唐松尾・黒槐北面林道 page 2 【廃径】

 一般の通行は不可で、道の判別も困難のためトレースは難しい(参考に地形図を収載)。

 

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山ノ神土先の林道分岐点~黒岩新道交差(国土地理院の5万分の1地形図を使用)

 

● 山ノ神土先の林道分岐~萩止ノ沢左股の大ガレ

 山ノ神土から和名倉山に向かう笹原のトラバース道は、かつての大洞林道支線である。細い水流近くの武州将監小屋跡を通過して、リンノ峰の手前、御殿岩からの尾根と一九五〇米圏峰との鞍部で尾根に出る。かつての国境北面林道は、ここで御殿岩の下に向かって西に分岐していたという。しかし現在は稜線まできれいに伐採され、伐採跡の笹原に林道の痕跡は見られなかった。
 道型がないまま、すぐツガの森に入って適当に水平に進んでみた。様子を見ながら進むと、数分後に道の痕跡らしいものが見つかった。しかしその辺りから倒木が頻発し始め、前進がままならなくなった。微かな痕跡はズタズタに寸断され、分かっても追いきれないか、もしくは断続的になった。荒れた森を明滅する、何とか歩ける程度の痕跡をしばらく辿った。礫が落ち着いて草木が生えた古い崩壊帯を渡り、小さな岩稜帯の岩の根元に体を擦り付けるように通過すると、若い小木がヤブ状に密生し歩き難い箇所を通過した。ここも古い崩壊地であろう。続いて広い崩壊を渡るが、すっかり落ち着いていて通過は容易だった。和名倉山が正面に素晴らしく迫り、両神山のくっきりと雄姿を現していた。崩壊地中に突出した露岩の、最高の展望地で休憩した。
 その先も数分おきに、大小様々な礫のガレが次々現れたが、安定しているうえ微かに踏まれていて、むしろヤブや倒木がなく見通しが効く分、歩きやすいくらいだった。赤や黄に色づき始めた木々の間から前方に露岩が見えてくると、小さな黒木の尾根状に入り、この林道で初めて歩きやすい道型的な部分が見えた。やや下り気味に回り込むと、細く急なガレを渡り、すぐ先で水流のある細いルンゼを続けて渡った。そこは御殿沢左俣の支窪だったが、雨後のためか中々しっかりした水流だった。上端が僅かに色づいた程度のカラマツ植林に覆われたミョウキ尾根が、目の前だった。この窪の左岸の岩尾根が、先ほど見えた露岩らしかったが、ここで痕跡は途切れていた。急な岩尾根はなかなか手強く、林道は桟橋を架けて越していたのかもしれない。桟橋の残骸かも知れない、不自然に転がる丸太があったが、林道の存在を示す釘や針金等の証拠は見つからなかった。
 その岩稜を無理やり乗越すと、前方にまた岩尾根が見えたが、踏跡や痕跡もなく、今度は下から抜けてみた。ちょうど御殿岩の下辺りだからか、付近で唯一露岩の多い一帯だった。なだらかで落ち着いた森に入るも、木々に隠れるように二、三の小さなガレ窪があった。道の痕跡は見つからず、上下にかわしつつ全体としては水平に進んだ。小尾根に掛かるとシャクナゲが繁茂し、道の気配を感じたがあるも密ヤブのため追えなかった。とにかくヤブが多少でも切れたところを通るしかなかった。約十米幅の急な崩壊地は、上縁を回り込んでうまく渡った。崩壊の上から、和名倉山の眺めがよかった。痕跡が断続的に現れるようになり、黒木の森では仄かな痕跡が続いた。先程から音が聞こえていた、雨後の一時的なものか分からぬ小水流を横切ると、一瞬、歩きやすい小道になって、すぐまた不明になった。
 目の前に、御殿沢右俣が現れた。すぐ下に一八七〇米圏二股が見えていた。このまま水平に二本続けて渡るには、岩壁状をトラバースする必要があり難しそうだった。道の行方を探ると、上に向かう痕跡はなく、谷へと下る踏跡が見つかった。それは二〇米以上も下方のガレ状となった窪の二股まで下って、左岸に渡っているようだった。激しいガレもそこで初めて渡ることができた。岩稜はなおも続き、慎重にルートを探しながら下り気味に進んだ。振り返ると、先のスラブ状を下る小水流が滝を掛けて落ちる様子が目に入った。明滅する道の気配はやがて下り止まり、水平になった。御殿沢と萩止ノ沢を隔てる緩やかな大尾根の酷いシャクナゲ帯をやっとのことで抜け、細い針葉樹の歩き難い森に痕跡が続いた。道型が非常に良く残った部分を過ぎ、二連の細いガレ窪を二股の少し上で渡ると、萩止ノ沢左股源頭の巨大ガレに行き当たった。

 

⌚ฺ  和名倉登山道からの北面林道分岐-(25分)-崩壊地の展望岩-(1時間10分)-御殿沢右俣右岸-(35分)-萩止ノ沢左股大崩壊の右岸 [2017.10.8]

● 萩止ノ沢左股の大ガレ~唐松尾北尾根一九五〇米付近(黒岩新道交点)

 数十米幅の激しいガレへの侵入は危険で、渡る踏跡も見られなかった。見上げると、五〇米ほど上なら多少傾斜が緩んで何とか渡れそうに見えたので、とにかくガレの縁を登ってみた。行ってみると、ガレ上端近くのその付近は、百米近い幅をもって広く浅く崩れていた。注意深く行動すればトラバースできそうだった。何となく踏まれた気配があったので、ここが回避路なのであろうか。帰宅後、GPS経路情報と基盤地図情報とを詳細に照合して分かったのだが、御殿沢右俣で下った分をこの萩止ノ沢左俣のガレで登り返し回復したことになる。もしそもそもルンゼっぽい御殿沢右俣を桟橋等で水平に抜けていれば、大した上下なく萩止ノ沢左股のガレ上付近へ達していたはずである。無駄に上下した今回の経路は、林道荒廃後の迂回路だったのかもしれない。
 比較的ゆるい斜面になって、断続的な痕跡は酷いシャクナゲヤブや倒木に遮られ容易に辿ることができず、痕跡を追うより障害物の回避を優先して進んだ。落ち着いた黒木の森になったり、その森に沈む岩稜の小尾根、小さなガレや緩い窪を横切ったり、また時には踏跡がはっきりしたり、これを何度も繰り返した。顕著な地形的特徴がなく、小窪を渡るごとに方角を確認し、基盤地図情報をもとに作成した自前の地形図と照合し、位置を推定した。それでも似たような地形が複数あると判断が付けられなかった。萩止ノ沢右股の右岸支窪がルンゼのガレ窪になっていて、三米ほどの右岸岩壁が下れなかった。かつては梯子でもあったのだろうが、十数米登って窪への下降点を見出した。次の右岸支窪も悪く、分枝したガレを容易に渡れず手こずった。捜索の結果、ようやく上端からまとめて巻くことができた。右俣の本谷はどこが中心か分からぬ緩い凹みで、いつの間にか通過した。この間、何らかの痕跡が認められる部分が多かった。
 唐松尾直下を過ぎると道は北へ向かうようになり、多少の倒木が気になるが感じいい針葉樹の森が続くようになった。しかし幼樹密生帯に入ると途端に動きが封じられ、もがき進むようになった。痕跡を追うどころでなく、少しでも隙間のある部分を求め、上下に振れながら進んだ。進行方向が西向きになったので、幅広でどこが芯か分からぬ唐松尾北尾根の一角にかかったことが分かった。以前唐松尾北尾根を登ってきたときに見たのと、そっくりの雰囲気の場所があった。ササやシャクナゲの下生えを持つツガの森に点在する巨岩を縫うように登る、今までよりもやや明瞭な踏跡は、その時見たものに似た印象ではあったが、このような森によくある風景でもあり、まだ確信が持てなかった。その地点は、萩止ノ頭から真北に落ちる北尾根の分脈で、高さ十数米の巨岩を点々と配置した小尾根であった。二万五千図では二千米圏の肩状になっているが、基盤地図情報では標高二〇〇一米、周囲からの高さ二米の小突起の地点、そこから高度差約五〇米下を下った地点である。

 

⌚ฺ  萩止ノ沢左股大崩壊の右岸-(1時間15分)-萩止ノ沢右股-(50分)-唐松尾北尾根1950M圏 [2017.10.8]

●ヒルメシ尾根出合~大除ノ頭南鞍部

 現在の川又道(ヒルメシ尾根道)は和名倉山の西腹の低い位置を巻き、曲沢源頭の伐採小屋跡を通って八百平付近で将監峠からの道に合流する。ここから川又道を辿るのが通常だが、以下は山頂方向へお寝に絡む旧道を辿った記録である。最初に開かれた道は、大除ノ頭を越して尾根通しに下っていた[6]が、伐採や風倒木の影響で幾度か道の付け替えが起き、現在の位置になった。大除沢道を辿るとすると、ヒルメシ尾根に付いて登り大除ノ頭を登って越すことになるが、現地で見ると大除ノ頭を西巻きして二瀬道に合流する一世代前のルートの痕跡を見るのみだったので、今回はそれを辿ってみた。
 登り始めて数分後の1770M圏で、川又道は右に巻き始めた。曲沢側の伐採跡との境界を成す稜線に明瞭な踏跡は無かったが、大きな障害になるほどのヤブや倒木はなく、どこでも歩くことができた。伐採跡はカラマツ植林とモミの二次林が混生していた。造林ワイヤーを見ると作業道の残骸であるのか、多少道的な雰囲気出てきた。大除沢側も伐採跡のシラカンバの二次林になり、辛うじて尾根筋だけがモミやツガの暗い森を保っていた。1870M圏峰を越えて旧大滝村有林に入ると、伐採の爪痕は激しさを増した。1860M圏の小さな舟形地形は明るく開けた伐採跡になっていて、酒ビン、ワイヤー、造林機器の廃物が放置されていた。続いて別の舟形地形が現れ、踏跡や径の痕跡がないので下りでは迷ってしまうだろう。
 1910M圏に突然赤テープと落ちたビニール袋があり、ワイヤー多数残置されていた。位置的には、この辺りを二瀬旧道が西から東に乗越していたはずである。尾根は原生林帯になり、1930M圏小突起を過ぎると赤テープがあり、何となく尾根通しが歩き難くなり、右へ水平に行く痕跡が見えた(1930m圏)。どうやらここが大除ノ頭を巻き始める地点と思われた。痕跡は複数に分散して並走し、断続的で不明瞭ながらもほぼ水平であるように思えた。確信もないまま暗い森を我慢して進むと、左上の稜線が下がって明るい空間が垣間見えてきた。稜線は容易に手が届く位置まで下がって平らになった。僅か左が、二瀬登山道が通る大除ノ頭南鞍部で、真新しい道標が立っていた。ここから千代蔵休場下の和名倉山、将監峠との分岐まで、原生林中ではそれほど明瞭でないが、マーキングがベタ付けされた一派名登山道が続いている。

 

⌚ฺ  ヒルメシ尾根出合-(50分)-大除ノ頭南鞍部 [2017.4.29]

【林道途中へのアクセスルート】(確認済みのもの)

  • 黒岩新道(唐松尾北尾根道) …ただし萩止ノ頭付近がほぼ消滅

 

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リンノ峰近くの和名倉道との分岐
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笹原が終わってしばらくで見た林道の痕跡
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痕跡は倒木で寸断され中々追いきれない
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荒れた森にうっすらと道的なものが続く
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1崩壊地の展望岩から望む和名倉の雄姿
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ガレた礫の斜面も薄く踏まれている
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崩壊のためか岩盤が露出した箇所
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たまに踏跡が明瞭になるとホッとする
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岩肌を伝って落ちる細い水
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ガレを渡る時は展望が効き気持ち良い
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特別保護区の天然林を楽しみつつ行く
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木の勢いが弱く森の中は意外と明るい
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御殿沢右俣が近づきまた小流を渡る
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一直線で谷に落ちる御殿沢右俣のガレ
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見上げてもほぼ同じ光景
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滝状にスラブを這う先の小流を振り返る
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きれいな小径は十米続くかどうか
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道の痕跡は右巻きを始める
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萩止ノ沢左股の大ガレ
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五〇米高巻いた傾斜の緩んだ辺りを渡る
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尾根地形にシャクナゲヤブが現れ手を焼く
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ほんの一瞬の歩きやすい部分
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萩止ノ沢右俣右岸のルンゼ状小窪
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続く急斜面を右俣本谷まで高巻く
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幼樹のヤブと倒木でカオスとなった斜面
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森が深みを増すと唐松尾北尾根は近い
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見覚えある光景に出ると北尾根だった