根利山古道追貝道(小森~源公平~砥沢) page 3 【廃径】

● 小森~栗原川林道源公平入口

 急流の栗原(クリバラ)川も下流になると左岸にカスガ平、ヤスガ平、右岸に小森の台地を見て、追貝(オッカイ)で片品川に合する。広大な小森一帯の平坦地に明治四十三年に苗畑が開かれたという[8]。足尾の古河鉱業が木材確保のため国有林を借受け、営林事業のため明治三十七年に源公平に入植を開始した。伐採後の植林のため開設された圃場が小森であろうと推測される。古河撤退後は払い下げで私有地になり一時農家が入ったが[9]、現在は無人の牧草地となっている。季節によって放牧など行っているのだろうか、柵で囲まれ立ち入ることができない。そのため追貝から栗原川沿いに来て右岸の小森集落まで登ってきたはずの古道を辿り始めるのは、小森私有地の柵に沿うあたりからである。もっともこの区間は車道が並行して走っているためわざわざ通る人もなく酷く荒廃しているので、特に関心ある方でなければ車道を歩いた方が遥かに良い。

 古道は源公平の廃村後、しばらく国有林歩道として使われたと見られ、車道(栗原川林道)からの国有林歩道の入口が歩き出しとなる。地形図では八一四独標の約五百米先で車道が小窪を回り込む地点で、頭を赤く塗って「山」と刻んだコンクリート標が目印だ。数分の間、牧草地の柵と車道の間の細い斜面の小さな踏跡を行くが、柵際まで行くと草原越しに雪を纏った武尊や片品の山々が美しかった。古い木杭がある次の小窪で牧草地がスギ植林に変わった。ここからが牧草地を突っ切ってくるはずの本来の古道であろう。目前の車道に一台分の駐車スペースが見え、車ならここから入るのが便利だ。曖昧だった道が普通程度の作業道になり、栗原川林道のゲート手前にある栗原川第三砂防堰堤工事用のプレハブ休泊所を樹間に垣間見た。今度は車道跡のようなヤブっぽいが広い道になったのは、昭和五十一年の植林時に使われた作業車道の残骸だろうか。まだ使えそうに見えるシートを掛けた小型トラクターを脇に見ると、ヤブで判然としなくなった車道跡が登ってくるのを横切った。栗原川林道のゲート先数十米辺りから登ってくるものだろう。伐採跡を通過する古道はヤブが酷いが道型はまだ残っていた。右下に栗原川林道を見下ろしながら、場所によって一〇~三〇米くらい上のカラマツ植林中を緩く登った。道型が次第に曖昧になってくると、斜度がきついこの辺りは植林に混ざって自生する広葉樹の落葉のため滑って歩き難くなってきた。コンクリに鋼製杭を打った二個の土台にワイヤーを渡した何かの設備跡を過ぎると自然林に変わり、急斜面の道型はあるかなしかになりますます落葉でよく滑るようになった。この下の車道は何度も歩いて知っているが、法面が高さ十数米の崖になっている。滑落したら車道まで落ちかねないので緊張しながら足早に抜けた。次のガレ小窪の右岸は泥の急斜面で完全に道が消えていた。車道をすぐ下に見ながらガレ小窪を渡ると、左岸はまたカラマツ植林の微かな痕跡程度の踏跡となり、さらに二、三分で窪とも言えないほどの微小な窪みからやっと古道らしい道型になってきた。その微小窪には栗原川林道から急勾配の作業車道跡が来ていて、それを横切る形になる。もし仮に古道を歩くにしても、あまりにも劣悪な小森からの区間は捨て、ここから入るのが良いかと思う。栗原川林道から分岐する作業車道跡は多数あるが、この作業車道跡は一一一〇独標から南に出る窪を栗原川林道が横切る地点の約百米先で急勾配で戻るように分岐するものである。

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小森から源公平下り口まで(等高線5M間隔で作製、紫点線は消滅・不明部、黒点線は関連する道)   

この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の電子地形図25000及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 令元情使、 第199号)

 

 道が明らかに良くなった。かつて営林署で実際に作業道として使っていたためであろう。十数米下を並走する車道を見ながら水平な道を行くと、カラマツ植林と自然林の混交林に炭焼窯跡を見た。次の小窪でまた登ってきた作業用の廃車道を横断した。廃車道が小さくV字に折り返すVのこちら向きの尖った部分で道型が消え、Vに挟まれた部分の道が作業車道造成の影響で消えていた。しばらく探して見つけた古道の続きはほぼ想定通りの位置であった。栗原川林道との標高差が三、四〇米に広がってきた。この先で渡る松反(マツゾリ)沢の地形が厳しく、古道は幾らか登って高い位置で沢を渡るためである。自然林を少し歩くとまたカラマツ植林になり、右下から斜面を登ってきた廃車道とまたも交差した。しかも先程と同じV字の尖った部分でである。だが今回はヤブのないきれいな斜面なので、道の位置が明確に判断できなかった。縦横無尽に捜索し、相対的に最も道らしい部分を判断した。その痕跡は先へ行くほど明瞭になるので結果的に正しかったようだ。すなわち、道はカラマツ斜面を緩く登って、次の尾根に向かっていた。先に交差した廃車道の支線らしい別の廃車道がすぐ下を並走すると、植林地抜けたらしく踏跡がはっきり分かるようになった。小尾根を回り込むと斜面が一番急な一帯に差し掛かった。道が崩れ、数米幅のスラブを渡る箇所は八、九割渡れそうに見えたが、失敗すれば数十米の転落である。高度差三五米を高捲いてやっと元の道に復帰するも、続けて二、三ヶ所の小さいが油断できない崩壊を渡った。大岩下を潜るように抜けると松反沢で、水量は僅かだが渡る部分の道は薄くなっていた。崖のトラバースのような危げな地形は続くも多少歩きやすくなってきたのは、数十年前まで営林署で使われていた区間だからだろう。「山の木や草を大切にしてください」との昭和三、四十年代に見える幹に打ち付けた沼田営林署の小看板を見ると、当時は伐採作業員や釣人などの通行が多かったことが伺える。
 大尾根を回り込む所は松山峠とも呼ばれていたらしい。峠というのは変な気もするが、栗原川から悪場を避けて三〇〇米近く登った道が今度はここから源公平へ一八〇米下るのである。道は初め斜め緩く下り出したが、すぐに営林署時代の作業踏跡と交差すると曖昧になった。恐らくこの先は伐採作業で使われず、荒れるにまかせた状態のようだ。十数米下に栗原川林道が見え出し、やがてカーブミラーを認めると、小さなガレ窪でついに微かな踏跡は車道法面に突っ込むように消滅した。車道までの高低差は七、八米、強引にガレ窪を下り、鋼製山留めの五十米下流側の車道上に立った。さらに五十米先のカーブミラーが源公平への下降点なので、車道がなかった頃は先の踏跡が繋がっていたのだろう。ミラー下に括り付けられた読めない木札とピンクテープで下り口と分かるが、いつまで残っているか分からない。

 

⌚ฺ  小森-(15分)-栗原川林道ゲート先から来る廃林道横断-(25分)-営林署作業道として道良くなる-(50分)-松反沢-(10分)-松山峠-(10分)-栗原川林道鋼製山留工下流側-(2分)-栗原川林道源公平入口 [2023.10.30, 2023.11.23]

● 栗原川林道源公平入口~源公平

 栗原川林道から源公平への道は釣客の利用が多いのか、明瞭とは言えずとも訪問時点では所々にマーキングがあり安心だった。小さな折り返しを過ぎ、一旦緩やかになって、道はうまく露岩帯を避けていた。また小さく折り返すと、河岸の一段上に位置する小広場に出で、小道が幾つかに分かれた。ここはもう源公平の一角である。現在の訪問者にとっては目的地の栗原川に着いてしまえば道は無用、そのためか急に不鮮明になった。小広場から一段下がったところに訪問時はオレンジ色のテープが付いていて、そのやや上から出る等高に山腹を捲く道が砥沢への道である。昔幹線歩道だっただけのことはあり、石垣でしっかり固められた古道は痕跡を十分残していた。この先の源公平駅跡まではまだ時々古いマーキングテープが付いていた。右下に河原の広い何かの敷地らしい場所を見下ろしながら岩壁直下をトラバースするように行くと、一度小さな森に入り、それを抜けるとどこまでも続く広い平

坦地に出た。平坦地と言っても人工的に整地されたものらしく上下に段差があった。岩壁下の広い上段が、今や何の痕跡もないが操業当時の図面によれば源公平新駅跡のようだ[9]。明治の索道開設当初は集落の上流側に駅が作られたが、下流のケヤキ沢一帯に伐採が広がると索道が伸延され増設された新駅と思われる。古道以外の僅かな人工物は、手前側で道の右脇に見るコンクリート小槽くらいである。新駅一帯は作業場であるため生活の痕跡はほとんど見られなかった。石垣で補強した道は、新駅跡の台地を掠めて、河原とその台地の境界を進むようになった。台地側石垣上の「◯建(丸で囲った建、すなわち建築用地)」としたプラ杭は記念碑を示すものであろうか。すぐ先の石垣を切り崩して台地に登る道跡に入ると、平成三年に根利山会が設置した山神社跡の小さなステンレス製の記念碑があった。数百米はありそうな長い駅跡敷地の一番奥、すなわち最も集落側の位置である。歩道から山神社に続く崩れかけた石段が今もみられる。

 源公平の集落は、この先の森の中にあった。栗原川の右岸に入る源公平沢付近に細長く住宅群が点在し、石垣で整えた敷地跡や、割れた瓶など生活の痕跡も僅かに見られた。その先湿っぽい場所には石積みで高架のように道が作り込まれているのがまだ残っていた。従業員の社宅があったらしいスペースを過ぎて、大岩の押し出しが凄いガレ窪(源公平沢)の堆積物で道が埋まった箇所を乗り越えると、樹間に栗原川に源公の滝が見えてきた。下が青味ががった淵になった二段五米の幅広の滝で、子供の遊び場だったという。木々に覆われた暗い森で見る石垣で囲った敷地は不気味ですらあった。山側は高さ数十米の白い岩壁で、前橋営林局の古看板があり軽トラのタイヤが一本落ちていた。険しい地形のため古河時代、営林署時代を通じ車道を拓けなかった源公平でこうした古タイヤを所々で見るのは不思議だ。ここにも社宅があったと見え、割れた水瓶らしきと大日本麦酒社の空瓶を見た。この辺り、すなわち源公平の最奥に源公平駅があったとされるが、不自然に平らな土地が存在することを除けばすっかり森に覆われ窺い知ることは出来なかった。標高八三〇米、源公平沢出合の約百米上流側の地点である。

 

⌚ฺ  栗原川林道源公平入口-(15分)-源公平地区の最下流側-(10分)-源公平新駅跡-(10分)-源公平 [2021.10.30]

 

● 源公平~大禅ノ滝下

 古道は駅跡の所で吊橋を架け左岸に渡っていたという。今そこに立つと、川幅が数十米に広がって分流し、右岸は岩壁が迫って通り難くなっていた。源公平付近の詳細古図を見ると[5,9]、岩壁がある短区間だけ道は左岸に渡りすぐまた右岸に戻っていたようだ。実際に歩いてみると吊橋がないので渡渉となるが地形的にも通りやすかった。分流した小さな流れを跨ぎながら岩壁下の右岸を靴を濡らさずそのまま行くことも可能で、今歩くならその方が便利だが、当時は増水時も確実に通れるよう橋をかけて右岸に回っていたのであろう。それに駅のすぐ脇に当たるこの場所だから、輸送中の材木と歩行者の接触事故を考えてわざと遠回りさせていたとも考えられる。その後は一貫して右岸に道が続くが、所により崩れたり大岩に遮られたりと障害物も少なくない。巨岩を越すよう設けられた石積みの架橋は何とか形を保っていたが、その先にあったはずの桟橋は消えていてへつるように通過した。幅広四米滝を見るところで右岸が崩れ道が消えたが十分通過できた。落ちれば落水するだけで大事には至らないだろう。

 直後にスラブ状の小沢が右岸に入った。梯子沢である。崩れを難なく高捲いて通過すると右岸が崖で進めなくなったので、迷うことなく渡河点と分かった。八五七米のその地点は赤と緑の穏やかなナメとなっていて渡りやすかった。左岸で見つけた道の続きは、川から多少離れて山腹を行くようになると次第に崩れて曖昧になり、やがて道も分からぬほどの連続崩壊帯になった。頑張って無理やり突破できなくはないが、いったん河原に降りて下巻きすれば簡単に通過できる。崩壊部分が終わる辺りで栗原川左岸の当時の作業道と合流するようだった。合流付近の追貝道は崩れて不鮮明である一方、石垣で整備された作業道は崩れも少なく明瞭なので、現在追貝道を下ってくると道なりでは作業道の方に引き込まれてしまうが、作業道は左岸を少しずつ登っていくので変だと気づくに違いない。円覚への道は、高さ十米ほどの崖上を崩壊のため微妙なバランスでへつって通過することになる。特に必要がなければ、落ちても濡れるだけで済む川を遡行した方が安全だ。その先で、石垣で補強した道が突然消えた。吊橋で右岸に渡っていた箇所であろう。慎重に川まで下れば、渡渉は難しくなかった。右岸を登り返すもちょうどそこに猛烈なガレが流入していて、一面礫で埋め尽くされている。ここが大禅ノ滝下のゴルジュ入口で、円覚への登り口である。

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源公平下り口から円覚まで(等高線5M間隔で作製、紫点線は消滅・不明部、黒点線は関連する道)

この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の電子地形図25000及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 令元情使、 第199号)

 

 寄道になるが、大禅ノ滝を見に行くことができる。流入する二十米幅のガレを渡った先に道の続きが見える。初めてきた時、円覚への道の続きと思い込み散々迷ったところだが、これは大膳ノ滝で行き止まる道で、第二次大戦前の営林署の資料に「円覚林道七・六九六粁」と記されたものと思われる[13]。追貝道同様に要所が石垣で補強され、大きな困難なくわずか先の終点まで歩くことができる。崖に拓いた道は、あまりの険しさに逆に崖に守られる形で良く残っており、数十米の深いゴルジュの底を這うように次の淵を通過した。いよいよ覆い被さるような岩壁が目に入り前進不能になると思われた斜面の、◯準、栗原川、終点と三面に書かれた小さな石標で終わっていた。ここが営林署林道の終点ということであろう。目前の土の壁を登れるところまで登ってみると、石標の約一〇米上で行き詰まった。見上げる数十米の崖の手前が一度十数米の深い淵となって落ち込んでいる壮絶な光景だ。右下に大禅ノ滝の一段目、目の前には右から左に斜めに落ちる二段目、そして奥に控える三段目はまだほとんど姿を見せない。木の根に掴まり崖の落ち込みに沿って登ると三段目が見え始めた。水圧が凄いため左スラブがルートになるが支点が乏しく微妙なため難しいというが、確かに度胸と忍耐を要する際どい登攀になりそうなのが見て取れる。見上げるとお助けロープが下がっていて、さらに上の岩場から眺められるようになっていたが、もう満足して登らなかった。追貝道の滝分岐から滝の少なくとも一部が見える位置までは、五、六分で行くことが出来る。

 

⌚ฺ  源公平 -(30分)-赤と緑のナメの渡河点-(15分)-大禅近くの渡河点-(2分)-大膳ノ滝下(滝分岐) [2019.3.23]

 

【追貝道へのアクセスルート】(確認済みのもの)

  • 小森から栗原川林道八九〇独標までの随所で、車道から取り付きやすい場所を見つけて取り付くことが可能
  • 源公平入口(栗原川林道と追貝道の交差する箇所)

 

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小森の牧場下の国有林歩道入口
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この赤頭のコンクリート標が目印
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栗原川林道のすぐ上はこんな景色
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車道を下に見る植林の微かな踏跡
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道も不確かな場所に謎のトラクター
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カラマツ植林で少し歩きやすく
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右下が崖で緊張する枯葉のトラバース
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この廃車道跡と交差してから道が良い
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伐採跡の二次林を行く旧道
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幾度も横切る多数の廃車道の一つ
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伐採地では道型は極めて不明瞭に
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自然林の道がよく残った部分
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三五米の高捲きで渡る崩壊地
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崩壊部以外は歩くのに困らない
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この崩壊は一応渡れる(振り返って)
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巨岩下を抜けて松反沢へと下る
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松反沢右岸を登り返す
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約六十年前と見られる沼田営林署の看板
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松山峠で大尾根を回り込む
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微かな踏跡となって源公平へ下り始める
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再び栗原川林道が右下に見えてくる
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林道から見上げる下降点のガレ窪
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すぐ先の山留工が下降点の目印
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さらに五十米先のカーブミラーで、
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源公平へ下る旧道が林道から分かれる
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道型は相変わらず薄いが目印が出てくる
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急斜面にはトラロープ
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右下に平地を見ると源公平の一角
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道荒れは酷いが石垣で旧道と知れる
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川沿いの平坦な旧作業用地を歩けば楽
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道はいったん小さな森を抜ける
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巨大な敷地跡が源公平新駅跡
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何に使ったのかコンクリ槽が残っていた
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石垣が続く旧道の山神社入口
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一段上にステンレスの記念碑だけが残る
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石造りの歩道で源公平に差しかかる
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数少ない遺物の割れた瓶の破片
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同じく大日本麦酒の空瓶
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流入する源公平沢の土石流(振り返って)
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この一帯が源公平の中心
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脇には源公ノ滝(岩陰で映っていない)
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前橋営林局の古看板
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源公平の各所で見る廃タイヤ
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橋場で道が途切れ左岸へ渡渉
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左岸は道型ないが歩きやすい
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すぐ右岸に渡り返す
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渓流に沿う風光明媚な道
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時々段差の昇降あり(振り返って)
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しっかり道が残る箇所もある
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出水で荒れた河岸を適当に進む部分
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崖で行き詰まると赤と緑のナメを左岸に
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左岸に石垣を積んだ道は荒廃が酷い
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十数米の高みを通過中に危険な崩壊
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橋が落ちて道が切れ川を見下ろす
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道を飲み込んだ右岸の崩壊めがけて渡渉
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左の大崩壊が右の小沢の道を呑み込んだ
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寄道で大禅ノ滝への営林署歩道に入る
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断崖下を奥へ進む
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「終点」の石標
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眼前の土壁を登ると大膳ノ滝が
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この岩をロープで登るとよく見えるはず