錫ヶ岳(仁加又沢索道跡の道) page 2 【藪径・雪径】

● 丸沼高原スキー場~一八五〇米廃車道跡終点

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白根山登山者用丸沼高原スキー場内案内図
(途中まで白根山登山道:赤線経路を利用)

 一帯が日本製紙(旧十條製紙の後継)の私有地のため駐車場所がなかなか見つからず、一六三五独標付近の国道路肩に車を止めた。旧国道(地形図で現国道から分岐しすぐ合流する林道)の一六三〇米付近からスキー場に入り、舗装された作業車道を歩いて加羅倉尾根まで登ると、舗装が終わって美しいシラベの森になった。第三リフト上でまた暑い日照りの舗装道になり、螢塚山分岐の道標を見るとほどなく右に仁下又沢への林道が分かれていた。未舗装の林道を緩く下ると左に休業中のおおひろゲレンデを望み、リフト小屋先のゲートを過ぎて仁加又林道に入った。発電用の取水により涸れた仁加又沢本流を渡り、少し下ると広大な敷地に出た。仁加又林道は敷地を跨いで下流に続くはずだが、轍は左折し白根沢へと向かっていた。作業用の車両もわざわざ下から仁加又林道を通らず、スキー場を抜けて白根沢に入っているのだろう。スキー場を含め一帯の土地全て日本製紙一社で占有しているからこそできることだ。

 明るく開けた白根沢は広い場所で約二百米の幅があった。訪問時は豊富な雪解水のためか上流に発電用取水口があるにも関わらず沢の水量が多かった。車道は基本的に右岸に付いているが、広い河原を蛇行してきた流れに車のまま突っ込んで渡りすぐ渡り返すようになっており、靴を濡らさずそこを通過する踏跡が付いていた。もう一度流れの中に突っ込む部分も同様に捲きの踏跡があるので困難はなかった。車道は二基の堰堤を右岸から捲き、取水口直前の右岸涸窪で途切れた。上流を目指す様々な踏跡があり、入山者の好みや装備、水量に応じて適当に一七八〇米の取水口付近を越えているように見えた。靴を濡らさずの渡渉が微妙な訪問時の状況では、取水口と直後に現れる岩壁を右岸からへつり通すのが一番手間いらずだつた。このあたり左岸にしっかり踏まれた道があり、水量が少なければ渡渉して左岸を行くほうが歩きやすいが、この日は三番目の堰堤下の靴のまま渡れる場所で左岸に渡った。石上のマーキングやスズランテープが所々に見えるそこそこ踏まれた道だが、河原の踏跡なので明瞭とまではいえないものである。四番目の堰堤先にタイヤが落ちていて、堰堤建設前の伐採時にここが林道になっていて搬出用のトラックが走っていたことが窺える。ここを五番目の堰堤を越えた一八一〇米で両岸から小窪が入り、その直後の六番目の堰堤下で右岸に渡ってそれを越えた。七番目に現れた最後の堰堤を過ぎると沢が広がった。荒れた廃車道が見えるも、適当に河原を歩いた方が歩きやすかった。伐採跡感強いダケカンバの森を錆びた造林ワイヤーを見て進むと、また廃タイヤがあり、車道跡が終わって一八五〇米で大きめの右岸支沢が入った。伐採当時の車道はここで終わっていたようだ。

 

⌚ฺ  旧国道一六三〇米付近-(35分)-螢塚山分岐-(10分)-おおひろゲレンデ下-(10分)-白根沢出合-(20分)-取水口-(20分)-最終堰堤-(5分)-一八五〇米車道跡終点 [2025.5.20]

● 一八五〇米廃車道跡終点~二二一七米池塘のコル(仮称)錫ヶ岳

 この先、河原がやや狭まり笹が出できて、笹の中に伐採時の不明瞭な歩道が続いていた。今や作業道として当てにするほどのものではないが、何もないところをヤブ漕ぎや遡行して行くより数倍マシである。はっきりしない歩道だが時折マーキングがありどこを進めばよいかは何となく分かった。すぐ左岸に渡ると、笹の中に時々途切れがちになるが歩きやすい道が続いていた。道は沢から数米上の笹ヤブに付いていて、次々と支窪が入るので、不明瞭な部分や現れてきた残雪に惑わされぬよう気をつけて進んだ。特に一八七〇米二股は本流が見極めにくかったが、中間尾根を登って地形図どおり左俣に付いて登った。残雪に覆われた箇所が多く、道通りに進む部分と残雪を拾って進む部分が交互に現れた。一九二〇米付近は水量の減ってきた沢の中を歩く箇所があり、帰路笹の中に続く道を失わぬよう紙テープの暫定マーキングを残した。道は水流近くを行くようになり、一九四二米で一度右岸に渡った。落ちた造林ワイヤーを見るとまた左岸に戻り、少し行くと一九八五~二〇〇五米変則五股の最初の左岸支沢が角度の浅いV字で合流した。むろん本流の左を取った。直後の一九九〇米で右岸に二つの支窪が入り、その右側の支窪に誘導する雰囲気のマーキングが付いていた。これが錫の水場に登る窪である。本沢はここから雪渓になっていた。約五十米進むと左手が雪が消えた崖になっていて、踏跡が登っていた。この崖上に索道跡の中継所があるようだった。僅か先にある変則五股最後の右岸支窪を左に入ってもよいが、せっかくなのでその踏跡を登ってみた。最後は斜度六十度ほどになったがちぎれた造林ワイヤーが下がっていたので、鎖場の鎖のように使って登り上げると二〇二八米の小広い開けた場所に出た。

 ここだけ全く樹木がないので日当たりが良く、雪が消えてちょっとした広場になっていた。金属部品が落ちていて、地形からしても索道中継地跡と思われた。展望が素晴らしく、下方は丸沼高原スキー場と辿ってきた仁加又沢が一望され、遠方に燧ヶ岳が見えた。稜線にかけては、再生林の生育で多少曖昧になった切り開きが一直線に伸びていて、ルートの確認にも都合良かった。白根山は手前の尾根に隠れて見えるか見えないかの微妙な位置にあった。錫ヶ岳の山頂台地へ直接詰め上がる雪渓となった本沢も登れそうに見えた。だが国境稜線に出れば道が良かろうと索道跡ルートを取ることとした。

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白根沢から国境稜線まで(国土地理院地形図を使用)

 国境稜線の二二一七米池塘のコル(仮称)まで先の変則五股の最後に右岸に入る窪が真っ直ぐ登っている。真っ直ぐと行ってもごく僅かにうねっているのだが、索道跡の方は完全な直線で登っている。この斜面は国境稜線近くまで放置された伐採跡に天然更新したシラビソの低木がヤブ状にはびこっている。稜線下に樹種が変わるラインが見え、上が濃い緑(シラベの天然林)と茶色(ダケカンバ)の混合、下が伐採地に再生した低いシラベで緑が浅い。訪問時は大部分が残雪に覆われていたため道の状態が分からず、シラベ低木のヤブが酷いかどうか、道が窪沿いにあるか索道跡にあるかなど、判別できなかった。以下、大部分残雪を歩いた時の記録としてご参照いただきたい。索道中継地跡からすぐ一米以上の残雪を歩いた。索道跡はすぐ窪状に入り、初めはヤブがなく歩きやすい成木の森を登った。低木が増えてヤブ勝ちになった頃ピンクテープ見たが、積雪下の道の様子は分からなかった。雪はよく締まって歩きやすかった。二一〇五米から索道の切り開きがよく残っていて、陽のあたる一直線の雪渓状を快調に登った。帰りには走るように快調に下った部分だ。時々雪からぎりぎり顔を出すピンクテープを見るので、少なくともその部分では道は索道跡の切り開きについていると思われ、無雪期はテープがさらに見えてくるのかも知れない。時々切り開きが途切れそうになると若木の間を踏み抜かぬよう気を付けてすり抜けた。幹の周りは雪解けが早いが、若木が高密度に密生しているため雪の残った部分が以上に狭く、靴幅の半分くらいのリッジを渡ることが何度かあった。落ちても木の根元に吸い込まれるだけなので、命に別状ないが這い上がるのにやたら苦労する。この雪渓は二一七五米まで続いて、あとはヤブ状の若木を分けつつ残雪を登ると二二〇〇米あたりで雪が消えた。そのまま道を歩くと笹原となった二二一七米の池塘のコル(仮称)である。途中雪がなかったのは二箇所だけだったが、少なくともその部分では沢沿いの部分同様の踏まれた道になっていた。コルからの景色は先の索道中継地と同方向を更に良くしたもので、四郎岳と燕巣山が正面に見えた。至仏が何とか見えそうだったが正面にあるはずの燧岳には雲が掛かっていた。池塘は残念ながら残雪に埋もれ見えなかった。

 

⌚ฺ  一八五〇米車道跡終点-(45分)-二〇二八米索道中継点跡-(45分)-二二一七米池塘のコル(仮称) [2025.5.20]

 

● 二二一七米池塘のコル(仮称)~錫ヶ岳

 白錫尾根と呼ばれる国境稜線に取り付くと、歩き出しは道が良く期待したが、笹の小道はすぐ雪に覆われてしまった。この時期、以後道は樹林帯を行くので残雪が多かったが、笹原の部分では雪が消えていた。コルから少し登った笹原では、白根山や中禅寺湖と男体山の見事な展望が開けた。特に残雪から笹に切り替わる部分では、道を逃さぬよう注意深く登った。道が出た部分で判断する限り、一般登山道とまでは行かないまでも明瞭な道であった。頂上台地で左折するとすぐ樹林に覆われた錫ヶ岳山頂で、積雪のため標石は見えなかった。数米先から東側が雪のない笹の斜面になり中禅寺湖の展望が開けていた。

 

⌚ฺ  二二一七米池塘のコル(仮称)-(30分)-錫ヶ岳 [2025.5.20]
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丸沼高原スキー場の中腹から入山
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加羅倉尾根のスキー場作業林道を行く
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おおひろゲレンデでスキー場を抜けた
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白根沢右岸を登る林道
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林道が水中を走る部分は脇を捲く
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取水口は施設をへつって通過した
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ここも右岸をへつり通すと靴が濡れない
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同じ場所を渡渉した人用の目印
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伐採時代のタイヤが落ちていた
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低い笹が被った白根沢の道
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白根沢出合から七番目の最終堰堤
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車道跡終点を左岸に渡る作業道
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笹の下に断続的な道が続く
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河原を歩く部分も
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1885~2005M変則五股の最初の左岸支窪
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五股中盤の錫の水場へ向かう窪
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五股の本沢
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左手崖上の索道中継所跡へ急登
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高台にある良い休場の索道中継所
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残雪のシラベ低木帯を縫って登る
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雪から顔を出すマーキング
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雪渓状となった一直線の索道跡
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木と木の間の細い残雪リッジ
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雪が消え道が見えた部分
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2217M池塘のコル(仮称)
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低い笹原に付いた道
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振り返ると見事な白根山が
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道が分からない残雪の登高
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本来笹原なのかスキーコースのようだ
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山頂台地で左折
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雪のため山名標だけ見える山頂
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すぐ脇の笹斜面で中禅寺湖と男体山を望む