が深く茂る丸い尾根なので、ルーティングが難しかった。周りを見回して、下り過ぎを修正しながら正しい尾根を捉えた。この付近からは主に黒木と腰までの笹となって、今までよりは歩きやすくなった。一八一〇米鞍部の北側に窪んだ場所があり、沼井鉄太郎が道中出合った老人の鳥屋があった場所と考えられる[15,16]。この場所で曲げ物の加工もしていたようだ。捕鳥網を張っていたのはもう少し上の尾根筋であったという。その補鳥場に向かって再び登りだす辺り、痩せているからか踏跡は明瞭だった。補鳥場時代に伐採したためか細い木ばかりで、左に白根、湯泉、鬼怒沼、右に帝釈山塊が透けて見えた。捕鳥作業の当時はずいぶん展望が良かったそうだ。一八二七米の尾根が痩せて小高くなった辺りで捕っていたと思われる。
痩せた部分が終わるとササや倒木がまた出て分かり難くなってきた。引馬峠直前に緩く小さな丘が三つほど連なった一八六〇~七〇米の台地状がある。その南峰に登り出す辺り、笹の中の踏跡は尾根の右寄りを登っていた。登りの途中、一八五七米の灌木に白テープを巻いておいた。ここは前回檜枝岐から引馬峠を越してきた時、そのまま川俣まで下ってしまうと車の回収に手間がかかるのを嫌って引返した地点である。
旧版地形図に見る引馬峠直下の道[18]
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そしてこの辺りから右手の笹の中に微かな踏跡程度の捲道がある。この一八六〇~七〇米圏三連小丘は旧版地形図では引馬峠のすぐ南に一九〇〇米圏の峠道の最高点として表示されている箇所だが、図では一八九二独標として示されるホーロクから来た道は、三連小丘の僅か右を捲いて引馬峠との鞍部で尾根の左に出るようになっている。これは現在笹の中にある小さな踏跡とほぼ一致するので、取り敢えずここではこれを古い峠道としておく。この辺りは尾根が広く地形的には稜線伝いが歩きやすいが、倒木も頻発し荒れているため笹の捲道の方が歩きやすいということであろうか。自身もこの区間を何度か歩いたが、倒木やヤブを避けつつ方向の定まらぬ広い稜線を歩くよりは見通しがきく腰までの笹原を漕ぎ進む捲道の方が歩きやすかった。捲道は稜線をさほど離れることなく、その直下で三つの小丘の右を捲いて、引馬峠との一八五八米鞍部にスルっと抜け出てきた。深い森の中の静かな平地で、門石沢支流の源頭でもあり少し湿った場所だった。西側には小さな窪が一つ切れ込んできていた。
ヤブが切れたこの一帯から、多数の踏跡が峠方向に伸びていて、今やどれが正しいか判断できなくなっていた。どれをとってもそれなりに行けるが、峠は最低鞍部より右側にあるのでその方向を狙って進むと良い。まず笹の切れ目を上へまっすぐ登ると左に笹が切れる部分が出てくるので、そこを最低鞍部のやや台倉高山側を目指して向かい、倒木で不明になっても無視して直進、とにかく最低鞍部に惑わされずその数十米右側を目指すことだ。引馬峠には水準点の石標と立木に取り付けられたプレートがあるので、見逃すことはないだろう。もしルートが分からなくなっても、門石沢源流の窪をいったん最低鞍部に詰め上がってから峠の示すプレートを探せば確実に峠に達することができるだろう。
⌚ฺ ホーロク平-(40分)-上の鳥屋場跡-(35分)-引馬峠 [2022.11.12]
【付録──鬼怒川林道黒沢四号橋への下降ルート】
鬼怒沼林道への下降時の経路 |
黒沢沿いに引馬峠近くまで食い込む鬼怒川林道を下降に使った。林道終点の黒沢四号橋目掛けて下り、夫婦淵まで車道を歩く安易なルートと思っていたが、地形が複雑で読図にかなり神経を使った。気楽に下り出したら尾根を間違い、猛烈なヤブのため修正にも苦労した。登りなら体力さえあれば行けそうだが、初見の下りは気を付けて下ったほうが良いかも知れない。
引馬峠道は、峠のすぐ南の一八六〇~七〇米圏三連小丘を東を捲くか尾根上を越すかして通過する。この記事では東捲きで説明したが、倒木で幾度も邪魔が入るが尾根通しの踏跡もある。一八六五米の三連小丘南峰を黒沢への下降点とした。前記のように入り組んだ地形であるため、峠道の尾根のどこから下りだすべきかも明確でないが、下りながら特徴的な地形を見て位置を判断できるよう、そこを下降開始点とした。このルートをとるなら、長さ五十米以上ある平頂の南端から南に下り出すのが正しい。だが南峰付近の極めて平坦な地形に惑わされ、伐採時のらしい踏跡があったことも手伝って、誤って百米ほど西から下り出し、西隣の大きな尾根に入ってしまった。下りながら変な感じはしていたが、確実におかしいと断言できる地形を見つけるまで行ってみようとして標高五〇米分も下ってしまった。間違いなく西隣の尾根に入ったと判断できたので、予定の尾根へとネマガリダケを漕いで涸れた谷に下り、向こうの尾根に乗り移ることとした。斜面のネマガリダケは酷く密集していて、下りなのに網にかかったように前進できず苦戦した。谷を少し登り返し左岸の薄ヤブで登りやすそうな箇所を見つけ尾根に取り付いた。日没が近いというのに三十分以上のロスは痛かった。これ以上間違う時間的な余裕はなくなった。
予定ルートの尾根すなわち門沢右岸尾根に、一七九六米付近黒木に覆われた真っ平らな部分で乗った。門沢というのは、今から向かう黒沢四号橋が架かる田代沢に一三四〇米付近が右岸に出合う小さな沢のことである。ここから直ちにもう一つ東隣りの門沢左岸尾根に予定通り乗り換えた。初めから門沢左岸尾根を下ってくればよいのだが、笹を掻き分けつつ稜線からこの尾根を下るのはあまりに難しいと考え、比較的分かりやすい門沢右岸尾根を下り出す計画としていたが、それでも間違ってしまったのである。再び猛烈なネマガリダケを無茶苦茶に下り、平坦な地形を崖沿いにササを漕いでトラバースし、門沢左岸尾根の一七七二米付近の黒木の平坦地に回り込んだ。
緩く下って一七六三米付近の東西に長い笹原に入ったことを、辺りを歩き回って確認した。この直下で尾根形状が微かになる部分を注意深く下ってみると笹の中に薄い痕跡があり、それが左の斜面に次第にずれて何の変哲もない斜面をまっすぐ下っていたので、それに従った。と言うのも、ここの地形も大変難しく、今拾った微かな尾根は支尾根になり門沢左岸尾根の本筋が何もない斜面から隆起してくるのである。笹の小さな踏跡は一七〇一米小丘のある笹原まで下ると丈を越さんばかりに勢いを増した笹原に消えてしまい、小丘まで漕ぎ進んだ。そこから下る黒木の微小尾根を捉え下るも踏跡はなく、だが笹がない分歩きやすかった。
一六七五米付近のヌタ場のような小湿地を通過すると、多少尾根筋が分かりやすくなってきた。一五八五米で尾根が扇状に広がるを目認し、右端を取って下った。尾根上が伐り残され天然の針葉樹林になっていてたいしたヤブがなく、択伐の結果らしい点在する大木の切株を見ながら明確な道はなくとも快調に飛ばして下った。
鬼怒沼林道終点の黒沢四号橋に注意しながら下ったが、谷へと下る踏跡は確認できず、この辺りを下るのかもとの雰囲気を一四一〇米付近で感じるも、決め手がなかった。谷が険しく尾根からは田代沢の流れが見えず、橋が目視できないのである。田代沢左岸にあるはずの鬼怒沼林道も崩壊してしまったのか見えなかった。一方黒沢がはっきり見えるようになってきた。このまま一見して分かる険しさの黒沢まで下ってしまうと、日没後にへつりや高巻きをしながら沢を下降するという困った事態になってしまう。林道は黒沢の数十米上に付いているはずなので、たとえ残骸程度であっても何としても見つけたい。この時点で日没十分前であり時間がなかった。そのためにまず態と黒沢出合近くまで下ってから田代沢を遡上して黒沢四号橋を探すことにした。そこでいったん一三九二米小鞍部まで下った。尾根はこの先、崖となって門沢と田代沢の出合に落ち込んでいた。鞍部から田代沢へ急斜面を何とか下り、少し上流に行ってみると、案の定林道の橋が薄暮の中にぼんやり浮かび上がってきた。しかし見たところ両岸が崖となり橋下まで遡行しても上がれない恐れがあるので、右岸の崖を高巻いてちょうど橋の位置を狙って下降した。
鬼怒沼林道は黒沢四号橋を渡ってすぐに行き止まっていて、橋の右岸側は取り付きに苦心するような急斜面だった。そのためか落下物が橋上を埋め、渡って林道を下り出すや崩壊で道がほぼ消滅した。崩壊地を約三百米ほどトラバースしキンベイ窪の植林地に入ると、落石や倒木は見るもののやっと道型が安定してきた。以後女夫淵まで闇の中、単調な荒れた林道を下った。
⌚ฺ 一八六五米三連小丘南峰-(1時間5分、道間違い30分ロス含む)-一七八一独標付近-(50分)-一四一〇米付近林道下降点-(15分、下降ルート捜索時間10分含む)-黒沢四号橋-(1時間15分)-女夫淵 [2022.11.12]