梓川国師ノタル道 【仕事径】

 目ぼしい産品のなかった梓川流域では昔から林業が盛んで、木材のほか、板、下駄、曲物、炭などの関連産業が発達していた。少なくとも明治時代には、驚くほどの山奥での木材加工が行われ、麓へと搬出されていた。奥秩父のパイオニアとされる田部重治を初めとした、まともな登山道や山小屋のなかった当時の登山者たちは、入下山に彼らの作業道を使い、甲信国境直下の側師(ガワシ、曲物側部の製造職人)の作業小屋を山小屋として借用していた。国師ノタルは彼ら職人にとっての最前線で、大正十三年、田島勝太郎はタルから僅か十分下ったところにあった黄蓮小屋で夜を明かした。原全教、高畑棟材、平賀文男らが稜線で見た小屋ありの表示も、付近の作業小屋を指していたようだ。殆ど登山者が通らないにも関わらず、現在でもこの道はかなり明瞭である。

● 岩屋林道分岐~国師ノタル

 梓川右岸の、かつて梓久保林道と呼ばれた廃車道は、車が通っていたとは思えぬほど今や道型も薄くなっている。廃車道の終点も今や判然としないが、何となくそこで終わっていたと思しき地点がある。梓川の1950M圏である。そこから岩屋林道の分散気味の不明瞭な踏跡を200Mほど辿ると、2.5万図では分かり難いが、右岸から2本の小窪が続けざまに入る。多数の廃棄されたビール瓶と、黒焦げのヤカンが落ちている。この地点で、マーキングされた道が二手に分かれており、ここが岩屋林道と国師ノタル道の分岐である。国師ノタル道が良道であるのに対し、岩屋林道は不明瞭な踏跡程度だ。
 道はしばらく岩屋林道と並走した後、2010M圏で出合う右岸小窪の右岸を登り始めた。こんな奥地も伐採されたと見え、窪右岸は明るい二次林になっている。明瞭な道は、どんどん高度を上げる。小さな窪状を回る頃、いったん水平になり、コメツガ等の自然林を行くようになる。再び登り始めると、踏跡不明瞭な草付となり、国師ノタルが見えてくる。踏跡は、縦走路上で100M位の幅がある国師ノタルの国師岳側の端に飛び出す。最低鞍部は甲武信岳側にあり、その地点より1m程低い。なお下りの場合、タル直下が不明瞭なので、見当を付けてトラバース気味に下り出す必要があろう。

 

⌚ฺ  岩屋林道分岐-(25分)-国師ノタル [2013.6.6]
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ビール瓶散乱が目印の国師ノタル分岐
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国師ノタルへは良い山道が続く
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タル直下の2~3分が不明瞭
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幅広い国師ノタルの国師岳側が合流点