槙ノ沢林道(バラトヤ林道) 【廃径】

 大正初期に開かれた非常に古い林道だが、昭和30年代に伐採用の新道(八百谷林道)が開設されると、使われなくなった。沿道部分での地形図の大きな間違いが修正された頃には、既に廃道化していたため、正確な経路が分からないままだったが、現存する道の断片と資料とから経路が推定された。

● 和名倉登山道分岐(西仙波下)~ミョウキ支尾根の1770M圏肩状

 仙波ノタルから始まる槇ノ沢林道(バラトヤ林道)は、西仙波下1950M圏までは和名倉登山道の一部になっている。そこで尾根を左に離れる林道に入り、原生林を下った。ミョウキ尾根大部分が伐採されたため、数分もしないうちに二次林とシャクナゲのヤブに道型は消え、槇ノ沢の植林地の縁を行く踏跡に乗り換えた。この踏跡に従い尾根の南側を絡んで下り、1870M圏で左の支尾根に入った。主尾根にも不明瞭な踏跡があるが、支尾根を急下する槇ノ沢林道は比較的踏まれていた。

 

⌚ฺ  和名倉登山道分岐-(20分)-ミョウキ支尾根の1770M圏肩状 [2015.10.10]

● ミョウキ支尾根の1770M圏肩状~ミョウキ尾根1660M圏(八百谷林道分岐)

 十字路となったこの肩状の傾斜の緩い尾根筋は不自然に開けており、伐採時の作業場跡なのかもしれない。尾根通しに明瞭な踏跡があり、上から来るのがバラトヤ林道、さらに下ると森林基本図によると萩止ノ沢にまっすぐ降りる作業道だ。水平に横切る踏跡は、仙波ノタルと、ミョウキ尾根とに向かう。
 この区間は、八百谷林道との重複区間である。再びカラマツ植林の良道となって一下りし、水平に近い緩い下りになると、不明瞭になった。植林下の低い笹原の分散した踏跡を拾いながら進んで、1710M圏でミョウキ尾根に出た。この付近は全般に踏跡不明瞭で、今来た作業道もバラトヤ林道も道筋がはっきりしないが、この作業道の方がやや明瞭であった。
 この付近のミョウキ尾根は岩勝ちで痩せており、灌木と枯死笹ヤブに覆われた尾根の左を絡んで下っていた。少し下の1690M圏に好展望の露岩があり、通るたびに必ず立ち寄る絶好の休場になっている。この日は快晴で、滝川谷に順番に並ぶ、雁坂みちの尾根、黒岩尾根、通り尾根、唐松尾北尾根の様子がはっきりと見えた。
 さらに枯死笹ヤブを分け下って、1660M圏で尾根が平坦になった。下り傾斜が平坦になったすぐの位置で、注意深く見ると左のカラマツ植林に分け下る踏跡が見えた。尾根通しの明瞭な作業道のため、単なる植林時の作業痕跡ほどにしか思えないが、これがバラトヤ林道である。

 

⌚ฺ  ミョウキ支尾根の1770M圏肩状-(15分)-ミョウキ尾根1660M圏 [2015.4.29]

● ミョウキ尾根1660M圏(八百谷林道分岐)~槙ノ沢渡河点(萩止ノ沢出合)

 カラマツ植林下の背の高い猛烈な笹ヤブは徐々に枯死に向かっており、まだ茎が青いが勢いはない。小さな窪状地形の右を絡むように、踏跡は急下していた。ヤブに苦しむものの道型自体は何とか認識できるほどに残っていた。
 カラマツ植林が終わり、伐採後の荒れた二次林となり、相変わらず微かな踏跡が続いた。もしヤブさえなければ、意外と歩ける踏跡ではと思えるほと道型は見えていたが、実際には思うように前へ進めずストレスが溜まった。笹ヤブに加えて倒木が酷く、古林道歩きに拘らなければ、水涸の窪を下った方が早いだろう。やせ細った雑木の斜面にかつて田島勝太郎が賞賛した美林の面影はなく、残置ワイヤーが皆伐の名残を留めるばかりだった。
 道は窪の右岸を、トラバースしては支尾根を下り、窪に近づいてはまたトラバースと支尾根下り、を何回か繰り返した。やがて右の窪に突き当たり、押し戻されるように傾斜の強い中間尾根を下った。転げ落ちるように下って、1480M圏で水が現れた窪の二股の部分に降り立った。
 窪の左岸に道の続きはすぐ見つかった。ここからは大きな下りはなく、細いながらも明瞭な道は山腹を緩くなぞるように下って行った。礫崩壊地で不明になったが、水平に行くと続きが見つかり、萩止ノ沢出合付近に落ちる小尾根を回った。一瞬笹が開け、古い笹の刈り払い跡で、かつては手入れされた道であったことが分かった。
 この辺から笹が増えて道は多少不明瞭になり、崩れやすい斜面をうまくトラバースして水平に進むと、細い岩稜の尾根を回りこんだ。細い灌木が藪のように道を塞ぎ、土は大変崩れやすく極めて歩き難かった。微かな道型的なものが断続する状態で、山腹を絡んで少しずつ高度を落とした。右下に槇ノ沢の白い水頭が見えていた。突然、岩が崩壊する大きな音が鳴り響いた。槇ノ沢左岸に何本も見える大崩壊の一つがまた崩れたのだろうか。
 沢を目前にして笹の中の台地状地形に出たが、辺りは礫が積り明瞭なルートが見えなかった。台地を越えた斜面の緩い窪状地形の多少の踏跡を下り、槇ノ沢右岸の広い河原に降り立った。
 ここから少しの間、槇ノ沢の右岸を下るのだが、崖のため沢沿いは下れなかった。いったん数メートル登ってみると深い笹ヤブの中に意外と明瞭な道があった。1~2分緩く下り、崖の向こうの河原に出たが、右岸に大きく土砂が流入し完全に道が途切れていた。もう萩止ノ沢は目と鼻の先であった。削られた崖状を数メートル降りて河原に下った。ここで途切れた道は、逆ルートの場合まず分らないだろう(白テープ設置)。水量の少ない沢を容易に渡渉し、左岸の河原を下り、すぐ萩止ノ沢の出合に着いた。3年前に来た時と出合の形や河原の地形が変わっており、同じなのは両岸の岩壁だけであった。その時あった天然の丸太橋も流失していた。前回気づかなかったが、この出合の地点で槇ノ沢の右岸の岩壁ぎりぎりの位置に立つと、まるで頭髪のように岩壁上部に松を載せた、天を衝くようなミョウキ岩の素晴らしい造形美が、姿を見せていた。微妙に曲がった沢の地形のため、見事な角度で見えるのはこの地点だけなのであった。

 

⌚ฺ  ミョウキ尾根1660M圏-(1時間10分)-槙ノ沢渡河点 [2015.4.29]

● 槙ノ沢渡河点(萩止ノ沢出合)~ヒルノ沢右岸のサブルート分岐点

 萩止ノ沢出合から、ミョウキ岩に向かって落ち込む萩止ノ沢左岸尾根を回るまでの間は、深い笹ヤブの中にさまざまな踏跡が入り乱れ、経路が特定できない問題の区間だった。
 田島勝太郎は、出合から約15分で「脚下にミョーキ岩を見下す」としており、明瞭な道筋が確認できた標高1470Mでミョウキ岩付近を水平に通過する付近と思われる。1370M圏の萩止ノ沢出合から約100メートル登っていることになる。また原全教は、出合から「急に二十米程攀じ登って、横に廻り、直き次の沢へ下る」としており、「直き次の沢」とは萩止ノ沢の左隣の直線的な沢のことで、林道は1460M圏で渡っている。単純計算では、出合から20メートル登って水平にっても1460Mにはならず、20Mの急登の後も少しずつ登っていることが分かる。萩止ノ沢左岸尾根を明瞭な道型が1470M圏で回っていたので、そこまでの間、林道は激しい笹ヤブのどこかを登っているということだ。
 出合から急に登り始める踏跡も見えたが、今回は敢えて萩止ノ沢を少し遡った。前回来たときに、古い桟橋を見ているので、先ずはそれを見つけようとしたためであった。数分登った1410M圏左岸の礫崩壊が前回下り付いた地点だった。そこから笹の中の踏跡に取りついたが、酷い笹ヤブの細道ですぐ踏跡はいくつにも分かれていた。
 前来た時は無我夢中で一目散に萩止ノ沢に向かっていたので、踏跡の分岐や合流には全く気をとめていなかった。幾つもの踏跡が見かけられ、いろいろ歩いたが、この近くで見た古い桟橋や小さな白い装置の落し物も見つけられず、歩き回っても正規道の道筋すら確認できなかった。とにかく使えそうな道型を探して、地形的に正しそうな方向、即ちやや登りながら槇ノ沢左岸を下流方向に向かって、少しずつ進んでいった。深い笹ヤブは下方向に倒れているので、今向かう方向は抵抗を受けて立つことさえできず、しかも道自体が見えにくくなっていた。前回下りなのでそれほど迷わなかった道筋が、全く見えなくなっていたのかもしれなかった。
 試行錯誤の末、細い踏跡を下っていた時、ついに萩止ノ沢左岸尾根のちょうど芯のあたりでよい道型が見つかった。今から行く方向にはしっかり続いていたが、戻る方向は笹ヤブに埋もれて消滅しているように見えた。その地点から萩止ノ沢出合までの区間は、分散し、不明瞭になっているのかも知れなかった。恐らく萩止ノ沢出合から急登した後、回り込むようにさらに登ってここに達していたのだろう。
 立派な道型が残っていたのは一時的だったが、この先は笹が弱まり相対的には明確化していた。踏跡程度になった林道は山腹を水平に進み、直線的に落ちる顕著な沢に差し掛かった。左岸支窪を渡ると水平道が崩れているため、いったんを窪を下り二股近くから同じ高さまで登り返すと、本沢左岸の同じ高さに道が見つかった。
 岩稜の小尾根を越え、礫崩壊や露岩を上下からかわして行った。笹ヤブや灌木の枝の張り出し酷くなり、思うように進めないのがもどかしかった。次の岩稜の小尾根を越えたところで、青く輝くアルミシートか何かが落ちていたのが見えた。この小尾根を過ぎるとミョウキ岩の付近に差し掛り、木々の枝の間から右下に筍のような岩が透けて見えるようになったが、背景がミョウキ尾根の斜面なので、いま一つ迫力に乏しかった。巨大な岩が多くそのたびに上下しながら、基本的には水平に移動したが、そのため踏跡は安定せず不明瞭だった。少し人面のようにも見える岩の頭から、ツガが生えてタコのように根が岩の頭を覆った奇景があった。刈り取った笹の根の跡が見られ、人為的な古い道であることは間違いなかった。岩の下を通過するとき、岩尾根を越える部分など、部分的に明瞭になるときもあった。
 岩場を連続して通過しながら高度を上げるあたりは、田島が「尤も険阻な處で、桟道や丸太橋が連続している」と述べたあたりと思われた。ただ「桟道や丸太橋が毀れて居ても、上なり下なりに多少上下すれば通れぬことはない」とされている通り、現在全く桟橋はなくとも普通の登山の要領であっけなく通過することができた。
 1518独標の地図にない小ピークの脇を通って、その小尾根を越えた。巨樹が点在する北斜面の針葉樹林では、踏跡はバラケながらも明確に見えた。また大岩が頻繁に現れてきて、岩を縫っての迷路のようなトラバースで道が不明になった。道なき岩稜帯のトラバースと思えば特段難しくはないが、林道歩きとしては険しい区間であった。ルートを読みながら、トータルとしてはあくまでも水平に進んだ。倒木、枯死笹ヤブ、灌木の枝で激しく荒れた一帯がヒルノ沢右岸尾根まで続き、その後もなお時々現れる巨岩をかわして水平に進んだ。見事な大木が見られる混交林を、踏跡は不明瞭に分散しながら続いていた。
 やがてヒルノ沢の音が聞こえてきた。まず微流の支沢が現れた。踏跡は両岸の岩壁のテラス的な部分からうまく水平に抜け、本沢との中間尾根に立った。この中間尾根を下るのがバラトヤ林道に見え、そこからも行けるには行けるがサブルートである。

 

⌚ฺ  槙ノ沢渡河点-(1時間10分)-1518独標-(50分)-ヒルノ沢右岸のサブルート分岐点 [2015.4.29]

● ヒルノ沢右岸のサブルート分岐点~植林界尾根

 ヒルノ沢までは林道とも知らず今来たところを、改めて辿ることになる。やや傾斜のある斜面のほぼ消えたに近い道型を、倒木を潜って進んだ。苔むした丸太が多少並行を失いながら、半ば土砂に埋もれつつも三本、また二本と斜面に引っ掛かっているのは、古い桟橋の残骸のようだった。道型は消えかかっており、崩壊気味の小窪を走るように横切り、断続的な踏跡を探して水平に行った。ヒルノ沢の流れを1460M圏の二股のすぐ下で渡った。そこ滑っぽい苔蒸した傾斜の緩い部分で、地形図で左股が小さく示されているのとは異なり、3(右):2(左)の甲乙つけ難い水量で、どちらが本流かは微妙で地形図でも判断し難かった。
 左岸の緩く登り気味の踏跡に従い、広葉樹の森を進んだ。道型はほとんど見えず、落葉が僅かに凹んだ痕跡により経路を知った。古い笹を刈った跡が見えるので林道であることは間違いなかったが、実質は獣道以下であった。崩れやすい土の部分に人が踏み抜いた足形があるので、十年来誰も通ってないわけではないようだった。唐松尾北尾根1870独標から北北東に出る、106図根点(1493.8Mの)の尾根の手前に来ると、笹ヤブが強くなり倒木のところで道が消えた。何本かの断続的な踏み分けがあったので、それらを繋いで先ほど来たばかりの106図根点のところに出た。こうしてみると、行きに図根点を発って百数十M歩いた道型が林道で、ヤブと倒木の寸断を挟んで先ほど道が消えた地点まで来ていたということだろう(帰宅後GPSでそれが正しいことを確認)。
 尾根はその部分で広がって二重山稜的になり、小屋でも立ちそうな大きな舟形地形を呈し、図根点はその脇の主尾根上にあった。尾根は低い灌木で覆われ、尾根上に踏跡があった。尾根に沿って上下しながら向こうに続く道を探したが見つからず、少し捜索範囲を広げてみた。すると図根点のすぐ脇から斜め一直線に下る道が見つかった。笹ヤブで数M途切れているため、尾根上では分からなかったのだった。すぐにオオトコノ窪の直線的な谷が見えてきた。木々の間から何かが猛スピードで谷を下っているのが見えた。色・形・大きさから見て若いクマのようだった。三年前にも近くで小熊を見ており、河野の文献でもヒルノ沢の二股にクマがいたことがあるいうので、彼らにとってこの付近は生活しやすいのだろうか。図根点下で分りやすかった道は、すぐに痕跡程度の踏跡に戻った。
 オオトコノ窪の右岸に迫る岩に押し出され、数メートルを下って水流に立った。ほぼ傾斜がない渡りやすい地点で、左岸に約5M四方の平らな場所があった。田島が「少々平地がある」と言ったのはこのことだろうか。「盗伐の根拠地」とするには水面とほとんど差がなく、かつては谷がもっと深かったのかも知れない。直上に倒木や巨岩の堆積があり、さらに上にはナメ滝とスラブ滝の中間のような30Mほどの長い滝が見えていた。踏跡は対岸に続いており、露岩が点在するちょっとヒヤッとするトラバースで通過した。かつては当然桟橋があったのだろう。
 自然林の薄い踏跡を水平に進むと、小窪の崩壊があった。この辺から踏跡は分散して怪しくなった。河野の説明からは、オオトコノ窪とこれから向かう植林尾根(当時は植林はなかった)との間でジグザグに大きく高度を下げるが、その際一気に下らず、いったん少し下り、水平になって急な窪を渡ってからさらに大きく下ると予想された。この崩壊に昔は流れがあったのだろうか。崩壊は7、8M下ると渡れそうなところがあり、下巻きで通過しいったん登り返した。下る踏跡もあったが、とりあえず水平に行くと地図で分らないくらいの小尾根と小窪的な凹みがあり、踏跡はいろいろなところで下っているようだった。適当な場所で20M程下ると、比較的明瞭な水平踏跡が見えてきたので、それを追った。河野が示した初めの小さい下りの部分の道筋は、崩壊により撹乱を受けたようだった。再び自然林の水平な薄い踏跡となった。唐松尾北尾根1620M圏から北北東に出る植林界尾根の直前で、倒木とシャクナゲに邪魔され真っ直ぐ進めなくなった。捜索すると幾つかの回避踏跡があったが、下ってこの一角の下を通過する踏跡が正しいようだった。ちょうど下った辺りで、先週通ってきた、林道のサブルートに合流した。このことは、帰宅後のGPS確認で分かったことである。直ぐ先の小尾根を境に、「ろ11小班」のヒノキ植林地となった。まだ山深いのに、人工の森になったことでほぼ下山したも同然という気になったが、この先はまだだいぶ長いのだった。

 

⌚ฺ  ヒルノ沢右岸のサブルート分岐点-(1時間10分)-植林界尾根 [2015.5.10]

● 植林界尾根~釣橋小屋

 この地点は先週来ているのだが、尾根の向こうが細く生育の悪い植林である以外、地形や植生に特徴がなく、同じ場所との確実な判断をすることができなかった。植林界に沿って、道ともつかない空間があり、歩くとしたら尾根筋のこの境界部分と思われた。またここまで登ってきた場合、林道が突然左折するわけだが、踏跡が何となく左に逸れる気配を感じることができるだろう。二、三分も下ると、右の自然林に少し窪的に凹んだ見覚えのある地形が現れた。この右側の斜面に、旧林道かも知れない電光型にも見える断片的な踏跡があったのだが、とても使えるものではなく、植林界に沿って下った。境界踏跡は明瞭でないが歩くには不自由なかった。時々枯葉に埋もれるように、割れた瓶やその破片が落ちていて、こんな奥地で行われていた厳しい作業が忍ばれた。
 標高1350M付近から境界尾根が右に曲がってやや痩せてくる。国有林図には1330M付近を水平に行く作業道が記入されており、等高線のない旧図のバラトヤ林道の一部ともおおむね一致している。つまりバラトヤ林道の廃道後、植林地内を通過する部分が作業道として残されたと推測した。先週は1350M付近の微かな痕跡を左にトラバースしたので、今回、1300Mにかけての斜面を調べてみた。しかし急傾斜の斜面に露岩が点在し、林道を通す状況では全くなかった。さらに二本の崩壊で通過困難でもあり、結局先週と同じ1360M付近まで高巻くことになったので、現時点ではそれが正しいルートなのだろう。しかし植林内には実に様々な踏跡があり、どれが林道かを判断することは困難だった。
 踏跡は崩壊上端をかすめて水平に進み、すぐ槇ノ沢作業小屋付近に落ちる小沢を渡った。この先手頃な水場がないため貴重な水場で、以前下を通る八百谷林道を通った時は沢を渡るところで導水用のホースを見ている。さらに1分進むと崩壊窪があった。先の小沢の右股にあたり上に大きな崩壊が見えたが、この部分は単なる涸沢で渡れのは難しくなかった。散在する踏跡に崩壊の撹乱が加わり、植林地なのでどこでも歩けるため正しいルートが全く分からなかった。すぐ下の二股まで涸窪を下り、再び水平踏跡に入った。ヒノキ植林中の断続的な踏跡が離散集合し、明確なルートがなくどこでも行けるため、正規ルートは全く不明だった。踏跡は多少登り気味か下り気味のものが多く、獣道のような感じだった。少しでも歩きやすそうな踏跡を適当に拾い、乗り換えながら、水平かやや下り気味に進んだ。この辺りでも割れた瓶の破片がしばしば見られた。唐松尾北尾根が左上に見えるようになると、それとの適当な高度差を数十メートルに保ちながらやや下り気味に進んだ。北尾根が平らになる辺りの斜面に差し掛かると、多少踏跡が安定し水平に進むようになった。そして1260M圏で植林が終わる49・50林班界尾根に飛び出した。さらに自然林の道型を100M弱トラバースすると、唐松尾北尾根道の分岐であった。
 特徴の薄い似通った風景のため、現在地の確信が持てなかったのである。周りの風景、道の付き方、個々の倒木の特徴から概ね把握はできてはいたが、先週の迷歩がトラウマになって用心深く、いや疑心暗鬼になっていた。いったん釣橋小屋近くまで下り、それでも100%の自信が持てず、今度は植林界の49・50林班界尾根(唐松尾北尾根)に合流する1280M圏まで登り返した。そこでようやく見覚えのある落雷にあったらしい黒焦げの木を見て、位置を確信した。実に恐ろしい尾根だと思った。
 北尾根道分岐から植生が疎らな自然林の尾根を下り始めた。初めは広かった尾根はだんだん痩せて、露岩が多くなってきた。道は時々、尾根上の岩を巻いて枝沢側を折り返し下っていた。時にヤシオツツジやシャクナゲが咲く新緑の美しい稜線なのだが、今は道を外さないよう必死だった。倒木処理や道を塞ぐ灌木の切口の古さが、北尾根登山道が整備されてから経過した60年近い年月を感じさせていた。尾根形状は十分痩せていないうえ露岩により撹乱されるため意外と不明であり、下りではうっかりすると違う尾根に入ってしまう恐れがあった。朝の登りのとき記憶に残る木や石、稀に見える道型の断片、道の中へと伸びた枝の古い切断面など、正しいルートを示す手掛かりを血眼になって捜しながら下った。分りにくい1190M圏の尾根分岐は、踏跡的な痕跡をしっかり追尾すると、正しい尾根に入ることができた。
 1140M圏から、そのまま下るのに危険を感じるほど尾根の傾斜が増し、林道は右の斜面を幾度となく折り返して下るようになった。自然林の急傾斜に残る道型は微かで、踏み外したり踏み抜いたりすると転落の恐れがあるので、慎重に下った。道は尾根筋と右方のやや抉れた感じの窪的な地形との間を、左右に大きく振られながらゆっくり下りていた。落葉に埋もれて不鮮明な道は、倒木、道流失、崖などの障害物に加え、踏み間違い、ショートカット等の人為的要因によっても混乱し、正しいルートの判断が非常に難しかった。下るほどジグザグの振れが大きくなり、釣橋小屋の青いシートがはっきり見えるようになると、引き連られて下る踏跡が出てきて分散し、ほぼ分からなくなり、そのまま小屋の裏手に下り着いた。

 

⌚ฺ  植林界尾根-(35分)-唐松尾北尾根-(20分)-釣橋小屋 [2015.5.10]

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西仙波下で左に切れる槇ノ沢林道
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原生林に残る林道の道型
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カラマツ植林の笹原中の痕跡を探して進む
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1690M圏展望露岩でのミョウキ尾根の紅葉
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ミョウキ尾根上の明瞭だが荒れた道
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バラトヤ林道がミョウキ尾根を離れる所
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左に窪を見て下るが道型は相当薄い
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微かな痕跡で窪へ下る
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1480M圏二股で左岸に渡る
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沢を渡るとトラバースが続く
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自然に還りつつあるが確かに道はある
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槙ノ沢の右岸河原に下りつく
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右岸の笹の中に道型が見える
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崩壊で道が消え河原に下りる
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崩壊から振り返って見る(道は左の崖上)
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左岸から萩止ノ沢が出合う
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出合から見たミョウキ岩の奇勝
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槇ノ沢を渡ると高い笹に道が消える
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小尾根を回って漸く道が見えてきた
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槇ノ沢へ直線で落ちる支沢を渡る
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枯死笹ヤブに僅かに残る道型
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バラトヤ林道では珍しいヤシオツツジ
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青いアルミの残置ゴミにも勇気付けられる
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ヤブと倒木でかなり荒れている
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岩稜を上手に巻いている
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岩を通過する部分は道が明瞭
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岩場が連続するが通過は容易
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1518独標脇を乗越す
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かつて林道の難所だった険阻な岩場が続く
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岩と倒木で道筋の判別が難しい
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道型が途絶えがちになる
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植林東界の尾根に出る
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植林界を踏跡不明のまま下る
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水平になるも痕跡が散在し特定困難
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植林中の崩壊を何とか渡る
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細い植林に多数の踏跡があり正規道が不明
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バラトヤ旧道の尾根左面への巻き始め
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唐松尾北尾根を行くバラトヤ旧道
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釣橋小屋裏手に下り着く