西沢金山・奥鬼怒道(湯元~西沢金山~噴泉塔~手白沢) page 6 【廃径】
● 寄り道:湯沢渡渉点~噴泉塔
噴泉塔から下流側を見る(左:文献[20]より転載、右:令和元年)
右岸より見た噴泉塔付近(左:文献[20]より転載、右:令和元年)
かつての噴泉塔は二、三米の高さで盛んに吹き出していたことが、昭和二十年以前のどの文献にも書かれていたが、現時点では、吹き上げるどころか、高さ数十センチの置物のようにひっそり鎮座し、これといって噴出もしていない。写真上段は、昭和十年発表の川村幸雄の紀行の挿入写真(左)と令和元年の状況(右)の比較で、ほぼ同位置から撮られている。当時のどっしりしていた噴泉塔は、痩せ細り見る影もない。以前は、噴水のように高く吹き上げていたという。その理由は、右岸から噴泉塔直下の滝とすぐ脇の斜面を見た下段の写真から推測できる(画角に噴泉塔は入っていない)。滝の直下で左岸に入る温泉の小窪脇の斜面は、現在酷くガレて遊歩道すら呑み込んでいるが、往時は植生に覆われていたのである。よく見ると上段の噴泉塔前で撮った写真も、以前は周囲が緑であったことが分かる。昭和五十七年の台風で噴泉塔が壊れた[48]というので、その時左岸斜面が大崩壊して噴泉塔もろとも破壊してしまったのかも知れない。ガレを起こした崩壊の勢いは凄まじかったと思われ、下段の滝の写真を見ると二条の間のかつての尖った岩も、折れて低くなっているのが分かる。令和元年十一月に溯行したときの滝直下のゴルジュの大岩の配置も、数年前の溯行者の方の写真と位置が変わっていた。大きな台風のたび変化が起きているのかも知れない。
湯沢渡渉点から噴泉塔へはほど近く、かつてのガイドブックも一様に寄ることを勧めていたので、触れておきたい。本来の道は湯沢徒渉点付近に直接降下していたので、そこから噴泉塔へは、文献[18]が示す通り、下流側の高さ一〇米ほどの小尾根を越えて今市営林署の赤い「吸い殻入れ」のある平坦地へ下り、ガレた小窪を急下する。訪問時は、現在の変化した踏跡に乗って直接「吸い殻入れ」に下ってしまったので、直ちに、噴泉塔の滝の直下で右岸に入る急な小窪を下った。緩く広がった斜面を下る小さな踏跡を追うと、徐々に激しく下る窪状になり、噴泉塔下の滝壺に落ちるかと思うほどの勢いで湯沢へまっしぐらに下り出した。旧道はガレに埋まって消えているので、昔日のトラロープの残骸を横目に、最後は軽い岩場を注意深く下降した。降り立った噴泉塔下の湯沢は河原がなく、急流を渡渉して左岸に渡った。僅かに登ると、ガレに埋まった遊歩道の残骸と噴泉塔の案内板を見た。現況では登山というより、もはや遡行の領分かも知れない。
●参考:噴泉塔への経路
噴泉塔からの噴出(栃木県史蹟名勝天然紀念物調査報告 第1輯より転載)
川俣温泉付近から噴泉塔へは、現在、四本の経路が存在する。全て通ってみたが、甲乙つけがたく一長一短だった。いずれの経路も極めて不完全であり、訪問者はそれらを都合に合わせて継ぎ足して入山しているようだ。令和元年十月の台風で湯沢右岸の車道に崩壊が発生し、終点付近の歩道も危険になっている。昭和五十五年頃、当時の栗山村が試みた湯沢の温泉開発で、噴泉塔の少し下流のせせらぎの湯を掘り当てたものの、台風で引湯設備を流失、頓挫したという[55]。また平家平から噴泉塔への遊歩道が平成十四年頃整備されたが、これも十年余りのうちに流失と崩壊とで廃道化した。従って今後の大雨等で状況が大きく変わる可能性がある点、ご留意いただきたい。また現在第三砂防堰堤上に達する工事用車道が、広河原の湯先の廃パイプ残置の広場付近まで延長され、そこに第四砂防堰堤が建設される計画があることを申し添えておく。
何度か歩いた経験では、車の場合比較的おすすめなのが、湯沢に出るまでは工事用車道と営林署歩道を利用し、湯沢に沿う部分は遊歩道を基本とし、高巻き部分だけ遡行する方法だ。噴泉塔直前のゴルジュを通るかは水量次第になろう。バスの場合は、平家平から遊歩道に入り、三つ目のダムの上からは、川沿いは遊歩道、高捲き部分は遡行するとよい。所要時間は、どれを通っても片道およそ二時間である。
噴泉塔案内図(2020年時点)
(出典:国土地理院 地理院タイル)
既に廃道化した遊歩道の残骸である。全般に道がよく道標も整備されているが、すでに一般登山の感覚で歩くことは出来ない。平家平の登山口から吊橋を渡って湯沢の左岸を行く道は、一般登山道とまでは行かぬまでもなかなか状態が良い。湯沢下流の三基のダムを捲く辺りや沢が急になった部分で無駄な数ヶ所の大高巻きがあり、また崩壊部や荒廃箇所の通過は一般ハイカーの方だと注意を要する。最後のダムを過ぎると、道は河原に下り、清水沢(地形図は「笹倉沢」と誤記)出合の広い河原で右岸に渡り山腹に取り付く。その取付きが分かりにくいので、そのまま沢を遡行し小さなゴルジュを左岸からトラロープで高捲く人もいるようだ。この後、右へ左へと都合十一回の渡渉を繰り返す。広河原の湯は、道標が倒れているが、コンクリートの流出口が残っているので、気をつけて見ていればすぐ分かる。残置のビーニルシートやスコップもあるが、出水のたび水没で荒廃するし、そのまま湯溜まりが残っていても温泉性植物が繁茂するなどして使えない。整備して人が入れる温泉を整備するのは簡単な仕事ではない。泉温は触った感じ五十度くらい?とけっこう熱く、貯めて冷ますか水を引くなど入るには工夫が要る。カニ湯沢先の右岸三〇米の高巻きは荒廃が酷い。難路の末たどり着くせせらぎの湯は、ごく小規模ながら調理可能なスペースが有り、以前通ったときは前のパーティーが入れたジャガイモを見たことがある。河原が狭く、湯船を作るのは難しそうに見えた。噴泉塔直前の約四十米の左岸大高巻きの後、噴泉塔へ激しく下る。道は著しい礫の押出しでほぼ埋もれているが、道の残骸を丁寧に探して下る方が、崩れやすいガレを下るより足場が安定して安全だ。この道は、渡渉しては山腹に取り付き、高く登ってはまた下るので、時間と体力を浪費する。しかも渡渉のたぴ脚を濡らすので登山靴が使えず、大したメリットがない。ただし、倒木や崩壊部が頻発するとは言え比較的安全だ。渡渉が多いため、山道とはいえ増水時は困難もしくは通行不能となる。
2.湯沢工事用道路・営林署歩道
以前の川俣温泉からの営林署歩道の、途中までがダム工事用の車道に置き換わった経路である。現在一番歩きやすいが、不明瞭な箇所があるので注意を要する。車道(山王林道)がホリホリ沢を横断する地点の数百米川俣寄りで分岐する車道が、湯沢工事用道路と呼ばれる治水ダム建設用の車道である。一般車両は通行できないので、歩道として利用する。逐次伸延され将来噴泉塔近くまで伸びる予定だが、現在は笹倉沢(地形図「笹倉沢」は誤りで、その一本下流の沢のこと)手前まで完成している。そこから営林署の巡視道に入る。営林署歩道は、水害による崩壊や荒廃、入山者による勝手なマーキングや踏み荒らし、林道伸延工事(平成二年現在、測量用杭打ちまで実施)とにより、説明困難なほどに歩道が大変分り難くなっている。車道終点の標高は一二八〇米、そこから笹倉沢渡渉点の一二五八米まで山腹を緩く下りながら移動する。斜面は踏み荒らされどこでも歩くことが出来るが、至るところに杭やマーキングあるので正確な道筋を知るには役立たない。ガレた沢を渡ると、一二七〇米まで緩く登り返して尾根を回る。この辺りも踏跡やマーキングが多く迷うところである。尾根筋付近は笹の勢いが強く、漕がずに済ますには踏跡をしっかり追いたい。トラバースしながら再び緩く下って一二五〇米前後の笹原の台地状を通過、清水沢を渡る。右岸が深く削れているので踏跡を探して下る。左岸の取付きも荒れたり崩壊があったりで分り難く、足跡やマーキングに注意して道を見つける。その後は多少分かりやすくなって、尾根を二つ越えたあと、湯沢の一二二二米地点に行き当たり、すぐ渡渉する。広河原の湯まであと三、四百米の地点である。この先の営林署歩道は、遊歩道に組み込まれているので、そちらを参照されたい。
3.湯沢工事用道路終点からの訪問者踏跡
前項2のサブルートのような位置づけになり、工事用車道終点までは2と同じである。工事用車道から湯沢に出る訪問者がてんでバラバラに付けた様々な踏跡の総体が、この項目のルートである。笹倉沢右岸に掛かると、営林署道から離れて沢に向かってどんどん下りそのまま沢沿いに湯沢へ出るルート、いったん山腹に取り付き一二四〇米等高線沿いに清水沢へ出て湯沢へと下るルートなど、様々である。笹倉沢から清水沢までトラバースする踏跡も、知る限りでも三種類はある。清水沢、湯沢沿いには、正規道以外の踏跡も付いていて、かなり自由にルートを作ることが出来る。適当に行けば何とかなるので、これを利用する人が多いのではないだろうか。
4.湯沢遡行(三基目のダム~噴泉塔)
三基目のダムの上、すなわち笹倉沢出合付近まで、遊歩道か湯沢工事用道路を利用する。滝や悪場もなく、溯行は容易である。清水沢出合上のミニゴルジュは平易だが、左岸に捲きのトラロープがある。平凡なゴーロのまま広河原の湯を過ぎ、次のやや狭い部分も平水なら問題ない。せせらぎの湯を過ぎ噴泉塔を目前にした地点のゴルジュは右岸をへつれるらしい。訪問時は二回とも増水で泳ぎを必要としたため、嫌って遊歩道から高捲いた。流域に幾つもの温泉を擁する湯沢は水温が高く、十一月の遡行も夏の遡行と変わらぬ感覚だった。
[55]芦原伸『平家落人伝説の里 栗山村物語―秘湯の村の春夏秋冬』駿台曜曜社、平成十一年、「秘境の温泉天国」。