アルピニズム/登山とスキー(アルピニズム社/黎明社/登山とスキー社)

 

 ページタイトルから判るように、誌名や発行元を変えながら昭和初期に十数年間刊行されたのが、この雑誌である。具体的かつ詳細な変遷は、末尾の「誌名・巻号の変遷、各号の特集」を参照していただきたい。
 この雑誌についても、野口冬人氏の著書「冬人庵書房」内の記事とテーマが重なるため、似通った部分があることをご承知おきください。視点の若干の差異から、比較すると詳しい部分と簡単な部分とがあることにお気づきいただけると思います。

 【雑誌の変遷】

昭和6年1月にアルピニズム社により「アルピニズム」が創刊された。副題は「登山とスキーの雑誌」であった。発行月は、完全固定ではないがほぼ隔月であった。約1年が経過した昭和7年2月の第7号から「登山とスキー」に改題された。
 昭和7年10月に(通巻)「第十一號」11号が刊行された後、同12月に「十二月號」が刊行された。号数表現の変更から見て、このときから月刊誌になったとみられる。さらに次号、すなわち昭和8年1月の「一月號」からは4巻1号の表示も開始された。この時点で2年間の刊行実績があったので、3巻を名乗るなら判るが、なぜ4巻とされたかは不明である。ただ既刊との繋がりを示す通巻表示も、まだ併用されていた。
 しかし当時のハイキングブームに乗って雨後の筍のように多くの山岳雑誌が乱立したためか、順調に刊行されるかに見えた「登山とスキー」誌は、直後の昭和8年4月(4巻4号)をもって、早くも刊行がストップした。幸いなことに、アルピニズム社から受け継いだ黎明社により、同年8月に4巻5号が判型を大きくした四六倍判(ほぼB5)で上梓された。再び月刊を回復し、5巻・6巻と順調に刊行され、6巻は12号の臨時増刊まで発行された(したがって6巻は13号まである)。だが昭和11年9月に7巻9号が刊行されると、またもや止まってしまう。7ヶ月後の昭和12年4月に、やっと8巻1号が送り出された。同年中は7月を除いて各月とも発行されたが、まともな校正もないまま漸く続いていたことが、例えば8巻6号の目次に「第九巻六號」と大書きされていることなどから推測される。その健闘もむなしく、翌13年の2月号(9巻2号)をもって、ついに大判だった黎明社版の「登山とスキー」は終りを迎えた。
 有り難いことに、次の経営者がすぐ決まったようだ。翌月(昭和13年3月)、登山とスキー社から誌名はそのままで版型を小さくして9巻3号が刊行され、以後13巻(昭和17年中)までは、多少の抜けが生じたものの、月刊を基本として何とか続いたようである。しかし雑誌の規模は、次第に縮小していったように思われる。100ページ以上あったページ数が、9巻9号(昭和13年10月)から殆どの号で80ページ以下に減った。また後の巻に行くほど、図書館の蔵書が少なく、古書としても出回っていないことから、発行部数が顕著に減少したものと推測される。11巻8号(昭和15年11月)、13巻11号(昭和17年11月)などは、知る限りまだ現物の存在を確認できていない。
 昭和16年12月の太平洋戦争開戦以来、市民生活や経済活動の制限がますます増大していた。昭和18年2月の14巻2号から、いよいよ60ページを割り込むようになった。内容も登山活動を直に記したものが激減し、随筆、研究、技術のようなものになった。同年5月の14巻5号を最後に、その後の刊行は私自身確認できていない。確実性は分からないが、昭和19年6月まで刊行されていたとの情報もある。「山岳」誌が昭和18年9月、「ハイキング」誌が同18年12月、「山と渓谷」誌が同19年3月、「山と高原」誌が4月に休刊としたことから、「登山とスキー」誌の終刊も昭和18-19年であることはほぼ疑いないが、正確な終刊時期はいまだに判らない。
 なお「アルピニズム」~「登山とスキー」を全号揃えている施設は、知る限り存在しない。比較的よく揃っているのは、北海道大学図書館、岐阜大学図書館今西文庫、斎藤文庫(私設、山形県飯豊町)、日本体育大学図書館などである。

 【紛らわしい雑誌名】

 ストレートな誌名の宿命なのだが、誌名が大変紛らわしく、この雑誌を探すときには細心の注意を要する。前述のように巻号自体も分かりにくいのだが、さらに「登山とスキー」創刊の約1年半前の昭和5年8月までは、北大山岳部により一字違いの有名「山とスキー」誌が刊行されていた。また昭和18-19年の終刊と前後して、昭和19年7月には山とスキー社による「山とスキー」が創刊されている。発行期間に(恐らく)完全な重複がないことが、幸いであった。
 ややマイナーな雑誌には、誌名が完全に同一のものが存在する。一つは、知る人ぞ知る、新潟鐵工所 産業報国會協力會 厚生部 登山とスキー部による「登山とスキー」である。新潟鉄工所の登山とスキー部といえば、日本山岳会越後支部の重鎮 藤島玄の活躍の場であり、少なからぬ越後の山が新潟鉄工所の登山とスキー部により開拓されている。新潟鉄工所の「登山とスキー」は越後フリークのバイブルである。正確な発行期間は不明だが、昭和18年に7号、20年に8号が刊行されたことが分かっている。「登山とスキー」誌の発行期間と重なりがある。
 また昭和31年1月に、ベースボールマガジン社から「登山とスキー」が復刊されている。執筆者にかなりの重複があり、内容的にも大戦前の「登山とスキー」誌に似ていることから、何らかの形で休刊中の旧誌を受け継いだと想像されるが、その経緯は不明である。当時既に、「山と渓谷」、「岳人」、「山と高原」、「ハイカー」など、一般登山誌が乱立していたため、インパクトを残せぬままいつの間にか消えてしまったようだ。

 【記事の特徴】

 「アルピニズム」~「登山とスキー」誌は、文字通り、登山、スキーの両方の専門誌である。現在は全く違うスポーツ領域と考えられる登山とスキーは、創刊の時期である昭和初期には、まだ明確に分離されていなかったため、渾然一体に捉えられていたとみられる。また温暖化前だった当時の日本の気候は現在より全般に冷涼であり、冬季=積雪期であるため、当時の貧弱な装備による冬の登山は大きく制限され、そのため冬の山岳活動は自ずとスキーに限定されていたためかも知れない。
 雑誌の内容は、登山とスキーに関することであればかなり幅広い。登山やスキーの行先紹介はもちろんだが、実用面では紙上での技術、気象、交通、山小屋、さらには文学、世界や国内の登山動向、地域研究、登山者マナー、自然環境など、山に関する全てのことが記事になっている。だから、「山と/の○○」「スキーと/の○○」等の記事が目立っている。対象となる山は、近郊の里山から本格的登山まで様々で、それらが均等に並列されているのも面白い。
 執筆者は比較的固定されており、岩崎京二郎、岩根常太郎、宮内敏雄、坂倉登喜子、菅沼達太郎、多摩雪雄、小林玻璃三など、ハイキング・ペン・クラブの執筆者がしばしば登場、また座談会が開催されている。国内山岳記事では自ずと読者に身近な低山の話題が多いが、時には、法大山岳部を出て世界に活躍の場を求めた吉沢一郎、上越国境で目覚ましい活躍を示した角田吉夫、黒部渓谷のパイオニア冠松次郎、日本登高会の重鎮小野崎良三、秩父の大家原全教らの寄稿、東京市山岳部長・稲葉充、日本登高会・上田徹雄(後の上田哲農)らによる谷川岳オジカ沢攻略の記事などもある。宮内敏夫、岩科小一郎、原島歓作、神山弘らの研究記事も興味深く、多筆な春日俊吉の春日節も炸裂している。サイクラーに転じた菅沼達太郎、戦後の市民登山界をリードした羽賀正太郎など、この他全て書ききれないが、市民登山者とおよそ関わりがありそうな各分野の著名人が、多かれ少なかれ顔を出している。
 諸誌と同じく、「登山とスキー」誌も次第に戦時色を強めていった。厚みが薄くなると共に、表現もそれらしく変わった。例えば「スキー」は「スキー行軍」、「登山」は「錬成登山」になど置き換えられ、構えた感じの小難しい長文記事が、小出しに連載されるようになった。普通のハイキング記事は、むしろ息抜きとして混じる程度になっていった。
 対象地域は、京浜・京阪神に限定されずかなり広い印象である。近郊ハイキングやアルプス登山の話題が多いのは間違いない。かと言って、山であれば日本アルプスに限定されず、東北から四国・九州まで幅広く扱われ、スキーであれば北方や中部が多くなるなど、多様性もよく担保されている。扱う話題の広さや、山の難易度の幅の広さと合わせると、本当に様々な記事が掲載されているので、「登山とスキー」誌には、意外と欲しい文献情報が見つかったりする。

 【記事一覧について】

 入手できた限りの記事の一覧をリンク先の表に示した。「アルピニズム」全号(第1号~第6号)と、「登山とスキー」(7号~12号、4巻1号~14巻5号─ただし6巻12号・11巻8号・13巻11号を除く─)である。
 旧字体は、図書関係索引作成の原則に則り、できる限り新字体にした。旧字体はコンピュータで表示できないものがあり、検索にも不便なためである。また出版元により、刊行時期により、同一人に新旧両字体が交じって使用されることがあるからである。まれに対応する新字体が存在せず、旧字体もコンピュータで表示できないケースが有り、其の場合は適宜対応した。
 旧仮名遣いは、基本的にそのままにしてある。ただし、現在小さいカタカナ(「ッ」「ュ」など)で書かれるもので大きいカタカナになっているものは、手が回る範囲で小さいカタカナに変更した。 る。
 一覧は目次から作成したので、本文と異なることがある。「登山とスキー」誌の校正はかなり雑であり、タイトル違い、著者違い、ページ違いなどのケアレスミスが散見される。気がついた範囲では修正したが、大部分は間違ったままになっている恐れがある点、ご容赦願いたい。
 前項とも関連するが、連載記事の題名がしばしば連載中で多少変化している(例:気象の注意(一)→気象学(二)気がついた範囲で統一化したが、至らぬ箇所も多いと思われる。同様に、著者の表記の揺れ間違いも散見される。確信を持った限り修正したが、同一人か別人か判断できない場合、同一人らしき複数名のうちいずれが正しいか判断できない場合、そのままにしてある。また当時はペンネームでの投稿が多く、意図的にペンネームを使い分けている可能性もあり、あえて直していない箇所もある。全て恣意的な作業である点、何卒ご承知おき願いたい。

創刊時の誌名は「アルピニズム」だったが、6号では特集名がタイトルのように大書きされ、7号では正式に「登山とスキー」に改題された。

 

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