引馬峠道 page 3 【廃径】

 

●引馬峠~一八二四米鞍部

 引馬峠の南西約五十米にある一八九四米最低鞍部には笹が切れた幾つかの小広く開けた場所がある。野州側から門石沢の支流を詰めてきたり、会津側から引馬沢を登って湿った草地を抜けてきた場合は、ここに出てくるはずだ。県境縦走の踏跡はここを通って北東から南西に不安定に続いていた。だが峠道は、水準点標石の上に付いた前橋ハイキングクラブ(MHC)のプレートから会津側に入る。檜枝岐へは踏跡もないまっ平らな笹原を歩き出すので、初見ではどう行くか困るところだ。しかし昔歩かれた部分は今も何となくその雰囲気や痕跡が残っているので、それを探りつつとにかく北、厳密にはごく僅か西寄りの北方向に開けた森を歩き出した。峠から約百米のところに古く読めないブリキ板が木に打ち付けられており、約百二十米の地点で渡る微流には少し間隔をおいて幾つかのビンやその破片、また空缶を見た。ここが昔の水場と思われ、今でも利用可能だった。ここは昭和四十一年に小瀬が粗末な丸太の掛小屋と水場見て、同四十九年に通った川越が水場とテントサイトがあるとした地点であろう[39,46]。その間に小屋掛けは失われたようだ。周囲より心なしか木が少ない道だったらしい部分を大量の倒木を避けたり超えたりしながら通行し、ほぼ平坦に近い微かな下りで水場から約二百米行くと、突然はっきりした道に出て驚いた。そこはその明瞭な道の終点になっていて、北北東にしっかり続いていた。この不思議な道は昭和三十四年に開通した鬼怒沼林道(帝釈山林道とも)の残骸で、試しに少しだけ歩いてみると今もそこそこの良道だった。一度倒木で荒れたあと三十九年に再整備され[39]、整備直後に通った太田は「自転車に乗ってでも行けそうな平らな」道と記し[40]、四十一年の記録では稜線を通らず会津側を捲くこの道を使って越ノ沢道分岐から引馬峠まで三十五分だったというが[39]、現在どこまでよい状態で続いているかは分からない。一方引馬峠側は完全に倒木に埋もれ跡形もなかった。この辺りは昭和三、四十年代の風害で大規模な倒木が発生し[20,36]、この鬼怒沼林道も檜枝岐への峠道も倒木に埋め尽くされてしまったと見られる。現在は倒木がある程度腐朽し乗り越えて進むのも大きな困難ではないが、ここから引馬峠方面は跡地に自然再生した幼樹の海を突破しなくてはならなかった。
 道や踏跡はほぼ見当たらず、幼樹地帯をできるだけ避けるべくルートを取り、やむを得ぬ区間だけは潜って突破した。地図にない涸れた微小窪を横切り進むうち微かな痕跡か雰囲気を見るようになったが、複数の不明瞭な痕跡でしかなく道としては使えるものではなかった。見事なシラビソの森になってきて、その痕跡を利用して地形図と照らし合わせながら適当に斜めに緩く下った。樹間に尾根が近づくのが見えてきたので、それを回り込んで通り過ぎぬよう注意して、うまく一八三三米鞍部に下り着いた。深い森の中の大きな平坦地である。

 旧版地形図では道は尾根の左を捲いているが、実際微かな踏跡があったので辿るも、少し行くと笹の中に消えてしまったが、現在の通行者が付けたらしい断続的な踏跡が凹凸の少ない広い尾根上に付いていた。不安定なものではあるが、ヤブや枝の張り出しを交わしながらその踏跡を利用して尾根を北西に進んだ。二、三の小ピークを過ぎると左から旧道のものらしき痕跡が見えだし、それをひと下りすると一八二四米の鞍部であった。付近は灌木と笹の濃いヤブに覆われどこが鞍部かも分かりにくいほどだが、鞍部直前の小広いヌタ場が目印になりそうだ。

 

⌚ฺ  引馬峠-(20分)-一八三三米鞍部-(15分)-一八二四米鞍部 [2022.10.28]

●一八二四米鞍部~大黒沢出合の橋

 この区間は激しい伐採のため峠道がほぼ失われていて、地形も複雑なため、峠越えで最大の難所である。登り二回、下り一回の計三回通ったが、ルートが判然としない部分も幾つかあった。今後歩かれる方が真相を解明されることを願っている。

 ヤブの中の一八二四米鞍部から一八七六独標へ尾根通しに笹を漕いで登る小さな踏跡もあるが、恐らくこれは営林署か登山者が付けた踏跡であり、峠道は尾根の右を捲いている。ヤブと荒廃で判然としなくなっているが、尾根右側の笹が弱く登りやすい斜面を絡むように登れる場所があり、ここが峠道と思われた。登り切って支尾根の一八五二米辺りの肩状を越えた。下りなのに三〇米弱の無駄な標高を稼いだが、大黒沢左岸の険しい部分を高捲くためのアルバイトである。ここから大黒沢までは昭和四十年代後半の伐採で荒らされ大部分で道が消えてしまい、正確な経路が分からなくなっていた。ハゲ山となって少し危なげな急斜面の約二百五十米の長いトラバースで、一八七六米独標がある東西に長い峰の中央から北に出る小さな尾根まで渡り切った。この間は断続的な幾つかの踏跡が明滅するも、伐採後に出来た獣道の可能性もあり、古道と思われる道型は皆無だった。途中で見た灌木の伸びた小枝が人為的に切断されていたのは、かつてそこが道であったことを表しているか知れなかった。

 一八七六独標が置かれた東西に伸びた峰の中央から北に出て大黒沢の一六三〇米二股の少し下に落ちる小尾根に一八一〇米付近で乗ると、尾根上に古い道の痕跡が見られた。何もないよりマシという程度にまでひどく荒廃しており、倒木をくぐり、枝を払って通行する状況だが、旧版地形図が示すのと遠くない位置で尾根に絡んで下るこの道が、峠道である可能性が感じられた。ただ実際の地形ではこのような小尾根が西隣にもあるので、そちらが峠道であって今下っているのが伐採道である可能性も否定できない。この道型は尾根が一時的に岩稜になる手前の一七六五米で尾根の左斜面に絡むようになり、多数の切株を見ながら捲くように下った。一七五〇米付近の密ヤブで尾根がいったん平らになったが、この先の尾根には目立った道型がなく、右に出る形状が不明瞭な支尾根のような地形を下った。この支尾根は全域が伐採され跡地に笹が繁茂していて伐採当時の道も全く見えないが、笹の薄い部分が点在していて歩くのには困らない。大黒沢から登ってきた時、踏跡に導かれこの支尾根を登ってきたので、取り敢えずこの支尾根を峠道のルートと考えたが、単なる伐採道である可能性も考えられるので、正道を断定することは出来なかった。点在するダケカンバ下の胸~腰ほどの笹原を、隙間や痕跡を見つけながら支尾根に沿って適当に下った。不鮮明な尾根地形は何とはなしに消え、やがて大黒沢右股に落ちてしまうので、少なくとも一六三〇米二股の下流側に出るよう、やや左気味を意識して下った。笹原には伐採時の多数の痕跡が残っているので、どれか適当な踏跡を拾って下れば良い。大黒沢の左岸見える、百米の長さはあろうかという一六三五米の笹原の平坦地を目掛けて下った。ここまで来ると、もう少し道らしくなってきた。この付近も切株が多く、以前は美しい森だったのだろう。僅かに切り残された小さな森を通過する時、昔の面影が感じられた。道は緩く下って一六二一米で大黒沢に下り着いた。

 大黒沢はところにより両岸の傾斜がきつくなっているが沢自体は下りやすかった。峠道がどこに付いていたか今となっては知りようがないが、沢に付いて左右に渡り返しながら下った。一分も下ると左岸に支沢が入るので、登ってきたときはこれが山腹に取りつく目標になる。すぐ下の三米斜滝は右岸を容易に下った。百五十米も行くと左が小さく開けた湿地状になり、その下のミニゴルジュ的な箇所を左岸から捲いてそのまま左岸支沢に入り本流に戻った。登りの場合は一度左岸支沢に入るのがポイントとなる。ここまで来ると舟岐川林道の橋はもう近い。頭上に車道の橋が現れたら登ればよいのだが、ヤブと崖でなかなか上がらせて貰えず、左岸側に腕力で攀じ登った。一六〇〇米の地点に架かる橋はガードレールや銘板がないので名称や設置年が不明だが、舟岐川林道は昭和四十六年には大黒沢の一つ下流側で左岸に入るゼンエム沢に達し[51]、四十八年には上流側の火打石沢橋が竣工したので、四十七年頃架けられたと見られる。五十年が経過して橋の上には相当なヤブが繁茂しており、ぼんやり藪を漕ぎして歩こうものなら橋を渡ったと気づかないほどだ。橋の左岸側はかつて土場でもあったのか開けていて、核心部を終えて一息つくことができた。

 

⌚ฺ  一八二四米鞍部-(1時間10分)-大黒沢に降り立つ-(20分)-大黒沢出合の橋 [2022.10.28]

 

●大黒沢出合の橋~トヤス沢出合下の洗い越し機能を持つ橋

 引馬峠が使われていた時代、舟岐川に出てからは川に沿った歩道を檜枝岐へ向かっていた。かつての古道は、大黒沢出合の少し下で舟岐川を左岸に渡り以後何度か渡り返しながら下る、少なくとも広窪(畑小屋)辺りまでは山道だったようだ。舟岐川林道が引馬峠近くまで伸びてからもう五十年が経ち、古い歩道は完全に失われたことだろう。その車道すら林業の衰退とともに車道が廃道化して約三十年前の地形図で既に抹消されたが、舟岐川林道は現在も植林管理が行われる下部だけなら使われている。現時点の車道終点は書類上では越ノ沢となっているが[47]、西ノ沢の百数十米ほど奥の黄テープを張って通せんぼした実質的な終点までの約二・八粁が現役である。だがそこまでも車高の高い車しか入れない悪路で、乗用車では西ノ沢近くのヘアピンカーブ下までが精々であろう。なお西ノ沢は地形図で「曲沢」と誤記された左岸に入る沢のことで、真の曲沢は西ノ沢と越ノ沢の間の左岸支沢のことである。初回訪問時は川俣檜枝岐林道からの分岐にチェーンを渡し「一般通行止め」の表示が下っていたが、次回はチェーンが撤廃され何でもない分岐になっていた。初回に歩いた道すがら見た小さな倒木が次回には無くなっていたので、それを除去して通行可としたのかも知れない。三十年来、地形図から抹消されたままのこの道の位置は、道の完成直後の地形図に載っているが[53]、近年公開となった檜枝岐1041林班の森林基本図でも知ることができる[52]。ここでは川俣檜枝岐林道に出て少し下り、川沿いの緩やかな道になる呼出平付近までを説明する。

  橋上とは思えぬヤブや灌木を掻き分け渡った先もヤブが覆い、道型は見えなかった。ヤブから逃げるように川への落ち込みギリギリを笹に掴まって通過し笹ヤブを潜ると、有難いことに軽い崩壊地がありヤブが途切れた。ヤブと小崩壊が代わる代わる出てきて、それらを捲きながら行く踏跡は廃道並の悪さだったが、車道の残骸を追えば迷う心配がないのは良かった。ちょうど川を覗き込める位置に、面白い形状の二条六米滝が直角に捻れて落ちているのが見えた。古い峠道はこの滝の上流側で一度左岸に渡っていたそうだ。川が右に曲がるとイリエンゾウ沢の小流を渡った。大き過ぎず小さ過ぎない流れは、ちょうどよい水場である。車道がそのままきれいに残っている部分は稀だが、たまたまそういう箇所になるとブナの美しい紅葉を見ながら歩いた。時々現れる激しい笹ヤブや小崩壊は一過性なので大きな障害にはならなかった。越ノ沢が近づく頃、丈を越す笹ヤブの痕跡を行く部分でピンクテープを見た。ここが車道の越ノ沢支線の分岐である。試しに分岐する痕跡を追ってみると、ヤブを抜けて越ノ沢に入る支線車道跡の道型が続いていた。百米弱続く深い笹を抜けると越ノ沢が目の前で、土場であったのか手前がヤブのない広場になっていた。登ってきたときの目印にと、ヤブへの突入点を示すピンクテープが下っていた。
 越ノ沢橋で越ノ沢を渡った。結構流量が多いので橋があり有り難かった。古い赤テープや空缶、また伐採時のものらしい時代がかった遺物が放置されていた。ここからは正規の車道扱いになるためであろう、ここからはかき分けるほど激しい笹薮がなく歩みが捗った。一部笹が激しい部分もあったが、手で軽く除ければ通れた。一五二五米のヘアピンカーブは道全体が笹で覆われていたが、脇に避けて通る踏跡で難なく通過した。ヤブや溝、落石などで車は到底通りようがないが、手入れの悪い登山道程の悪くはない道だった。右にカーブを切った一四三三米に突然道に渡した黄テープがあり、現在使われる車道の終点と分かった。ここから周囲は管理の良い植林地に変わり、道幅がヤブで狭まったり、抉れや水流がも出てきて軽の四駆なら十分走れる道になった。ヘアピンカーブで高度を下げた一三九五米に小さなスペースが有り、ここまでは乗用車が入れるのでその駐車地点である。チェーンが外されていたときはここまで車で入った。もうここまでくれば、ただの未舗装車道歩きである。道はいったん舟岐川を離れ、ゲンバ沢を渡るとこの沢に付いて下った。九十九折れの六度のヘアピンカーブをこなし、カゲイ沢(地形図ではゲンバ沢と誤記)を渡ると再び舟岐川に沿い、尾根を越え右に回り込むとすぐ川俣檜枝岐林道に出合った。こちらもダートだが帝釈山への登山者の車が多数通るため道の状態が良かった。大きくカーブを切って舟岐橋で左岸に渡り、二百米弱を進んだトヤス沢出合のすぐ下で、車道が堰堤のようなもので再度右岸に渡るようになっていた。平水時は堰堤の下を流し、増水時は溢流を許す洗い越し機能を持った特殊な構造物のようだ。ここから下流側の車道は概ね直線になり、右岸の呼出平付近は一時開墾地であったという。檜枝岐まで約七粁の地点である。山道としてはこの辺りが終わりであろう。

 

⌚ฺ  大黒沢出合の橋-(30分)-越ノ沢橋-(50分)-川俣檜枝岐林道出合-(10分)-トヤス沢出合下の洗い越し機能を持つ橋 [2022.10.14]

 

 

【付録──舟岐川林道を最大限利用するルート】

 現在引馬峠へ最も簡単に入れるのが舟岐川林道を終点まで登り、容易な引馬沢を峠まで詰めるコースである。その引馬峠からの全行程のうち下半分を、引馬峠に向かうも時間切れになったときのエスケープに下ったときの記録である。時間的に早い訳では無いが、迷う心配が少ないルートとして採用した。
 この時は、ヌタ場のある一八二四米鞍部のやや北、一八四五米付近の尾根上から谷へ下り出した。この斜面は一面が伐採跡のヤブがかった二次林で、適当に下るうちすぐ引馬沢に下り着いた。一七六〇米の四米滝の直上である。引馬沢は地形図では火打石沢と書かれているので殆どの記録で火打石沢となっているが、火打石沢は林道の一六五五米にある火打石橋付近で孫兵衛山から来て左岸に入る沢のことである。これより上流は自分で歩いていないが、遡行した方々の記録ではこれといった滝はなく、二股を正しい方に入りさえすれば水流を歩くだけで楽に引馬峠に出られるようだ。

 この滝を容易に捲き下ると、広い渓には緩く小さな流れが続き、三十センチクラスの大きな岩魚の魚影が濃い。崩壊が頻発していたが、谷幅があるので影響なく下れた。やがて林道終点の丸石の大規模な谷側の擁壁が左岸の十米ほど上方に見えてきた。登って取り付いても良かったが、登るのが面倒なうえ谷が容易だったのでなおも下った。しかし林道終点を過ぎてから小滝がちょくちょく出現するようになり、下降は十分可能だがこれもこれで面倒になってきた。沢に造林ワイヤが残されているなど、林道とともに伐採の爪痕は今なお濃かった。

 小滝を一つずつ捲き下るのに飽きたころ、左岸が台地上に広くなっていたので行ってみたところ、道型と言えるほど明瞭ではないがかつての車道跡の地形らしかった。一六八五米地点である。緩くうねりながら下るその地形を辿ると、不完全ながら次第に車道跡らしさを増し、崩れかかって曖昧になったヘアピンカーブで剥き出しになった排水口の金属部品を見て、再び沢に戻ったところが火打石沢橋であった。道が消えて橋だけが残る、古い奥地林道の「あるある」である。橋の上がヤブと灌木で埋まっていて、それを漕いで渡った。ここからはもう少し道型が分かりあるきやすくなった。やたら多くのピンクテープが付いて小広くなった場所で焚火跡を見ると大黒沢を渡る橋があり、引馬峠道に合流した。

 

⌚ฺ  一八四五米付近の尾根上六〇~七〇米の台地状-(20分)-引馬沢一七六〇米の四米滝-(20分)-舟岐川林道跡終点直下-(20分)-車道跡一六八五米-(10分)-火打石沢橋-(15分)-大黒沢出合の橋 [2022.10.14]

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引馬峠の会津側は不明瞭な出だし
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道的な雰囲気がないではない
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すぐに錆びて読めない表示を見る
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峠の水場となる小沢を横切る
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沢に空瓶が幾つか落ちていた
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不明瞭だが道の雰囲気は続く
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倒木が塞ぐも道の感じはある
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明瞭な道となるも容赦なく倒木が塞ぐ
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帝釈山林道がはっきり姿を現した
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林道は一般道のような良い道になる
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試しに数分歩くと良道が続いていた
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不明瞭な痕跡で林道を離れ檜枝岐へ
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樹間の痕跡を繋いで北行する
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一八三三米鞍部が近づいてきた
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平坦でやや荒れた森林の一八三三米鞍部
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凹凸の少ない尾根上の明瞭な踏跡
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倒木やヤブもさほどと手強くはない
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一八二四米鞍部直前の湿ったヌタ場
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尾根右側の薄ヤブに絡んで少し登る
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一八五二米付近の肩状を回り込む
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旧道跡の可能性ある雰囲気を見るのみ
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荒廃し確実に道だったと断言できない
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しばし水平のあと微かな踏跡が下りだす
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一八二五米付近で微小尾根を回る
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伐採跡の疎らな灌木帯をトラバース
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邪魔な枝を刈払った跡にも見えるが
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真北へ出る尾根に乗ると小径が下っていた
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尾根に絡む下り道を振り返って
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岩場を左に捲き下る微かな小径
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森の切れ目から仰ぐ台倉高山
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荒廃が強いが何とか道は分かる
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大岩の下を左から通過
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大木の切株が古い伐採を物語る
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道が消えた伐採跡のダケカンバの笹原
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大黒沢左岸の一六三五米台地状の踏跡
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踏跡が大黒沢に下り着く所
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沢沿いに道はないが下降は容易
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この滝も右岸を簡単に下った
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すぐに林道の橋を迎え左岸に這い上がる
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橋上に繁茂した笹ヤブを潜って渡る
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面白く捻れた二条六米滝を見下ろす
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笹は深いが車道の道型で迷いはしない
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崩壊箇所には釣人の踏跡がついている
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深笹の中で越ノ沢の林道が分かれる
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ヤブ入口の目印のテープ(振り返って)
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越ノ沢直前の土場らしい大きな敷地
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越ノ沢橋を振り返る
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現役車道終点の簡単なテープ
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ゲンバ沢の林道分岐
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舟岐川林道合流点のチェーン
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【舟岐川林道終点へ下る】数多くの伐採痕
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伐採跡のヤブっぽい天然更新林
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三米滝上に降り着きこれも容易に捲き下る
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緩やかな引馬沢を適当に下る
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左上に舟岐川林道終点の擁壁が見える
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次第に滝が出て注意深く下るようになり、
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面倒になり廃林道に逃げた
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ヘアピンカーブとひしゃげた排水管
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ヤブに包まれた火打石橋
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橋上もヤブが繁茂している
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埋もれた昭和四十八年竣工の銘板
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崩壊で道型が消えるが通過は容易
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道が明確に分かる部分が多い
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大黒沢直前の土場らしい広い敷地

 

[50]山旅会編『尾瀬・日光 アルパインガイド10』山と渓谷社、昭和四十三年、小瀬郁雄「帝釈山縦走」一七六~一八〇頁。

[51]国土地理院『空中写真(川治)KT7110Y(1971/11/2)』、昭和四十六年、C10A-18。

[52] 関東森林管理局会津森林管理署南会津支所檜枝岐担当区『会津森林計画区 森林計画図・基本図 1041林班 会津259』、令和三年。

[53] 国土地理院『二万五千分一地形図 帝釈山(昭和五十三年測量)』、昭和五十五年。