大洞林道本線 【廃径】

 三峰から大洞川の右岸を行く長大な林道は、バラクチで分かれて本線は国境稜線の北側の山腹を延々と辿って将監峠に至る。この区間は大洞林道本線と呼ばれている。

●将監峠~天目尾根

 将監峠の北側には、腰の深さの笹原に微かな踏跡が散在するが、井戸沢源頭部への踏跡と思われ、水平道は見当たらない。峠付近の平坦地では笹が深くなるものなので、取り合えず適当に笹を掻き分け等高に歩き出す。1883峰北面を進むこと数分で笹はヒザ程度になり、無事、頼りない踏跡に合流した。水平に続く踏跡は、予測ルートと完全に一致するので、間違いなさそうだ。
 1883峰の真北あたりで、何ヶ所かワイヤーや切株が見られ、白く目立たないポリプロピレン製荷造りひもが下がった地点で、井戸沢へ下る踏跡を分ける。水平道、下降道とも笹の中のか細い踏跡だ。直後にカラマツ植林に入り、1883峰北東尾根を回る。尾根上には、作業踏跡があった。
 植林を直ぐに抜け、再び笹原の分散した不安定な踏跡になる。切株が点在している。北東尾根から10分、暗い針葉樹林の中で、苔むした縦長の古い礫崩壊を渡る。分散気味のあやふやな踏跡が、小刻みに上下しながら続いており、神経を使う。礫崩壊から10分強の大きな露岩基部の通過では、経路が固定されて踏跡が明瞭になり、ありがたい。さらに数分で、笹の低い暗いツガの森になり、そこそこ歩きやすくなった。
 森の中で1940M圏の竜喰山北肩から北伸する露岩の多い小尾根を回り、その1940M圏肩の北東尾根との窪状にかかると、笹が高くなり一気に不明瞭になる。拡散する踏跡は、概ね深笹地帯を高巻いているようなので従う。通行者は、強引に笹を掻き分けるより、稜線側の薄笹を拾って歩いているようだ。
 すぐに崩壊した窪に出くわし一瞬ひるむが、微かな踏跡は、安定したルートで礫を縫って通過していた。相変わらず、笹の中の不安定で断続的な踏跡が続く。ルートを見つけては消滅することを、幾度となく繰り返し、精神的な消耗が大きくなってくる。トラバース続きで地形特徴がはっきりせず、正規ルートであることの確証が得られないのが辛いが、微かな歩いた痕跡を拾いつつ、とにかく水平に進むことである。
 小規模のシャクナゲヤブを回避すると、森が急に開け、数十メートル幅の明るい崩壊地に出る。傾斜は緩く十分安定しているので、問題なく通過した。
 古い崩壊地らしいダケカンバ帯を過ぎ、10分弱で、将監峠以来初めて、竜喰山から直下する小沢を渡る。このあたりは、樹林帯で笹が低く、踏跡は比較的見つけやすい。シャクナゲを見た後、窪状でない単なる笹の斜面で、天目尾根から来る微流を通過する。
 数分行くと、踏跡の上に突然、直径数cmの低木の鋭い切株が現れた。その先には、ピンク、赤、白ひもが付いている。白ひもは、将監峠出発直後の井戸沢分岐で見たものと、全く同じ種類が同じ形状で取り付けられている。連続するピンクテープに従うこと数分で、天目尾根に出た。笹の中でガランと音がしたので見ると、錆びた空缶だった。
 尾根付近は明るいダケカンバの疎林で、明らかに伐採跡の二次林である。尾根を通る明瞭な踏跡と十字路になっている。「今まで天目尾根にはわずかながら踏跡があって下れたのだが、三十四年夏の台風で倒木がひどく、ここ数年は利用できそうもない。(アルパインガイド15 奥秩父・S36)」との記述があることから、マーキングは、天目尾根道を辿って来た作業者によるものと想像される。今なら、甲州側から林道終点の将監峠まで車で入り、竜喰山を経て天目尾根を下ってくれば便利だが、この林道は比較的新しく伐採当時は存在しなかった。むしろ当時は大洞川側の惣小屋の先まで車道が通っていたので、作業者は、そこから井戸沢左岸道で椹谷出合へ入り、天目尾根道に取り付いていたのであろう。

 

⌚ฺ  将監峠-(2時間5分)-天目尾根 [2013.9.14]

●天目尾根~アザミ窪右俣源頭の分岐

 天目尾根を過ぎると、水平踏跡は伐採跡のダケカンバ二次林下の笹原で、すぐに不明瞭になる。マーキングも全く見えなくなった。
 十数分進むが、腰程度の笹の中、踏跡と確信できる痕跡は全く見つけられず、踏跡の残骸と思えば思えるが、違うといえば違う、という程度の状態が続いた。数十メートル先を見渡し、それっぽい雰囲気のところを勘に従い進んでいく。大洞林道本線は、昔の天目尾根伐採事業のため将監峠~天目尾根のみが痕跡を残すも、その先は完全消滅したのではとの不安が頭をよぎる。だが、秩父地方の国有林巡視道は手入れが殆どされておらず、存在する歩道が深笹により部分的に消滅することがあることも、これまで幾度も見てきた。
 踏跡の痕跡を失ったまま機械的に水平に進み、アザミ窪右俣源流の一角、竜喰山南東1980M圏肩から来る尾根付近で、左下から良い踏跡が緩く上りながら合わさってきた。その踏跡は笹の中に比較的明瞭についており、天目尾根からここまでの間の存在すら疑わしい痕跡とは全く異なるものだった。この踏跡を1~2分斜上すると、水平に行く極めて微かな道の痕跡と交差したので、これが正道だったのだろう。

 

⌚ฺ  天目尾根-(20分)-アザミ窪右俣源頭の分岐 [2013.9.14]

●アザミ窪右俣源頭の分岐~ホラノカイ・アザミ窪中間尾根1860M圏岩峰群西下(付図C3下)

 幾多の岩峰を連ねる大常木山の、黒木に覆われた急峻な北面をトラバースする区間である。樹齢約190年の安定した原生林をほぼ水平に行く道は、約80年前の原全教の記録にある道の痕跡がほぼ保たれており、地形図と磁針のみで正確に行動できる熟達した登山者なら、容易に踏破できる。
 アザミ窪右俣源頭付近、即ち先週の歩行の終点である、竜喰山南東コルからの下降道との交差点から歩行を開始した。
 笹原はすぐ深い森林になり、水平な踏跡の痕跡は、多少分かりやすくなる。とは言え、天目尾根より将監側に比べ明らかに道が悪く、何もない荒れた森林よりは歩きやすいという程度のものだ。近目にはどこが道の跡か分かり難くても、遠くから眺めればルートが見えてくる。
 アザミ窪右俣源流の微流を通過する。苔むした倒木を避けたり潜ったりしながら、痕跡は水平に続いている。
 約30分で、1999M峰東肩から派生するアザミ窪右俣左俣中間尾根を回り込む。比較的大きな尾根で、尾根上には薄い踏跡が付いていた。
 尾根を回ってすぐ、荒れたダケカンバと笹の一帯に入り、痕跡が分散し歩みが遅くなる。再び、原生林のトラバースに戻る。倒木が多く、それを避ける踏跡が見られるが、その踏跡すら痕跡程度のものでしかない。
 県境の長細い1999M峰南鞍部から出る窪を通過するあたりに露岩帯があり、その下を通過する。窪には倒木が詰まっており、通過に手間取る。すぐ下で水音がすることから、伏流化しているようだ。
 3分後に、伏流窪の支窪を通過する。僅かに水流がある。さらに、5分後に微流、2分後に両岸がやや切れた微流、その5分後に下流側の左岸に小さなスペースがある谷の浅い小流、と次々に横断する。
 一時的に安定した森の踏跡痕跡になるが、大常木山(1962M峰)北尾根を回るところでまた倒木が激しくなる。じっと眺めてはルートを見定め進む、という作業を繰り返す。
 1950M圏峰から来るシャクナゲが見られる東隣の尾根を通るとき、少し森が切れて、井戸沢を隔てて東仙波からカバヤノ頭が見え、遠くには和名倉山も望める。このあたり、倒木と笹ヤブで苦しむが、数分で安定した森林中の痕跡が回復する。
 踏跡が残るガレた窪を通過し、続いて数分後に渡窪部が消滅したガレ窪を通過する。痕跡が不明瞭となり探すと、20M下って続きの水平な痕跡が見つかった。再度安定した森の中の踏跡痕跡となり、8分後に露岩帯の下部を通過する。
 目の前に、ホラノカイ・アザミ窪中間尾根が迫り、その1860M圏岩峰群の基部に到達する。植生が突然変わり、暗黒の森林から、細い木や倒木が多いヤブっぽい斜面となった。踏跡の痕跡は、ほぼ消滅してしまう。

 

⌚ฺ  ホラノカイ・アザミ窪中間尾根1860M圏岩峰群西下(付図C3下)-(20分)-アザミ窪右俣源頭の分岐 [2013.9.14]

●ホラノカイ・アザミ窪中間尾根1860M圏岩峰群西下(付図C3下)~ホラノカイ・アザミ窪中間尾根「なるい肩」(付図S1)

 付近は特徴的な地形や目印がなく、位置を確信しにくい場所であった。かつて山崩れか風害か何かの自然災害で森の壊滅が起きたらしく、この付近から北は細木や枯木が多く森の状態が著しく悪い。そのため林道の道型がほぼ消滅しているのである。
 周囲は枯木や倒木が多く、下方には細い木が密生しているのが見える。3年近く前に来た時と雰囲気は似ているが確証を持てぬまま北に等高に進むと、僅かに残った小規模な古い森でその時付けた白テープを発見、続いて地形図雨裂記号の大崩壊の上端を通過し、上から来る露岩帯に押し下げられるように密生した針葉樹の若木の一帯との隙間を、ヤブ漕ぎのように通過した。この付近は踏跡や痕跡すらないにも関わらず、面白いように3年前と同じ光景が再現した。そこしか通れるルートがないということだろう。原全教は、林道は20M登って中間尾根を越すとしたが、岩と密林が迫りなかなか尾根に上がれそうなところはなかった。緩い窪状地形に入ると落ち着いた森になり、前方の水平ルートは露岩で塞がれていた。倒木が散らばり多少荒れた感はあるが、ここなら尾根に登り上げるのは容易で、高度差は見たところ20-30M、原の文献が示す乗越はここであろうか。重要な候補地点として頭にインプットし、とりあえず3年前同様にさらに水平に進んでみた。
 前方の露岩帯は労せずして突破できたが、安定した森の割りに踏跡は見られず、林道らしさは感じられなかった。岩の向こうに回るとアザミ窪から上がってきた踏跡が合わさり、比較的明瞭な水平踏跡となって、全く登ることなく1810M付近で中間尾根を回り込んだ(S2、前回設置の白テープで位置を確認)。このまでも3年前と同ルートである。ここは地形的にはまさに「なるい(=緩い)肩」になっているのだが、水平なまま中間尾根に達する点からして、この道は大洞林道でなくアザミ窪からの作業道の踏跡であろう。「1840M圏のなるい肩」はこの上にあるはずである。踏跡はヒノキやシラビソの黒々した森に覆われた中間尾根の左を絡んで登り、1840M付近の肩的な地点(S1)に乗り上げた。付近には明瞭なピークや鞍部がなく、尾根筋は上下方向ともやや傾斜があり、一帯はほぼ平坦だがやや緩く下る地形になっていた。まさに「なるい肩」であり、標高的にも良く一致する。そしてそこから西の窪状に向かって、さほど明瞭でないが消えかけた古道の如き九十九折れて下る断続的な痕跡が見られた。これを20-30M下ると、果たして先ほど林道が尾根に向け登り始める候補地点とした場所に下り着いた。これで中間尾根西側の大洞林道の道筋が明らかになった。

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ホラノカイ・アザミ窪中間尾根


 

⌚ฺ  ホラノカイ・アザミ窪中間尾根1860M圏岩峰群西下-(25分)-ホラノカイ・アザミ窪中間尾根「なるい肩」 [2016.5.6]

●ホラノカイ・アザミ窪中間尾根「なるい肩」(付図S1)~ホラノカイ

 この区間、林道はほぼ消滅しており、以下は道でないただの斜面を下った記録である。
 中間尾根からまずはやや右寄りに急下し、右側がガレているダケカンバと低い笹の小尾根を下る。尾根から約50M下った辺で、漸くガレを渡り、南へとトラバース気味にどんどん下る。痕跡はあるかないかという程度で、それを追えるほど明確でない。1700M付近で、やや緊張する水のない崩壊窪の二俣の下を渡る。古切株が点在する、ヒノキ、ツガの斜面を下る。弱い踏跡がある尾根を通過すると笹が深くなり、ルートの見当がつけ難くなる。すぐに滝を連ねる急流を渡る。地形図崖記号から流れ込む沢で、水量は少なくない。5分で伏流気味で小流の露岩のある小窪を通過し、また5分で踏跡のある微小尾根を横切る。笹は深く痕跡は断続的、心もとない状況が続く。ホラノカイが間近になる頃には、身動き取れぬほどの笹ヤブとなり、強引に河原に下った。左岸に泊まりにちょうどよさそうな小広い場所があり、すぐ上流側は飛竜方面と大ダル方面に分かれる1610M圏二俣があった。この辺り大きな礫が累積し、やや伏流気味である。

 

⌚ฺ  ホラノカイ・アザミ窪中間尾根「なるい肩」-(1時間5分)-ホラノカイ [2013.9.21]

○サブルート「なるい肩」~ホラノカイ・アザミ窪中間尾根P1下

 先程から辿っている尾根の左を絡む踏跡は、右上の岩が見えなくなると、その窪状上部の平面的な斜面を分散して登る曖昧な踏跡になった。やがて小鞍部(C3)に登り着いたので、地形確認のため北に見える小峰(P4)に登ってみた。初めに丘のような小さな盛り上がり(P4-1)、次に小峰(P4-2)、さらに左に曲がってすぐの位置にまた小峰(P4-3)がある三連の小峰群であった。その先の尾根は、先程越えた「なるい肩」の方へと下っていることを確認した。C3に引き返し、P3の東を巻く踏跡に従いC2に戻り、P2、C1と辿り、良い道でP1に上がり、その直下から水平道に入った。

 

⌚ฺ  「なるい肩」-(25分)-ホラノカイ・アザミ窪中間尾根P1下 [2016.5.6]

○サブルート[逆行区間]「なるい肩」・ホラノカイ・大ダル三方分岐~ホラノカイ・アザミ窪中間尾根P1下

 山襞を丁寧になぞってほぼ水平に進んだ。見失いがちな分散した薄い踏跡はどれが本物か分からなかったが、高度を落とすと笹が深く、露岩が多く、倒木が酷くなるので、それを避けて高巻けば自然とこのルートを取ることになる。
 ホラノカイを挟んで飛龍北面の黒木の山腹が力強く迫り、三ッ岩下の凄惨な大ガレが目を引いた。二つ目の小尾根を回った後、若干高めを通れば笹はより低く、多少踏跡が続くので歩きやすかった。地形図にある崩壊の上端を通過するが、斜面は安定して危険はなかった。ものの20~30Mで中間尾根の中途半端な位置に出た(白テープ設置)。

 

⌚ฺ  「なるい肩」・ホラノカイ・大ダル三方分岐-(5分)-ホラノカイ・アザミ窪中間尾根P1下 [2016.5.6]

○サブルート[逆行区間]ホラノカイ~「なるい肩」・ホラノカイ・大ダル三方分岐

 1610M圏二股から西に登る小尾根に付けられた小沢の左岸尾根の明瞭な踏跡を辿ってみた。途中幾つも、大洞林道本線の推定経路と同様に、北に向かって斜めに登っていく痕跡が見られた。二、三本を追ってみると、それなりに続いており、中間尾根に出られる感じであったが、現存の作業道というには、あまりにもたどたどしかった。そのうち一つはややしっかりした道型で斜めに深い笹ヤブを登っており、もしやと思ったが、荒廃が酷くとても通路として使える代物ではなかった。
 また大ダルを目指し南に水平に分かれる痕跡も幾つか見られ、さまざまな痕跡が交差して自在に歩けるが、特定の経路を探すためにはある意味困った状況であった。尾根の踏跡はだんだん弱まってきており、さまざまな通行者が、目的の方向に向かう枝道のような種々の痕跡に逸れているためと推測された。
 恐らく標高1830M付近の水平踏跡は、並行する複数の分散した痕跡の集合ではあるが、比較的踏まれていた。これは、大ダルと中間尾根が肩状になる1860M圏とをほぼ水平に結ぶ、メインの痕跡だ。この踏跡を外さずうまく辿れば、大ダルへも十分強で着くことができる。

 

⌚ฺ  ホラノカイ-(20分)-大ダル・「なるい肩」水平道 [2014.9.14]

● [逆行区間]ホラノカイ・栂ノ沢中間尾根~ホラノカイ

 この区間は、大洞林道本線で最も注意を要する区間だろう。崖や急傾斜が多く、ルートを誤ると立ち往生してしまう。正しいルートを捉えれば難しくないが、遡行時のルート判断的な要素を、強く要求される。
 昨日訪れた、ホラノカイ・栂ノ沢中間尾根の1830M圏大洞林道本線交差地点から、西に向かって水平に進む。陽の差さない北向きの急斜面にヤブはほとんどなく、微かな痕跡であっても比較的追いやすい。ただ、低く成長の悪い原生林の若木の枝が張り出し、邪魔である上、痕跡が隠されてしまうのが難点だ。
 この先、国境稜線の1967M独標下で、地形図で深く切れ込んだように見える、ホラノカイ大滝下1380M圏右岸出合支沢の左俣、右俣を順次通過しなければならない。ホラノカイ・栂ノ沢中間尾根から約30分で、まず左俣に遭遇する。目の前に姿を現す切れ込んだ岩壁をよく観察すると、谷底のやや下った辺りに、対岸を登る痕跡が見えるので、そこまで下ればよいようだ。小さな崩れやバンドを30Mほど下って谷に降り立つと、激しく落ち込む谷は土砂で埋まり伏流化している。脇から流れ込む小さな水流で、昨日以来久しぶりに水を得た。
 先に観察しておいた左岸を、約10M登り返す。この踏跡の部分は傾斜が緩く容易だが、見返すと30M分下ってきた右岸が、取り付く島のない崖のように見える。逆コースでは、ルート捜索にかなり手間取るだろう。
 踏跡はほぼ水平に行くが、徐々に分散し不鮮明になる。倒木の多い崩壊地に差し掛かると、分からなくなり、ヒノキが多く落ち着いた林相の下側に逃げた。そこはかとなく踏まれてはいるようだ。この辺り、下生えがなくかつ大木がない、まるで植林のように整然としたヒノキの森である。
 数分先の1967M独標から北に出る尾根を回るところで、思いもかけず、急に目の前が切り立った崖で進めなくなる。地形図でも等高線が混んでいるのが分かるが、実際は上下に渡り全く手も足も出ない落ち込みが続いている。先の崩壊地で少し下っているので、取り戻すべく、尾根に沿って安全な左側を登っていく。ぼんやりした痕跡も何となく尾根を登っているようだ。ヒノキにシャクナゲが混じるようになると、左から幾つかの痕跡が合流し、多少踏跡っぽくなってきた。今思えば、崩壊地はむしろ登り気味に通過するのがベストだったようだ。
 尾根の傾斜はきつくなく、急激に谷が高度を上げてくるので、だんだん下の雰囲気が覗けるようになってきた。ここは下れるかも、という候補地点が出てきたが、明らかに下る踏跡が出てくるまで我慢した。登り始めて十数分で、ついに尾根の踏跡が右側の谷に下ろうとする場所が現れた。谷はもう深さもなく、ここなら危険を感じず降りることができる。軽く下ると、何事もなかったかのように、それまでの水平道に戻った。ここも、逆コースでは、1967M独標北尾根の東側のルートが分かりにくく、意外と苦労するかもしれない。
 ヒノキの森の中、倒木と荒廃で踏跡は相当不明瞭になり、小さな上下を繰り返す。約10分で、ホラノカイ大滝下1380M圏右岸出合支沢の右俣を通過する。両岸は崖状だが、10M弱を下って容易に渡ることができ、対岸の踏跡も明瞭だ。さらにすぐ、伏流の小さな支窪を渡り、数分で前方に、崖状に突き出た大岩が目に入る。このまま水平に進むことは明らかに不可能だが、上から巻けそうに見える。踏跡も登っているようだ。
 約30M登って、小さな尾根上の岩の上に出た。地形を把握できるほどではないが、木々の間から多少見通しが利く。原が絶賛した山深い大洞川源流の眺めに代わって見えるのは、伐採しつくされた東仙波から和名倉の眺めであるのは残念だが、この一帯で特に急峻な稜線北側の陰鬱な森の様子は、何ら変わっていない。この尾根の直下にあるホラノカイの大滝は、気配すら感じられない。
 引き続き、倒木や枝張りを避けつつ、不明瞭なままトータルでは水平に行く、ぱらけた痕跡を追う。どこがルートであるか常に確信ないが、少しでもそれらしい雰囲気の所を追っていけば、大外しはない。僅かに下り気味になり、苔むした崩礫帯を通過した。
 大岩から約20分で、北天ノタルから北西に出る、ホラノカイ1540M圏右岸出合支沢の左俣窪に遭遇した。水のない窪へは数メートル降りて容易に下れるが、左岸の岩壁に林道がどう取り付いているか、見当がつかない。あくまでも林道歩きなので、登挙により無理やり突破するのは、ルール違反である。上から下までかなり根気よく捜索した。特に上巻きルートは、数十メートル登る踏跡があり期待が持て、地形的にも突破可能に見えたが、踏跡がだんだん細くなり各通行者は諦めているようなので、それに倣い撤退した。ここで正規道を外すのは面白くない。一方、下方はますます崖がきつくなっていた。
 今度はの土石で埋まった急傾斜の窪に下り、対岸を念入りに調査した。すると、窪に下降した地点から約10M下の、右岸に微細な支窪(涸窪)が合わさる地点から、左岸を登れるバンドが見えてきた。技術的にも特に困難でなく、林道の経路に違いない。正面からは崖に見えたが、角度が変わると違った見え方をするのは、よくあることだ。
 踏跡は窪から約10M急登し、また水平になった。数分後に、ホラノカイ1540M圏右岸出合支沢の右俣窪が現れる。いやらしい崩壊だが、ちょっと見に感じ上巻きできそうに見える。踏跡に従い3分ほど登ると、何とか渡れそうな所があったが、念のためもう少し登って崩壊上部の安全なところから渡った。左岸を下り返すと、先ほどの渡れそうに見えた場所の対岸に良い踏跡があったので、それが正規ルートだったようだ。
 ヤブ状に繁茂し歩きにくいシャクナゲと若い原生林を縫って、やや下り気味に数分進むと、地形図にも崖記号が記入されている、数十メートル幅で大崩壊する窪(ここでの仮称、大ガレの窪)に出た。か細い踏跡が完全に消えてしまい、困ったことになった。
 ところで、原の記述を参考にすると、ホラノカイ源流部の恐らく1640M付近で4本の流れを渡り、地形図の三ツ岩(正しい位置は北天ノタルの南だが誤記されている)と書かれた方に向かって登ると言うから、今立っている大ガレの窪右岸尾根ではなく、ひとつ手前(東側)の尾根にルートがあったと推測される。先ほどのホラノカイ1540M圏右岸出合支沢の右俣窪の崩壊を巻いて、地形的に分かりやすい大ガレの窪の右岸尾根を下る、新ルートが開設されたものと推測できる。
 この地点は大ガレの上部のため、意外と安定していて傾斜もきつくなく、渡るのは難しくない。対岸に渡り、左岸をよく捜索したが、林道の痕跡は見つからなかった。とすれば、林道はガレ自体を下っていることになる。森からいったんガレに出て林道が消え、ガレをしばらく下ってから同じ側の森に再度林道が復活するパターンは、東京都水源林道の大常木林道で経験済みだ。ガレを約30M下ると、果たして右岸に踏跡が復活した。この区間の、ヤブ状の低木を避けていたようだ。
 あとは、大ガレの窪右岸の小尾根状を、淡々と下っていく。踏跡はそれなりについているが、水平道を歩いてきた身には、結構な急傾斜に感じる。150Mほど標高を下げると、右に窪状地形が現れ、踏跡は尾根と窪の中間斜面を行くようになり、時には窪に下りそうになる。踏跡は明瞭だ。再度尾根に乗りなおすと、左の大ガレの窪は飛龍から来る流れに吸収され、滝をかけた美しい沢になっていた。右手の小窪にも小さな水流が現れており、尾根末端が見えてくる。
 最後は岩場で落ち込むため、右手の小窪を渡り、その右岸から、1640M付近でホラノカイの本谷に降り立った。対岸の笹の台地を1分も行くと、さらに明瞭な道に近い踏跡があった。これには覚えがある。ホラノカイ1610M二股(右俣が飛龍に突き上げる本谷、左俣が大ダルへの流れ)から、踏跡を大ダルへ向かって少し登ったあたりの地点である。

 

⌚ฺ  ホラノカイ・栂ノ沢中間尾根-(3時間)-ホラノカイ [2014.9.14]

●ホラノカイ・栂ノ沢中間尾根~栂沢

 三ツ山と三ツ岩のほぼ中間にある1980M圏峰西端から迫り出す椹谷・栂沢中間尾根上の痩せて平らになる部分で、ほんの痕跡程度の林道は尾根を下ってきた弱い踏跡と交差した。ここで左折して尾根を下るのが林道で、直進するのは栂沢崩壊回避の迂回路である。
 痩せ尾根の右側に明瞭な道型が現れ、またすぐ消えた。栂沢へ下る旧経路の部分的な残骸であろうか。地形図の尾根二分点(1820M圏)は、主尾根の勢いが強く迷うことはなかった。苔と木洩れ日の清清しい森の明滅する踏跡を緩く下り、数分で緑の苔に埋もれた低い角柱を見た。109空中図根点であった。
 1790M圏で右に出る支尾根は、主尾根の形が曖昧なためほぼ均等に見えた。栂沢付近の詳細な道筋を示す唯一の地図は、秩父営林署の五万分の一管内図である。収載された林道の道筋は大雑把なものだが、それでも109空中図根点近辺で主尾根を外れ、1580M圏二股付近で栂沢を渡り、1520M圏に出合う右岸支沢をトラバースしてから一気に三ッ山北尾根に取り付くことが読み取れる。想定される渡沢点の1550M付近は、栂沢で唯一の平凡な河原であることが遡行図で知れ、文献にあるよう橋を架けるには持ってこいの場所である。したがって、109空中図根点直下で分かれるこの支尾根が、大洞林道本線の道筋と思われた。念のため、以前歩いたことがある調査林(?)に向かう主尾根の踏跡を再度探索してみたが、特に林道を思わせる気配は感じられなかった。
 広く緩い支尾根は、明らかな道型や踏跡は認められなかった。しかし古道が落葉や倒木に埋もれて見えなくなっても道の気配は感じられるものであり、この尾根も例外ではなかった。栂沢の沢音が微かに聞こえ始める頃、尾根の左斜面に小刻みに九十九折れて下る道の痕跡が明滅し、ごく一部だが道型的に見える箇所もあった。痕跡は左隣の支尾根に移る気配を見せ、両支尾根間の明るい日差しが入る緩い窪状でほぼ消滅した。窪状は倒木や礫で埋まり道型や踏跡は気配すら見えず、あったとしても消滅したことは明白だった。左の支尾根の僅かな痕跡も頼るほどのものではなく、見えてきた1580圏の二股を目標に見通しの良い窪状地形を一直線に下った。栂沢の直前で一時的に礫が切れ見えた踏跡は河原に入ると再び消滅したが、林道は二股の数十~百米下流の河原を渡っていたはずである。この二股は遡行図(東京付近の沢・大洞川市ノ沢、井戸沢と栂ノ沢(関本))では、「平凡」な河原上の1:1の二股に相当し、その上は両股とも滝を連ねているのが見えた。遡行者には退屈に見えるこの河原は、木々の新芽がまだ吹く前の、陽光が降り注ぐ人知れぬ別天地であった。

 

⌚ฺ  ホラノカイ・栂ノ沢中間尾根-(30分)-栂沢 [2016.5.5]

●栂沢~三ッ山北尾根支尾根の1660M付近平坦部

 栂沢の広い河原の左岸を適当に下ると、すぐ左岸に山肌が迫り右岸の河原がとても広がった。右岸に渡り約30M進んだ所に見えた、斜面に取り付く弱い踏跡に入った。緩く登る踏跡と流下する栂沢との高度がどんどん開き、弱い踏跡は痕跡ほどになってどれが本物か分からぬほど幾つにも分散した。最大公約数は水平のように見えたので、両岸が岩壁となった1520圏右岸支沢の右股、左股を1560M付近で順に水平にトラバースした。一見危険そうに見えるがよく見ると弱点があり、林道の痕跡はそこをうまく通過していた。並走する痕跡が上下しながら水平かやや登り気味に続き、地形図にある北西向きの小尾根を恐らく1580M付近で回った。その時、一時的に道型が少し見えた。多数の痕跡の総体はますます方向性を失い、試しに水平に進んだが崖のへつり状となるので引き返し、登り気味の痕跡を取るとうまく先へ進むことが出来た。1600M付近で地形図の北向きの小尾根を回った。先には岩稜がまだ続き、上下水平さまざまな方向に回避した痕跡が見られた。水平を基本に進んでみたが、バラクチ側から登ってきたとき行き詰った崩壊斜面が近づき、崩壊左岸で行き詰った。無理して渡れなくもないが、林道の回避ルートとしては危険過ぎると思われ、崩壊の左岸を登って高巻くことにした。相変わらず纏まりない多くの踏跡があるので適当に取捨選択しながら登り、1660M付近で西向きの小尾根の平坦部に乗り上げた。
 なおホラノカイ・栂ノ沢中間尾根からこの平坦部まで、栂沢に下らず山腹を巻いてくるかなり不明瞭なルートもあり、栂沢の崩壊を高巻きしつつ、直接ホラノカイ・栂ノ沢中間尾根まで登るルートのようだ。

 

⌚ฺ  栂沢-(40分)- 三ッ山北尾根支尾根の1660M付近平坦部[2016.5.5]

● [逆行区間]バラクチ尾根1520独標付近~三ッ山北尾根支尾根の1660M付近平坦部

 大洞林道のバラクチ尾根に絡んで登る部分は、時々尾根を横切るものの基本的に尾根筋を通らない事が文献により分かっている。しかし数十年来、バラクチ尾根を厳密に辿る道が出来てから、尾根に絡む大洞林道は使われなくなり、ほぼ消滅してしまったようだった。したがって、現時点での大洞林道本線への入口は1520独標付近である。
 独標付近は小規模な二重山稜になっており、右手の緩やかな斜面をほぼ水平に行く作業道の痕跡がある。ここは地形的にも有力候補の一つである。なぜなら直ぐ西の国有林界尾根の1510M圏の肩状は、地形的にいかにも巡視道が通りそうな条件を備えているからである。あいにく残雪が現れ、作業道の道筋が分からなくなった。適当に進み、雪が切れたとき見えた踏跡に乗り進むと、国有林界尾根に出た。小さな尾根だが、手前の共有林側はワイヤーやら踏跡が見られる二次林、奥の国有林側は黒木に覆われているので、すぐに分かる。
 国有林に水平に踏み入る踏跡を探しながら、1510M圏の肩状に向かって明瞭な踏跡がある境界尾根を下ってみた。1~2分下って肩状の小広い平坦地に着いてみると、果たせるかな、それらしい細い踏跡が原生林に突入していた。民有林側を見ると、どこでも歩ける二次林の斜面ではあるが、際立った道の痕跡は見られなかった。つまり、ここまでの部分、古の林道は伐採で失われてしまったが、バラクチ尾根の1520M独標付近 から適当に作業踏跡を拾いながら、ほぼ水平に進んでくれば良いことになる。そしてこの、国有林界の1510M圏肩状地点が、現時点での実質的な大洞林道本線の起点である。
 痕跡程度の踏跡がほぼ水平に続くが、倒木や枝の張り出しが邪魔になりまともに進めない。10分ほどで小さな崩壊窪に突き当たる。無理して渡れなくもないが、踏跡は高巻いているようだ。危険な地形を避けつつ前進するこの踏跡は、信頼が置けると思われた。
 急傾斜の崩壊小窪を二つ三つ連続して高巻いた。高巻き部分は歩く場所が制限される分、多少はっきりしていてありがたい。崩壊上端の見通しが利く場所から、眼下のソゲ岩越の和名倉山が大きい。合計100M近く登ると、ウラジロモミやツガ群落の安定した水平踏跡で、バラクチ尾根1680M圏台地の下を回るようになる。台地から北西に出るヒノキの尾根を回り、丈の低い小さな笹原を不明瞭な痕跡を追って通過すると、軽く下って川胡桃沢の1560M圏二股に出た。
 一時はっきり見えた道は、軽く登り返してトラバースを再開すると、すぐ曖昧になった。数分で川胡桃沢の支窪の雪渓を渡り、また数分で次の緩い支窪を通る。斜面には枯死笹ヤブが現れて、荒れた雰囲気になってきた。ふと振り向くと、木々の間から三峰神社が良く見える。
 1600M圏で緩やかな三ツ山北尾根を回り込む。何故だか尾根上に、小屋が建つくらいの日当たりの良いスペースがあった。さらに水平に進むと、激しい倒木・枯死笹ヤブ帯になっており、既に溶けた雪の重みのためだろう、枯死笹ヤブがまるで筵を敷いたように斜面に沿うように倒れている。道筋が全く見えない上に、滑ること甚だしく、消耗する。ただただ水平に危うげな踏跡を進む。小崩壊があるが容易に越える。次の微小尾根を過ぎると、目前に現れる幅広の崩壊で水平道が突然消滅した。崩壊部は岩壁が襞状に長く続いていて、とても渡りきれる感じではない。
 この崩壊窪は栂ノ沢の1370M付近で右岸から出合う取るに足らない窪だが、地形図を拡大して見れば分かるように、ここを渡る辺りは斜度50℃ほどはある、林道中最大の急傾斜である。回避する踏跡が崩壊手前の谷に落ち込むような急な小尾根を下っている。試しに下ってみたが、いつしか踏跡は消え、その尾根自体が下れないほどの急傾斜になり、両側の窪も崩壊のため下るとしても一か八かの状態、突入できるものではない。
 高巻きを試みると、こちらも割と良い踏跡があった。しかし高巻き踏跡は、登るものあり、水平あり、さらには下るものもあり、と何箇所もで様々に分かれている。想像するに、どこで崩壊を巻くかいろいろチャレンジした痕跡、さらには栂ノ沢遡行者の詰めの踏跡など、多種多様な経路が入り乱れているためであろう。どれを取るか散々迷いながら、その都度ある一つを選んで進み、三ッ山北尾根の支尾根の一つを1660M付近平坦部で回り込んだ。

 

⌚ฺ  バラクチ尾根1520独標付近-(1時間15分)-川胡桃沢近-(55分)-三ッ山北尾根支尾根の1660M付近平坦部 [2014.4.27]

【林道途中へのアクセスルート】(確認済みのもの)

  • 竜喰山南東1930M圏鞍部越え
  • 大ダルからホラノカイ・アザミ窪中間尾根
  • 大ダルからホラノカイ下降
  • 東京都水源巡視道からホラノカイ・栂沢中間尾根
  • 三ツ山北尾根下降

 

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将監峠と井戸沢側の笹原
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峠から数分で良い踏跡に出合う
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下降踏跡分岐の目立たぬ白テープ
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白テープ(拡大)
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交差する1883M峰北東尾根カラマツ植林道
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切株が点在する笹原を進む
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苔むした縦長の礫崩壊
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針葉樹の森を行く明瞭な踏跡
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崩壊窪の通過
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低木帯を行く
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支線方向(東仙波とカバヤノ頭)を望む
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シャクナゲを縫って進む林道
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明るく開けた崩壊地
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深い樹林帯を安定して進む林道
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竜喰山からの水流のある小窪
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桟橋の残骸か?
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良道の薄笹部分
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マーキングが連続して現れる
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交差する天目尾根の良道
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アザミ窪右俣源頭で痕跡が消える
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P4東の雨裂記号の崩壊手前(南側)の林道
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雨裂記号の崩壊上端を渡る
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荒廃極まる林道を雰囲気でトラバース
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なるい肩S1から西へ下る林道
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1840M圏のなるい肩S1
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やがて笹原の薄い水平踏跡になる
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水平踏跡は崩壊上端を通過
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1870M圏で中間尾根に乗る(P1下)
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直後のコルC1までは不思議と明瞭な踏跡
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ホラノカイ・栂ノ沢中間尾根の西に進む
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ホラノカイ1380M圏右岸出合支沢左俣
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バンドを登る右岸取付は見ても分からない
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ヒノキの密生した尾根を通過
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越えてきた崖の尾根を反対から見る
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切れ落ちた崖上から椹谷と天目尾根を望む
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ようやく崖が切れシャクナゲの尾根を越す
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急傾斜をトラバースして進む林道
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極めて不明瞭のため痕跡を拾って進む
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ホラノカイ1540M圏右岸出合支沢の左俣窪
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窪の左岸岩壁に無理なく登れるバンドが
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大崩壊した窪を少し下り手前小尾根に戻る
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ホラノカイ源流部と大常木山の密林
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大崩壊の窪に沿って下る
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ヤブのない急な小尾根に踏跡がついている
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ホラノカイ本谷が見えてきた
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下ってきた尾根は岩場となって落ち込む
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大常木山東の1940M圏峰からの小沢を渡る
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ホラノカイの飛龍からの本流の渡沢点
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ホラノカイ1610M圏二股から小尾根を西登
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ホラノカイ・栂ノ沢中間尾根
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その直後に一時道がよくなる
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109空中図根点(緑の短柱)
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試験地に向かう踏跡とマーキング
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林道の下る支尾根は道の気配程度のみ
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微かな道型が九十九折れている雰囲気
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栂沢が見えて来た辺り
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芽吹き前の栂沢に下り着く
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少し上には1580M圏の二股
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栂沢1580圏の二股付近を渡る
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1520圏右岸支沢をトラバースする痕跡
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ごく稀に姿を現す林道らしき道型
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トラバース痕跡崩壊が次第に強まる
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それとなく付いた上巻きの踏跡
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1660M付近平坦部が崩壊高巻きの頂点
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林道は倒木や枝の張り出しで歩きにくい
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この崩壊は容易に高巻ける
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眼下のソゲ岩と和名倉山の大きな山体
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低い笹を行く微かな道筋
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北面なので低い場所にも残雪が
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川胡桃沢の雪渓へと下る
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川胡桃沢の大岩
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川胡桃沢左岸は一時的に良道
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三ツ山北尾根の小広い場所
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薙ぎ倒された枯死笹ヤブ帯で難渋
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林道はほぼ水平に続く
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森を行く比較的明瞭な踏跡
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通行不能な栂ノ沢手前の崩壊窪
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高巻きの踏跡は始め明瞭